第139話 海への道のり――迷宮探索と『シナリオの変更』

 第四階層は第三階層とはうって変わって氷雪の世界だった。

 一面が雪で覆われ、中央部に見える岩山の表面は氷で覆われている。一面真っ白で、木々は見えない――少なくともリオの目には木々があるようには見えない。

 幸い、風は吹いていないし、空は鉛色ではあるが、雪は降っていない。


 その階に足を踏み入れたリオは、目を輝かせた。


「エーレン! 雪! 雪!」


 リオは雪を見た事が数えるほどしかない。

『碧の迷宮』の舞台は、プレイヤーが計算した緯度の割には暑く、亜熱帯に近い。

 普通の土地に雪が降ることは極めて稀で、リオが雪を見たのは、高山地帯に飛んだ時だけである。


 リオは雪をツンツンとつつき、記憶にある雪と同じであることを確認すると


「わーっ!」


 叫びつつ雪にダイブし、雪上に人型を刻んだ。


(警戒を緩めるでない。特に新しい環境では、敵がどこに潜んでいるかも知れぬのだぞ?)

「あー、ごめん」


 のそのそ起き上がったリオの手には、小さな赤いトカゲが捕まえられていた。


「これ、魔物? あたしは初めて見たけど」

(第三階層まで、さんざんお前が蹴り飛ばしてきたのがそいつらだ……しかし上の階層と比べると動きが鈍いな? 寒さに弱いのか?)

「んー、ま、魔物は減らした方が良いよね」


 握ったまま、首の骨をパキリと親指で折ると、リオは残された魔石と革をポーチにしまい込む。


「それにしても暗いね。曇ってなければ綺麗だったろうなぁ」

(その場合、目をやられるな)

「そうなの?」

(まあソウルリンク中なら影響はないだろうが、歩くときに地面に気を配る人間たちは、雪が反射した光で目をやられると聞く)


 ソウルリンク中なら問題ないのなら、とリオは気にせず辺りを走り回る。

 雪を掻き分け、走り回り、目に付いた魔物を捕まえては魔石や素材に変えてポーチにしまう。

 ここにレンがいれは、どうやらリオは竜じゃなく犬だったのか。と思ったかも知れない。


 暫く走り回ったリオは、体を震わせた。


「ちょっと寒い?」

(当たり前だ。ソウルリンク中なら寒さに凍えることはないだろうが、寒暖の変化感覚がを感じなく鈍くなるわけではない。というか、こっちまで冷たさが伝わってきているぞ)

「あ、ごめん、次の階層の階段を探すね……えっと、魔素の流れ的には……んー?」

(ほう?)


 迷宮の奥深くから地上に続く魔素の流れを辿るリオが困ったような表情をする。


「岩山の山肌から出てるよね? どういうこと?」


 リオが見付けた最も魔素が濃い位置は、雪原の中央に見える凍り付いた岩山の中腹だった。

 高さは200mほどに見えるが、実際にその高さはない。迷宮は限られた空間であり、広いように見えるのは、そう見えるように幻が映し出されているからである。

 雪を掻き分けつつ岩山まで進んだリオは、凍り付いた岩山にペタペタと触れる。


「跳ぶか登るか、だよね?」

(……変るかね?)


 リオ=エーレン状態からエーレン=リオ状態になれば、体を操る精度はやや低下するが、エーレンの能力を使いやすくなる。

 エーレンの能力を十全に使えた方が良いのではないか、というエーレンの問いに、リオは首を横に振った。


「これくらいならあたしでも問題ないよ」


 雪を踏み固め、リオは岩山を見上げる。

 その足に力が入ったところでエーレンから待ったが掛かる。


(待て。そんなに力を入れれば、迷宮の天井にぶつかるぞ?)

「……そか、久し振りだから、ちょっと感覚ズレてたよ」


 軽く膝の屈伸をして力を抜き、リオは5mほどの跳躍をした。

 足裏のつま先という狭い範囲に瞬間的に大きな力が加わり、踏み固めた雪が砕けた結果、リオの狙いよりも高度は出なかったが、それでも魔素の流れ出る場所は確認できた。

 それは、岩山表面を覆う氷にできた、小さな裂け目だった。


 砕けた雪に着地しつつ、リオは考え込んだ。

 そして、分からないと首を振り、エーレンに助けを求めた。


「……エーレン、どうしよう?」

(あそこまで登り、氷の裂け目を広げ、そこに炸薬ポーションを入れるのではどうだ?)


 エーレンに言われ、氷に覆われた山肌を撫でるリオ。

 マントを開いて腰から、迷宮の壁に穴を開けた棒を抜いたリオは、三歩下がりながら足元を固め、軽い踏み込みと共に、棒を突き出す。

 氷壁にヒビが入り、棒は小さな穴を穿った。


 リオが刺さったままの棒を軽く揺らすと、ヒビが広がり、細かな氷の欠片がパラパラと落ちる。


「あたしとしては、もう少し楽したいかな」

(何か気になる点でもあったかね?)

「これ、氷が脆い。登るのはキツそう」


 そう言いつつ棒を引き抜くと、棒が刺さっていた周辺のヒビが一気に広がり、掌ほどの氷が剥落した。

 剥がれ落ちた氷の下はまた氷で、リオはくたびれたような表情で溜息を吐いた。


「たしかこういう氷って危ないんだよね?」

(……このような氷であれば、いっそ、我がブレスで吹き飛ばすか?)


 リオ=エーレンでも使えなくはないが、エーレン=リオであれば、より強力な安定したブレスを使える。

 それで岩山を撫でてやろうかという提案に、リオは難しい顔をする。


「簡単そうで良いんだけど、迷宮の階段ってさ、壊れたら再生するけど、時間が掛かるよね?」

(うむ……ああ、確かに力加減を間違えれば岩山ごと吹き飛びかねないか)

「それよりエーレン、下の方で岩山を壊さない威力を確認してさ、魔素が漏れ出てる裂け目付近の氷だけ、火魔法で吹き飛ばせないかな?」

(ああ、それが一番安全そうだな。リオでも問題なく出来そうだ。やってみるが良い)


 エーレンに言われ、リオは氷に覆われた小さめの岩に向けて小さな火の矢を放つ。


 フレイムアローが突き立った氷は、ゆっくり溶け、その下から岩が顔を出す。


(随分と押さえたな?)

「エーレンの本気の火魔法は、岩を溶かしかねないからね……これなら行けるね」

(威力を強めたりはせぬのか?)

「うん。あたしは威力調整はあんまり得意じゃないから、弱めのを何発か当てる」


 魔素が漏れ出てくる岩山の氷壁までの距離は5mほど。

 そこに数発のフレイムアローが当り、氷壁が溶け消え、岩山の山肌が姿を現す。

 流れ落ちる水は、氷壁の表面を溶かし、そのまま地面の雪に吸い込まれていく。


 表面の氷がなくなれば、そこには洞窟が口を開けていた。

 少し離れた位置から、洞窟の入り口の大きさ、魔素の流れを確認したリオは、問題はなさそうだと判断する。

 それではジャンプを、とリオが地面を踏み固めようとすると、雪の中から水が染み出してきて足が水浸しになる。


 少し位置を変えたリオは、憮然とした表情で足場を整え抑え気味にジャンプし、洞窟に足を踏み入れるのだった。


  ◆◇◆◇◆


 同じ頃、リオを見送って街に戻ったクロエは、弟子達に課題を与え、質問にすぐに答えられるようにと作業部屋で、先日定礎から発見されライカが筆写したノートと地図を借りて、レンとライカが迷宮の発見に繋げた魔物の出現パターンを読み取ろうとしていた。


「火山の方角で、イエロー系のベア系。進行方向は北西から南東。翌日は獣の群れの移動を確認……んー?」


 魔物が現れた日付、場所、移動方向を記録していたクロエは首を傾げた。


「クローネお嬢様、なにか?」


 エミリアに問われ、クロエは首を横に振って、そのまま首を傾げる。


 何かが気になるのだが、うまく言語化できないという風情のクロエに、エミリアは考えすぎは良くないとお茶を出す。


「うん……」

「気になることがあって、うまく言葉に出来ないなら、言葉に出来るところから言葉に変えていきましょうか」

「……うん。えと、魔物と獣が森から出てきて、英雄がそれを撃退しつつ、村の周辺に小さな砦を作って安全に倒せるようにした。砦と砦の間を結ぶ通路を作って、壁を作り、最期は村全体を覆う壁が完成した……んー?」

「そこじゃないみたいですね。気になる部分に壁以外の要素はありますか?」

「……あー、それじゃ、魔物はこっちからこうで、それが日を追うごとに増えて、獣の移動も同様に増加して、村の畑に被害が出て……ん? あれ?」

「何かありましたか?」

「んー……なんで魔物は村に来なくなったのかなって」


 クロエは地図とノート、情報をまとめたメモを見比べ、首を傾げた。


 ここにレンがいれば、クロエの疑問に対する答えを提示したかも知れない。

 何しろレンはその答えを知っているのだ。

 プレイヤー達が村を覆う壁を造り、運営がシナリオを変化させたから。というそのままをクロエに伝えることはしないだろうが。

 しかし、レンはそういう背景を理解した上で納得していた。


 だが、シナリオやゲームについて知らないクロエからすれば、それは納得しがたい事だった。

 魔物が迷宮からあふれ出したなら、根本的な対処をしない限り、それはずっと続くというのがこの世界の常識だ。

 それなのに、数回の襲撃こそあったが、村を覆う壁が出来て数日で魔物も獣も現れなくなった。

 そして、なぜか今、その魔物が現れるようになっている。


「レン殿に相談してみては如何でしょうか?」

「……レンはどこ?」

「森の魔物が少なくなっているので、今日は森で素材を集めてくると仰ってましたね」

「……分かった。帰ってきたら呼んで」

「承知しました」



 最初に戻ってきたのはライカだった。

 商業ギルドと冒険者ギルドで、自分たち用に確保しておきたい素材以外は売却し、手に入れておきたい品を買いまくったレンは、素材の整理をライカに任せ、自身は屋敷に隣接する厩舎併設の車庫に足を運び、馬車の整備と馬の世話をしていた。


「これもアニマルテラピーかねぇ」


 馬車の整備の後、馬に丁寧にブラシを掛け、そのお礼にとばかりに、髪に噛みつこうとしてくる馬の鼻先を片手でいなし、蹄鉄のチェックをしつつ、レンは馬の固くて柔らかくて暖かい感触に目を細める。

 レンに触れられた馬は、ブラシを掛けられているときのように、鼻を伸ばして目を細める。

 その馬の耳が、入り口の方に向けられる。


「ああ、フランチェスカさんが来たんだね。大丈夫だよ」


 ポンポンを首筋を軽く叩いて声を掛けると、馬は低い唸るような甘え声を出す。


 直後、車庫の方の扉が開き、フランチェスカが入ってくる。


「レン殿、おられるか?」

「馬の方にいますよ。急ぎって訳じゃなさそうですけど、何かありましたか?」

「クロ……ーネお嬢様が、レン殿に尋ねたいことがあると」

「迎えに来るような急ぎ? にしては心話は使ってない……内容は聞いてますか?」

「……その……なぜ英雄の時代に迷宮の魔物が溢れなくなったのか、と気にされていましたが」


 フランチェスカから聞いた内容を吟味したレンは、首を傾げた。

 プレイヤーとして、また、ゲームに関わってはいないがエンジニアとして、『シナリオの変更』で魔物の配置が変わるのは当たり前と判断していたため、運営による『シナリオの変更』があったのだから、それは当然だと思ってしまったのだ。

 だが、少し考え、NPCが『シナリオの変更』について意識するものだろうかという疑問を覚えたレンは、すぐに行くと答えるのだった。

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