第140話 海への道のり――封印と暗い階層
クロエの説明を聞いたレンは、地図とノートを見て天井を見上げた。
クロエの疑問はシナリオや、その変化を理解したものではなく、運営が残した変更の痕跡に気付いたから。そのように見えたため、どう答えたものか考えあぐねたのだ。詳しく説明するならシナリオに触れることになるが、それは避けたい。と。
そして、不安そうにしているクロエに、
「クローネお嬢様の疑問は当然だし、間違ってもいない。ちょっと考える時間が欲しい」
と言って、ライカを呼び寄せた。
「ライカはさ、英雄が消えた後、世界を回ったんだよね?」
「はい。知られている人間の生息域は一通り」
「ならさ、英雄の活躍で魔物がいなくなりました、でも、英雄が何をどうしたのかは分かりません。みたいな話って、他にない?」
「他に? いえ……ということは、
「ああ、クローネお嬢様の疑問は正しいと思う」
レンはそう言いながら地図上の、今現在、リオが潜っている迷宮があるあたりを突く。
「当時からあの迷宮があって、魔物が外に出てきていたとすれば、当時の魔物被害の説明は出来る」
「はい」
「だけど、当時の記録には迷宮踏破の記録はない。踏破されない迷宮は成長する。自然消滅はあり得ない」
勝手に消える存在ならしばらく耐えて放置するだけで良い。
だが迷宮は放置するほど危険になる。だから人間は、危険を冒して迷宮を踏破したり埋め立てたりしてきたのだ。
そういう視点で見ると、確かに異常な話だった。
ここがゲームであり、当時の運営が『シナリオの変更』を行い、その際、不要になった迷宮を消したという可能性もある。
当初、レンはそう考えていた。
が、そうだとすればやや腑に落ちない点があった。
「仮に当時は……そう……たとえば英雄の働きを評価した神々の手で迷宮が閉ざされたとした場合、なぜ今同じような位置に迷宮が生まれた?」
迷宮は迷宮の核によって異世界に生成されるオブジェクトの集合体である。その入り口はこの世界にあるが、中は別の空間になっている。
ボスを倒し――或いは倒さずとも、迷宮の核を手に入れ、それを排除すれば迷宮は消える。
迷宮を司る神などという存在があるのだ。神々がその力を行使できるのならば、迷宮を消し去ることは難しくはないだろう、とレンは予想していた。
だが、もしも完全に消し去られたなら、なぜ今になって迷宮が出てきたのかという疑問が生じる。
(そもそも600年前の魔物の襲撃が迷宮起因だと証明された訳じゃないけど、原因となる何かがあって、塀を作ったらその原因が消えたように見えるのは確かだ。過去の魔物騒動の原因が迷宮でないと仮定すると、別の原因があって、それが消えた? その後、ほぼ同じような影響がある場所に偶然迷宮が出来た?)
レンは日本でエンジニアだったため、偶然は案外簡単に発生すると知っていた。
1000分の1の確率で発生する問題を、たまたま引き当ててしまうなどは、エンジニアの世界では珍しいことではない。起こりうる問題は、最悪の状況で発生するものだ。
しかし、そんなレンだからこそ、この偶然には不自然さを感じていた。
そうした偶然が発生すること自体はあり得るかもしれない。が、たまたまこの街に
「
「ああ、うん。考えをまとめてた……ライカ、たしか迷宮を司る神様がいるって話だったよね? その神様は、どういう場所に迷宮を作るのかな?」
「……申し訳ありませんが、私は存じ上げません……クローネお嬢様、如何でしょうか?」
「人里など、人通りがある場所が多い。これは、未発見の迷宮は危険だからと伝えられている」
「あー、なるほど。成長するからね……なら、そもそもなんで、その神様は人間にとって危険な迷宮を作るのかな?」
「迷宮は自然発生する。そのタイミングでのみ、ラビラント様は迷宮の出現場所を変更できる」
「迷宮は勝手に出現し、その出現は神の手によるものではない。ただ、出現する場所を、人間の目に止る位置にすることで、迷宮が育ちすぎないようにしている?」
クロエの言葉をかみ砕いたレンの言葉に、クロエは頷き、補足した。
「そう……あとは迷宮内の修復とか宝の補充なんかもラビリント様のお仕事」
「なるほど。迷宮を司るってのは、生み出すんじゃなく、管理するってことか。そうすると、そのラビリントは生まれた迷宮を消し去ったりは?」
「……それは……秘密」
目を逸らし、そう答えるクロエ。
珍しい反応に、これは神殿の秘奥に関する情報なのだろうと、レンはそれ以上聞くのをやめる。
(権能を分けた神々に得意不得意があるというのはこの世界では常識だ。だから出来ないなら出来ないと答えれば済む。ということは……消せるけど、面倒な条件があるとかかな?)
迷宮を消せるのか、という問いに対し、「出来ない」と答えることにデメリットはない。
対して、「条件付きで出来る」と答えてしまえば、伝言ゲームの過程で「条件付き」の部分がなくなって「出来る」だけが一人歩きするかもしれない。
だから安直にそれを口にしないのだろう、とレンは判断した。
(日本でも、条件付きで出来るって答えたら、営業が顧客に『うちのエンジニアはやれば出来る言ってます』とだけ伝えて、条件調整のつもりで訪問したら、条件があるなんて聞いてないとか言われたことあるし……まあ、場合によっては街や村の存続に関わりかねない話だ。神殿が慎重に答えを選ぶ理由も理解出来る)
ひとり納得するレンに、クロエは困ったような顔をして、その袖を引いた。
「レン。秘密」
「ああ……理由は理解したつもりだし、答えは分かったから、無理に聞き出さないよ」
「答え合わせは?」
「しても良いのか? ……ああ、もしかして、秘密と答えた理由を考え、理解出来る相手になら伝えることが許可されてるのか?」
こくこくと頷くクロエ。
横で聞いていたライカはなるほど、と理解を示す。
「では私から。クローネお嬢様。ラビリント様は迷宮を消すことが可能ですが、それには代償――簡単には支払えないような代償が必要なのですね? その代償の部分から目を逸らし、消せるのだ、という情報だけが広まれば、民は神殿に迷宮を消すことを望みますが、もしも代償を払えず消せないとなった場合、神殿への失望となります。そうしたことを防止するため、まずは秘密である旨を伝え、正しく理解した者にだけは情報を伝えるように神殿から指導されている、ということで宜しいでしょうか?」
「だいたいあってる。間違いは神殿が恐れている内容。神殿が恐れているのは、代償が大きすぎること。ちなみに代償は世界の一部と言われている」
「世界の一部? それはどういう意味でしょうか?」
「分からない。ただ昔の神託でそう告げられただけ?」
クロエはそう答えながら、小さく首を傾げた。
その様子から、書物などを読んで記憶こそしているが、理解はしていないようだと判断したレンは、別方向からアプローチする。
「世界の一部って言うけど、神殿は世界をどう定義しているんだ?」
クロエはすっと視線をフランチェスカに向けた。
「神々の世界、神々が作った世界、神々から見た更に上位の世界があるとされていまして、具体的には……」
そこからフランチェスカによる神学の講義が始まったが、無理矢理要約すると
・神の世界と始まりの神たるソレイルは、更に上位の存在に生み出された存在であり、ソレイルと上位の存在は人間と神のような関係にある。
・だから世界は、始めにソレイルを作った存在の世界があり、ソレイルの世界はそこで創られ、後に分かたれたとされている。
・人間の世界はソレイルたち神々が創り、管理している。
・冥界は人間世界と神々の世界の狭間に創られた世界である。
・世界は他にも数多あるが、人間に理解可能なのは、人間の世界と冥界のみである。
というようなものだった。
(神の世界、人間の世界、冥界って分類で世界を認識しているのか。まあ人間の世界ってのは、多分この大きな島と、周辺海域程度の認識だろうけど)
「……何か不明点でも?」
「あ、いや、うん。人間の世界の広さってどのくらい?」
「人が到達した場所から見ることができる全てとされています」
ほう、とレンは感心したように声を漏らした。
(偶然なのか、ゲームデザイナーが設定したのか……それって言い換えれば「人間が観測できる範囲」ってことになるのは面白いな)
「人間が観測できる範囲」を、人間が物理的に「観測可能な宇宙」と言い換えると、地球ではやや特別な意味を持つ。
それは、光速と宇宙の膨張から計算された地球を中心とした半径464億光年の世界である。
(まあ、そういう意味じゃないだろうけど、だとしても見える範囲全部って事は結構広いな)
面白い偶然に、興味を惹かれつつも、レンはこの世界ではその範囲はどの程度になるのだろうかと考えた。
見渡す範囲全てということは、その対象は大地だけではない。
空も海も、太陽も星も、すべてが観測可能範囲だ。
それだけ広ければ……レンがそこまで思考を進めたところで、フランチェスカが声を挙げた。
「いま、レン殿は、それだけ広いなら、多少消えても大丈夫だと思いませんでしたか?」
「ああ、うん。まあ確かにそう思った」
「……神学者の研究でも似たようなことが言われておりまして、ふたつの問題が指摘されています。まず、一部がどの程度か分からない。1割でも3割でも一部と言えなくはない」
「あ、なるほど」
割合が一定であるなら、母数の増加に伴い、消える量も増える可能性があるという点を見落としていたレンは、首肯する。
「一部って単語から、なんとなく、そんなに大きくなさそうなイメージを持ってたけど、母数が大きいなら、消えるのが島一つとかでもおかしくないのか……あ、そうなると、どこが消えるのか分からないのも怖いな」
「はい。神学者が挙げている問題のもうひとつがそれですね。人間にとって致命的な……例えば王都が消えるかも知れないし、街道の一部が消えてしまうかも知れない」
「なるほど。それは……実質使えない権能だね」
「必要なら可能だが、使われることのない権能、と神殿では表現されます。この表現にも意味がありまして」
と、再び講義が始まりそうになって、レンは、必要な情報は分かったから、とフランチェスカを押しとどめた。
(答え合わせができる話じゃないけど、まあ、迷宮は消せないから600年前は封印して、その封印を俺たちが来るタイミングで解いた、とかかな? でもなんで?)
「クローネお嬢様、神様が何かを封印するとかって伝承とかあるかな?」
「世界に干渉できる条件があるから、そう多くはないけど、ある」
「条件?」
「神々の権能は、その力を発揮できる環境が決まっている。聖地なら、ソレイル様が
「例えば、迷宮の封印なんかは?」
「そのままの封印は難しいと思う」
そのままの、と条件付きで答えたクロエに、レンは他に方法があるのかと尋ねる。
「迷宮は見えるのと別の場所にあるから、外から迷宮丸ごとの封印をしようとしても、多分届かない。神様の権能で封印するなら、ひとつは中に入って内部全部を封印する。これならラビリント様の領分。他にも外から入り口を埋めたりとかもあるけど、これは封印とは違う」
クロエの答えを聞き、迷宮の入り口は一種のワープゲートのようなものである、という設定を思い出したレンは頷く。
ゲートを埋めても、それはゲートの向こうの空間を封じたことにはならない。そういう意味だろう、と。
「なるほど……封印それ自体は難しくないのかな?」
「知らない」
「そりゃそっか」
◆◇◆◇◆
第五階層は暗闇だった。
ナイフの鞘に仕込まれた懐中電灯に似た魔道具で暗闇を照らしても、壁は見えない。
天井に光を向けても何かあるようには見えない。
ぐるりと360度を見回すと、灯りが届く範囲には第四階層に続く階段だけがポツンとある。そういう階層だった。
地面は黒っぽい砂地で、所々が湿っているようにも見える。
「エーレン。ここって何の迷宮かな?」
(まず言っておく。動き回るでないぞ?)
階段から離れて歩き回ろうとしていたリオは、エーレンの真剣な声に足を止める。
「そんなにヤバイの?」
(魔物は雑魚ばかりというのは変わらんな……罠もないように見える。見える範囲には何もない。だが、だからこそ危険だ。ここで迷った場合、降りてきた階段以外の目印がない)
「そんなの魔素の流れを辿れば……何これ?」
魔素の流れを見たリオはげんなりとした表情を浮かべた。
「魔素が均等ってどういうこと?」
(流れはある。が、緩やか過ぎて、我であっても調べるのに難儀するほどだ)
「あー、淀んでるように見えてもゆっくり動いてるんだ……うん、階段の所に集中しているのだけは分かる。あたしはどーすべき?」
(結界を張って、夜営の用意を。一晩観察すれば何か分かることもあろうて)
「ん。そしたら、まずは結界棒だっけ?」
ポーチから結界棒を取り出したリオは、足元の砂地にそれを刺し、10畳ほどの土地を囲む。
「エーレン、これさ、足元砂なら、吹き飛ばして印にするとかできそうじゃない?」
(出来なくはなさそうだな……うむ。そうだ、試しに結界の外の砂に幾通りかの方法で印を付けておこう)
リオはエーレンの指示に従い、火魔法、風魔法、土魔法で砂に印を刻む。
加えて、第三階層で獲ってきた魚の鱗や骨、貝殻などをばら撒いたリオは、砂に毛布を敷いて、その上でゆっくりと休むのだった。
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