第132話 海への道のり――リオの報告と海への対策

 リオが三階層に続く階段を発見して戻ってきたのは、ファビオが到着してレンが街に戻ったあとだった。


 洞窟の前の結界に用意された木箱と、少し離れた場所の灯りを見て、誰かが迎えに来たのだろうと考えたリオはそちらに向かう。


「ご無事で何よりです、リオ様」


 リオが迷宮から出た時点でそれに気付いてたライカは、新しいお茶を用意しつつそう声を掛ける。

 それを聞き、地面にへたり込んだファビオとレベッカは、森の暗がりにリオがいると初めて知った。


「あー、うん、ちょっと偵察してきた」

「……リオ様? ソウルリンクのままですが、その姿でお話をされますか?」

「あっと……ちょっと待っててね」


 マントは羽織っているが、その下はポーチしか付けていない。

 エーレン=リオの時なら気にならないリオだが、リオ=エーレン状態では恥ずかしさを感じるようで、リオは木陰に隠れてソウルリンクを解除し、マントの下で衣類を身につけ、ヒトの世界では価値があるという、落とした角や鱗をしっかりと回収する。


 ここしばらく。具体的にはレン達に会ってからほぼずっと。

 リオは力を制限して生活していた。

 多くの人間が、無為にタマゴを握りつぶさないのと同じ話なので、それ自体は苦痛ではない。

 だが、全力で体を動かすことに喜びを覚える質のリオには、それが出来ない状態が続くことはやや苦痛ストレスだった。


 迷宮の三階層で久し振りに周囲を気にせずに走り回ったことで、思う存分にストレスを発散したリオは、十分に楽しんだし、これで怒られるのは諦めようと思っていたのだが。


「それで、何? みんなして、あたしを待ってたの? それに、そっちの人間はなんで倒れてるの?」


 叱責があるかと思って出てくればそれはなく、ライカと他2名の弱い人間がいた。

 そして弱い人間ふたり――レベッカは、地面に座り込んで肩で息をしており、ファビオに至っては、仰向けで荒い呼吸をしていた。


「お二方がいるのはリオ様を心配してのことですわね。まあ、心配は無用であると言うことは皆、理解してはいるのですが、用意もなく赤の迷宮に単身入ることは、竜人以外の人間の基準では自殺に等しい危険な行為なのです……ですから、万が一、怪我を負って出てきたらすぐに対処できるようにと色々用意をしておりましたの」


 ライカはそう答えたが、ファビオ、レベッカなどは最初は救助に向かうと言っていたのだ。

 この世界の強者は地球の強者とほぼ同じ程度に『弱い』。

 この世界の、エルフとしてはほぼ最強に位置するだろうレンであっても、ナイフで首筋を切れば――接近し、刃を当てることが出来るなら――簡単に死ぬ。

 これがキャラクターレベル制のゲームなら、序盤だったら即死するような攻撃を受けてもレベルさえ上げておけばノーダメージになったりもするが、『碧の迷宮』ではそうはならない。

 避けるための技能や察知する技能などを育て、攻撃を避けねば序盤と同じように死ぬ。


 人間は脆い。それが常識であるため、体が小さく、武技にも通じていなさそうに見えるリオを、ヒトの感情は守るべきものと誤認する。


 ちなみに、ファビオ達が力尽きているのは、迷宮まで走ったからではない。


 この世界の戦闘職は、常に余力を意識して行動する。

 それは地球の軍人が残弾を意識する以上に生存に直結するもので、読み間違えるような者は騎士にはなれない。


 ふたりをこの状態に追い込んだのはライカである。

 救出に向かうなら、自分に勝てるのが最低条件だと組み手をして、動く気力がなくなるまでそれを続けたのだ。


「……あーしは……後衛なんすけど、ね」

「奇遇ね。強いて言うなら今の私も後衛ですわよ?」


 細剣レイピアも使うが弓も使う。

 レンのいた頃は大して使えなかったが、エルフの精霊魔法もそれなりに使えるようになっている。

 その職業構成は、自衛のために細剣レイピアを使う後衛であると言われると否定が出来ず、レベッカはそっすね、と呟いてくずおれた。


 ライカの手持ちのポーションを与えればふたりは即座に回復するが、限界を超える経験も貴重だろうと、ライカはふたりを放置していた。

 その結果がリオの目の前の光景であった。


「……勝手をしたこと、怒らないの?」

「ヒト種の皆さんは心配させたことを怒ってますわ。私とレンご主人様は、怒ってはいませんが呆れています」

「呆れる?」

「迷宮踏破には用意が必要となることも多いので、私たちも偵察が必要とは思っていました……ですが」


 迷宮の中には自然環境が再現されていることも多い。

 リオが三階層で見た海や島などがそれで、実際には箱庭となっているが、見える限りは本物に見えるし、大半のオブジェクトは本物そっくりである。

 海水はしょっぱいし、魔物以外の生物は生きたまま持ち出せないが、捕まえて食べることもできる。

 氷河地帯、溶岩地帯でもそれは同様で、氷は冷たいし、溶岩に触れれば生木も燃え上がる。

 レンが知る限り、空気すらないということはないが、地上に存在する極限環境であれば、暑いのから寒いのまで、どれがあってもおかしくはない。


 そうした特殊環境に備えるのが錬金術師に求められる仕事のひとつだった。

 極限環境での活動を容易にするポーションなどは基本中の基本で、かつての黄昏商会では装備類の難燃加工や、熱の影響を受けない小型のアイテムボックスの作成なども承っていた。

 ソウルリンクしたリオなら、その程度は無視できるかも知れない、とは思っても、準備を怠らないのが錬金術師である。

 何があっても大丈夫なように対策しつつ、3階層の様子を見て、一番厄介な敵がいる階層の状況を予測するというのは、レンやライカにすればある意味当然のことだった。


 今回の件に問題があるとすれば、『迷宮について領主と会談をするタイミング』で、『準備もなく』、『独断で』という部分にあった。だからレン達は慌てて止めに来たのだ。

 ライカはそうした背景について述べた上で続けた。


「リオ様の強さは存じておりますが、大した用意もなく迷宮に入るのは油断が過ぎると、そういう呆れですわね。それに加え、ヒト種は特に事前の根回し、調整を重視します。それをないがしろにするのは自らの信用を損なう行為ですので、信用を第一とする商人としても、リオ様に対しては呆れるほかないのですわ」

「あ、うん。ごめん」

「ヒト種の皆さんにはしっかり謝っておいてくださいね? さて、それでは偵察の結果をお聞きしても?」

「レンがいないのに?」

「リオ様には二度手間、三度手間になりますが、後ほどレンご主人様たち、こちらの領主様方にも、ご説明をしていただくことになるかと。偵察という名目で迷宮に入ったのですからそこは諦めてください」

「……後で説明するのに、ここでも説明するの?」

「私が状況を知っていれば、レンご主人様が作成するポーションの素材の手配程度はできますし、ファビオ様もラウロ様に聞かれたときに、何も聞いていないと答えるわけにはいかないでしょう」


 ライカはファビオにポーションを与え、動ける程度に回復させながらそう言うのだった。


  ◆◇◆◇◆


「三階層は沢山の島がある海ですか……面倒ですわね」


 リオの報告を聞き、リオ経由でエーレンにも話を聞いたライカはそう呟く。


「そうなのかね?」


 地表の魔物狩りを主な任務とするファビオは、積極的に迷宮に入らないため、ライカの言葉の意味が分からず、首を傾げている。


「集約すれば1点ですけど、問題は大きく3点ありますわ。まず、人間と水棲生物を比べれば、水の中を素早く動けるのは水棲生物です」

「それはまあ、そうですな」

「そして、水の中では剣も矢も、大きく威力が減じられます。間に水があると、魔法であっても思ったような効果は得られませんわ」

「……それも分かります……」

「最大の問題は、人間は水の中で息が出来ないと言うことですわ」

「……全て、当たり前の話をされているように思いますが」

「その通りですわ。でも、当たり前である事と、対策が容易である事は別物ですわ……そうですわね。人間は死んだらそこまでですわよね?」


 英雄は異なるし、一部のNPCは死んでも生き返ることがあるが、ライカはそんなことには触れずに、普通のNPCにとって、厳然たる事実である例を提示する。


「なるほど。確かに当たり前にして、対策のない事例ですな」

「限界はありますが、対策はありますわよ? 死なないように気を付けるだけですけれど」

「なるほど……問題のどこが致命的であるのかを判断し、そうならないように対処可能なタイミングで対処する、と?」


 死んでしまったらどうしようもない。

 だからそうなる前に手を打つ。これもまた、言うまでもない当然の話である。

 ファビオは、口を挟んで申し訳ないと、続きを話すようにライカを促した。


「そうですわ。それを踏まえて海棲生物との戦いで問題となるのは水の存在です。移動の問題、攻撃力伝達の問題、呼吸の問題、全てはそこに集約されます」


 水があるから移動がままならない。

 水が抵抗になるから攻撃力がうまく伝達できない。

 水があるから空気が吸えない。

 問題は水に起因する。

 その答えを聞き、ファビオは困ったような顔をする。


「海の階層で水が問題というのは、先ほどの話でいう対処可能な問題なのでしょうか?」

「ええ。対処方法は幾つかあります……ただ、どれも少し準備が面倒なのです。水をなくすか、水の影響を軽減するか……リオ様?」

「寝てないよ?」


 自分には無関係な話になったと目を閉じ、久し振りに全力で暴れた後の心地よい気怠さに、レンが残していった寝椅子の背もたれに体を預けていたリオは目を見開く。


「はい、分かっております。そうではなく、リオ様は水の中で呼吸が出来たりは……」

「あたしは魚じゃない……ああ、そういう意味? 黄金竜の中には確かに水中で呼吸ができるのもいるけど、エーレンの縄張りは地上と空だよ」

「……そうですか……では、水中呼吸のポーションなどを用意する必要がありますわね……」

「あ、でも、移動と攻撃ならソウルリンク状態なら水中でも割と普通にできる……」

「あら、それなら、水竜の革鎧は不要ですわね……一番面倒な部分がなくなりましたわ。なるほど、レンご主人様と調整が必要ですが、方向性は決まりそうですわ」


  ◆◇◆◇◆


 ライカ達と共にリオが街に戻ると、ライカから心話で連絡を受けていたレンが、ラウロと共に待ち構えており、リオはすぐさま領主の屋敷に連れて行かれ、領主、騎士達、オネストの秘書でもあるルーナの前で、ライカに話したのと同じ話をさせられた。

 また、リオが気付かずに倒していた魔物についてはエーレンが把握しており、エーレンの補足のもと、第三階層までの魔物の情報が伝えられる。


「小型が多いというのは悪い知らせですね」


 レオポルドの呟きにオネストは、小さいのは良い知らせではないのかね、と首を傾げる。


「いえ、大きい魔物も厄介ですが、小さな魔物も厄介なのです……小型種は総じて素早く、身を隠すのがうまい。そして多くの場合、複数で群れていたりします。その上、魔物なら攻撃力も高いものが多いのです」


 発見が難しく、的が小さく素早いからこちらの攻撃は当たりにくい。物理攻撃では当たっても倒せるのは一度に一体で、複数いれば、生き残りからの攻撃は甘んじて受けるしかない。どれだけ防御を固めても、相手からすれば鎧の隙間は自分の体ほどの大きさなのだ。そこを突かれれば、無視できないほどのダメージを被ることもある。


「レオポルド、策はあるかね?」


 オネストに策を求められ、レオポルドは首を横に振った。


「……正直、リオ殿にお任せというのが最善です。この街の人間なら、迷宮の前に立つのにも道具が必要になります。長期戦となる迷宮探索など、十全な補給線を用意しても難しいですが、レッド系の魔物が棲む迷宮内で補給のための行軍ができる者は最前線に立てる力がある者に限られます。かと言って、最前線に立てる者を補給に回せば、戦線を維持できなくなります……つまり、現実を見ると、情けないことに我々に策はありません。ですが、小型の魔物を鎧袖一触にできるリオ殿にお任せした場合、結界棒の中で休めるとするなら最前線は1名で済みます。ひとり分の食料なら、街にある魔法の旅行鞄でも運べますので継続的な補給が不要です……この策の欠点はこのような若い娘に戦いを任せるということに我々が耐えられるか、という点にあります」

「若いとか関係なくあたしは強いよ?」

「はい、それは理解したつもりです。リオ殿の強さを疑うわけではありません。ただ、ヒトは見た目で判断をしがちなのです」


 手合わせをしたわけでもないが、レオポルドにもライカがヤバイというのは分かった。

 そのライカがレンはもっと強いと言い、レンはリオは自分より強いと言う。

 あまりに隔絶しすぎているためか、レオポルドにはレンとリオの強さを量ることはできないが、ここでライカ達が嘘を言う理由もないため、レオポルドはライカの言葉を信じたのだ。


「なら良いけど……それでレン、あたしはいつ迷宮の踏破を始めればいいの?」

「少し待って。それをこれから調整するんだ……ラウロさん、街道の封鎖の通達はどんな感じでしょうか?」

「……偵察の件がどう転ぶか分からなかったから、即日発効の封鎖指示を俺の名義で出した。まあ、即時とは言っても、隣の村に連絡が届いて、そこから周知に半日として、実効があるのは明日以降だな。無駄にせずに済むだろうか?」

「エーレンに協力を仰ぎ、明日、迷宮周辺の森の魔物を処理して貰うって所までなら可能でしょうけど、リオが潜るには三日待って欲しいです。海の迷宮なら、最低でも呼吸補助のポーションは必要なので……」

「水中でも呼吸ができるポーションと聞いたが、そんなものがあるのかね?」

「あるというか、在庫はほとんどないので、作ります。1瓶で効果は小一時間だから、戦闘時のみ服用として、多分、2セット32本あれば足りると思います」


 黄昏商会の迷宮探索セットには、呼吸補助のポーションは入っていない。

 基本的なポーションのみで、環境対応のポーションは無駄になることが多いため、必要に応じてオプションで購入して貰うスタイルなのだ。

 水中呼吸のポーションは、水中イベントでは必須となるが、水中イベント自体が少なかったため、レンのポーチの中を見ても、作り置きは12本しか所持していなかった。

 ならば作るわけだが、作成にはやや時間が掛かるのだ。


「あ、可能ならポーションの用意に向けて、小さな畑というか、花壇を借りられませんか?」

「花壇? 何か条件はあるのだろうか?」

「水が凍らない程度に暖かく、地面が土であること、耕されていること、あまり雑草が生えていないこと……ですね」


 畑で何をするのかとオネストが尋ねると、レンは錬金術で調整した種を撒くのだと答えた。


「ポーション作成に必要なのが、発芽したばかりの芽の根っこで、調整した種は丸一日ほどで発芽するんです。地植えの方が、安定して育つので、植木鉢よりも畑とかを希望します」

「なるほど。すぐにも手配しよう。ノンベルト、冒険者を雇って構わない。2時間で中庭の花壇の一角を使えるように整えさせろ。レン殿、手が足りぬ時は、レオポルドに言って貰えれば農民でも冒険者でも用意しますので」

「なら錬金術師を1名……って、あれ? この街はたしか」

「はい。今、育てているところでして……」

「あー、ならその候補者も寄越してください……ライカ、育成用のポーションはあるね? それ使って技能レベルをあげてやって」

「承知しましたわ。ああ、でも育成なら、クロ……お嬢様にお任せした方が宜しいかと」


 皆が忙しくしているのに、自分だけ何もないのでは寂しがります、と言うライカに、それならそのようにと答えるレン。


「レオポルドさん、その錬金術師候補……あと、戦えなくても構いませんので、真面目さ重視で女性を2名、錬金術師の監視として付けて、お嬢様の所にお願いします。その候補を一気に育てます。希望があるならその女性2名も育てましょう。このあたりで中級にすることが出来るかは分かりませんが、後で学園に送り出してくれば待たずに入学を許可します……ライカ、その旨を書いた手紙をレオポルドさんに渡しておくように。ああ、あと、初級を育てる際に使うポーションの素材のメモも渡しておいて。で、レオポルドさんは、そのメモに書かれた素材の調達をお願いします」

「レン殿、育てて頂けるのは助かりますが対価は? 正直、迷宮の話だけでも支払いきれるか不安なのですが」

「あー……錬金術師を増やすのは神託に沿った行いなので、今回、街に対価は求めません。ただし、学園に来たら、他の生徒よりの1.5……だとちょっと多いから、1.3倍のポーションを作って納めて貰います。迷宮関連の対価は……リオ、迷宮の核以外に希望はあるか?」

「甘いもの」

「……だそうです。それで不足と感じるなら、リオが喜びそうなものが手に入ったらオラクルの村の神殿まで送ってください。今ライカが整えている家は、多分黄昏か暁どっちかの商会が管理することになるので、そこに持って行けば送れるようにしときますんで……リオもそれでいいか?」

「ん。しばらくは神殿がねぐらだからそれで良い。肉とかお金より、珍しい食べ物のが嬉しい」

「承知しました」

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