第130話 海への道のり――領主の憂鬱ととある暴走
「大変失礼な物言いとなりますこと、お許し下さい……その、迷宮の核を対価としてお渡しすることに同意すれば、赤の迷宮を踏破して貰えるというお話は事実なのでしょうか?」
「……よい。俺も馬鹿げた話とは思うのだが、今、我々と共にいる獣人の娘の種族名は竜人。かつて魔王の眷属として、世界と敵対した者たちの末裔だが……その実力は間違いない。加えて、その娘には及ばないが、単騎で複数のレッド系の魔物を倒せる者が後ふたりいる」
「迷宮の核をお渡しすると言っても、その入手それ自体をお願いせねばならないのですが……」
通常、そうした品は、手に入れた者に権利がある。
街を介する理由などないのでは、とオネストは尋ねた。
「それは彼らも理解しているが、どうも竜人の娘は迷宮そのものを財産と考えている節があってな。だから、迷宮のある領域の管理者であるオネスト殿の許可が欲しいらしいのだ。踏破自体は時間は掛かるが簡単と言っておったぞ」
この世界に於けるレッド系の魔物の位置付けは、天災に近い。
出てきてしまったら逃げるしかなく、逃げ遅れれば命はない。
王立オラクル職業育成学園の影響で、やや脅威度は低下しつつあるが、本来であれば倒せるはずのない相手である。
そんなレッド系の魔物が徘徊する迷宮の踏破が簡単だという話を聞き、オネストは絶句し、恐怖のためか額に吹き出た汗をハンカチで拭う。
「ただ、この話を受けるなら街に頼みたいことが幾つかあるそうだ」
「可能な限り、支払いには応じます……時間が掛かるやも知れませんが」
「今回の件に関しての報酬は先の通り、迷宮の核を要求する。ああ、可能なら、甘い菓子の類いを用意してやると喜ぶかもしれぬ。竜人の娘はどうやらそういうものが好きらしい」
「そんなものでは不十分です」
安く上がるならその方が良いとレンなどは考えるが、この世界の貴族達は体面を気にする。
その現れの一つが、無駄は許さないが、難しい仕事には相応の対価をというもので、
明確な事情がある場合を除き、それが出来ない者は、貴族としての義務が果たせていないと考えられ、それが街道の維持や食料に関することであれば、最悪の場合国から罰せられる。
確かに食料が貴重な現在、嗜好品には高値が付くが、それは裕福な平民も手が届く程度のものである。それが対価ではまったく足りていないというオネストに、ラウロは溜息をついた。
「対価については、後で娘と調整するが良かろう。その調整は俺の仕事ではない。だが、しつこく食い下がれば、娘の力の向きが変る可能性もあると知っておけ」
「……その……これもまた、大変失礼ではありますが……その竜人の娘は」
「少なくとも、しつこくせぬ限りは悪さはせぬ。この街がリュンヌの怒りをかっていなければな」
「リュンヌ様……ああ、そういえば魔王とは……ということは、竜人というのはリュンヌ様の眷属だという伝承も事実なのですね? ならば問題はありますまい。この街には信仰篤き者も多くおりますれば」
ヒト種が信仰する神はソレイルであるが、それ以外の神を信仰とすることが禁じられているわけではない。
得た職業に関する神を信仰する者もいれば、それ以外を信仰する者もいる。
日本で言えば、天照大神を信仰しつつ、月読尊を信仰するようなものである。中には不仲とされる神々もおり、それらを同列に並べて信仰するのは禁忌とする説もあるが、したからと言って天罰があるわけでもない。
「リュンヌの信者がおるのか?」
「……平民はどの神も信仰しておりますが、この街では主神としてソレイル様、祖霊の安寧を守ってくださるリュンヌ様、恩恵を与えて下さっている神の三柱を祀る者が多いのです」
「そうか。ならば問題はなかろう……それで、どうする? ああ、もしもそれだけの力があるのかを試したいというならその娘ではなくエルフとなるが、三回程度までなら受けると言っておることも伝えておこう……さて、頼みたいことの前に竜人の娘たちが何をするつもりなのかを伝える。正気を疑うだろう内容だ。心して聞け」
「は、はい」
「まず、竜人は、ドラゴンドゥレと共にあるという話は知っているか?」
ラウロの問いに、オネストは視線を本棚に向け、頷いた。
「ええ。英雄の時代の物語は好きですので」
「あれらの記録の一部は事実だ。竜人の娘はドラゴンドゥレと対等の関係を築いていて、ドラゴンドゥレは人語を解する。迷宮の踏破の前に、そのドラゴンドゥレが周囲の森や山の魔物を掃討するそうだ。その後、娘が単身迷宮に入り、もしも必要そうならドラゴンドゥレの力を借りた少女が弱いブレスで迷宮内を焼くそうだ……そんな目で見るな、俺だって最初に聞いた時は耳を疑ったさ……だが、限定的とは言え確かに竜人の娘は竜の力を借りることができる。迷宮内に入り、そこが洞窟風の迷宮で、必要であれば、娘は迷宮の壁という壁を炸薬ポーションで破壊するそうだ。壁のない迷宮なら魔物が湧いても弱いブレスでこと足りるとも言っていたな。壁に穴を開けたら、そのまま次の階層への階段を探して降りるそうだ。そして疲れたら結界棒を使って休む。それを繰り返すそうだ」
「……公爵様はそれを可能だと判断されているわけですね?」
現時点ではオネストの判断基準はラウロの言葉しかない。
オネストの問いにラウロは力強く頷いて見せた。
「では、それが可能と言う前提で、我々に頼みたいこととは? 情けないことですが、今のお話を聞く限り、出来ることなど何もなさそうなのですが」
「ドラゴンドゥレが迷宮周辺の魔物を掃討する前後数日の間、無用の混乱を避けるため、まずは街を封鎖し、街道も封鎖して貰いたい。その手配を頼む」
「街はともかく、街道もですか?」
街道の維持は領主の責任で行なうことになっているが、橋の補修のような場合であっても完全な通行止めとなることは希である。
ヒト種にとってこの街道は文字通りの生命線なのだ。たかが街一つを治める領主が何を言ったところで、完全な通行止めなどできる筈がない。そういう意図を込めてオネストが尋ねるとラウロは頷いた。
「必要なら俺も署名しよう。ドラゴンドゥレは、街道や街に被害がないように留意はしてくれるそうだが小物は見落とすかも知れないそうだ。小物と言ってもドラゴンから見た小物だ。どんなバケモノが出ても不思議はない……それに、そうした被害がなかったとしても、金色の竜が街道や森で目撃されれば大騒ぎになるであろう?」
「わ、分かりました。それはどの程度の期間?」
「それに答えるための条件をこれから詰めよう。ついては、街の防衛と内政を担う者を呼んでおくと良かろう」
そうすれば、少なくとも正気を疑われるのは自分だけで済む、とラウロは笑った。
レオポルド、ルーナを交えて話は続いた。
「迷宮外の魔物を掃討した後、娘は単身迷宮に入る。期間は不明だが、阿呆みたいな速度で進む計画になっている。問題は、娘が通り抜けた場所で生まれる魔物だ。娘を脅威と判断すれば魔物は外に逃げてくる。だから、それを何とかしなければならない」
「なるほどその対応に騎士と冒険者を差し向ける必要があると」
レオポルドが、血の気の失せた顔で、静かにそう尋ねる。
その言葉を聞くルーナもオネストも顔色が紙のように白い。
「……レッド系の魔物を倒せる戦力なのかね?」
「……足止めならば或いは」
「……待て。それは……いや、まさか…………あー、確認だが、この街の錬金術師は何をしている?」
「今はおりません……その、数年前に素材採取のために森に入り、弟子共々魔物に襲われそのまま……今は育成中ですが、師匠となる者がおりませんので」
「そうか。ならば仕方ないが、領主として結界杭が修復されたのはさすがに知っているな?」
「はい。錬金術師が大量の
「錬金術師に限った話ではないが、幾つかの職業に於いて今まで失われていた中級となる方法が解明されたのだよ。結界杭の修復はその結果だ」
レンに聞けば、主因と結果が逆転しそうな理解ではあるが、ラウロは自分の知る情報をオネストに伝えた。
「中級の体力回復ポーションが安く出回るようになったのは知っておりましたが、そういう理由があったのですか」
「ああ、ついでに、結界棒、炸薬ポーションなども作成可能となっている。その手の通達は数回行なわれている筈だが」
「街としては受け取っておりません……数回の通達があったのなら、見落としも考えにくく……」
「通達は全ての街に錬金術師がいるという前提だったのかもしれんな。ならば早急に初級の錬金術師を育てよ。そして、王立オラクル職業育成学園への入学を申請するように。便宜を図ることはできぬが、この街に錬金術師がひとりもいないと言うことなら……今この街にいるエルフに相談すれば、口利きはしてくれよう」
「エルフ、ですか?」
「これは口止めされてはおらぬが、一応他言無用で伝えよう。女性エルフは黄昏商会の元番頭。男性エルフは、黄昏商会の創設者にして会頭。この辺までは掴んでおるのだろ?」
公爵の連れが街で拠点となる建物を探しているという話と、その女性がエルフであり、黄昏商会の元番頭であり、暁商会の番頭であるということは、ギルドからの連絡で知っていたオネストは頷く。
「追加で、その女性エルフは、王立オラクル職業育成学園の校長で、男性エルフはその養父にして、学園の創立者のひとりで、実質、理事長のような立場であると覚えておくと良い……ルーナ嬢、どうかしたかね?」
「……情報が多すぎます。メモを取ることを許可願います」
「最後に俺がチェックして不味い部分は黒塗りするということで良ければな」
「感謝します」
ルーナは紙に表を書き、男エルフ、女エルフ、竜人、ドラゴンドゥレと書いた上で、その横に聞き取った人物像を書く。
そして、竜人の娘にやってもらうこと、街が対応すべきこと、別件として錬金術師の早急な育成が必要である旨を記載した。
それを待ってからラウロは口を開いた。
「それでは先ほどの話の続きだが。結界棒を使うなら、誰であってもレッド系の魔物の足止めは可能だ。我々はそうするつもりだ。そして、万が一に備えてドラゴンドゥレに結界棒の外で待機してもらうことも出来る」
「なるほど……確かに結界が使えるなら棒であれ、杭であれ、足止めだけなら可能ですね」
「だから、街に頼みたいのは、結界が通じない相手の対策だ」
「結界が通じない……? え? ……普通の獣ですか?」
「そうだ。ドラゴンドゥレが威圧を放っただけで、魔物も獣も逃げ出す。森全てを焼き払えば別だが、そうでもしなければ、ドラゴンドゥレは小物全てを掃討は出来ぬ。魔物は結界に入れないから無視をしても良い、だが、獣を放置すれば塀の中に入ってくる可能性もある。だから、その対処を頼みたい」
「……それは私たちにとっての日常業務ですが……」
うむ、と頷くとラウロは姿勢を正す。それだけで雰囲気が一変する。
「数が常の数倍以上に膨れ上がる可能性がある。君たちには、王の臣民の日常を守ってほしい。これは公爵としての私からのお願いだ」
「承知しました」
上位者としての風格を見せたラウロに、レオポルドは思わず敬礼を返していた。
その横でメモを取っていたルーナが上目遣いに切り出す。
「……あの、私もお聞きしたいことがございます」
「許可しよう」
「感謝します……その、結界棒などは十分な数があるのでしょうか? それと、代金はどの程度に?」
「オネスト殿と調整済みだが、迷宮踏破に掛かる費用は、
それは踏破した者の権利であり、対価ではない、とルーナは主張した。
しかし、それは終わった話だとラウロは取り合わない。
「結界棒その他は、迷宮内とその付近で我々が使う分については考慮する必要はない。それ以外にも欲しいというなら……素材を集め……そうか、この町には錬金術師がいないのだったな……エルフに相談しておこう」
「商業ギルドから話は聞いています。ライカ殿ですね?」
「いや……そういう話なら、レンという男のエルフの方が適任だ。英雄の時代の錬金術を極めているという話だから、相談には乗って貰えるだろう……だがエルフである以上、ヒトの権威は無意味だから扱いには留意して貰いたい」
「……承知しました。拠点の構築が進んだあたりでご挨拶に伺ってみます」
「拠点構築を担当しているのはライカ殿の方だが……まあ話は通るか……封鎖する日数だが、ドラゴンドゥレに頼む内容によって変化するというのは理解出来るかね?」
それだけでラウロの述べようとしている内容を理解したルーナは、はい、と頷いた。
「封鎖の目的はドラゴンドゥレを民の目から隠し、混乱を避けること。ですからドラゴンドゥレの動き次第で封鎖期間が決まるということですね」
「続けたまえ」
「ドラゴンドゥレは森の魔物を掃討した後、迷宮そばにて待機するとのことですが、街からの距離を考えると、この時期は封鎖の対象外とできますので、我々が掃討の期間をどのように希望するかで、封鎖期間は変ります」
「概ね正しい。迷宮そばでの待機については要否判断が入るがな。それで、君たちが希望する期間は何によって変ると思うかね?」
「……範囲と粒度、でしょうか?」
ラウロは椅子の背凭れに体を預け、片眉を上げ、これは驚いたと漏らす。
「この話はレン殿……男性のエルフからの案を元に行なっていたのだが、その答えに自力で到達できるとは期待していなかったのだよ……背景を理解している我々ですら、ヒントを貰うまでは答えには辿り着かなかったのだが、なぜ分かったのかね?」
「……恥ずかしながら、私は商人のような考え方をすると父に叱られることがあります。目的ではなく、予算と人と物とその他の条件に目的を収めることに慣れているのですが、それが気付きに繋がったのではないかと」
ラウロとルーナの会話に、オネストは困ったような顔で口を挟む。
「申し訳ありませんが、私にはまだ分からないのですが」
「ふむ。ルーナ嬢、説明せよ」
「はい。範囲と粒度とは、どちらもドラゴンドゥレに掃討をお願いするにあたっての条件です。森だけ見るのか、火山付近まで含めるのか、街道の向こうまで見て貰うのか、面積が変れば掛かる時間も変ります」
「それは分かる。粒度とは?」
「ドラゴンドゥレの動きは分かりませんので、冒険者による探索に置き換えますが、森の探索を依頼する場合、10mごとにひとりを配するか、50mごとにひとりを配するかでかかる時間と予算が大きく変化します」
冒険者による探索を行う場合、オネストは、森の探索を行なうように命じる立場であり、レオポルドは命令遂行に必要な人員を集めて指揮することが求められる役割である。
安全に振るなら、人数を増やせばよいが、それでは予算が幾らあっても足りなくなる。
だから、ふたりの要望と現実的な線を調整するのがルーナの仕事だった。
その経験が役に立ったのだろう、とルーナは苦笑した。
「レオポルド様がもう少し予算を意識する方であれば、気付いたのはレオポルド様だったかもしれません」
「……ルーナ嬢、現場は現場の視点で物を見る。レオポルド殿が予算よりも命令の遂行の優先度を高くするのは、間違いではないのだよ」
「はい。繰り言を申しました」
条件を調整し、封鎖する日数を決め、それを通達する書類にラウロがサインしたのはそろそろ空がオレンジ色に染まろうかという時間だった。
ラウロが愛馬に乗り、門を出たところで、
「ラウロ様!」
ジェラルディーナが青ざめた顔で待っていた。
「何事だ?」
「リオ殿が迷宮に向かいました! レベッカ、ファビオ様、レン殿が追っています」
「……目的は?」
「分かりませんが、レン殿は強行偵察だろうと言っています」
「……リオ殿に強行偵察が必要なのか?」
頭が痛い事態になった、とラウロは大きな溜息を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます