第135話 海への道のり――結界棒と職人達
「なるほど、まあ、エーレンのブレスみたいなのは滅多にないけど、次からは気を付けるように」
「……はい。申し訳ありません。ジェラルディーナさんも、痛い目に遭わせてしまってごめんなさいね」
街に戻り、整えられつつある拠点の作業部屋で、ライカはレンに森から出てきた魔物を処理した際に起きたことを報告し、ジェラルディーナに謝罪をする。
「いえ、自分は腕を治して貰っただけで十分です。それに謝ってもらうようなことは何も」
「あー、そこ、説明してないのか。ライカのミスは、皆に結界棒を使って貰うに当たって、正しい刺し方を教えていなかったことなんです」
レンは珪砂の入った桶と結界棒を3本取り出し、珪砂にそれらを垂直に刺した。
なお、結界は発動させていない。
そして、結界棒を繋ぐ線を引き、三角形を描いてみせた。
「結界棒は地面に刺さっていることが重要なんだけど、垂直に地面に刺すとこんな感じで結界棒を繋いだ線の上下に結界が生まれる。で、今回のエーレンの攻撃みたいに地面をひっくり返されるとこうなる」
レンはそう言いながら結界棒の外側の珪砂をごそっと掘る。
辛うじて結界棒は刺さっているが、ぐらりと大きく斜めになった。
「結界は結界棒のやや外にも及ぶし、地下にも及ぶから、地下から結界が崩れることはないけど、結界棒の刺し方によっては今回のように倒れることになる」
「これは……不可抗力では?」
「こう刺せば少し安全になるんだ」
レンは、結界棒を一本だけ抜き取り、その上端が下端よりも結界の外側になるように、結界棒を斜めに刺して見せた。
斜めに刺さった結界棒は、地面に対して90度ではなく100度ほどの角度で、レンは、その上端部分を結んだ線で三角形を珪砂の上に描く。先ほどの三角形の外側に、少し大きい三角形が描かれた。
「結界はこの上端部分を起点として発生するんだ。この線の位置が結界になるので、さっきのよりも外側まで結界で覆われる。こっちの方が安全でしょ?」
外側の三角形と内側の三角形の線の間の距離は4センチほどしかない。
ブレスを受けるような状況であれば、そんな距離はないのと変らないように見える。
だが、じっくりと結界棒を観察したジェラルディーナは、それだけあれば、結界棒は倒れなかったかも知れないと理解した。
「……なるほど。僅かな違いですが、結界の範囲が広がることで、結界棒そのものが安定するのですね……これ、いっそ横倒しにしてしまってはダメなのでしょうか?」
「それはダメなんです。直角の半分よりも倒してしまうと、結界が発生しません。地面が緩んで倒れかけたりすることもあるでしょうから、長く刺しておく場合は出来るだけ垂直に立てるのがお約束です。ただ、今回はエーレンのブレスの影響が予想されたのですから、ライカは結界棒をやや斜めに刺すように皆に言っておくべきだったのです」
「……難しいものなのですね」
「状況に応じて、正しい対処方法が変るってだけです。まあ、覚えるまでは面倒ですけどね」
レンとジェラルディーナの話が終わるのを待ち、ラウロがレンの横に広げられた錬金術の道具を見渡す。
「レン殿。これは何を?」
「水中呼吸のポーションの作成の準備ですね。畑で育てていた根は確保しました。こっちが芽で、こっちが根っこです」
「見た目は普通の根だな」
「まあ、ポーションの材料は大抵そんな感じですよ。塩水石とか魔物素材は不思議な性質をしてたりしますけどね」
魔物素材には、見るからに意味不明なものもあるが、極端に目立つ植物素材はそう多くないのだとレンが答えると、そういうものかとラウロはレンの前に並んだ容器を覗き込む。
「この石のようなものも素材なのかね?」
「ああ、いえ。それは素材を削り取った石です。削った素材はこっちですね」
水色の粉が入った小皿を指差し、水中呼吸のポーションで使うのだというレンに、ラウロは驚いたように目を見開いた。
「鉱物もポーションに使うのかね? 毒ではないのかね?」
「ええ……こいつに関しては分量を守り、正しい処理を施せば安全です。あと、あまり意識されることはないでしょうけど、例えば塩なんかも鉱物ですから」
塩などは過剰摂取で命の危険もあるが、人体に必須の鉱物である。
もちろん、鉛のように身近にあって人体に有毒な鉱物も少なくはない。
「古来、鉛糖は毒とされ、鉛毒などと言われていたのだが、安全な鉱物もあるのだな」
鉛糖は俗称であり、正しくは、酢酸鉛または酢酸鉛(Ⅱ)。これは鉛で内側がコーティングされた鍋で、葡萄果汁を煮詰めるなどして作ることが出来るが、地球に於いてもこれが甘味料として使われていた時期がある。
甘く、殺菌作用があると知られており広く使われていた。用途の一つにワインの甘み付けなどがあり、こうしたもので命を落としたと言われる者も少なくはない。
レンも、古代ローマのワインには鉛が混じっていて危険だった、程度は知っていたので、ラウロの言葉に頷く。
「まあ、よく分からない場合は鉱物は毒だと思っておいた方が安全でしょうから、ラウロさんの認識は間違ってませんよ……っと、そうだ、ライカ」
「はい」
「魔物の素材はどうなった?」
「エーレン様が見てくださっていますわ」
「エーレン? え? 黄金竜が? どうやって?」
大半の魔物は草原で倒された。
そして、最終的にはエーレンのブレスで地面がひっくり返って土に埋まっている状態である。
エーレンの巨体でどうやって? と首を傾げるレンに、ラウロは楽しそうに笑って答えた。
「エーレン殿は魔法を使えるそうだ。魔力感知で地面の下の素材を探し、土魔法でそれを地面に押し出す。で、リオ殿がそれを拾い集めるということだ」
それならば、拾い集めるのは冒険者にやってもらえば、と提案するレンだったが、エーレンのそばで作業ができるような冒険者はいないだろうというラウロに、苦笑して頷いた。
「魔物素材については明確な取り決めがなかったと思うが、どうするのかね?」
「ラウロさん達が4人。ライカと、リオとエーレン。で八等分ですね」
「俺たちはそんなに倒しちゃいないぞ? ん? 八? 七じゃないのか?」
「あー、まあ、英雄流の分配方法です。敵から直接奪った物以外は、人数+1で割って、1をパーティ費用にするんです。今回で言うと、ジェラルディーナさんの防具や服が大変な事になってますので、そうしたのやポーション代に充てます……まあ、今の俺たちだと、素材を買ってきて俺が作った方が安いのでそうしますけど」
「それは助かる。が、本来、俺たちは護衛なんだが……」
「俺たちだってクロ……ーネお嬢様の護衛です。それに今回のようなケースは特殊ですから、英雄の流儀で片付けるって事でお願いします。大体、俺もライカも商人です。損をするようなことはしませんよ」
レンはそう言って、作業部屋の中を眺めた。
「この屋敷にしたって、ライカは最終的に商会で使う前提で買ってますし、オネストさんともそういう話をしています。部屋数が多くて縁起が悪いなんてのは、商会で使うなら問題になりませんからね。むしろ高値になる要因の立地条件の良さを考えると、これほど商売に向いてる物件は滅多にありませんよ」
「なるほど……では、甘えさせて貰うが……こちらは借りがあると思っていることを忘れないで貰いたい」
◆◇◆◇◆
様々な素材を確保した後、エーレンは気配を完全に殺してライカが見付けたワイバーンの巣を覗き、思っていたよりも過ごしやすいとそこで寝ることにした。
ソウルリンク状態を解除したリオは、服を着て、鱗や角を集め、街に戻る。
街の門の付近には、まだ冒険者達が陣を構えており、戻ってきたリオを見て歓声を上げた。
コラユータの街は、その成立過程から、英雄の伝説がとても多い街である。
伝説の中では、エルフは女神リュンヌを魔王に堕した悪役で、竜人は魔王リュンヌの眷属として有名である。
だから、オネストはリオ達が街を離れるその日までは、リオが竜人であるということを秘したままとするつもりで、リオのことは、ただ単に珍しい獣人とだけ、冒険者達には伝えていた。
リオが戻ってきたとき、リオはフードを外していたが、歓声を聞き、慌ててフードを被ったため、冒険者の目に入ったのは、その頬の小さな鱗だけで、それが鱗であると気付く者は皆無だった。
冒険者達の役割は、倒しきれずに流れてくる獣の掃討である。
魔物の大半はリオ達の手で掃討されており、中型以上の魔物が冒険者達の所まで流れてくることはなかった。
また、森の中には脅威となるサイズの獣はほとんど残っておらず、街の近くまで来たのは小型の魔物と獣に限られた。
もちろん、レオポルドが言っていたように、小さい=対処が容易とはならない。特に迷宮から溢れ出たレッド系の魔物が小さく素早いというのは、本来であれば脅威でしかない。
が、街の防衛という一点に於いては、結界杭が生きているなら魔物は脅威とはならないし、予め配置した結界棒によってそうした魔物は、森の奥に誘導される。
つまり、冒険者達が相手をしたのは、大半が小型の獣であり、それは冒険者の日常業務からすれば、それほど街から離れずにできる簡単な仕事だったのだ。
「すげーな。嬢ちゃん! 殆ど魔物も獣も通さなかったな!」
「スゲー楽だった! ありがとなぁ!」
「今日は早く休むんだぞ!」
「ちっこいのにスゲーぞ!」
その立役者として歓声を浴びたリオは、恥ずかしそうにフードを被って、ヒトでは出来ない動きで冒険者達を避けて街の中に逃げ込むのだった。
その背中を見送りつつ、リオの体捌きの凄さを理解出来る冒険者は唖然とし、理解出来ない冒険者は礼の言葉を背に投げかけた。
「あの程度で大騒ぎだって」
フードを深く被り、小さく開けたまま固定された門から街に入って、畑の中の細い道を歩きながらリオはエーレンにそう言った。
(仕方なかろう。今のヒトはそこまで弱いのだ。だからリュンヌ様が気に掛けてレンを呼んだのだろう?)
「そうだけど……って、それって神の意図を探る不敬じゃ?」
(考えたのだよ。意図を探るのは不敬だが、その望むところを正しく理解するのは不敬ではないのではないかとな……)
「あたしには言葉遊びに聞こえるけど?」
(これが間違いなら、リュンヌ様からお言葉があるだろう。ないなら、間違いではない)
「それは神を試す不敬だよ?」
(リュンヌ様のためにより役立つための試練だ。大体、ソレイルの巫女もそうしているではないか)
「お願いだから、不敬だけはしないでよね? エーレンがリュンヌ様から見捨てられたら、あたしも同罪なんだから」
端から見ると、独り言を言っているようにしか見えないリオだが、幸いそれを見ている者はあまりいなかった。
◆◇◆◇◆
リオが戻る頃には、拠点の改築はほぼ完了していた。
領主の名で沢山の職人を集めたこともあるが、クロエが手持ちの育成ポーションを放出したことで、一気に工事が進捗したのだ。
元々、必要な部材は揃っていたのだから、後の問題は人手である。
ここで言う人手とは、職人の人数ではなく、魔力やスタミナが切れていない職人の人数である。
大抵の職業に於いて、基本技能は魔力やスタミナを消費しない。
戦闘系の職業の場合、運足のように意識せずとも使ってしまう技能がそれにあたり、物作り系なら目利きなどがそれにあたる。
だが、効果の高い技能になると、魔力やスタミナを消費する。
従って、普通ならスタミナが切れた職人には高度な作業を期待できない。
が、クロエの提供したポーションによって、その制約が解除されたのだ。
結果、人手が一気に数倍に増えたのに似た効果が得られたのだ。
「はい。スタミナが切れた方はこちらにどうぞっす……お嬢様、あーしもコレ使って弓を育てたいんすけど」
魔物狩りの後、特に怪我もなかったレベッカはクロエに捕まって職人の相手をしていた。
「ダメ。これは職人用。レベッカは自分で素材を集めて。持ってくれば錬成はしてあげる」
「わかりました……でも、いーなー」
ポーションを受け取って飲み干しては現場に戻っていく職人達を見送りつつ、レベッカは溜息をついた。
「なあなあ、このポーション、買ったら幾らくらいするんすか?」
まだ若い職人がそう尋ねると、レベッカはにっこりと微笑み、ライカから預かっていた「黄昏商会、暁商会にて商い中」と記された札を立てた。
「値段は需給次第の時価っす。売るほどはないので、行商人が来たら聞いてみてくださいっす」
ここでは売らないと言われた職人は鼻白む。
更に、売ってくれないかと言い募ろうとする彼を、そばにいた年配の職人がぶん殴って話はそこまでとなる。
ちなみに、レベッカはともかく、クロエの両脇にはエミリアとフランチェスカが殺気だった目をして立っており、年配の職人はそちらに会釈をした後、しっかりとレベッカに向かって頭を下げた。
「あいつも悪気はないんだが、どうにも馬鹿でな。許してやってくれないか?」
「……いいっす。あーしも気持ちは分かるっすから。あと、あーしは平民だから、そんなにしないでいっすよ」
「済まねぇ。ヤツにはリキ入れて仕事させる。俺たちは職人だからそれが本分ってもんだ。ホントに悪かったな」
こうして外装と内装が急ピッチで整えられ、その日の夕刻には、エミリア達から、クロエが生活する空間として合格が出るのであった。
なお、風呂の試験だと言って、リオが水風呂にノンビリと浮かんでいたことを知る者はクロエ以外にはいない。
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