第114話 海への道のり――ファビオの分析とレンの想定

「しかし、村の柵のあたりにそんな深い亀裂があったとは驚きましたよ。怪我人が出る前に気付けて幸いでした」


 村長は、ラウロに料理を勧めつつ、そう言って溜息をついた。


「しかしあれだけの亀裂、今まで誰も気付かなかったのか?」

「……それですが」


 ライカは口の中のものを飲み込んでから手を挙げた。


「私が地下を見てきた感触ですが、亀裂そのものは古いもののようですが、上部に穴が空いたのは割と最近のように見えましたわ」

「天井部分はレン殿が穴を開けたのだから、それはそうだろう?」

「そこまで新しくもありませんわ。亀裂の上部には、ほんの少しですが、土が流れた跡がありましたもの」


 ライカの言葉をラウロは慎重に分析し、ファビオに振った。


「土が流れた跡……亀裂上部の穴は新しいが、昨日今日のものではないということか……ファビオ、どう思う?」

「根拠のない想像でも宜しいですかな?」

「ああ、根拠のある答えを出せるほどの情報などないのだからな」

「では憶測で恐縮ですが述べさせていただきます……私は錬金術にはそこまで詳しくはありませんが、魔法全般の共通的な話として、長く魔力を通していた物質が変質するという話を聞いたことがあります。事実とすれば、レン殿の言う、結界杭の魔力の通り道も変質するのではないでしょうか?」


 ファビオが視線を向けるとレンは頷いた。


「まあ、長期に渡って流し続ければ変質したりもします、が……」

「ええ、普通であれば変質しても大した影響はないはずです。それは他の街や村の結界杭に異常がないことから類推できます」

「それはそうだな」


 ラウロが頷くのを見て、ファビオは続けた。


「ただ、この村の場合、その魔力の通り道が地中ではなく、空中にありました……いえ、地面の下ですので、地中には違いないのでしょうけれど」

「空中? ああ、亀裂の中にあったという意味か?」

「正確には、亀裂の中に何の支えもなく、魔力の経路として岩があった、というべきでしょうか……普通なら、魔力の通り道は地面の中で上下左右を土や石で囲まれています」


 ファビオはオレンジをひとつ取り出し、それを掌で覆うようにして、親指を使わずに持ち上げて見せた。


「こう……中指と掌に挟まったオレンジオランジュが、この村での魔力の通り道です。手首から中指の方に向かって魔力が流れる感じですね。見ての通り、下に支えはありません。何かの弾みで押さえが緩くなれば」


 ファビオは手の力をほんの少し緩め、オレンジを落として見せた。


「落ちます。何かの弾みというのは、例えば、魔力が通り続けて変質して緩むとか、緩んだ部分に流れる魔力の量が急激に変化したというのは如何でしょうか?」

「ふむ……たまたま最近になって理由もなく、というよりは説得力があるな……だが、そもそもなぜ亀裂が村の地下にあったのかは?」

「可能性は……これも憶測ですがふたつございます」

「述べよ」

「は……まずひとつは偶然です。地中の亀裂は、実のところ、そう珍しいものではありません。ただ、ここまで浅い位置に、これだけ大きなものがあるのは稀ですが」

「亀裂はその……なんと言ったか、川や風が作るものではないのか?」

「浸食や風化ですな。それらの多くは我々の目に触れやすい地表にありますから、そういうものが多く知られているのは確かです。ですが、地下にも様々な穴があります。洞窟などは浸食の影響でできることも多いですが、それ以外の方法で形成されることも少なくありません。そうしたものの一つが、昔から村の下にあったという可能性です。村の下と言っても、問題の亀裂は結界から外側に向けて伸びていますから、村の中に井戸を掘ったりしても見付からなかったのでしょう」

「ふむ。もうひとつは?」

「地震などによって最近になって生まれた亀裂という可能性です。こちらの場合、亀裂が生まれた影響がどこかに出るかも知れませんので、暫くは用心する必要があります」


 ラウロはファビオの話を聞き、なるほどと頷き、腕組みをして首を捻った。

 疑問を口にしないラウロに、ファビオは尋ねた。


「何か気になる点でも?」

「いや、魔物による可能性について言及がなかったな、と思ってな?」

「弱まっていたとは言え、結界の範囲内です。地下にも結界の影響はありますので、その可能性は除外しました。それに」

「それに?」

「ライカ殿が実際に地下を見てきています。レン殿とライカ殿なら、魔物の痕跡があれば、まずそれに言及するでしょうから」

「そう言われると、納得するしかないな……しかし……レン殿は今のファビオの仮説をどう思うかね?」

「正しいとする根拠はありませんが、上手く状況を説明しています。あり得ないとは言えません。それに、確かに魔力の通り道は何かに保護されることが多いです。結界棒や結界杭なんかも、聖銀ミスリルの外側に鉄の筒を置いていますし、それにそういう意味があるのだと言われたら納得してしまいます」


 レンの返事を聞き、ラウロは更に難しい表情をする。


「長期の運用で変質か……材木が腐り、鉄が錆びるようなものだと考えれば、なるほどそういう事もあるのかとも思えるが」

「ラウロ様、根拠のない憶測です」

「分かっている。ただ、考える上で前提を定める必要はあろう?」

「はい」

「レン殿。ファビオの言に一定の信憑性があるとした場合、ふたつほど気になることがある」

「そうですね」


 ラウロの、やや遠慮した物言いに、レンは苦笑いをしつつも頷いた。


「気付いておられたか……いや、まあそうであろうな」

「今日直した部分の直し方に関する不安と、他の村や街に似たような事がないか。ですよね?」

「うむ。今日の件は、穴の中に魔力が通る橋を渡したと理解しておる。であれば、将来、その橋が崩れる可能性もあるのでは、とな?」

「ええ。ファビオさんの仮説が正しい場合、最終的には村人達の手で埋めてしまうとしてもあの橋の造りは良くありません。なので、直しておこうと思います……もう片方については、現時点でできることは殆どありません」

「ないのかね?」

「結界杭だけなら国から命令を出して確認させる手がありますが、全ての魔道具を調べるには手が足りません」


 この世界に古い魔道具というのは少なくない。

 常時魔力が通っている品の代表格は結界杭だが、例えば魔法の旅行鞄なども、弱いが魔力が流れ続けている。

 その中に、壊れた場合に致命的なインフラに関わる魔道具がどれだけあるのか、と問われてもレンは答えを持ち合わせていない。

 例えば、泉の壺という魔道具がある。レンが聖域に掘った洞窟の風呂に水を入れるために使おうとした道具だが、これは、多くの街や村では、井戸水が汚染された場合などに使う魔道具と認識されている。

 しかし、魔石の消費さえ受け入れられるなら、泉の壺を日常的に使うことも可能で、そうなっていれば、泉の壺はインフラとなる。

 そうした例はいくらでもあるだろうから、どんな魔道具がインフラとして使われているのかを断言できないため、影響範囲を特定できないのだ、とレンが説明をすると、ラウロは頷いた。


「では、出来ることは何もないだろうか?」

「できるとすれば情報公開ですね。古い魔道具が突然動かなくなった場合の対処方法を周知。あと、その情報を元に、古い魔道具を点検しろという周知ですね」

「点検? 手が足りないのではなかったのかね?」

「期間を切って全部チェックしろという命令では、全体の量すら分からないのですから実現は困難です。でも例えば、日常的に使っている魔道具なら、魔石の交換とか、定期点検程度はしているでしょうから、そのタイミングで、魔力が流れ続ける経路の変質がないかを見る。というのなら可能でしょう」

「ふむ……ならばその方向で、国には私からも話を通しておこう……村長殿、今回の修復は不十分だった可能性があるので、明朝、レン殿に魔力の通り道を補強して貰おうと思うが、宜しいかね?」

「もちろんですとも、願ってもないことです。それで、穴を埋めるというのは先にあったお話の通りで、村の連中が毎日少しずつですか?」


 静かに話を聞いていた村長に尋ねられ、レンは首肯する。


「ええ、そっちは毎日少しずつお願いします。あ、明日の作業の際に穴の周囲の土をしっかり固めておきますが、転落防止柵とかは作った方が良いかもしれませんね」

「柵ですか」

「村の柵の外側ですから、子供なんかは近付かないでしょうけど、あれ、落ちたら大怪我ですから」


 レンは、柵まで作ってやるつもりはなかった。

 土の地面は硬化させるが、それ以上をレンが行ってしまうと、今後の穴周辺の保守が難しくなってしまうからである。

 ストーンブロックから切り出した石の棒を柵にすれば、滅多なことでは折れないが、非破壊物質になるわけではない。一定以上の力を掛ければ割れるし砕ける。

 いざそうなってしまった場合、傷んだ部分を切り取って交換するというのが、錬金術師でもないと難しくなってしまうのだ。安全対策設備が保守不可能では、何かあったときに困る。


「ああ、そうですね。後ほど、ロープを張っておきます」

 

 レンはそこまで説明しなかったが、大した手間が掛かるものではないため、村長はそう答えた。




 翌早朝。

 まだ日が昇る前の時間帯にレンは魔力経路の補強と、周辺の土の圧縮を行った。


レンご主人様、あのような仮説、本当にあるとお思いなのですか?」

「言ったろ? 状況を上手に説明出来ていて、否定する要素はない。ただし正しいとする根拠もない。可能性について問われればあるかもしれないと答えるしかない。実際問題ファビオさんの仮説にはひとつ穴があるんだよ」

「ほう、聞かせていただきたいですな」


 少し離れた位置にいた筈のファビオが、レン達のすぐ後ろに立っていた。

 ただし、突然声を掛けられたにもかかわらず、レンもライカも驚いた様子はない。


「……長い時間を掛けて変質して、結界杭の修復によって流れる魔力量が変化したことを原因とするという仮説ですが、結界杭の場合、魔力と共に僅かに流れ出た聖銀ミスリルが地中に浸透するのが変質の主な要素です。そして、魔力が通っている間の聖銀ミスリルは、多くの場合強化されます。変質イコール劣化とは限らないということですね。ただし、稀に、聖銀ミスリルの浸透によって、元々の結合が粗になるケースもありますので、可能性は極めて低いがあり得なくはない、と言うところでしょうか。加えて、偶然が過ぎます。結界杭が稼働して600年以上。たまたま、俺たちが通過するタイミングで結界に、魔物が侵入しないが、俺が見たら気付く程度の劣化を生じさせるということに作為めいたものを感じませんか?」


 レンの説明を自分の中でかみ砕いたファビオは、眉根を寄せた。


「いや、レン殿の言葉の意味は分かるのですが、作為とは誰の作為なのかね? レン殿にはそういう敵がいるというなら、看過できないのですが」

「敵ではありませんし、明確な根拠があるわけでもありません。ただ、あまりにもできすぎた偶然に作為的なものを感じるというだけです」


 これが日本でのことであれば、レン――健司は、これは偶然だと考えただろう。日本には、少なくとも人間に言葉を届けたり、検証可能なレベルでの干渉をする神はいない。だから何事も、偶々、しかり(そうである)と考えるのが科学的なものの見方である。しかし、『碧の迷宮』の世界には神が存在し、人間に恩恵を与えているし、言葉を届けてもいる。そのような世界で、物事の前提から神の干渉を除外するのは、科学的なものの見方とは言えないだろう。

 レンの中の、技術者としての思考はそのように考えていた。


「つまり、神々の干渉を疑っているということかね?」

「疑うというか、可能性のひとつとして考慮している、というのが正しいですね。ブレロの街では神託という形での干渉がありましたし、それを考えると、これがそうではないという確証はありません」


 などと言いつつも、レンとしては、日本の仕事で経験したことのある「10年間動いていたサーバーを再起動したら、なぜか起動しなくなった」というようなサーバーセンターあるある事象が、魔道具にも当てはまる可能性も考慮している。だからこそ、可能性のひとつ、などと言っているのだが、そういう仕事をしたことのない人にその手の事象を説明しても中々理解されないため、敢えて口にはしない。


「しかし、そうであれば、それこそ神託があるのではないかね?」

「ああ、いえ。俺が想定しているのは、ソレイルじゃなく、リュンヌですから。クロ……お嬢様は管轄外です」

「リュンヌ様か……そういえば、レン殿を喚んだのは」

「……そういうことです。まあ違うようなら、ソレイル経由で、その旨の神託があるんじゃないですかね?」

「……だが、そういう事であれば、なぜ私の憶測に見落としがあると言わなかったのかね?」


 ファビオに問われ、レンは空を見上げ、つい最近、クロエたちから聞いた話を思い出しつつ披露した。


「お嬢様の組織では、神託を受けたら自然体で対応するそうです。神託は、そういう自然体で処理される前提で告げられるものだから、みたいな話です」

「ああ、なすべきをなすべきままになし、ただあるべきものと受入れる、とかいう話は聞いているが?」

「今回の件、俺が処理するとしてやることは、ファビオさんの結論と同じなんですよね。であれば、普段の俺なら口は出しません。同じ事を同じようにすることになるのに、考え方が僅かに違うとか主張しても時間の無駄ですから」

「無駄かね? 原因、理由を考える上では重要な事柄だと思うが」

「周知対象が錬金術師であるなら、劣化の可能性は低いと気付きますから」

「それに気付いたら確認が疎かになるのではないかね?」


 レンは少し考えてから首を横に振った。


「問題が生じたという事実があって、そこに間違っているように見える説明がついた『確認せよ』という指示書が届くわけです。責任ある立場なら、理由を気にしつつも言われた確認は行うでしょうね。事象と想定原因に違和感を感じたなら、むしろ言われた以上の確認をすると思いますよ。物を作る人間ってのは、そういうものです」


 王立オラクル職業育成学園の生徒となった錬金術師との、そう長くもない付き合いの中で、レンは、物作りをする者たちの考えは、対象や世界が違っても、どこか似ていると感じていた。

 だからレンのそれは、この世界のクリエイター達への信頼から出た言葉だった。


「確かに職人と考えれば、そういうものかも知れないと思えますが、レン殿はヒトの錬金術師を信じているのですな」

「まあ、そうですね。同じ技術を学ぶ仲間ですから。と言うわけですから、この件は、ラウロさんが王都に連絡するまではできれば内緒にしておいて下さい。原因究明を優先すると、行うべき確認が後回しになりますから」

「しかし、原因究明は、それはそれで行うべきでは?」

「そっちはライカから、ブレロの街のグラートさんと、王立オラクル職業育成学園に連絡させてます。中級の錬金術師なら、この程度はこなせると思いますよ」

「ふむ……あい分かりました。それでは、この村を出るまではラウロ様には秘密にしておこう。理由は、原因究明よりも確認を優先するため。村を出たら話をしてもよろしいですな?」

「構いません。理由はその通りですね。人命優先でいくなら、対症療法でも延命して、その間に原因をしっかり調べる。大怪我したら、治療方針を決める前にまず止血。みたいな感じですね。常に見切り発車が良いと言うつもりはありませんが、今回の件は、まず状況確認を最優先で行うべき問題だと思いますので」

「承知しました。ラウロ様にはその旨も伝えておきましょう」

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