第141話 海への道のり――足止めと封印の方法

 結界棒で生じた結界の中は、結界杭の結界で守られたヒトの街と同程度に安全である。

 だが、だからと言って、結界棒の結界の中でくつろげる者は多くない。

 ひとつ目の理由は、少し前まで、迷宮以外で結界棒を入手する方法がなかったため、結界棒の安全性を身をもって知る機会が少なかったことである。

 ふたつ目の理由は、結界は肉眼では見えないためである。


 町を覆う結界杭の結界は、その内側に壁があることが多く、視覚的にも守られているように見えるのに対し、結界棒の結界の場合は壁などなく、肉眼で見る限り、障害物など何もないように見えるのだ。

 目の前に魔物がいて、「ここは見えない壁があるから安全だ」と言われても、素直に頷ける者は多くない、という話なのだが、リオは、そう言われれば頷いてしまう少数派だった。


 だから、十分な睡眠を取って目覚めた時、結界の外に魔物が群がっていても、


「邪魔だな」


 程度の感慨でそれらを蹴り飛ばした。


(リオ、昨夜つけた印は確認したかね?)

「あー、うん。魔法で付けた印は残ってるね」

(ゴミは魔物に荒らされているが、遠くの物は跡形もない。魔素に分解されたか)

は普通の迷宮と同じだね」

(……ほう、一晩でその答えに辿り着いたか。ヒトの中で生活した成果か? 観察力が育って居るではないか)


 揶揄うようなエーレンの言葉に、リオは肩をすくめた。


「そりゃ、ここまであからさまならね」

(それでは答え合わせと今後の方針を聞かせて貰おうか)

「第一に、この迷宮は竜の谷の岩山にある迷宮と同じで、制御された迷宮だと思う。理由は第三階層、第四階層の階段を隠すようにしていたことと、この階層の魔素の流れが異常だから」


 天然の迷宮は原則として、入った人間を迷わせつつも奥に進ませるように作られている。リオが見聞きした範囲で、この原則から外れる天然の迷宮はない。

 なぜそうなのかは明らかになっていないが、人間が迷宮を踏破することが容易なように、ラビリントが調整しているという説と、元々迷宮は入り込んだ人間を喰らうための存在であるからだという相反する説があったりする。

 第三階層のような、入り口にゴミが引っ掛かっている程度ならあり得なくもないが、第四階層のように階段が氷で隠されているというのは、その原則に反している。

 そして、今いる第五階層は魔素の流れが不自然に歪められている。

 そこから、下の階層に進ませたくないという意志が感じられるのだとリオは答え、そして、と、続けた。


「この階層はあたしに特化してる。最初からそういう構造と考えるよりも、あたしの存在に気付いた誰かがそうしたと考える方が自然だよね」


 第五階層はただただ暗くて周囲が見えず、目印に出来そうな障害物も起伏もない。ほぼ均等に魔素が充満するように緩やかな魔素の流れが制御されており、魔力感知があっても下り階段を見付けるのは至難だ。

 だが、それはリオが単身でここまで来たからにすぎない。

 あとひとり。

 上り階段の下で結界棒を使い、ランタンを灯して留守番をする人間がいれば、この階層の難易度はほぼ0になる。


 何もないただ暗くて広いだけの階層なのだから、遠くからでも暗闇の中のランタンを見付けることは容易だ。

 この階層まで下りてくることができるものなら、障害物のない迷宮内を適当に動き回って階段を探すことができる。


 だが、階段下にランタンを置いて行く方法では、ランタンから人間リオが離れて少しすればランタンは魔素に分解されてしまう。

 だからひとりでここまで下りてきたリオにはこの方法は使えない。


 つまり、この階層は、赤の迷宮の第五階層まで単身で人間がくることを想定し、それに特化している。


 偶然そういう階層があった可能性もあるが、そのように変化させられたと考える方が理に叶っている。

 竜人の巣のある迷宮を知っているリオは、そのように判断したのだ。


(つまりこの迷宮は、竜人の巣のように、人間の手によって迷宮の核が制御されているとリオは考えるのだな?)

「うん。第一、第二、第三階層の時は間に合わなかったんだろうけど、第四階層の氷の階層なんかは、もしかしたらあたしをトカゲの獣人とでも勘違いしての事かも知れないって思ってる」

(そこまで考えていたか……それで? この先はどうするかは決めたかね?)

「ふたつの案があるんだけど、どうしよう?」

(ほう。随分と知恵が付いたな。述べてみよ)


 力押し一択だったリオがふたつの案があるというのを聞き、エーレンは感心したようにそう言った。


「意識繋げればいいじゃん?」

(言葉での説明というのも訓練だ。説明が難しいというなら意識を繋げても良いが)

「分かったよ……ええと、ひとつが力押しで迷宮の奥まで突き進む。もうひとつが力押ししつつ、誰かが来たら話を聞く」

(いずれにしても力押しではないか)

「片方は対話するけど?」


 心外な、とリオは怒ったような声を出す。


(だが対話まではやることは変わらぬ訳だな?)

「誰かがいるかどうかも、まだえーと……オクソクノイキ? を出ないし、なら、同じ方法を取った方が楽だと思うんだ」

(ふむ……だが、誰かがいた場合、あまり派手に迷宮を破壊するのは良くないとは思わぬか? 竜人の巣に誰かが侵入してきて、好き勝手に迷宮内を破壊されたらどう考えるかね?)

「あー……敵だと思うかも?」

(足止めされているかもしれない現状を踏まえ、リオが竜人の巣で侵入者を足止めするのはどういう場合か考えてみよ)

「少なくとも相手を警戒してる。敵の可能性が高いと考えてる。かな?」


 なるほど、とリオは考え込んだ。


  ◆◇◆◇◆


「レン。迷宮が封印されていたとしたら、迷宮の中ってどうなるの?」


 クロエの問いに、レンは少し考えてから分からないと答えた。


「封印の仕方によるだろうね。入り口を封鎖しただけなのか、中身を凍結したのか、とか。封印方法なんかも分かってないし、見当も付かないね。クローネお嬢様は封印について何か聞いているかな?」


 そう尋ねつつも、レンはゲーム時代のことを思い出していた。

 シナリオの中には、封印された魔物が出てくる話もあり、多くの場合封印は対象の時間経過をほぼゼロにする代物だった。


「神殿の記録に封印の話が数回あったけど、具体的なことは書かれてなかった」

「なら今回の件に似た話はなかった?」

「……多分……? レン、迷宮に封印があったとして、封印がなくなった理由は?」

「封印の原理が分からないから、それも分からないね。結界に耐用年数があったのか、神が気まぐれを起こしたのか、迷宮の魔素が封印の限界を超えたのか、色んな可能性があるけど。そもそも本当に迷宮が封印されてなかった可能性もあるしね」

「……なるほど」


 何を考えるにしても元となる情報が少なすぎるのか、と理解したクロエは頷いた。



 翌日、クロエの弟子となったアリダ、ミラ、サブリナの3名は、クロエの師匠となるレンに進捗を見て貰っていた。


「うん。アリダは今まで勉強してきただけあって、初級に必要な知識と技能は足りてるね。後でライカと一緒に神殿でアルシミーに祈ってきて」

「はい! ありがとうございます」

「初級になれたら、そっからが本番だから。クローネお嬢様、アリダの技能レベルを中級になれる程度まで」

「わかった」


 必要なポーションは準備出来てる、とクロエは頷く。


「ミラは知識がやや偏ってるね。素材の下ごしらえ部分の知識がやや弱いかな。この辺りを重点的に読み込んで。理解出来たと思ったらクローネお嬢様に言って、テストしてもらって」

「はい」

「サブリナは、基礎知識は十分だけど、応用部分が怪しいね。もしかして、基礎知識は理解しないで暗記しちゃってる?」

「えーと、はい。多分、読んだ内容をほぼそのまま暗記してます」

「なるほど。そしたら、錬金術大系のここからここまでを紙に書き写して、なぜそうなのか、を書き足してみて」


 レンの言葉にサブリナは首を傾げた。


「なぜそうなのか?」

「例えば……ここ、『硫黄草。水場の近くに多く見られる。採取後に他の植物に触れさせておくと薬効が失われるため、採取する場合は専用の入れ物を用いるか、速やかにウエストポーチにしまうこと。葉を落として茎の部分だけを採取すること』ってあるよね」

「はい」

「不思議に思わない? なぜ採取後に限り、他の植物に触れさせておくと薬効が失われるのか。野生の硫黄草は他の草と一緒の場所に生えてるわけで、採取前に他の草と触れ合っていたりもするだろうけど、そこで薬効が失われないのは何故なのか、とか」

「あ……確かに言われてみれば」


 確かにそれは不思議ですね、とサブリナは頷いた。


「錬金術大系に書かれていることはほんの一部なんだよ。書かれてることには意味と理由があるけど、全部は書かれていない。だけど、応用を考えるとき、そういう知識があるのとないのとでは、答えが変わってくるからね。だから意味と理由を理解しようと努力してみて欲しい」

「やってみます……けど、理由が見当も付かないときはどうすれば?」

「答えが分からなくても構わないんだ。自分で疑問点を見付けて考えることに意味があるんだよ。自分なりの答えを考えたら、俺かライカかクローネお嬢様に聞いてみて」

「はい」


 日本の学校の勉強でも、例えば分数の割り算などは『単にひっくり返してかけ算すれば良い』と丸暗記をしてしまえば点はとれるが、なぜそうするのかを理解していないと、勉強を進めていく途中で躓いたりする。ちなみにレンが躓いたのは暗記だけでは対応出来なくなる大学辺りだった。

 レンはかつて自分が躓いた経験から、暗記した内容について、なぜそうなっているのかを考えるように伝えたのだ。

 が、おずおずとライカが問題点を提示した。


レンご主人様。そのやり方ですと、時間が掛かると思いますが」

「全部やらせる訳じゃないよ。自分で考える経験をしておかないと、俺たちがいなくなった後で困るから、範囲限定での課題にしている」

「差し出口を申しました」

「や。ライカはそれで良いんだ。気になった事はどんどん聞いて欲しい。さっき言ったことと逆になるけど、聞いたら分かることを考えるのは時間の無駄だからね」


 考える習慣がある者ライカにその訓練は必要ないから、疑問があったら即座に聞いて欲しい。というレンに、ライカは嬉しそうに頷いた。


  ◆◇◆◇◆


 ライカが作った屋敷――最近ではクローネ邸と呼ばれている――で働く使用人からの報告をまとめたルーナは、オネストに淡々とそれを伝えた。


「というわけで、初級の錬金術師が一名誕生し、現在は訓練を行なっているそうです。付き添いということで最初に入った2名はまだ勉強中だそうですけれど、数日で初級に届きそうだと」


 なお、この報告は


「作業時間と作業内容なんかは直属の上司に日報を提出するように」


 とレンが指示を出したため行なわれているものであり、オネストの指示ではない。


 レンの感覚では、オネストから使用人を借りて屋敷の維持をして貰っているだけなので、彼らに対する指揮命令権を持つのはオネストだと思っているのだ。

 そして指揮命令権を持つ者には一定の管理責任が生じるものだが、情報がなければ管理をすることは出来ない。だから、レンとしては、管理責任をオネストに振る目的で、これだけはしっかりやって欲しいと使用人達に『お願い』していたのだ。


「そうか……もうそこまで進んでいるのか……しかし、使用人にこうした報告をさせるとは、随分と珍しいやり方だな?」

「ええ。ですが、出先で使用人がミスをすれば、それは当家の責任です。そうしたことを把握する意味でもこれはありがたいです」

「そうだな。それで、初級錬金術師はすぐにも街のために働いて貰うことはできるのだろうか?」

「無理ですね」


 そう答えるルーナに、オネストは続きを話せと促した。


「錬金術師アリダは、多数のポーションを育成のために使ってもらっており、その返却が必要です。これは王立オラクル職業育成学園の生徒となった場合と同じ支払い方法ですね」


 実際には、アリダの作ったポーションはミラ、サブリナの育成に使われるのだが、その辺りの詳細までは使用人達の日誌には記されていなかった。

 だが、育成に使った資材の返却というのは分かりやすく、オネストは頷いた。


「なるほど……ならばポーションは暫くは今まで通り、外から買い付けるか」

「……体力回復ポーションに限っては、その必要はありません。先日頂いただけでも、一年分以上です」

「……あれは使うべきではないと思うが?」

「中級についてはそうですね。あのポーチの時間遅延が話半分だとしても、100年くらいは保管出来るでしょうし。ですが初級に限れば使ってしまっても問題はないのでは?」

「いや、あの品質のポーションは非常時に備えて保管しておきたい」


 ポーションに初級、中級という等級があるのは周知の事実だが、それとは別に作り手の技量による品質の差も存在する。

 基本的に効果は同じで、最上位品質だからひとつ上の等級の効果が出るということはない。

 違うのは持続時間と効果の早さだ。

 高品質なポーションは、効きが早く、効果の持続時間がやや長い。

 効きが早ければ、失血死の危険性が低下するし、戦線復帰も速くなる。

 効果が長ければ、深い傷でもポーション一本で治せる可能性がある。


 そういう違いがあるのだと説明を受けたルーナは、ポーチ内のポーションは保管し、しばらくはポーションを外から買い付けることにすると答えるのだった。

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