第138話 海への道のり――迷宮の破壊者と美味しい魚

 壁を破壊して直進するリオ=エーレン。

 炸薬ポーションを使うため、音はさほどでもないが、迷宮内の魔素の流れが激しく乱れ、それに敏感な魔物などは気配を殺して隠れてしまう。


 小物であれば、彼我の強さの違いを理解出来ずに乱れの元凶に向かって行っては蹴り飛ばされる。

 嵐のような暴力のあとに残ったのは迷宮の壁に開けられた穴と、その穴に残された砂利。

 そして、外であればかなりの値が付くであろう、レッド系の魔物の魔石など。


 それに気付き、かつ、拾うのが面倒でない場合はリオも拾っている。

 が、『面倒でない』場合はあまりなく、大半が放置されている。


 迷宮内で放置されたものは、一定時間で魔素に分解されていくことを考えると、ヒト種からしたら勿体ないの極致である。


 迷宮の壁に穴を開け、最短距離をまっすぐに階段に向かうリオの速度は、迷宮内の移動に慣れた者であっても異常と思うほどである。

 本来ならぐるりと迂回する筈の迷路の壁に穴を開けて突き進むのだから当然の結果だが、小半刻もかからず、リオは次の階層に入っていた。


 第一階層は洞窟。

 第二階層は石積みの迷宮。

 本物の石積みの迷宮であれば、積まれた石は壁であり柱である。壁に穴を開けるのは柱を破壊する行為ともなるため、大変危険だが、迷宮の壁は積んだように見えるだけのオブジェクトである。

 レンからそう聞いていたリオは、第二階層にも風穴を明け、第三階層に続く階段の手前まで進む。


「早いけど、ちょっとつまらないね」

(迷路を辿るのは無駄だろうて、さて、次は第三階層だな)

「あそこで一休みしよう」

(休みが必要か?)

「まったく必要ないけど、あたしは新鮮な魚を食べたい」


 第三階層が孤島であることから、最下層はおそらく海だろうと予測されている。

 だが、それ以外の階層はどんなものかまったく予想も出来ない。迷宮とはそういうものなのだ。


 最下層が海だとしても、魚がいるとは限らない。

 だからここで食べておこうとリオは主張した。


(レン殿の目的は海と聞いたが、そこまで我慢できないなら好きにしろ……)

「ん。それじゃ」


 第三階層への階段を下りたリオは、孤島の崖の上に走り、目を凝らす。


「エーレン、たしか海ってさ、黒と緑の混じる辺りが良いんだよね?」

(そうだが、そんな都合よく……あるな)

「ひゃっはーっ!」


 装備類は全て身に着けたまま、リオは海に飛び込み、崖上から見た潮目を目指して泳ぐ。

 だが、それを見る者がいれば、泳いでいるとは思わないかもしれない。

 リオが選んだのはバタフライに似た泳法で、ひたすら丈夫なマントを付けたまま、ダイナミックに腕を回す。

 マントは体に張り付き、腕から脇にかけ、まるでマントが蝙蝠の被膜の様になっていた。

 それがあり得ないほどの推進力を与え、リオの体を海面に打ち上げトビウオの様に加速させていた。


 だが、そんな異常な泳法もすぐに終わる。

 海水温の変化から、潮目に到着したと判断したリオは、大きく息を吸うなり、体を捻って海底を目指し、海底につくなり、海面に視線を向けて魚の群れを探す。


 自分の背丈に近いほどの魚を見つけたリオは、ゆっくり距離を詰め、魚の鰓を押え込んで、額を強く突いて意識を刈り取る。

 それを抱えたまま島に向かい、途中の岩場で魚、エビを捕まえ、浜に上がる。


(ふむ、マグロにサザエ……エビは見たことのない種類だな)

「エーレンが見たことないって珍しいね……食用じゃないのかな?」

(まあ、ソウルリンク中なら毒にやられても問題はあるまい。どうやって食うつもりだ?)

「魚は炙る。貝は茹でる。エビは……半分茹でて、半分焼こうかな」


 リオはあたりを見回し、適当なサイズの、上面に小さな窪みのある、比較的平たい岩に目を付ける。

 桶に海水を汲み、岩を洗い、窪みに溜まった砂をしっかりと洗い流し、皿のように窪んだ部分に海水を満たし、エーレンの風魔法を借りて刺身よりもやや小さめサイズに切り分けたマグロを並べ、頭から尻尾まで綺麗に二つに割ったエビを載せる。

 浜の岩場に引っ掛かっている流木を集め、それを岩に接するように並べ、エーレンの火魔法を借り、岩の下部が赤熱するほどに熱すると、波に晒されて油が抜けきった木が輻射熱で黒く変色し始める。


 岩の窪みに貯めた海水が湯気をあげ始め、窪みの横の洗った部分が乾いたのを確認したリオは、そこにもマグロの切り身とエビの半身を載せ、少し考えてから、その横にサザエも並べる。


「火が弱いかな?」

(同じ迷宮内のオブジェクトだが、里で薪にしている木々と同じに考えるものではない。流木はそう簡単に燃えぬぞ?)

「……燃えるまで加熱すれば?」

(まあ、そこまでやれば火は付くだろうが、直接岩を加熱した方が早いぞ?)

「んー、それはそれだね。焚火は焚火で楽しみたいし」


 そう言いつつ、リオは流木の配置を替えて、空気の通り道を作る。


(人間は火遊びが好きだな……ならば教えてやる。そちらの大きな流木を細かく割り、表面に大量のささくれを作り、そこにレン殿が持たせた調味料の中の油を少しだけ染み込ませてみよ。ついでに、細かく削った削りかすを作ってそれをささくれの上に置き、火をつけてみよ)

「……こう、かな?」


 エーレンから送られてきたイメージに合わせ、リオは薪や削りかすを作り、それをエーレンのイメージに沿って重ね、削りかすに火をつける。

 まず削りかすが燃え、ささくれに染み込んだ油が燃える。同時に黒煙が上がるが、リオは風上に逃れる。


「煙が凄いよ?」

(油が入ったからな。だがすぐに落ち着く。それより、岩の上の魚はそろそろ食べごろではないか?)


 刺身の様に薄めに切っているため、それらは火の通りがよく、海水で茹でている方も、焼いている方も、色が赤から白っぽく変化していた。


「そうだね……焼いてる方は十分かな」


 そう言いつつも、リオは魚をひっくり返して両面を炙る。

 海水の中で茹でられた方は、爪で差し、それをパクリと食べる。


「熱いけどおいしい。やっぱり里の迷宮を広げてもらうとき、海を作ってもらいたいなぁ」


 岩からの輻射熱と、細かく刻んだ木が着火剤の役割を果たし、白っぽい流木の内、細いものは燃え始めていた。

 それを枝でつついて火の粉をあげさせ、火の回り方を考えながら薪を足していくリオ。


(あまり火を大きくしすぎるなよ。それと、魚介類には醤油が合うとレン殿が言っておったぞ)

「あー、あの黒くて臭いソースね。あたしはあの臭いちょっと苦手」


 醤油は600年前からこの世界にあるが、人間社会から離れていた竜人達はあまり使う機会がなく、となれば黄金竜も触れる機会がない。

 だから、リオやエーレンにとって、慣れない生の醤油の匂いはやや不快なものに感じられた。

 これは発酵食品の運命のようなもので、それが生まれた土地以外でいきなり受入れられる食品は少ない。


(肉じゃがと言ったか? リオの好物にも使われておるらしいが。加熱で匂いや味が変化するらしいぞ?)

「へぇ……」


 リオは醤油の入ったポーション瓶を取り出し、中身を岩の上、魚から少し離れた位置に垂らした。


 ジュウッっという音と共に岩の上で醤油が跳ね、焦げ付き、一部は玉になって転がる。

 その香りに、おや、という表情をしつつ、焦げた醤油ごと、焼いたマグロで拭き取るようにして、リオはそれを口に運ぶ。


「うあ、うまい! エーレンも味覚共有してみてよ」

(ほう……なるほど、火を通して香ばしさが出れば、元々の臭さが隠れるのか……うむ)

「あ! これも美味しい!」


 焼いたサザエに、醤油を垂らしただけのそれは、生の醤油が掛かっているにも拘わらず、リオには美味しく感じられた。


(ふむ、魚介類の香りや味と混じり合うことで、醤油に足りなかった味と香りが加わり、美味さとなるのか……加熱による変質もあるようだな。これは面白い……このように複雑な味となるのであれば……リオ、戻ったらレン殿の作る発酵食品を色々と試してみては貰えぬか?)

「……まあ、レンが美味しいって言ってるものなら試してみるけど」


 リオは、レンが作った味噌と納豆を思い出し、顔を顰めるのだった。


  ◆◇◆◇◆


 今回、リオがレンから受け取ったポーチは、アレッタやシルヴィの持つポーチ同様、容量・重量特化型で時間遅延は99%ほどと、やや控えめになっている。

 だが、これでも外の1日が、中では15分未満となる。

 焼きたては無理でも、丸4日程度なら、作って1時間以内の状態を楽しめる計算だ。


 第三階層で思う存分に食事を楽しんだリオは、食材の残りをしっかり加熱して革袋に詰め、ポーチに入れた。


「それじゃ次、行こうか」


 火はそのままに、リオは孤島の中央部にある遺跡を目指す。


 白っぽい砂岩に似た岩が積み上がった遺跡は、幾つかの大きな柱と、その基礎部分だけが残っているような状態で、天井は落ち、壁の大半も崩れ去っていた。

 風化してそうなったように見えるが、迷宮内のオブジェクトは最初からそのように作られたものである。


 そうした遺跡が幾つか、孤島中央の森の中に並んでおり、そのひとつに第四階層に続く階段があった。

 その階段を前に、リオは首を傾げていた。


「エーレン、これ何かな? 偵察しに来た時はなかったよね?」

(うむ……リオ、これを見て、どう思った?)


 エーレンの問いに考え込むリオ。

 リオ=エーレンの前には、細い紐――もしくは太い糸――が張り巡らされていた。

 遺跡の柱を使って、細い紐が階段への侵入を阻止するように張られているのを見て、結ばれている柱、紐の細かな部分を検分したリオは頷いた。


「魔物がやったにしてはおかしい」


 リオは紐の一部を指差して続けた。


「人型の魔物なら、紐を使うこともあるけど、魔物にしてはこの結び目は綺麗すぎるし、魔物が使うには紐が細すぎる」

(うむ。特に魔素が溢れた迷宮内の魔物は凶暴になる。紐を結ぶようなことはすまい。可能性としては、これが迷宮の一部として生成されたオブジェクトで、前回はたまたま魔物が持ち去った後だったという考え方もあるが)

「あー、なるほど。それなら前回なくて、今はある理由になるね……うん。考えても分からないから保留」

(良かろう。では今まで同様、十分な警戒を続けよ……紐はどうするかね?)

「えーと、あからさますぎるからないとは思うけど、念のため少し離れた位置から魔法で切ろうか」


 リオは、少し離れた場所に移動し、足元と空を確認した後、紐の結び目に向かって火の礫を放つ。

 瞬時に焼き切れた紐は、ただ、ぶらりと落ち、特に何かが作動したりということはなかった。

 それを見て、リオは


「罠じゃなかったね。警戒しすぎたかな?」


 と、照れくさそうに笑う。


(いや、今の判断は正しい。如何にも罠がありそうな場所は警戒されるため、そこに罠を仕掛ける者は少ない。だが、如何にも罠があるように見える場所に罠はないだろうと思い込ませ、そこに罠を置くようなやり方もある)

「なんていうんだっけ? 陰湿?」

(罠とは相手を騙し、自滅させるためのものだ。陰湿でない罠は少なかろう)

「ん。まあそうだね。さて」


 リオは階段に近付き、落ちた紐を踏まないようにしつつ、魔素が吹き出してきている真っ暗な階段を覗き込む。


「次の階層はどんなかな?」

(分からぬ。暗いかも知れぬから、灯りは用意しておくように)

「う……あたしだって学習してるから。ちゃんと灯りは持って行くよ」


 ナイフの鞘に組み込まれた灯り魔道具を片手に、階段に足を踏み入れようとするリオに、エーレンは静かに付け加えた。


(点灯しておけよ?)

「……わ、分かってる」


 数秒後、忘れ物がないことを確認したリオは、階段に足を踏み入れるのだった。

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