第120話 海への道のり――外見と来訪者

 キリコ、ダミャーニと、砂漠の村を経由し、荒れ地を通過すると、『碧の迷宮』らしい森林の景色となる。

 景色と言っても、空の半分は森の梢に遮られているため、何が見えるというわけでもないのだが、ある意味見慣れた景色に、ラウロ達は安堵の息を吐く。


「見通しが悪くなった方が安心というのは、護衛としてはどうかと思うっすけどね」


 ジェラルディーナと交代で馬車のそばに近付いてきたのはレベッカだった。


 砂漠や荒野は見通し距離が長いため、遠くから敵を発見できるのだが、被発見率も同様に高い。

 遠距離攻撃に優れたレベッカが弓を手にする回数も増えるというもので、街を出てからの撃墜スコアは伸びる一方だったのだ。

 その点、森の中だと10mも離れれば気配はともかく姿は見えない。

 姿が見えない場合、攻撃でも受けない限りは魔物の攻撃性はかなり低下する。間にある木々を薙ぎ払って襲ってくるような魔物は多くないのだ。


「しかし、校長先生にこの弓をお借りしていて助かったっすよ。あれだけ落としたら、普通は矢がなくなるっすからね」


 レベッカが持ち上げて見せた魔法の弓は、魔力を込めて引くと矢が生まれるというもので、魔力の使用量もライカクラスが使わないなら自然回復よりもやや多い程度なので、体力と弦の強度が許す限り、撃ち続けることもできる。


「ああ、魔法の弓か。懐かしいのを使ってるね」

「懐かしいんですか?」

「割と初期の迷宮で手に入る武器なんだけどね、矢の補充が不要だから、別の良い弓が手に入るまでのつもりで手放せなくなる弓使いも多かったね」


 僅かな魔力消費で矢が手に入ると言うことは、矢を買わずに済むという意味でもある。

 勿論、特殊な処理を施した矢を使いたいなら買わなければならないが、通常の矢で良い場合、残りの矢玉を気にせずに使えるというのは大きな利点である。

 長くゲームをしていると、矢を抜こうとしたら箙が空になっていた、という経験をする弓使いはそれなりに出てくるものなのだ。


 だから、そこそこ強い弓を手に入れてもシンプルな魔法の弓を使い続ける英雄は、多くはないがレンの回りにもいたため、懐かしいと感じたのだ。


「なるほど、それにしてもレン殿は、校長先生の……えっと、義理の父親でしたっけ? そうは見えないっすね」

「まあ、俺は英雄の時代からリュンヌに喚ばれたからね。実年齢はライカどころか、レイラよりも若いはずだよ。誕生日だけで言ったら、ライカよりもやや歳上の筈だけど」


 メインパネルにも年齢の記載はあり、それによるとレンは30歳である。

 そして、エルフの歳の重ね方から言えば、30歳というのは人間の15歳程度に相当する。


 ヒトよりも二倍ほど時間を掛けて成長し、40~60歳ほどでそれなりに落ち着いた外見となり、そこで一旦老化が停止する。

 そして、800歳ほどから老化が始まり、1000年ほどで寿命となる。

 そういう生き物として考えると、現在のレンの30歳というのは若造も良いところだった。


 実際、初めて聖域の村を訪れたときなどは、村長のダニエレはレンを指して若いと言ったのだ。


 レンを知る者の内、詳しい事情を知る者は、レンの年齢について正しく理解していたが、レンを英雄の時代の生き残りと考えている者は、単に600歳にしては若いと考えていたのだ。

 王国側のメンバーの内、ファビオはほぼ正確にレンの事情を理解していたが、ファビオ以外の認識は、600歳を越えてる割にえらく若く見える、だった。長年国の重鎮であったレイラの母ライカがレンを立てている様子や、レンが色々と妙な知識を蓄えていることから、見た目通りの年齢ではないと考えていたのだ。


「あれ? レン殿は英雄の時代のエルフ、っすよね?」

「英雄の時代に戦っていたのは確かだけど、何というか、ついさっきまで英雄の時代だったんだけど、寝て起きたら、今日になってたって感じ? リュンヌが呼んだ結果だから、理由も何も分からないんだけどね」

「あー、童話の寝過ごしジャンヌみたく、600年寝ちゃったっすか」

「実際に寝てた訳じゃないけど、まあだから、俺の実年齢は30歳くらいかな」

「ええと、エルフは60歳くらいまではヒトの半分のペースで成長するっすから……15歳? まだ少年じゃないっすか」


 レンのアバターを作る際、別に健司は少年を作るつもりだったわけではない。

 適当にリアルの年齢に近い数値を入れただけである。

 結果、なんか妙に若い見た目になったが、健司は種族に関する設定を読まず、このゲームではエルフは若々しいイメージになるのだろうと深く考えずにゲームをしていたのだ。


 ゲームでは実年齢が影響するようなシナリオはあまり多くはなかったため、レン自身、自分の年齢についてはあまり深く理解してはいなかった。

 改めてレベッカに少年と言われ、そうなのだろうかと顔を撫で回すレンだが、元々エルフの男性は髭が薄いため、つるりとした感触が年齢に由来するのか判断出来ずに首を傾げる。


「まあ、英雄は種族に関係なく、だいたいヒトとにたような時間感覚だからね」

「そういうもんっすか? でも確かに校長先生とのやり取りとか見てると、年配って感じもするんすよね」

「落ち着いていると評価されたと思っておくよ……ん?」


 唐突に馬車を止めたレンは、御者台で立ち上がると、後ろの方向――西の方角の空を見つめた。


「何かあったっすか?」

「なんか音が聞こえた」

「音っすか?」


 レンを真似てレベッカも耳を澄ます。が、森の音以外には何も聞こえない。

 何もいないっすね、と声を掛けようとして、レンがまだ耳を澄ませているのに気付くと、レベッカは口を閉じ、余計な物音を立てないように、他の護衛に静かにするようにハンドサインを送る。


 暫く息を殺していると、レンが溜息をついた。


「あ、問題ないよ。知り合いが来たみたいだ」

「知り合いっすか」

「全員、傾聴!」


 レンは馬車の中、及び外の護衛全員に届くように声を張り上げる。


「これより、リュンヌの眷属の竜人のリオと、その魂を繋げた黄金竜が飛来する! こちらからの先制攻撃は禁止とする!」

「竜人っすか? オラクルの村にいる、という話は聞いてたっすけど」

「会わせたことなかったのか。一応言っておくと、英雄の時代もっとも苦戦した相手は黄金竜とソウルリンクをした竜人だから」


 レンの言葉に、レベッカは、


「英雄を苦戦させる相手って、どんなのっすか」


 と、嫌そうな表情を隠そうともしない。

 護衛である以上、万が一の場合は命がけでリオの足止めをしなければならないのだから、相手が強いと聞いて喜んでばかりもいられないのだ。


 なお、レンやライカと敵対する可能性については、精神衛生上、ないものと考えているレベッカだった。


 と、突然、周囲の森が騒がしくなり、多くの獣や魔物が叫び声を上げながら逃げ出していく。

 馬車のすぐ近くの茂みからも、数種類の、本来なら捕食者と獲物に分類される獣たちが無秩序に混ざり合って走り去っていく。


「あ、何かでっかい気配が近くに急に……もしかしてこれっすか?」

「街道から見えないルートを飛んで、森の中に降りたみたいだな。これはリオじゃなく、その相棒の黄金竜のエーレンの気配だ」

「レン殿、大丈夫なのか?」


 ラウロは馬車と大きな気配の間に馬をいれつつ、そう尋ねる。

 レンは、当然の反応だと思いつつ頷く。


「エーレンが気配を隠してませんからね。敵対の意図はありませんよ」

「竜の気配はこれほどなのか? 英雄達はこんな竜が無数にいるところで戦ったのか?」

「黄金竜は竜の中でも別格です。数体同時に、という戦いはありましたけど、無数にとなると相手はもっと格下の属性竜とかですね」


 事もなげにそう答えるレンだったが、ラウロは絶望したような目をする。


「属性竜を格下扱いするほどの……皆、覚悟を決めろ」

「もとより出来ておりますれば」

「が、頑張ります」

「仕方ないっすね」


 ラウロ達の、変に警戒を緩めない姿勢は好ましいと思うレンだったが、警戒心丸出しは宜しくないと皆に声をかけた。


「落ち着いて。リオはずっとオラクルの村の神殿にいたんだから、そこまでの警戒は必要ない。何なら、クロエさんの友達だし」

「神殿預かりだったのか?」

「預かったのは俺だけど、獣人の生徒が来ることになって、勝負を吹っかけられないように避難してたんだ」

「勝負事から逃げたと? 竜人は獣人ではないのか?」

「……まあ、その辺は本人に聞いてみてください。来ましたよ……リオ、何かあったのか?」


 そう声を掛けつつも、レンは緊急事態が発生したわけではないだろう、と考えていた。

 王都で問題があれば、先代の神託の巫女、イレーネが心話で連絡をしてくるだろうし、オラクルの村にはリオがいて、学園の教師も生徒もいるのだから、手数が必要な場合でも、単体の強者が必要な場合でも、オールレンジに対処が可能なのだ。

 政治的な緊急事態が発生したのなら、力押しでは解決しない可能性もあるが、その場合、リオがエーレンを呼んでここまで来る必然性はない。


 だが、なら、なぜリオがやってきたのか、レンはその答えに辿り着けていなかった。


 意図的に茂みを揺らして音を立てつつリオのみが街道に出てくる。

 普段のリオよりも角が長く、顔は鱗に覆われ、体も一回り大きいが、レンはそれをリオだと判断した。


「リオ……エーレンと呼ぶべきか? 何があった?」

『この地に声を届けよとのリュンヌ様の仰せにより参上した。心して聞け……先の村に於ける断層を起因とする結界杭の故障はあくまでも偶発である。今後、同じような問題が発生した場合、神の助勢を得られるとは思わぬように。とのことである』


 いつものリオよりも一回り大きな姿で、いつもよりも野太い声がそう伝えると、レンは頷いた。


「了解。まあ実際がどうあれ、今後は自力で頑張れって意味だと理解しておくよ」


 今のこの世界の神々は、全知でも全能でもない。

 全知全能であれば、遙か遠い未来に至る全ての可能性と正しい道筋を知る事も可能だが、権能を分けた神々に見通せるのはせいぜいが数十年単位なのだ。

 だから、神々は最低限の助勢のみを行い、あとは期待してただ見守る。

 常に神の助けがあると期待すれば、それは人間の成長を歪めることに繋がる。

 ただ、職業の恩恵を授け、恩恵の悪用は許さないというのが神々のスタンスで、例外は数えるほどしかない。


 その数少ない例外レンは、リュンヌの言葉の裏を読んだわけだが、この世界の人間は神の言葉の裏の意味を考えるなどということはしないため、皆、レンの返事の意味を理解しかねていた。


『リュンヌ様が新たに言葉を賜られた。それで良い。自由に、あるがままに生きよ。との仰せだ』

「了解……それでエーレンのこの後の予定を一応聞きたいんだが、まさか同行するとは言わないよな?」

『いや、言葉は伝え終えた故、我が務めはこれまでだ。が、リュンヌ様から、リオは置いていくよう指示が出ておる。我は街道から人間の足で10日分離れた森に隠れつつ共に進むが』

「いや待って。この馬車の定員は客席最大6席で御者台は予備入れて2席だから。リオを乗せるのはちょっと」

『ふむ、気配を見る限り、馬車には4人しか乗っていないようだが?』

「護衛が倒れたときに乗せる必要があるから、客席に余裕は必要なんだ。それに御者台の予備座席なんて人間が乗る環境じゃない」


 一応、ベースが客を乗せて馭者が操るキャリッジと呼ばれるタイプの馬車で、中でも富裕層向けに作られた4~6人乗りの中型馬車を参考にして設計されたため、交代の馭者や、使用人のための席が馭者席の少し下にあるにはある。

 しかし、そもそもが4~6人乗りと、客席のみ人数にカウントされるような代物である。それは、取りあえず付けてみました、という、観光バスの予備座席よりも居住性のない代物だった。


 サスペンションが効いているため、この世界のあらゆる馬車よりも遙かに快適ではあるが、レンの日本人としての感覚では、馭者席は屋根も空調もないただの屋外だった。

 そして、御者台の馭者席はまだしも、そこよりもやや下方に設えられた予備座席は、眺めも悪いし、埃っぽいしで、あまり他人に勧められるような座席ではないと思っていたのだ。


『そうなのか? まあリオなら頑丈だし、疲れたら魂を繋げれば疲労も何もないわけだから問題はないな』

「……あー、レン殿と……エーレン殿? いや、竜の獣人ならリオ殿? 提案があるのですが」


 ファビオがそこに口を挟んだ。


『この体はリオのものだ。リオと呼ぶが良い。何か言いたいことがあるなら遠慮は不要だ』

「それでは失礼して。リオ殿とエーレン殿は魂を繋いでおられるのですね? ならば、心話のようなものが使えるのでしょうか?」

『うむ。心話とは別のものだが使えるな』

「なれば、リオ殿を乗せて行き、途中で馬車の空席が必要になったら、リオ殿に降りて頂いて、リオ殿はエーレン殿に迎えに来て貰うなどは……」

『おお。それで良い。それで行こう。街や村の近くに降りるのは騒ぎになる故、街道沿いの森にでもリオを置いていけば良かろう。何、リオを害せる者などそうはおらぬ。レン殿、どうじゃな?』

「リオの意思を確認した上でなら、それで構わない、かな」


 エーレンはかつて、リオの意思を無視してリオをレンに預けた置き去りにした実績前科がある。

 今回もそうするのか、とレンが尋ねると、エーレン=リオは笑った。


『カカッ! 異な事を申す。此度、リオを置いていくのはリュンヌ様のお言葉に沿うもの。リオに否があろう筈がない』

「そういうことならまあいいのか?」


 この世界に於ける神への信仰の強さを理解しつつあるレンは、そういう事であればと頷いた。


「そうするとリオの荷物はどこにある? 見たところ手ぶらのようだけど」

『荷は森の中だ。一旦、ここを離れる。少し待つが良い』


 エーレン=リオはそう言って森の中に姿を消す。


 それを見送ったラウロ達は、安堵の息を吐くのを抑えられなかった。

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