第115話 海への道のり――ご機嫌斜めと砂の大地

 神の干渉の可能性について述べたレンだったが、だからと言って、何かが変わるわけでもない。


 権能を分ける前の全知全能であった神ならいざ知らず、今の神々は遠い未来を見通せないし、間違えることもある。

 人間よりも見える範囲が広く、知識が多いとしても、レンは神々を、人間と比較可能なレベルの存在と考えていた。


 だからリュンヌは魔王となったし、世界を救うためにレンを喚ぶ必要があったのだ。

 真に全知であれば失敗はないし、全能であるなら、全ては個で完結する。


 レンを喚んだ仕組みこそ、レンには理解できない神の御業であるが、やっていることは仕事のアウトソーシングでしかない。普通のアウトソーシングと違い、そこには契約もレンの同意もないし、明確な要求や達成条件も曖昧だが、アウトソーシングで丸投げにした、と考えれば、日本でもそういう仕事がないではない。とレンは考えていた。


 それはさておき、神の存在は職業を得る際に皆が認識するし、奇跡を体験するため、この世界では、神の存在は様々な事柄の前提とされている。

 奇跡に触れる頻度が、個人の経歴によって変化するため、同一条件で同じ結果が得られるかを検証するのはやや困難だが、レンの技術者の思考は、神の奇跡それがあるという前提で動くのが科学的な態度であると考えていた。地球でも、一定の幅を設けて、その範囲内であれば再現したとする、完全一致の再現がありえない事象を研究する分野は数多い。要は、レンはこの世界の神を気象現象や地震のようなものの親戚と捉えていたのだ。




 馬車に揺られつつ、クロエはとても不機嫌そうにしていた。

 レンと知り合って以降、クロエが不機嫌な場合、多くはレンに原因や遠因があるが、今回もその例に違わず、レンに起因する問題だった。


 とは言え、レンが何かをしでかしたわけではない。

 神託の巫女という彼女の知名度を、いつものようにレンが利用したいと申し出て、それを受けた後で不満を感じたのだ。

 具体的にはカミーラ村の結界の異常についてのレンとファビオの見解を、クロエから先代の神託の巫女であるイレーネに連絡をさせ、そこから王家に伝言をさせたのだ。


 結果、数人の錬金術師が西方面――レン達とは逆方向に向かって調査のための移動を開始し、王立オラクル職業育成学園では根本原因の調査のための体制を整え始めた。

 と、ここまでであれば、別にいつものことである。

 クロエは基本的にレンが自由にあることを望む。


「レンがそうしろと言うのならそうする」


 思考放棄とも取れる言葉だが、クロエはこうした言い方をすることが多い。ソレイルの言葉から、レンの自由意志を尊重した結果である。

 だから、今回もそのように受け止めるだろうと皆が思っていた。

 何がクロエの癇にさわったのかと言えば、心話による数回のやり取りの中で、


「そういう事態であれば、リュンヌ様の声を聞くことができる者の協力があった方がよいでしょう」


 という提案がイレーヌからあり、それにレンが同意したことにあった。


 たったそれだけである。

 だが、リュンヌ様の声を聞くことができる者が必要ということは、裏を返せばクロエでは役に立たないという意味だ、とクロエは考えてしまったのだ。

 勿論誰もそのようなことは言っていない。単なる適材適所という話に過ぎない。

 クロエがそんな風に考えているとは思いも寄らない皆は、クロエがなぜ不機嫌になったのかが分からなかった。


 基本は無言で、話しかけられても最低限の返事しかしないクロエに、馬車の車内の空気はとても重くなっていた。

 英雄の時代に作られた部品で構築された馬車の動きは、静かで滑らかだが、それだけが売りではない。

 現代人ならではの発想に基づく様々な工夫が施されており、無駄に高性能なのだ。

 例えばアイテムボックスは標準装備だし、小さな保温庫もある。そして馬車の中の空気は、温度、湿度、匂いまでしっかりと管理されている。


 だが、この空気の重さは英雄の技を持ってしても解消できるものではなかった。


「クロエ様、日が高くなる前に次の街に着きますが、何かご希望はありますか?」


 元々、次の街で宿泊の予定だったところを、カミーラの村の結界杭の異常を発見して村に一泊したため、今回の移動距離はとても短い。

 何かやりたいことはないかとエミリアが尋ねると、クロエの不機嫌さがやや薄れた。


「次の街は?」


 不機嫌であったため、次の街の名前すら覚えていないクロエに、エミリアは旅を楽しみにしているクロエにしては珍しい。なぜそこまで機嫌を損ねているのかと思いながらも答える。


「フェオの街です」

「フェオ……ドラゴンの街?」

「ええと……ライカ殿?」


 クロエに問われ、意味が分からずにエミリアはライカに振った。

 静かに話を聞いていたライカは頷く。


「英雄の時代の末期、多くのドラゴンが襲来した街ですわ。大半は知性のない属性竜でしたが、それが黄金竜に率いられていましたの。その戦いの結果、結界杭の外の森が消え、今では砂漠になっていますわ」

「砂漠……一面、砂の世界と聞くけど……水は?」

「大河がありますわ。上流から流れる泥混じりの水のお陰で川沿いにはそれなりに植物も生えていますし、結界杭の内側には畑もありますわ」


 ただし、600年の時をもってしても、砂漠化した土地の回復には至らなかった。

 現在は、砂漠化と緑化の速度がほぼ釣り合っている状態なのだ。


「一面の砂……見てみたい」

「……見た事がないのでしたら、もう少し進んだ辺りで馬車を停めて、少しだけ歩いてみましょうか」

「何かあるのですか?」


 エミリアが尋ねると、ライカは微笑み、内緒ですと答える。そして馬車の小窓を開け、馭者を務めるフランチェスカに右手に大きな岩が見えたら馬車を停めるように指示を出す。


 何があるのだろうか、という疑問と、それを楽しみに思う感情の変化は、クロエの機嫌を上向かせるに十分なものがあった。


 やがて馬車が停車し、馬車の周囲を囲むように護衛が配置を変えたところで扉が開かれる。


 馬車が停車したのは、街道の少し先に小さな丘があって、そばに大きな岩がある以外に目立った特徴のない、そんな場所だった。

 つまりは、右を見ても左を見てもひたすら森。特徴的な部分を言うなら、少し先に小さな丘の登り口があることくらいだろうか。

 森の中を赤い小石を敷いた街道が伸びている、という珍しくもない景色に、クロエはどういうことかとライカに視線を向ける。


「街道が丘を登ってますわよね? あそこを登って下さい……護衛の皆さんは街道脇の地面に警戒ですわ。空は私と……レベッカが見張ります。ジェラルディーナさんは丘を登った位置に先行して周辺警戒を」


 それだけ言うと、ライカは何の気負いもなく丘に続く街道を歩き始めた。


「クロエさん、足回りは大丈夫かな?」

「……問題ない」


 レンに問われ、クロエはそう答える。

 普段通りのレンの様子に、クロエは感情を少し揺らしながらも、足元を確認して頷き、ライカの後ろを追い掛けるのだった。




 この小さな丘は、大半が平坦な道である街道で、難所のひとつとされている。

 丘を登る坂道の傾斜は5度程度しかない。

 だが、馬車での移動に於いて、坂道というのは、登りであれ、下りであれ、難所となるのだ。


 傾斜角5度というのは、100m進む間に8.8m上昇する角度である。

 誤差のようなものだと感じるのは、人間が二足歩行の生き物だからで、これが馬車であれば常に坂を下る方向に働く力に逆らって登ることになる。


 勾配の傾斜を示すパーミルは1000m進む際に1m上昇する場合に1‰となるという単位だが、これで示すと傾斜角5度というのは、88‰――1000m進む間に88m上昇する――となる。


 ちなみに日本の鉄道の大半は線路の勾配を25‰を上限とする設計としている。

 勿論、高性能なモーターや歯車を利用して登るラックレール、スイッチバックなど、様々な対策を取れる鉄道に於いて、25‰は目安のひとつでしかなく、多くの例外がある。

 しかし、動力を用いる鉄道でも25‰である。そして、機械的な動力を用いない馬車に於ける坂道の難易度は、鉄道の比ではない。


 ただ、迂回路を作らずとも辛うじてやっていけるのは、この難所の水平距離が20mと短いためである。

 その程度であれば、馬にそこまで無理をさせずとも登ることができる。

 ただし、その坂を登り切った直後に魔物に襲われれば、逃げるのは困難となる。


 そうならないように、まずジェラルディーナが坂を上り、丘の天辺で周辺の警戒を行っていた。

 見えない丘の向こうを偵察し、安全を確認した上で後発部隊が進発する。


 丘を登ったクロエは、登り切ったところで突然切り替わった景色に息を飲んだ。


 丘の頂上には木々があったが、すこし先からは木も草もほとんど生えていない。

 赤い小石で埋まった街道が、やや黄色みを帯びた砂の中、まっすぐに延びているのが見える。

 下からは小さな丘に見えたが、登ってみれば、砂漠全体が高台になっているとわかった。


「……すごい」

「なるほど。これは確かに馬車から降りて見るべき光景だ」


 馬上でラウロが嘆息する。


 時折風が吹くと、砂丘の上に砂が舞う。キラキラと光る砂が砂の上に描く模様に、クロエは溜息をつく。

 そして、その景色の遙か向こうには黒い雲があり、その下に白い柱のような物が見えることに気付いた。


「ライカ、あれは?」

「雨ですわ。遮る物がないから、遠くで降っている雨があのようにみえるのです」

「雨? 砂漠なのに?」

「渇いているというイメージがありますが、砂漠でも雨は普通に降りますわ。ただ、地面がその水を蓄えておけないだけなのです」


 砂漠に雨が降っても、砂は岩盤の層まで水を浸透させてしまう。地上の生物の手が届くところに残る水はごく僅かであり、だからこそ、砂漠は生物には過酷な環境となるのだ。

 ライカの説明を聞きながらも、クロエは遠くに見える雨の柱を食い入るように見ていた。


「あの雨の柱の中に入ってみたい」

「中に入ってしまえば普通の雨ですわ。でも、ここから暫くは砂漠が続きますから、運が良ければ機会があるかもしれませんわね」

「楽しみ」


 馬車の外を歩き、珍しい景色を見たことで、クロエの機嫌が普段通りに戻っているのを見て取ったエミリアは、


「クロエ様、そろそろ馬車に戻りましょう」


 と声を掛ける。が、クロエは首を横に振る。


「砂漠まで……砂のある場所まで歩きたい」


 クロエのその言葉に、エミリアは砂漠に視線を向ける。

 街道をざっと20mほど進めば、もうそこは砂漠である。

 結界杭の外に安全な場所などないが、これだけの護衛がいて後れを取ることはないだろう。そう判断したエミリアは頷いた。


「……承知しました。それでは警戒しつつまいりましょう」


 街道は赤い小石が敷き詰められた道で、その道は多少破壊されても自然に修復するし、意図して破壊すれば、破壊した者に天罰が下るという不思議な代物である。

 メンテナンス不要の街道があるからこそ、人間はこれまで命を繋いでくることができたのだ。

 そんな経緯に思いを馳せているのか、神妙な顔つきで赤い小石を踏みしめつつクロエは歩を進める。


 と、前方を歩くジェラルディーナが不意に真横に2mほど跳んだ。

 短槍を街道沿いの茂みに突き刺すと、キュウ、という小さな鳴き声が零れる。


「倒しました。イエローラクーンです」


 アライグマの魔物を突き刺した槍を引っ込め、ジェラルディーナは更に周囲を警戒する。

 他に気配がないことから、ラクーンを槍に引っ掻けたジェラルディーナは前方の警戒に戻る。


 森が途切れ、灌木が生えた砂混じりの地面が、砂のみのそれに変化する。

 クロエはそこまで進み、街道の端に寄り、砂の地面に手を触れた。


「熱い」


 砂は、触れるのを躊躇うほどに熱く、クロエは驚いたように手を引っ込めつつも、楽しそうに笑った。


「? ライカ、あれは何?」


 立ち上がったクロエは、遠くに見える黒くてキラキラしたものを指差す。


「黄金竜との戦いの痕跡ですわ。この砂漠が生まれる切っ掛けのひとつ。あそこには山があったのですが、それが燃え尽きて、残ったのはあの、ガラスのようになった台地でした」

「レンも戦ったの?」

「フェオの街の時は、まだ最前線にいたからね。俺もライカも戦ったよ。ディオっていうのもいて、あいつは街でポーションを作ってた」

「ディオは戦いで傷付いた英雄と、街の人々を助けて回ってましたわ。ディオの回復で復帰した英雄達の力がなければ、無数にいた属性竜を倒すのは難しかったかもしれませんわね……ですが、属性竜こそ退けましたが、それでも、あの戦いは人間の負けでした」


 人間の負けと聞き、クロエは目を丸くする。


「倒したのに?」

「それまでは力押しばかりだった魔物達が、戦略を意識した戦術を使いはじめたのがフェオの街の戦いですわ。初手で山へのルートを封鎖されましたの。あの山には、貴重な素材がたくさんあったのですが、それを守ることが出来ませんでしたわ」

「……それがあの黒い?」


 クロエの問いにライカは頷いた。

 山は黄金竜による、属性竜との同期攻撃を受け、貴重な素材ごと溶けた岩にされたのだ。

 ドロドロの溶岩が冷えて黒曜石に姿を変えるまで、その輻射熱で周囲の森は土まで灼き尽くされた。

 そして、全てが終わった跡、この地は砂漠と化し、砂漠は広範囲に広がった。


 ゲーム的に言うなら、それはレイドバトル方式の拠点防衛クエストだった。

 無限湧きするドラゴンとそれを率いる黄金竜から、貴重な素材が得られる山を守るというクエストで、それまで職業レベルを上げるだけでそれなりにレイドバトルを戦ってきたプレイヤーが完敗した最初の戦いでもあった。


「素材と山は失いましたが、大量の属性竜を倒したことで、その素材から様々な武器や防具が作られ、街はドラゴンの街と呼ばれるようになったのです」


 ライカの説明を聞き、クロエは、そういう経緯があったのか、と頷くのだった。

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