第118話 海への道のり――オアシスと石碑

 オアシスまでは馬車で移動した。

 街からそう離れていないオアシスにどんな存在意義があるのだろうかと考えていたレンだったが、オアシス周辺の植生を見てその考えは消え失せた。


「紅オウギ、光ヨモギ、砂岩アカザ、ニガリマメに桜アンズ、塩吹き白樺まで……凄いな。素材の宝庫じゃないか」


 そのオアシスは地下にガラス化した大きな岩盤があって周辺の砂丘の動きも鈍く、地形変化が少ないため、オアシスだけではなく、近くの砂丘の谷間などに様々な植物が自生していた。

 全てがそうではないが、多くは薬草となる多年草で、加えて木も生えていた。


「これだけ色々生えてるのに、地面は荒れ地状態で土にならないのか。なんでだろう?」

「草木の多くは街や村で定期的に刈り取って燃料にしたりするそうですわ。だから、砂は荒れ地程度まで変化した状態で変化が止ってますの」

「……これ、結構な毒草もあるけど。燃料にしてるんだ……ああ、クロエさん、葉っぱには触れないで。毒や棘があるから」

「……分かった」


 クロエは素直に頷いたが、レンの言葉にラウロも反応した。


「棘はともかく、毒もあるのかね? 抜いてしまった方が良くないか?」

「人間にとっては塩も水も毒ですよ?」

「何を言っているのだ?」

「塩って湿気やすいじゃないですか。塩分を取り過ぎるとあれと似た現象が体内で発生するんです」


 実際には塩が、ではなく、血液中に溶け込んだナトリウムイオンが、体内の水分を血管内に集めてしまうのだが、レンはかなり大雑把に説明を省いた。


「だが、塩は体力維持に必要だぞ? まして水などと」


 騎士であり、自分や馬たちが体を動かした後、塩を欲することを理解しているラウロは首を傾げる。


「まあ、分量しだいってことですね。体重や体質でも致死量は変化しますが、小さな幼児だと、小さじいっぱいの塩で死ぬこともあります」


 塩の致死量は、体重1キロあたり、0.5グラムから5グラムとされている。

 下限と上限が10倍も違うので、どちらの数字を使うのかでも変ってくるが、仮に体重10キロ程度の幼児なら、下限は5グラムである。この世界の塩なら、小さじ1杯程度に相当する。

 もちろん、下限で死ぬと決まったものでもないが、死なないという保証もない。

 なお、上限の5グラムというのは本当の致死量であり、そこまで行かずとも、体重1キロあたり1グラム以上を摂取すると内臓などに深刻な悪影響が発生する可能性が高い。


「小さじ1杯など、料理で普通に使う量ではないのか?」

「料理に小さじ1杯の塩を入れて、その料理を一回に、汁まで残さずに全部、幼児に食べさせたりすれば、危ないですけど、普通はそんなに食べませんよね。あと、塩を振った肉を焼いた場合、油と一緒に塩も落ちますし、十分に薄めれば危険度は低下します」

「毒の致死量については理解しているつもりだったが、塩や水ですら致死量があるというのは驚いたよ」

「過ぎれば薬も毒になりますし、扱いを誤っても危険です。で、そこの……例えばニガリマメは、マメにも葉にも毒があり、数粒のマメを口にすれば倒れて痙攣して、放置すれば死に至ります……が、これの根を乾かしてから粉にして、煎じて飲むと強壮薬となります。生き物を殺すほどの力ですから、効果はかなりのものです。あと、花はミツバチが利用するので、抜いてしまったら苦情が出ると思いますよ」

「レン。これなに?」


 形だけはケイトウに似た花を興味深げに観察していたクロエが、レンを呼んだ。

 花の形状はケイトウに似ているが、花の色は黄緑色で、葉はマメ科のそれに似ている。


「ああ、これが今話していたニガリマメだね。マメ科の多年草で」

「違う。こっち」


 クロエが指差す方をレンが覗き込むと、小さな甲虫類の虫がいた。

 黒く、小さく、角などは特にないが、それでもその虫がクロエの注意を引いたのは、その足の形状だろう。

 まるでバッタのように長い後ろ足を見て、クロエはそれをバッタに分類すべきか甲虫に分類するか迷っていた。


「虫か……虫にはそこまで詳しくないんだよな。素材になるやつならともかく……」

「砂漠で、後ろ足が長い小さな甲虫と言えば、多分、キリアツメですな」


 レンが首を捻っていると、そばに来ていたファビオがそう言った。


「キリアツメ?」

「もっと海に近い砂漠の昆虫と聞いていましたが、この砂漠には川もオアシスもありますから棲息しているのでしょう……この虫は、夜半になると砂漠の中でも風通しの良いところに登って、頭の位置は変えず、長い後ろ足で体を持ち上げた逆立ちのような姿勢を取るそうです。そして、海から流れてきた湿った空気を浴びて、体表に結露した水分を集めて飲むと、世界の不思議を記した書物で読んだ記憶があります」


 その説明を聞き、レンは、ああ、昔ドキュメンタリーで見たことがあるかもしれない、と思い出す。


「しかし、小型の虫がいれば、それを捕食するものもいるはずですので、あまり草の方に行かない方がよいでしょうな」

「……わかった」


 クロエは周囲を見回して、草から少し距離を取る。


「しかし、小さいのはいるけど、でっかい魔物はあんまり多くないな」

「大きな魔物なら、さっきからライカとレベッカが倒してる」


 少し離れた位置で、鳥の魔物を射落とすふたりをクロエは指差す。

 ふたりが射落とした魔物は、エミリアとジェラルディーナが集めて血抜きをしている。


「ああいや、空を飛ぶヤツじゃなくてね」


『碧の迷宮』の砂漠の多くには砂漠特有の魔物が設定されていた。

 例えば、サンドワーム。

 一説には、地球のゴビ砂漠に棲息すると一部で信じられている未確認生物UMA、モンゴリアンデスワームをモデルにしたとも言われる魔物で、ヤツメウナギのような口を持つミミズやゴカイに似た生き物として描かれることも多い。

 巨大なサソリやクモも砂漠の魔物として定番だったが、この砂漠にそうした魔物がいるという話はファビオも知らなかった。


「ふむ……他の砂漠にいるような魔物ですが……もしかすると、新しい砂漠だから、地を這う魔物はまだやってきていないのかもしれませんな」

「でも砂漠に特化した植物や昆虫なんかがいるってことは、来られないほど断絶してるわけでもないですよね?」

「植物の種程度なら鳥や獣も運ぶでしょうし、小さな昆虫もその可能性はあります。が、巨大な魔物ともなれば、難しいのでは?」

「なるほど、そう言われると納得です」


 地球の離れ小島に植物や虫がいるけど、山羊がいないのと同じ理屈か、とレンは頷いた。


「ああ、記念碑が見えてきたっす」


 先行するレベッカが声を挙げ、クロエが走り出し、エミリアに腕を掴まれるなどもありつつも、一行はオアシスに足を踏み入れた。



「池?」


 初めて見るオアシスにやや興奮していたクロエだったが、目にした景色はそのテンションを下げるようなものだった。


「オアシスだね」


 砂に囲まれた大きな池と、周囲に草と低木。

 ガラス化した地面が比較的浅い層にあるため、多少砂に飲まれても、埋もれてしまうことはない。

 恒常的に砂に埋もれない水場というだけで砂漠では奇跡のような存在だが、砂漠を知らないクロエからすれば、それは小さな池に過ぎなかった。

 そして人の姿もない。

 本物のオアシスは、クロエが想像していたオアシスとはかなり違ったものだった。

 ただ、特徴的な点として、オアシスの傍らに、白い石碑が建っていた。



 と、


「全員、警戒を密に願います」


 ライカがそう告げた。

 周囲の警戒を始めたものの、何の変化もないことで、怪訝そうな顔をする護衛達を見て、レンは


「特に反応はないようだけど?」


 と尋ねる。


「何を見付けたわけでもありませんが、砂漠の生き物にとって水は貴重です。生き物が集まる場所であれば、それを餌にする生き物も集まりますわ」

「この砂漠には大型の魔物はいないと思っていたんだけど」

「砂漠特有の魔物としてはそうですが、砂漠外周の森の魔物が流れてくることもありますわ」

「なるほど。次からはそこまで皆に説明するように」


 ラウロ達が納得の表情を浮かべるのを見て、レンは質問をやめた。


 オアシスには、誰かが放流したのか小さな魚が泳いでいた。

 クロエはそれを楽しそうに眺める。


 エミリアがそんなクロエの肩に手を置いて、クロエが水に落ちないようにする。


「あまり水に近付かないように願います」


 結界杭の外の危険性を十分に理解しているクロエは、素直にエミリアに従う。


 大型の魔物が危険なら、魔物忌避剤もあるし、サソリなどが危険なら虫除けもある。

 が、レンもライカも積極的にそれを使うつもりはなかった。


 魔物忌避剤は、魔物が獲物を発見したタゲられた後では効果はない。

 遮る物のない砂漠では、魔物のところに忌避剤が届く前に発見されてしまうため、無意味なのだ。


 また、狭いオアシスで虫除けを使えば、オアシスの虫が砂漠に逃げ出していく。

 そんなことをすれば下手をすればオアシスの生態系が崩壊してしまうため、ここで使うのは危険だと判断しているのだ。


 警戒しつつ、砂の中に潜む生き物を、危険なものなら排除し、さほど危険でないものなら遠くに弾き飛ばしつつ、一行は石碑の前まで移動する。


「はぁ、記念碑っていうから何かと思ったけど、こういう石碑なわけか」


 表面に刻まれた文字を読み、レンは溜息をついた。

 石碑本体は、砂岩をベースにしたものだった。

 そして表面にはガラスの層がある。

 ガラスは長年、砂に擦られ続けたため傷だらけになっており、一部が欠けたりもしていたが、刻まれた文字を読むことは可能だった。


『英雄達の守りし街。ドラゴンの街 フェオ』


 と大きく記され、当時の様子とオアシスの来歴が記されている。

 そして。


「……なんということでしょう。英雄の足跡を辿っておきながら、これほどのものを見落としていたとは……」


 それを見付けたライカは目を丸くした。

 長い文章の一節には、


『……黄昏商会の錬金術師ディオの供給したポーションにより、英雄達は戦線を維持することに成功し……』


 とあった。

 英雄全ての名が記されているわけでもない石碑に、ディオの名前が記されていた。

 名が記されているのは数十人程度で、大半が英雄だったが、それ以外にも、人命救助のために活躍した者や、私財をなげうって復興に努めた人物の名前などがあった。

 それに並ぶほど、ディオの行動が高く評価されていたと知ったライカは、僅かに涙ぐむ。


レンご主人様、お願いがございます」

「うん。傷を綺麗に直すってことでいいか?」

「はい」


 レンは中級ポーションの容器として用意していた空のガラス瓶を取り出すと、土魔法の錬成を用いて、ガラスを変形させ、石碑の表面の傷に染み込ませ、同一化させていく。

 細かな擦り傷はそれで見えなくなり、石碑の表面は傷一つない状態に戻った。

 レンは、しっかりと石碑の土台分まで固めてから、全体に硬化ポーションを掛け、満足げに頷いた。


「レン、何かあったの?」

「ああ、ここにある、黄昏商会のディオっていうのは、ライカと同じく、昔の俺の養子でね」


 レンがクロエに説明するのを聞きながら、ライカはディオを偲び、レンが戻ってきてから作ったポーションを一瓶、石碑の前に供えるのだった。

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