第127話 海への道のり――森の異常と長引く(?)滞在

 レベッカ達が宿に戻ってきたことを気配察知で捉えたレンは、労いの言葉もそこそこに森の様子を尋ねる。


「何か異常はありませんでしたか?」


 と。

 すぐに、


「静かでした」


 とジェラルディーナが答えるが、すぐにレベッカから訂正が入った。


「ジェリー、それで分かるのはあーしとファビオ様くらいだからね。ええとジェリーはこう言いたいんです「違和感を感じるほどに静かすぎた」って」

「獣や鳥の声が聞こえなかったと言う意味だね?」


 鳥や獣にはそれなりの知恵がある。

 だから、危険だと感じると、安全だと思うまでは声を潜める。

 そういう意味かとレンが問うと、レベッカは首を横に振った。


「惜しいっす。虫の声もありませんでした」


 警戒すると鳴き止むというのは虫も同じだが、コオロギのような虫の場合、鳴き始めるまでの時間がとても短い。

 レンの知る限り、森の中に小石を投げ込めば虫は鳴き止むが、1分と経たずに鳴き声が聞こえ始める。虫とはそういう生き物だった。


「たまたま虫が鳴かない時間帯だったとか、場所だったという可能性は?」


 虫が鳴くのはそもそも夜なのでは?

 とレンが尋ねると、ジェラルディーナはそうと決まっているわけでもない、と否定した。


「案内についたのは主に狩をする冒険者でしたが、彼の話では、あの場所、あの時間帯であれば数種類がいるはずだと」

「そうそう、ジェリー、あれも伝えないとだよ」

「……レベッカ、言葉遣い……それはともかく、もう一つ。声だけではなく、魔物以外、獣も鳥も、虫さえも見掛けませんでした」

「……待って。魔物と植物以外の生物がいなかった、そう言っているのかな?」


 頷くジェラルディーナに、レンは言葉を失った。


レンご主人様、お顔の色が……」

「…………ライカ、さっき飛んでるときに攻撃受けてたよな? 攻撃してきたのは魔物だけだったか?」

「全てを確認できたわけではありませんが、飛行中の私に攻撃をするのは魔物くらいですわ……森に魔物のみがいる状態というとまさか、迷宮から魔物が?」

「……ライカは、ガス溜まりがあったと言ったけど、異臭というのは具体的には硫黄のような?」

「いえ、腐肉のような……ああ、当たり前ですね、大量の小動物の死骸があったのですから……だとしたらガスではないのでしょうか?」

「その可能性が高いね。ワイバーンの巣は、なぜ巣だと思った? まさか、巣に入り込んでタマゴを確認したわけじゃないよね?」

「山腹の洞窟にワイバーンが固まっていて、数体が出入りをしていましたので営巣地と判断しました」

「なるほど、俺でもそう判断するな」

「ですが、本当に迷宮から魔物が溢れるのでしょうか?」


 ライカの問いにレンは考え込む。

 そんなレンに、レベッカが声をあげた。


「あの! 何かあるならあーし達が無理でも、せめてラウロ様かファビオ様には伝えて欲しいんすけど……レン殿が何か気付いたらしいって言っちゃってもいいっすか?」

「……まあ、懸念があるようだ、程度ならね」

「分かったっす! ほらジェリー! 報告行かなきゃ!」

「あ、うん……レン殿、ラウロ様への報告の快諾、感謝します」




『碧の迷宮』において、迷宮とは魔素を生み出す空間である。

 その際の副産物が魔物である。

 砂漠にある迷宮に雪山の魔物が出たり、迷宮内の魔物は放置すると素材などを残して死体が消えることから、迷宮の魔物は、普通の魔物とは異なる存在であるということは知られていた。


 定期的に人が入って魔物を狩るような迷宮であれば魔物は資源と見なせるし、そういう迷宮は、迷宮それ自体も資源と言えるため、近くの街などで管理される。

 だが万が一、人が立ち入らないような場所に迷宮が出来てしまったら、洞窟内の魔素濃度が上昇し、それに触れていた魔物は凶暴になって、迷宮から外にさまよい出てきたりもする。


 だからこの世界では、管理しきれない迷宮は、迷宮の核を破壊して消滅させるし、最近では魔法金属で埋めてしまったりもしている。


 森の中の迷宮がある日突然、ひっそり発生していた、ということは滅多にないため、迷宮生成には人間が近くに住んでいるなどの条件があるのだろうと言われているが、正確なところは分かっていない。


 ただ、いずれにしても出来てしまった迷宮を放置するのは、大変危険な行為なのだ。


 迷宮内の魔素濃度が高くなった場合、弱い魔物なら過剰な魔素に耐えきれずに死ぬが、生き延びた魔物の大半は正気を失って暴れまくる。

 強い魔物は元々魔素の影響を強く受けた存在であるため、比較的正気を保っていることがあるが、それでも普通の個体と比べると凶暴化していることが多い。


 森に魔物以外に動くものがいなかったという話から、レンが思い出したのは、迷宮から魔物があふれ出すシナリオだった。

 英雄の時代ゲームの頃、魔物が迷宮からあふれ出すシナリオは何回か使われていたが、その時の前兆も、こうした現象だったのだ。


 ラウロから、知っていることを推測、憶測でも構わないから教えて欲しいと請われたレンは、全員を集めてそう話した。


 声もなくそれを聞いていたラウロは、レンが話し終わるのを待って大きな溜息を漏らした。


「……ふぅぅぅっ……この辺りはイエロー系の領域だ。迷宮の魔物は地上の魔物よりも強いことが多い……正直、逃げる以外の対処があるとは思えないのだが、レン殿はどう考える?」

「……森の奥に迷宮があって、森の中に迷宮の魔物が広がっている最中で、遠からず街にも影響が出る、という前提でですよね? ……ひとつは街に籠城ですかね。凶暴化しても迷宮生まれでも魔物は魔物なのだから、結界がある街の敷地内がもっとも安全という考え方ですね。ただしこの方法は自力解決の放棄でしかなく、いずれ助けがくるという前提がなければ成立しません」

「コラユータの街の食料生産能力が普通の街よりも高いからこその提案、ということでしょうか?」


 ファビオの質問にレンは首肯しつつ補足を入れる。


「そうです。この町の食料生産能力であれば、1,2年の籠城は可能でしょうね」

「畑があるのに期限があるのかね?」


 ラウロのその質問に答えたのはファビオだった。


「ラウロ様。畑は結界の外の環境あってのものです。川からの用水路を街から出ずに補修なしとすれば保って2年ほどかと。大雨などの不確定要素もありますので更に短くなる可能性もございますな」

「ああ、それがあったか。用水路の補修では、短時間で安全に完了させるという訳にもいかぬか」


 結界の外での工事を軍人が行うこともあるため、その難易度をラウロは正確に理解できた。

 水路の水をせき止め、ある程度地面が乾いてから人の手で溜まった土やゴミを取り除き、崩れた壁の補修を行うのが一般的工事手法であり、その方法を採用した場合、距離にもよるが数日で終われば早い方なのだ。


「土魔法を使える魔術師を育てれば、1日で終わると思いますけど、それでも迷宮の魔物が徘徊する結界の外での作業ですから危険は伴います……あとは、問題を根っこから解消する策として、迷宮を封鎖するとか迷宮のボスを倒して核を破壊するとか色々な対策が考えられます」


 根本的な対策を、まるで簡単な選択のひとつであるように口にするレンに、ラウロは胡乱な目を向ける。


「慣れたつもりだが、レン殿はたまに無茶を簡単なことのように言うな」

「まだ迷宮の状況確認も出来ていません。簡単だと言ったつもりはありませんが?」

「普通なら、それを対策として提示できないのだが……まあ、レン殿が口だけではないという事は理解したつもりだが」

「サンテールの街では、迷宮化した坑道のボスを倒して迷宮の核を破壊したそうですが?」


 実現不可能なことではないなら、選択肢にあげても良いだろう、というレンにラウロは溜息をつき、今話すべきはそこではないと気持ちを切替えた。


「ならばレン殿はそれらの策からどれを選ぶのかね?」

「俺が現時点で考えていたのは、その前段の部分ですけどね」

「前の段階で行うべき事があると?」

「もちろんです。迷宮から魔物が溢れているという話は、あくまでもこの街とは無関係の俺たちが勝手に推測しているだけです。まず行うべきは領主による調査でしょう」


 部外者が危険を声高に唱えてもうまく行くはずがない。とレンが言うと、心当たりがあるのかラウロも頷く。


「しかし、そういう事なら、なぜ私たちを集めたのかね?」

「ラウロさんたちには状況を伝えるためです。クロエさんたちを集めたのは、万が一の場合の対策を決めておくためです。ライカは現場を空から見た証人、リオはもしかしたら対処を頼むかもしれないから?」


 名前を呼ばれたクロエは、視線をレンに向ける。


「万が一の場合の対策ってなに?」

「俺もラウロさん達も、クロエさんの護衛って立場があるからね。もしも魔物の対策をしようってことになった場合、クロエさんの護衛が薄くなる。それ以前に、そんな危険な場所にクロエさんを置いておくことをエミリアさん達が拒否するだろうから、もしも迷宮に起因する問題だった場合に、どのように立ち回るかを決めておく必要があるんだ」

「なるほど……でも、私は神託でダメって言われない限り逃げないで見てる。多分、レンのそばが一番安全」


 クロエが納得する横で、リオが手を挙げていた。


「あのさ、あたしの名前も出たよな? 対処ってなんだ? 魔物を倒せば良いのか?」

「そうだね。エーレンの威圧じゃ、外の魔物が逃げるだけで解決にならないし、外に出てしまった魔物だけじゃなく、中の魔物も倒さないとならない。あと迷宮の踏破かな」

「核を破壊するんだっけ? いいのか? ヒトは迷宮を鉱山みたいに扱ってるって聞いたことあるけど?」


 レンはラウロに視線を向けた。


「ラウロさん、ここの領主は、迷宮の踏破を許容するでしょうか?」

「……内容のない返事で済まんが……迷宮次第だな。利があるなら残すことを望むだろうし、得られる利の対価となる危険が高すぎるなら踏破を望むだろうよ」

「判断するには情報が不足している。ということですね。やはり、領主主導の調査が必要ですね」

「……そのようだな」


 全員に新しい紅茶を淹れつつ、ライカが首を傾げた。


「エミリアさん達はそれで宜しいのですか?」

「どういう意味でしょうか?」

「いえ、この街での滞在期間が長くなりそうだな、と」

「クロエ様が決めた以上、神殿はそれに従います」

「承知しましたわ。もしも必要なことがあれば、人でも物でも手配しますので、遠慮なく仰ってください」

「でしたら……」


 エミリアが言葉を選びながら要望を伝える。


「借家の手配は可能でしょうか? 正体を隠しての生活で宿暮らしでは、クロエ様も気が休まらないと思いますので……ああ、そうした費用は神殿から出ますので、市価の3倍以内でなんとか出来ないものでしょうか」

「長引いた場合、必要かも知れませんわね……まずは商業ギルドで問い合わせをしてみますわ。黄昏商会からの問い合わせであれば、暴利にはならないとは思います。確約は出来ませんが手配しましょう。使用人の類いは必要でしょうか?」

「……クロエ様に関しては私とフランチェスカがおりますので必要はありません。神殿育ちですので清掃、料理も最低限は心得ております」

「ラウロ様たちは軍務経験者ですからご自分で出来るでしょうし、レンご主人様は私がおりますが、放っておいてもご自分で何とかしてしますし……余程長期にならなければ、必要はなさそうですわね」




 ラウロは領主に、レベッカ達が森で違和感を感じたと言うことと、ライカが空から森を観察して、判明した事柄などを伝え、領主主導での調査を行うことを推奨する、と伝えた。


 コラユータの街の領主、オネスト・コラユータは子爵である。

 この世界の貴族階級に、無理矢理日本企業の役職を当て嵌めるなら、ラウロとオネストの関係性は全国規模の大企業の常務と課長ほどの開きがある。

 そして、実際に命令で為せることは常務より公爵の方が上である。妥当な理由があれば、平民や下級貴族の命を奪うように命じても、ラウロが罪に問われることはない。


 つまりは、ラウロが推奨すると言えば


「畏まりました。詳細は間引きにご協力頂いたレベッカ殿達に話を伺わせて頂きます」


 という返事以外にオネストにできることはない。



 その裏で、レンは冒険者ギルドと商業ギルドでポーション等の素材を買い付けると、大量のポーションの用意を始める。



 ライカはと言えば、商業ギルドで部屋数の多い物件を尋ねていた。

 黄昏商会の名前があれば容易と考えていたライカだったが、一番苦戦していたのはおそらくそのライカだった。


 結界内の安全な土地が限られている以上、そこに建てられた住宅が高価なものとなるのは当然だが、コラユータの街はその敷地内に広大な畑を有するため、更に宅地は少なく、他の街よりもその価値は高い。

 それだけが理由でもないだろうが、受付で尋ねた限り、ライカが望むような物件が見付からなかったのだ。


(ラウロ様御一行で3部屋。クロエさん御一行で2部屋。レンご主人様と私で1部屋……いえ、ヒトの常識としては2部屋にすべきですわね……そうすると、7部屋が必要になりますわね。内4部屋は使用人部屋としても、これだけ部屋数のある物件自体が稀ですわ)


 グループで分けて、地位、男女で分けた結果、必要な部屋数が結構な量となってライカは頭を抱えたくなった。

 一戸建てというよりも、お屋敷レベルであり、普通に探しても出物があるとは思えない。

 かと言って、複数の建物に分かれるのは、護衛の観点から許容できない。


 部屋割りを使用人とそれ以外で分けてから男女別に分ければ、5部屋で住むのだが、7部屋と思い込んでしまったライカはそこに気付かずにギルドの職員に、訳ありでも多少高くても構わないと頼み込む。


「本当は黄昏商会の関係者の方にこんな物件はお勧めしたくはないのですが、ひとつだけ候補がございます……ただ、放置年数が50年ですので本当にお勧めは出来かねるのですが」

「放置50年? 賃貸ではないのですか?」


 賃貸契約前提の物件であれば、家主が保守を行い、店子が勝手な改造を行うことは好まれないため、50年放置と聞いたライカはそのように判断した。


「はい。売り物件です……大きな問題が3つございまして、買い手が付かない物件なのですが」

「いいわ、話してくださる?」

「まず、その『施設』は50年前の領主様の伯父にあたる方が作ったものなのですが、現在は廃墟と化してします。石造りですので、崩壊はしていませんが、それは壁や基礎の話で、屋根も窓も床板も腐っています。これがひとつ目。ふたつ目の問題点は金額です。土地は北門から入って正面に進んで畑の区画の手前で、一等地には及びませんが、それに次ぐ値が付いています。三つ目は、元々は施療院でして、そこで亡くなった方も多いというのも縁起が悪いと敬遠される理由です」

「建物の壁は利用可能な状態なのかしら? 大工を入れた場合、床と屋根と窓とドアとベッドの設置にどの程度の時間が掛かるのか分かりまして?」


 問題点を聞いたにも関わらず、断る様子もないライカに、担当者は溜息をついた。


「数年前のものですが、試算した資料があります。土地の値段に見合った建物にする場合ですと……ああ、こちらです」


 渡された資料の想定予算と所要時間を確認したライカは頷いた。


「許容範囲ですわ。施療院だっただけあって、部屋数は宿並に多く、大きな洗い場や大食堂があるというのもありがたいですわ……こちら、現地を確認した上で購入を検討したいと思いますわ……購入するかどうかは、こちらの領主様との会談の結果次第となりますので、明日までお待ちくださいな……ああ、押さえておくことで発生する不利益は、購入しなかった場合でも補填しますので、契約後、速やかに工事を開始できるように腕の良い大工の手配をお願いします」

「はい……あの、でもこれだけ問題があるのに、宜しいのですか?」

「……あなたが誠実に対応しようとしているのは分かりますが、何を問題と捉えるのかは人それぞれだという事は覚えておいた方が良いですわよ。例えば、この土地の値段は確かに高いですわ。ですが、便利な位置に建てられているからと考えればそれは利点と裏表で適切な価格となりますわ。施療院だったというのも部屋数が多いことに繋がるなら、私にとっては好条件と言えます」

「なるほど……それでは、ご案内はいつ行いましょうか?」

「明日、また来ますわ。その時、購入が必須となっていたら、案内をお願いします」


 そう言ってライカが帰って行くのを見送った担当は、ライカの言った言葉をメモに記録すると、ギルドから仕事を回している大工に連絡を取り、費用が掛からない範囲で、簡単な改修案を提示して欲しいと告げた。

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