第133話 海への道のり――種まきとクローネの弟子

 畑の用意は1時間と掛らずに終わった。

 元々、花壇だった場所を使うのだ。やることと言えば、今植えてあるものを柔らかい土の中から丁寧に掘り出して、整える程度で終わりである。

 冒険者を雇うまでもない話だった。


「花壇の準備が出来ました」

「早かったですね。それじゃ俺は素材の用意を始めるのでこれで」


 リオからは、庭に出るなら連れて行ってくれと言う無言の圧が強いが、華麗にスルーしつつ、レンはノンベルトの案内で中庭に向かう。


 花壇は中庭の、そこそこ陽当たりの良い場所にあった。

 火山が近いからか砂礫混じりではあるが、しっかりと手が入っている土を確認し、レンは周囲を見回す。


「あの、そこにある苗みたいなのは、花壇にあったものですか?」

「え? ああそうです、数日以内にどこかに移植しますよ」

「明日で良ければ、畑はお返しできますね。芽が出たら抜いてしまいますので。他の場所に植え替えないで待ってるのもありですね」


 種を取り出し、一粒ずつ丁寧に埋めて行くレンに、ノンベルトはなるほど、と頷いた。


「ならそうさせて貰います。ところで、それ、マメに見えるのですが」

「……マメの親戚ですね。錬金術師が普通のマメを品種改良したものです。俺のは更に手を入れて、発芽までの時間短縮が出来るようにしています……ああそうだ。この畑、子供が入らないようにお願いしますね。魔力吸われちゃいますので」

「子供が中庭に入ることはありませんが、周知もしておきます……しかし魔力を吸うんですか、このマメは」

「まあ、タイミングが悪いと魔力抵抗の低い子供なんかは。その魔力を吸い取る力を、根を伸ばす力にしているんですよ」


 なぜ魔力を吸う力で根が伸びるのか、ノンベルトには理解出来なかったが、錬金術ではそういうこともあるのか、と曖昧な表情で頷いた。


「で、これが魔力を過剰に含んだ水です。毒性とかはありませんし、飲んでも魔力が回復することもありませんが」


 そう言いながらレンは、中級ポーションを入れるガラス瓶を取り出し、封紙を破って中の、やや緑に発光する水を畑に撒いた。


「水撒きは何回くらい必要になりますか? 私どもでお手伝いできる事があれば何でも仰ってください」

「あー、水は今ので十分ですね……なら、さっきの子供が入り込まないように、に加えて、鳥なんかがマメを掘り出さないように見張って貰えると助かります」


 畑の上に目の粗い網を掛けておけば済む話なので、人手がないなら、それでも大丈夫だと言うレンに、ノンベルトはほっとしたような表情の笑みを見せた。


「いえ、今回の件で私たちに出来ることがあるなら全力であたる所存です。安全のため網を併用しますが、しっかり人員を配置して見張ります」

「ほどほどでお願いします。後でまたお願いすることもあるでしょうから」




 魔力水を散布すれば、後は収穫までレンに出来ることはない。

 リオの件はラウロたちがいれば、悪いようにはしないだろうと、レンはそのままライカが購入した拠点に足を運ぶ。


「あ、こっちで撒いても良かったのか」


 綺麗に磨かれた門から敷地に足を踏み入れると、庭の雑草が一掃されていた。

 屋内から搬出した廃材や粗大ゴミは庭の片隅に山になっているが、木材が多いため、木材以外を選別して取り除けば、残りは燃料として売り払うこともできる。


 建物の屋根や外壁は、まだ手直しをしている最中であるため、足場が組まれており、細かな細工を職人が手で行なっている。

 しばらくの間、職人の仕事を眺めたあと、レンは屋内に入り、二階にある数少ないほぼ住める状態に整えられた部屋に足を運ぶ……途中で、一階の大部屋に見慣れない人物がいることに気付いた。


「あの、どちらさんで?」

「あ、ここの方ですか?」


 がっしりとした革の鞄を持って、大きなテーブルしかない、ただただ広い部屋の中で戸惑ったように視線を泳がせていた3人の若い女性は、レンに声を掛けられ、安堵の息を吐いた。


「そうですけど、あなたたちは?」

「領主様より、本日、大至急、こちらに向かうようにという連絡を受け参りました。私は錬金術師見習いのアリダです」

「私たちは付き添うようにと騎士様に言われまして……領主様のお屋敷の使用人です」

「……手配が早いなぁ。その様子だと、あまり詳しい話は聞いてないんだよね? こんなに早く来ると思ってなかったので、受入れ準備が整ってないんだけど……それで、ここで途方に暮れていたってことは、中に……お嬢様とかいなかったの?」

「あ、はい。職人さんに聞いたら、ちょっと買い出しに行くとのことで、戻りは多分夕方になると」


 外は暑いから、中で待ってろと言われたので入ったものの、勝手に動き回るわけにも行かず、途方に暮れていたのだとサラは答えた。


「そか。それなら自己紹介から。俺はレン。錬金術師見習いなら、王立オラクル職業育成学園の創立者って言った方が通りが良いかな?」

「あ、え? エルフの錬金術師で、多くの職業で失われた中級に上がる条件を、齎したという、あの?」


 どういう噂になってるんだかと苦笑し、まあ、そういう噂もあるね、と言葉を濁しつつ、レンは視線を使用人達に向ける。


「そちらはどういう業務って聞いてた?」

「その……錬金術師候補のアリダさんの……お世話?」

「あー、うん。お嬢様に近付けるのに、錬金術師見習いが不埒な男だったら困るから、監視を頼んだんだけど、アリダさん、女性だったんだね」

「まあ、錬金術師には女性が多いものですし」


 この世界のこの時代の錬金術師には女性が多い。

 人口が激減した状態では、男女関係なく手に職を持たねば社会が成り立たない。

 そして、比較的安全な後方で行える仕事は、妊娠出産のある女性にやってもらうということが多いのだ。

 もちろん魔物と戦う女性がいるように、後方で仕事をする男性もいるわけだが。


 それを理解していなかったレンが、そういうものなのか、と使用人ふたりに視線を向けると、ふたりはコクコクと頷いた。


「ふたりも錬金術、習う? アリダさんのついでって言ったらアレだけど、オネストさんとはそういう話をしてるんだけど」

「教えて頂けるのですか?」

「あー、一応確認、読み書きと足し算はできる?」

「はい、領主様のところでの仕事では必須ですので」

「なら無料で教えるよ……まあ、基本、最初は本を読むだけなんだけど、何もせずに待ってるだけじゃつまらないだろうし……それなら、名前を教えて貰おうか」

「カミラです」


 そう名乗ったのは、長い茶色の髪を仕事の邪魔にならないように三つ編みにした娘だった。


「カミラさん……」


 これがイベントであれば、まず吸血鬼を疑う必要がありそうな名前である。

 レンはマジマジとカミラの顔を見た。


(顔色はよく日に焼けて健康的。長すぎる八重歯もなさそうだし、首筋に傷もなし)

「はい……えーと、私の名前に何か?」

「いや……昔の知合いに似た名前のヒトがいたから」

「呼びにくいようでしたら、ミラか、キャミーとお呼びください」

「ではミラと呼ばせて貰うよ。で、そちらは?」

「サブリナです。得意な家事はお料理です!」


 黒髪を肩の辺りで切った女性が、かなり元気にそう答えた。


「なるほど。錬金術師に向いてそうだね」


 何気ないレンの言葉だったが、アリダは目を見開いた。


「錬金術師にお料理が関係あるのですか?」

「料理人の技能が直接関係あるかないかで言えば、関係はない。むしろ魔術師の技能の方が大事だね。ただ、細かく刻んだり正確に計量して混ぜたり加熱したりという過程が似ているから、料理の経験がないよりあった方が、色々と慣れるのは早いね。以前にもメイドに錬金術を教えたことがあったけど、手際は良かったね」


 シルヴィのことを思い出しつつレンがそう答えると、アリダは、自分もお料理を学ぶべきでしょうかと真剣な目でレンに問う。


「んー、これは錬金術とは別の話だけど、初級レベルなら何でも身に付ける価値はあるよ。中級まで育てるとなると一苦労だけど、初級になるだけなら、そう難しくもないんだから」

レンご主人様、ヒトの生はそこまで長くはありませんわ」

「レン~、あたしを置いてったね?」

「お帰り、ライカ、リオ。こちら、錬金術師候補のアリダさんと、オネストさんのところのカミラさんとサブリナさん。リオ、エーレンの調整は終わったんだね?」


 突然現れたライカとリオに、アリダ達は驚くが、レンは何事もなかったかのようにそう返す。


「リオ様は、レンご主人様がやれと言ったタイミングでエーレンに動いて貰うと仰って……お三方は調整済ですわ」

「リオは切り上げてきたのか……で、あちらの反応は?」

「ラウロ様は、明日の日の出より以降ならいつでも良い。レンご主人様に任せるとの事でした……しかし、お嬢様のお姿がありませんわね?」

「クローネいないみたいだけど、街にでも出てるのか? あたしも誘って欲しかったんだけど」

(クローネ?)


 なるほど偽名か、とレンは理解した。

 間違ってクロエと呼んでも、これであれば言い間違え、愛称などと言い訳もできる。

 そして、クローネは、それほど珍しい名前ではない。


「お嬢様はお出かけ中みたいだ……ああ、アリダさんたちのお師匠役が、お嬢様なんだ」

「レン様が教えてくださるのではないのですね……」


 噂に聞いていたエルフに教えて貰えると思っていたアリダはしゅんとする。

 それを見て、ライカが溜まらず失笑を漏らす。


「……失礼しました。その、アリダ様、レンご主人様は大変お忙しいため、直接の指導が出来ないだけで、指導に必要なものはレンご主人様がご用意したものですわ。それにクローネお嬢様は、レンご主人様の直弟子で、錬金術師中級ですのよ?」

「中級ですか!?」

レンご主人様は上級ですけれどね。それはともかく、この街ではいなかったみたいですけれど、オラクルの村を中心に、中級の錬金術師は増えつつあります。そう珍しいものではなくなる日も近いですわ」

「……そういうものなのですね……では、私……達にご指導を賜りますようお願い申し上げます」

「ご指導するのはクローネお嬢様なので、俺じゃなく、クローネお嬢様が来たら、そっちに言ってあげてね。多分喜ぶから」


 レンとクロエは明確な師匠、弟子という関係性ではなく、あくまでも友人関係の延長として、師匠っぽいレンと弟子っぽいクロエがいる、という関係性である。

 神託の巫女という立場上、クロエの上に立てるのは神々のみという神殿の意向によるもので、実態はさておき、建前上はそうなっている。


 クロエは師匠と弟子という普通の関係性を羨んでいる。

 そう感じていたレンは、アリダに弟子としてクロエに接して欲しいと頼むのだった。

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