第142話 海への道のり――対話と準備
「決めた。この階層を破壊するよ」
(ほう。一応、その考えに至った経緯を聞かせて貰おうが)
「現時点であたしたちは足止めを喰らっている。まず、それが無意味だと教える。魔法だと途中で力尽きそうだから、エーレンのブレスを借りて、天井に直線を刻む。広さにもよるけど多分、端まで届くだろうから、それを辿って全力で壁まで走る。階段がなければ全力で戻ってくる。それを繰り返せば、いつかは階段を発見できる……多分」
階段から端まで往復する時間程度なら天井に刻まれたブレスの跡は残るだろうという雑な予測に基づく案だが、実際、その程度なら余裕で持つだろうとエーレンも考え、続きを促した。
「少しずつブレスの方向を変えてやれば、どこかで下階への階段のそばまで進める。けど進まずに手紙を置いてここに戻る」
(手紙は魔素に分解されるのではないかね?)
人間のそばにあるならともかく、離れた場所に放置された物体は魔素に分解される。
迷宮の核でその設定を変更することは可能だが、昨夜からの実験で、その辺りは普通の迷宮と変わらないことは確認済みだ。
「多分だけど、あたしは見張られてる。それが正しければ、手紙はすぐに回収されると思う」
(罠だと思われるかもしれぬぞ?)
「んー、だったら、手紙を壁にでも貼り付ける? 開封されてれば罠も何もないでしょ?」
魔法陣等なら警戒される恐れもあるが、遠目に文字しか書かれていないと分るなら確かにその通りだとエーレンは答える、が、同時に疑問を提示する。
(その方法で相手に文面を見て貰うことが出来たとしてだ。相手は文字を理解するのだろうか?)
「……多分。迷宮の核の操作ができるなら、文字の理解は必須だけ、ど。あれ?」
(どうした?)
「うん。あたし達は魔王となったリュンヌ様に従って、人間の中にいるのが難しくなったから森の奥に隠れ住むようになって、リュンヌ様のお力で迷宮の核を操作できるようになったわけで、そうすると、この迷宮の住人はどうやって迷宮の核を操作できるようになったのかなって」
竜人はリュンヌの眷属であり、だからこそ全員が神の言葉を聞き、迷宮の核を操作する特別な能力が与えられている。
ソレイルを信仰しているヒト種に於いては、神託の巫女のみが神の言葉を聞くことが出来るが、種族全体に特別な加護は与えられていない。
そして現存する人間種族の中で、神の眷属の立場にあるのは竜人だけだ。
(いずれかの神のお力による物だろうな。だが、その疑問が出たと言うことは、リオはこの迷宮を管理しているのは竜人ではないと思っているわけだな?)
「んー、思う思わないじゃなく、なんか違うなって感じる」
(それを言葉にする努力を怠るでないぞ)
「なんか迷宮の造りが竜人ぽくない? ……あたしたちなら、迷宮から魔物を外に出したりしないし?」
迷宮の魔物は、迷宮がある地域の魔物よりも強く、溢れ出る魔物は往々にして凶暴である。
迷宮の外の世界からすると、迷宮の魔物は脅威でしかないのだ。
この世界には生態系という概念はまだ存在しないが、薬草や山菜の群生地で採り尽くしたり、子ウサギ、子鹿を狩り尽くせば、山の恵みが失われることは知られている。
その観点で見ると、親も子も無差別に狩り尽くす迷宮の魔物を外に出すのは、あまり褒められたことではない、とリオですら知っていた。
(そうだな。確かに竜人のやり方とは違う。だが、そうするとここにいるのは何者かね?)
「分からないから手紙を書くつもりなんだけど」
(その前段の手段がフロアの破壊による階段の発見となれば、相手からすれば侵入者が破壊活動を始めたようにしか見えないぞ?)
「じゃあどうすればいいのさ」
(ふむ……では考えるための手がかりをやろう……まず、相手はリオのことを警戒してどこからか見張っているな?)
「うん、時々妙な視線みたいなのは感じたしね。だから手紙作戦を思いついたんだけど」
自力で答えに辿り着けそうにないと、肩を落とすリオ。
(ほれ、リオを見ている相手に挨拶をせぬか)
「挨拶? 殴りかかる? ブレスでもかます?」
(……それが挨拶になるのは、獣人種のごく一部だけだからな?)
ヒトと交流のある獣人はそのようなことは滅多にしないが、獣人同士であれば、序列を明確にするため、取りあえず力を示すことで挨拶とする。というやり方もある。
さすがに殴りかかるのは稀だが、挨拶代わりの力比べを好む獣人は少なくはない。
「じょ、冗談に決まってるでしょ? あたしだって、オラクルの村で生活してたんだからね」
(では、挨拶とはどういう意味を持つか、答えられるかね?)
「え? そういう決まりごとだから、なんとなく?」
(ふむ。まあ間違いではない。間違いではないが正解とは言いかねる。挨拶は自分が属する群れの決まりや常識、掟であり、挨拶をするのは、自分は群れの掟を守る人間であると相手に伝える方法のひとつなのだよ。獣人の場合は、そこに序列の確認が加わるが、それすらも相手が獣人なら、同じ価値観を持つ同胞だと理解されることに繋がる。前提として、相手との関係が中立以上である場合に限られるがな)
挨拶の意味合いについて説明を受けたリオは首を傾げた。
「なら、偉くなると挨拶が面倒なものになるのはなんでなの?」
(立場に応じた礼儀を時間を掛けて学んだ。つまりそれだけ掟を尊重してきたという証明になるからだな。逆に挨拶をしないのは、相手の価値観を否定する行為と取られる可能性もある……さて、それでは話を戻すが、監視している者に挨拶をせぬか)
「挨拶って言っても、今の話だと、相手の礼儀に従わないとダメなんじゃないの?」
(うむ。だが、相手が人間種族で言葉が通じるのなら。相手の礼儀を知らなくても話はできよう?)
なるほど、とリオは頷き、広がる暗闇に向かって背筋を伸ばす。
大きく息を吸ったリオは、大きな溜息を吐き、肩を落とす。
「何を言ったらいいの?」
(まず、自己紹介だな。種族と名前、ここに来た理由、敵対する意志がないこと。今までの反応から、信用はされておらぬ。対面は難しいだろうから、返事として暗闇の中に火を灯して欲しい。そうしてくれたらこれ以上無許可で侵入するのを止める……だけだと弱いな。時間をおいて5回くらい声を掛て反応がないなら、誰かがいるというのはこちらの勘違いだろうから、このフロアを破壊して更に下の階層に進むことにする、も付け加えようか)
「分かった」
再びリオは暗闇に向かい、今度こそ声を放った。
「あたしは月と冥府と知恵を司りし女神リュンヌ様の眷属たる竜人族レウスの娘。黄金竜エーレンと連理比翼の契りを結びしリオ! この迷宮から魔物が溢れ出て、近くのヒトの住む町が危険に晒されている! だから迷宮を踏破するために来た! だけど、この迷宮には人間の意志が感じられる! 管理者がいるなら戦う意志はない! もしも誰かがこれを聞いているなら返事を! それが無理なら暗闇の中に火を灯して欲しい! 誰も聞いていないかも知れないので、あと4回、時間をおいて声を掛ける! 5回目も無反応なら、誰かがいるというのは勘違いと判断し、フロアを破壊しつつ下の階層に進む!」
暗闇にリオの声が吸い込まれ、暫くすると耳が痛くなるような静寂に包まれる。
だが、リオは暗闇に目をこらしていた。
「エーレン。いるね」
(いるな……随分と気配が小さいし、不安定な動きだが)
何かが暗闇の奥にいる。
その気配は小型の魔物程度で、上下に不安定に揺れているようにリオには感じられた。
「気配を出してくれてありがとう! 可能なら名乗りを! 無理なら火を灯して欲しい!」
リオの言葉に、暗闇の中の気配が小さく霞んでいく。
「驚かせてごめん! こちらには攻撃の意志はない! ……エーレン、どう思う?」
(気配を出したのは事故だったのかもしれんな。いずれにせよ言葉に対して反応があった。約束通り、時間をおいてあと4回、声を掛ければ良いのではないか?)
いきなり対話を求められても、答える権限を持つ者がいなければ、相手は無言でいるしかない。
火を灯せば、それはここに言葉が分かる者がいるぞという情報を知らせるに等しい。
もしも相手が言葉を理解しており、上位者がいるなら、今頃上位者の元に対応を確認に走っているかも知れない。
であれば、『時間をおいてあと4回』をじっくり時間を掛けて行なえば、返事が届くのではないか、というエーレンに、リオは頷いた。
「でも、時間をおくって言ったけど、どれくらいにする?」
(半日程度で良いのではないか? 朝、昼、夜と日に3回にすれば、明日の昼まで引き延ばせよう。相手が迷宮の核を制御しているなら、戻ってくるのにそれほどの時間は必要ないだろう)
「ん。分かった」
◆◇◆◇◆
現在、オラクルの村では、アレッタが学園の運営を行なっていた。
ちなみにレイラは王都にいる。
学園の運営と言っても、外部との折衝が必要な部分についてはレイラとルシウスを通すようにと定めているため、アレッタが行なうのは、日常業務に限られる。
生徒の面倒を見るのは元卒業生の職員達で、ポーションの配分、職業レベルを上げるためのスケジュール管理、護衛の手配、食料の手配などは彼らがやってくれる。
アレッタの仕事は、職員たちからあがってくる内部調整の対応と、そこからレイラに流すべき情報の取捨選択だった。
対外的にも実態としても、主たる責任者はルシウスであり、アレッタは実働部隊の取りまとめということになっており、外部から何か言われた場合、アレッタは、それについてはルシウスの判断を仰ぐように、ルシウスから命じられていると答えることで、余計な軋轢が生じないようにしているし、アレッタの回りには職員以外にもサンテール家の使用人を始めとするスタッフが控えており、日常業務は粛々と消化される日々が続いていた。
が、例外となる案件が発生した。
「ライカさんから手紙ですか?」
「事務局宛でしたので、こちらで開封しましたが、ライカ様からアレッタお嬢様への私信ではないかと思いましたので、取り急ぎお持ちしました」
アレッタはシルヴィから手紙を受け取り、目を通した。
そして、もう一度、今度はしっかりと一文字ずつ確認するように精読する。
「バルバート公爵の署名もあるわね」
「はい。公爵様の命令ということになるのでしょうか?」
「いいえ、手紙自体はライカさんからのものですわ。公爵の署名は、これを認めるという意味ですわ……シルヴィ、食用以外の肉類の備蓄は?」
「肥料ポーションが流通し始めましたので、かなり余ってます。お師匠様が作ったアイテムボックスの容量を圧迫しつつあります」
「なるほど……シルヴィは、内容はどの程度まで読みましたの?」
アレッタの質問にシルヴィは
「事務局宛でしたので一通りは。ただ、アレッタお嬢様への私信も含まれているように思いましたのでお持ちしました」
「命令ではなく、お願いという辺りが判断が難しい部分ですけれど、これは私信ではありませんわ。それで、指定の分量をすぐにでも送ることは可能ですの?」
「護衛と馬車の手配が必要ですので、数日、お時間を頂く必要がございます」
アレッタは再度手紙に目を落とした。
「期日は記されていませんから、緊急性はやや低いのでしょうけれど、護衛は比較的長期間、拘束されることになるようですわね」
「はい。カルタの村に魔物や獣の内臓や筋を送った後、現地から馬車2台を連れて、西に向かいつつ全ての街や村に立ち寄るとありましたから、滞在する時間によっては4、50日ほど掛かりそうですね」
「冒険者の確保が少々手間かも知れませんわね。それにしても、古い物語にたまに出てきたけど、犬、猫って実在したのね」
「手紙には、犬はウルフ系の魔物に似て、猫はタイガー系の魔物に似ているとありましたので、それらに対して苦手意識のない冒険者を探します」
ライカからの手紙には、犬猫たちの食料の手配と、犬猫を各街、各村に連れて行って慰問を行なって貰う予定なので、卒業生レベルの護衛を用意するようにということが記されていた。
卒業生レベルの護衛は、現時点で雇える冒険者の中でもトップクラスである。
そこまでの価値があるのだろうかと首を捻りつつも、ライカが言うならと、アレッタは粛々と準備を進めるようにシルヴィに命じた。
「お嬢様、物語の中では犬や猫はどのように書かれてましたか?」
「犬は人間の命令を聞いたりしてましたわね。猫はそうでもありませんでしたが、どちらも登場人物が可愛がっていましたわね」
「命令を聞くと言うことは、言葉が通じるのでしょうか?」
「さあ? ……会話をするシーンは書かれていなかったと思いますけれど、オラクルの村に慰問に来たら、話しかけてみましょう」
この結果、慰問に来た犬たちに話しかけるアレッタが、周囲から仕事のしすぎで疲れているのでは、と心配されることになるのだが、それはまた別のお話である。
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