第124話 海への道のり――始まりの出来事と定礎

 コラユータの街は、噴煙をあげる火山からほど近い街だった。

 他の街とはやや趣が異なる石壁の門を抜け、街に入ったレンは、街の景色に違和感を感じた。


 街を囲む石壁の高さこそ街と呼べるサイズだったが、塀の中は大きな農村に近かった。

 建物が密集している区画は門の周囲の極狭い範囲で、それ以外は農地となっていて、街の中央には大きな池がある。

 建っている建物も、他の街のものと比べると小さいし、木造のものも多い。


 街に入ってすぐの広場に馬車を止め、周囲を見回したレンは、本当にこれが街なのだろうかと首をかしげた。


「小さい街だな?」


 街を守る石の壁こそ他の街に並ぶが、そこから目を逸らすと村にしか見えないのだ。

 レンの疑問にはライカが答えた。


レンご主人様、この街は昔は村だったそうですわ」

「そうすると、この街の塀は後から作ったのかな?」


 レンは街と村の明確な基準などは知らなかったが、今までレンが見た街は、砂漠の街を除けば、全てが石積みの壁に囲まれていたし、村にここまで大きな石積みの壁があるのはオラクルの村を除けば稀だった。


「この街の壁は英雄が作った」

「ん? あれ? 街の名前はコラユータだったよな? たしか、カプアなら確かにそういう話があったけど」


 それは公式のイベントではなかった。


 魔物の襲撃が多い村があり、プレイヤーの有志が村の周囲を覆う壁を作ったのだ。


 無茶である。


 そもそも、魔物の襲撃が多いのはそういうシナリオだからだ。

 壁など作ってしまったら、「カプア村への魔物の襲撃を退けろ! Ⅰ~Ⅵ」というイベントが発生しなくなる。

 当然、そんな壁は運営がすぐに撤去するだろうと大勢が思ったが、当時のプレイヤーの多くがそのお祭りに参加した。

 そして、なぜかその壁は運営に消されることなく、シナリオの一部が変更された。


 レンはそれに関わっていないが、レンにとって、それはとても懐かしい話だった。


『何にでもなれるし、何でもできる』


 自由度の高さを謳うゲームは数あれど、プレイヤーがシナリオに介入できるゲームはあまり多くない。

 フリーシナリオやランダムシナリオでない限り、それはゲームが台無しになる危険があるからだ。

 だから、


『何にでもなれるし、何でもできる。ただしシナリオの範囲内であれば』


 というのが正しいのだが。

『碧の迷宮』は、その枠を取り払ってしまった。

 勿論、アウトとなることもある。

 例えば、重要な情報を教えてくれるNPCは殺せない。

 だがそれでも、他のゲームでならできないだろう様々な無茶ができた。


『すげーバカなゲーム(褒め言葉)』


 という記事が、レンが『碧の迷宮』を知った切っ掛けだった。


 実際、それ以降も、運営が見逃したプレイヤーの無茶は数多い。

 レンもゲームを始めた当初はどこまで出来るのかと色々と遊んでいた。迷宮の壁は時間経過で修復してしまうため残ってはいないが、迷宮内にボス部屋までの最短ルートを掘ったり、森の中、魔物狩りのための小さな砦を作ったりと様々な遊び方を模索した。


 ゲームを始めた後はすっかり忘れていたレンだったが、始める前は、いつかは見に行きたいと思っていたのだ。


 そんな最初の記憶があったから、レンは英雄が作った壁と聞き、まずそれを思い出したのだ。


「旧村名がカプアで、今の名前がコラユータですわ。英雄の時代の後、英雄の功績を残すために街にされたそうです。カプアという名前は、今でも街の中の住宅地区の名前として残っています。もしかして、レンご主人様もこの街の壁の作成にご協力されていたのですか?」

「いや、俺が……こっちに来たのはもう少し後だね」


 英雄が作った壁、と聞き、クロエは壁に近付いてペタペタとそれに触れる。


 そして、気付いた。


「レン、レン、これ何?」


 クロエの腰の高さのあたりの石に、大きな文字が2つと、細かい文字で日付が彫られていた。


 この世界は基本的にゲームの世界をベースとしている。

 言葉や文字は数種類が使われていたが、プレイヤーが理解出来なければ話にならないため、公用言語は日本語だった。

 文字は平仮名と片仮名が普及しており、僅かながら漢字も使われているし、日本人の多くが使うレベルの外来語も普及している。

 公用語以外にもゲーム独自の文字が数種類あったりするが、クロエが指差しているのは日本語だった。


「”定礎”だね。英雄の世界で大きな建物を作る際の習慣かな。普通は建物の設計図や建築に携わった人の名簿なんかを入れるらしい」

「入れる? ということは、中は中空?」

「そうだね。まあ、ここにある定礎が同じ造りとは限らないけど」


 レンの言葉を聞きながらも、クロエは定礎と彫られた石を叩き、魔力感知で構造を調べる。

 そして、顔を上げ、微笑んだ。


「……あった。魔力が通りにくくてよく見えないけど、中に魔力に覆われた箱みたいのが入ってる」

「そっか」

「出してもいい?」

「一応、それは街のものだから、勝手に出すのはダメ」

「……わかった。ラウロ、手配して」

「……承知」


 ラウロは護衛の配置を変更すると、クロエの依頼に従って領主に話を付けに行く。

 それを見送ったレン達は、風呂のある宿で、慣れない野営の疲労を癒やす。


「それにしても、元々が村だというのに、風呂付きの宿があるとは驚きました」


 エミリアはクロエの髪を乾かしながらそう呟く。


「街になった際、領主が様々な補助をして体裁を整えたそうですわ」

「よくそんな余裕があったものですね?」

「結界杭の劣化が始まる前は、それなりに余裕がありましたもの」

「ところで」


 ベッドの上でコロコロしていたリオがむくりと体を起こす。


「なんで、レンとそっちのおっさんが女部屋にいるんだ?」

「護衛だからね。邪魔なら出てくけど?」


 どうする? とレンが尋ねると、リオはフンと鼻で笑った。


「護衛ならあたしかライカがいれば十分だろ? ああ、クロエが気になるのか? よく構ってるもんな」

「友達の好き、だね。エルフには異性を意識するような感情はほとんどないんだよ」


 異性に対する愛情は、性欲をベースに庇護、独占などを混ぜ込んだ、割とぐちゃぐちゃな感情だが、エルフにはベースとなる性欲がほとんどない。ヒトのそれを知っているレンからすれば、まったくないと言ってしまえるほどにそうした欲望が薄い。

 だから、レンがクロエに抱いている感情があるとすれば、それは家族や友人に対する親愛や、小動物に対する庇護欲のようなものだ。


 そうなのか? とリオが視線を巡らせると、ライカが頷き、エミリア、フランチェスカも頷く。


「クロエはそれで良いのか?」

「レンは友達」

「……お子ちゃまめ」


 そう言うなり、リオはクロエに抱きついて脇腹を擽り、悲鳴を上げさせる。


 竜人の身体能力を遺憾なく発揮したリオのいきなりの暴挙に、エミリア達は反応すら出来ず、レンとライカは単なるじゃれ合いだと放置したため、しばらくの間、クロエの笑い声が宿に響き渡るのだった。




 兵士のような者と共に戻ってきたラウロは、定礎開封の許可を得ていた。


「ごり押ししてませんよね?」

「当然だ。そのようなことをして無駄に恨みを買ってどうする。丁寧に頼んだだけで頷いてくれたよ」


 丁寧に頼んだ『だけ』で頷かなかった場合はどうするつもりだったのか、については詮索をせず、レンは、ラウロが連れてきた兵士に視線を向けた。

 鉄のヘルメット、鎖帷子、皮を鎖で補強したガントレット、皮のズボンも同様に補強がされているが、特徴的なのは、どのパーツにも、紋章らしきものが刻まれている点だ。


「で、そちらは?」

「ああ、この街の衛士だ。普段は門番をやってるそうだが、今回は立ち会うそうだ」

「門番のルカです。立ち会いを許可願えますか?」

「もちろんです。ラウロさんも良いですよね?」


 ラウロが頷くと、一行はクロエが見付けた定礎の前まで移動した。



「なるほど。定礎とはそういう意味のものでしたか。文字は読めても誰も意味が分からなかったのです」


 道々にレンから定礎の意味を聞いたルカは、ようやく謎が解けたと笑顔を見せた。

 地球では、元々は建築前に行う定礎式で基礎となる石材のひとつとして礎石を設置していたが、今では簡略化され、建物が完成した後定礎と記された石板がはめ込まれるようになった。

 本来は基礎となる石であるため、建物を解体するまでそのままにするものだが、この世界の風習とは異なるため、開けることに対する抵抗はないとのことだった。


「当時の記録は殆ど残っていないので、もしも書簡なりが入っていたら、皆喜びます」


 塀を作ろうと言い出した者の名前くらいしか伝わっていないのだ、というルカに、ライカも頷く。


「確かに以前調べた際、明確に残っていたのはエボータという名前だけでしたわ」

「そちらのエルフのお嬢さんは、エボータ様について知っているのか」

「……様?」

「ああ、この街の恩人だからね。今でも毎年小さな感謝祭を行っているから、街の者にとっては、様を付ける相手なのさ」


 定礎は門の内側に取り付けられており、領主からの指示で、その周囲には人の背丈よりも高い位置まで陣幕が張り巡らされていた。

 陣幕の前に立つ兵士に片手をあげたルカは、一行を陣幕の内側に招き入れる。


 風が遮られた陣幕の内側はやや蒸し暑く、レンはルカに許可を得て、レンガサイズの氷塊を数個出して周囲の温度を下げる。


 そんなレン達には見向きもせず、クロエは定礎と彫られた石に張り付く。

 どこから開ければ良いのだろうか、とクロエは首をかしげつつ、錬金魔法の錬成と魔力感知を使って石の状態を調べ始める。


「……レン、開け方分からない」

「うん、まあ、普通は簡単には開けないから……ああ、やっぱり。石は完全に閉じられてるね。これは錬成で切り取るしかないかな」

「え? 切るのですか?」


 ルカが驚いたようにそう尋ねた。

 どうやら、蓋を開けば簡単に中身にアクセス出来ると考えていたようで、やや慌てている。


「切るって言っても……」


 レンはレンガサイズのストーンブロックを生み出し、それを錬成でふたつに切ってルカに見せた。


「こんな感じで、終わったら」


 レンはルカの目の前で、ふたつに別れたストーンブロックを傷ひとつ残さず綺麗に一つに錬成してみせた。


「こうやって元に戻すし、文字が書かれた面には傷を付けないようにするけど?」

「それは私の名に掛けて保証しよう」

「バルバート公爵がそこまで仰るのであれば……あ、いや、でも申し訳ありませんが、領主に確認する時間を頂きたい! 申し訳ないです」

「いや、それは当然のことだ。正しい手続きで頼む」


 ルカは、別の者に立ち会いを任せると、走り去っていった。

 それを見送ったライカは、


「少し時間が掛かるでしょうから」


 と、大きめのテーブル2つと椅子を取り出して並べ、小さなワゴンにお茶の用意をする。


「それでラウロさん、領主さんは快く対応してくれたんですか?」

「うむ。定礎が何かを伝え、中に箱があると伝えたら興味を持ってくれたのだよ。まあ、多少の取引は必要だったが」

「取引ですか?」

「うむ、まあ、近くの魔物を少し間引いて欲しいということでな。明日は、レベッカとジェラルディーナには狩りに行って貰うつもりだ」

「手伝いましょうか?」

「それには及ばない……いや、ポーション類を売って貰えると助かる」


 コラユータの街の周辺はイエローの魔物が棲息しているとのことで、職業レベルをあげたレベッカたちであれば、まず問題は生じない。

 だが、事故というのは起きるものである。

 かつての魔物との負け戦で、それを理解していたラウロの言葉に、レンは頷いた。


「今渡してしまいましょう。ライカ、迷宮探索セットはある?」

「はい、当時の物を再現したものがこちらに」


 ライカはポーチから、指輪でも入れるような小さな白い箱を取り出し、テーブルに載せた。


 迷宮探索セットは、かつての黄昏商会の売れ筋商品だった。

 各種回復ポーションに炸薬ポーション、結界杭、食料に水、幾種類かの巻物。

 探索時に役立つ消耗品を詰めたセットで、容量は小さいが、薬箱それ自体がアイテムボックスとなっている。


「中身は……ああ、そっちも昔のを再現してるんだね」

「ええ、商売の仕方も同じですわ」


 この薬箱を買った冒険者は、中身が減ったら黄昏商会に持ってきて、有料で補充して貰う。

 補充の際の各種ポーションの費用は市価の9割程度で済むため、これを愛用するプレイヤーも多かった。


「それじゃ、ラウロさん、こちらをどうぞ。お金は結構です。護衛に関わる必要経費と考えています」

「うむ、助かる……しかし、レン殿の作るアイテムボックスは不思議なものだな」


 レンから支給された腰のポーチに薬箱をしまうレベッカ達を眺めながらラウロはそう呟いた。


「不思議、ですか?」

「うむ。迷宮産のアイテムボックスに、アイテムボックスを入れることは出来ないというのが常識だったのだが、レン殿が提供するアイテムボックスは、他のアイテムボックスを入れることができるではないか」

「あれ? そんな制限ありましたっけ?」

「ないのかね?」


 首をかしげるレンに、ラウロがそんな筈はないが、と言えば、それは違う、とクロエが口を挟んだ


「違う。総量が容量を越えなければアイテムボックスに別のアイテムボックスを入れることは可能」

「総量?」

「中身が詰まったアイテムボックスを入れるのが難しくても、空のアイテムボックスを入れることはできる」

「そういうものなのかね?」


 ラウロがレンに振ると、レンは頷いた。


「合ってますよ。だから、入れ子にしても運べる量は増えません」


 テーブルにはお茶と焼き菓子が並べられ、クロエとリオはそれをつまむ。

 砕いた木の実が載った焼き菓子は、バターと砂糖が控えめで、やや塩気のある品で、一口食べて気に入ったらしいリオが、残りを確保しようとしてクロエに睨まれたりもしていたが、そんなこんなをする内に、ルカが駆け足で戻ってきた。


「お待たせして申し訳ありません」

「いや、それでどうなったかね?」

「許可が出ましたが、可能な限り文字の面には傷を付けないで欲しいとのこと」

「ああ、それは勿論。では、レン殿、早速頼む」


 レンは頷いて立ち上がると、毛布を詰めた木箱を定礎の前に設置するよう、ライカに指示を出した。


「一応、俺のアイテムボックスに入れるつもりだけど、万が一、手が滑ったときの予備ってことでね」

「用意は出来ておりますので、いつでもどうぞ」


 レンはクロエに視線を向ける。

 元々、定礎はクロエが発見したものである。


「発見者として、自分で開けてみるか?」

「……壊すと困るから、レン、お願い」

「ん……それじゃライカ、3カウントのゼロで……3、2、1……」


 待ち構えるライカに声を掛けつつ、ゼロ、で定礎と彫られた板が外れ、レンはすかさずポーチにしまう。


「開いたよ、中身は……アイテムボックスだね」


 600年前の品である。

 劣化していることを想定していたレンだったが、一見すると木製に見えるアイテムボックスは綺麗な状態を維持していた。


「レン、魔力が切れてないのはなぜ?」

「奥に供給ラインがあるんだ。たぶん、結界杭の方から分からない程度に持ってきてる。微弱だから、中々気付けない仕組みだね……うん。本体にも魔石はあるから、取り出しても大丈夫だ」


 なるほど、と、頷きながらクロエは木製のアイテムボックスを取り出し、テーブルの上に載せる。

 それは、クロエの両掌を広げたよりもやや大きい程度――幅20センチほどの木箱だった。

 要所が金属で補強されており、レンの目には、如何にもな宝箱のように見えた。


 木箱の金具部分を一撫でして、クロエはレンに、開けて良いかと目で尋ねる。


「罠は……大丈夫そうだね。ルカさん、開封しても?」

「……ええ、私はそのための立ち会いですので。どうぞ」


 レンが頷くと、クロエは、木箱の金具部分の留め金をスライドさせ、蓋をゆっくりと開ける。

 アイテムボックスなので、中身は見えないが、クロエは、黒く見える空間に手を触れさせる。


「ノート、それと設計図、周辺地図、あと、大量のストーンブロックと洞窟の鍵?」

「ルカさん、内容を改めて下さい」

「ええと……ああ、はいはい」


 ルカがアイテムボックスの黒い空間に手を触れさせ、内容を確認する。


「確かに。それで、内容をごらんになりたいのですよね?」

「そう、そのために開けて貰った」


 ルカはアイテムボックスの中から、ノートと設計図、地図を取りだし、中に軽く目を通すとそれらをテーブルに載せた。


「どうぞ。明日の朝、返却頂ければ結構です」


 その言葉に、楽しげに頷いたクロエは、その場でノートを開いて読み始めるのであった。

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