第113話 海への道のり――網と亀裂

 結局、ブレロの街を出たのは翌日だった。

 急な予定変更にラウロは苦言を呈したが、元々予定はあってないようなものであるし、神託についての調査と報告が必要であることを考えると、それを後回しにも出来ない。


 なお、本日の馭者はレンが務めている。

 エミリアとフランチェスカが神殿への報告などで疲弊していたため、レンが買って出たのだ。


 ライカは、それならば自分がと言い出したが、レンは、考えたいことがあるから、ひとりになりたいのだとそれを断った。


(リメイクの巻物スクロールか……こっちの世界で使っても、意味はなさそうだけど、どうなるんだろう?)


 レシピを知ると言うことは、それがどのように作用するのかを知るということでもある。

 だからリメイクの巻物スクロールを使ったときに何が発生するのかをレンは理解していた。

 それでも、一部は謎のままなのだ。


(使うことでメインパネルに似た専用のユーザーインターフェースが開いて、リメイクが開始される。キャンセルは可能。リメイクで選択した種族になり、見た目や職業を決めてやる。この辺は『碧の迷宮』を始める時と似ているけど、選択可能な種族や職業が違っているのと、現在の職業や技能のレベルをポイントにして、新しい職業選択の幅を増やせたりするところや、所有する財産について、新しい世界でどのような形で所持していたことにするのかなどの設定ができる点が特殊……だけど、何よりも)


「名は体を表すとは言うけど……リメイク……か」


 レンはぽつりと呟き、再度思考の海に沈む。


 リメイクの巻物スクロールで出来ることは、文字通りのリメイクだった。

 ただ、新キャラを作るにあたって、現在のアバターの状況に応じたボーナスポイントが付与されるというものでしかなく、やることは新キャラの作成だった。


 リメイクは完了を選択するまでは何度でもやり直せる。

 気に入った新キャラが完成して確定するまでは、好きなだけリトライが出来るのだ。

 そして、レンに分からないのはその先だった。


(確定したら即座に新しいゲームが始めるのか、それとも作成したデータが保存されて、新しいゲームにログインしたら、そこで初めてデータが有効になるのか……)


 種族は『碧の迷宮』のそれと同じものと、今までは選択できなかった竜人、それにまったく新しいものが選べるようになる。

 職業についても同様で、持ち越しも可能だが、まったく新しい職業も追加される。

 外見についても基本は同じだが、今までになかった選択肢が増えるようになっている。

 そうした部分であれば、レシピ本を読んだレンにも分かるが、ゲームシステム的にどうなるのか、どのタイミングで新しいゲームにデータが移るのか、等はまったくの未知だった。


(そもそも、俺が今の状況で使ったら、一体どうなるんだか)


 レンは、この世界がゲームである可能性は限りなく低いと考えていた。

 少なくとも、レンの知る『碧の迷宮』と比べると、NPCの思考能力が比較にならないほどに高い。

 ライカにレンの記憶があることなどから、ゲームと無関係ではないだろうと考えていたが、ゲームそのままではない、という認識である。


(……いや、俺はまだ良いとして、もしもこの世界の人間が使ったらどうなるんだ?)


 レンとNPCたちの間には明確な違いがある。

 例えばメインパネルを使えるのはレンだけだ。

 そして、ゲーム内において、様々な重要な事柄は、メインパネルからの操作を必要とした。

 ログイン、ログアウト、退会、アイテム購入などがそれであるが、新しいゲームへのデータ移行となれば、メインパネルの操作が要求される可能性もある。

 そうなったとき、何が起こるのか、レンには予想できなかった。


「リメイクの巻物スクロールは、英雄以外が使うと死ぬ、可能性が高い、とか神殿経由で伝えて貰うか」


 今はまだ問題ないが、いずれ、グラートは上級の錬金術師になるだろう。

 そうなれば、素材とレシピを持っているグラートはリメイクの巻物スクロールを作れるようになってしまう。

 だからレンはグラートがそれを使わないように手配をしようと決めたのだった。




 ダフネ、エマと結界の様子を見ながら進むレン達は、カミーラの村の周囲を囲む柵を前にして、馬車を停めた。


 レベッカとファビオが距離を取り、ラウロとジェラルディーナが馬車に馬を近付ける。


「レン殿、何かあったのか?」

「ああ……いや、攻撃とかじゃないです……ただ、この村の結界、少しおかしいんですよ」

「結界の異常? それは緊急性のあるものか?」

「不明です。判断出来る材料がありません」

「どういう状態か、簡潔に説明できるか? その、私が理解出来るように、だが」

「……結界杭の修復が行われたことはご存じですね? ここの結界は、修復前の状態に極めて近いんです」


 修復された結界杭では、結界は結界杭の間を壁のように覆うのだが、この村の結界は、レンの魔力感知には板状ではなく網状に見えていた。

 それは、結界杭の修復を行う前の状態によく似ていた。


「分かった。村長には私が話をしてくる。レン殿は……皆と一緒に結界と結界杭の確認を頼む」

「頼みます。それと、馬車はここに置いて行きますので、誰かひとりは馬車の管理をお願いします」

「うむ。ではレベッカを留守居に残そう」


 ラウロはレベッカに指示を出し、そのまま村長を訪ねて村に入っていく。レンは村に入ったところで御者台をレベッカに譲り、クロエ達を伴って一番近い結界杭に向かった。



 クロエは空を見上げるようにして、魔力感知で結界の様子を見た。


「網目状で、他の村とは違う」


 そして首を傾げる。


「なんで?」

「それをこれから調べるんだけどね」


 結界杭の劣化は、その問題点が明確である以上、対処も明確である。

 それが、減った聖銀ミスリルを増やすという対処で、ここまで通過してきた街や村では結界は問題なく機能しているのを確認していた。


「ダフネの村もエマの村も、結界は正常だった。それらの村とこの村の結界杭は、ブレロの街の錬金術師、グラートさんが直した筈で、話をした限り、しっかりと経歴を重ねた練達の錬金術師だと思えたから、こんなミスはしないと思うんだけど」


 もちろんミスのない人間など存在しない。

 レンは日本での社会人としての経験から、それをよく理解していた。

 だから結界杭修復のための手順を紙に書き起こし、結界杭の修復を行う者に聖銀ミスリルと共に託した。

 用意した手順書に沿って作業を行えば、ミスが発生する可能性はかなり低減する。

 加えて、修復後のチェックリストも用意しているので、ミスがあればそこで気付くこともできる。

 ミスが起きないように準備して、ミスがないかをチェックする方法を定めておくことで、その両方でミスをしなければ見落としは発生しない。

 それでも、ミスが混入する可能性はゼロにならないが、その可能性は極めて低くなるのだ。


 結界杭の前には別に見張りがいたりはしなかった。

 レンは少し離れた位置から魔力感知で杭の状況を調べ、ここからでは細かいことは分からないと言った。


レンご主人様、何かお分かりになったのですか?」

「レンは分からないと言ってる?」

レンご主人様は細かいことが分からない、と仰ったのです」

「なるほど。概要は理解したと? レン、説明を」

「……概要というか、まず、ちょっと勘違いがあったのが分かったんだ。これ、結界そのものは修復前の状態に似ているけど、状況はまったく異なるね」


 どういうことかと、護衛達がレンの回りに集まる。一応、ジェラルディーナだけは、少し離れた位置で警戒を続けている。


「似てるけど違う?」

「結界の様子は結界杭修復前の状態によく似ているんだけどね。結界杭そのものはきちんと修復されてるみたいなんだ」

「どういうこと?」

「修復前の結界杭だと、黄色の魔石を入れて、ようやくこの網目状になっていたんだ。だけど、ここの結界杭には緑の魔石が入っている。だから結界の見た目は修復前に似ているけど、状況は異なるってこと……この村の修復前の結界を見てないから、単純に比較は出来ないけどね」


 レンは結界杭に近付き、魔力の流れを見た。


「うん……入ってる魔石は緑の魔石だ……だけど、魔力の流れが少しおかしい……でも少なくともこの結界杭の聖銀ミスリルの状態は正常だ」


 なぜ魔力の流れに異常があるのかが分からないと、レンは他の結界杭も調べて回った。

 その結果、結界杭の修復――聖銀ミスリルの充填は正常に行われているようだ、というのがレンの見立てだった。


「4本とも、杭の聖銀ミスリルは十分に充填されている……ただ、最初に見た一本だけ、魔力の流れが少しおかしかった」

「おかしい?」

「んー、ほんの少し、他に流れてる感じかな。で、全体のバランスが崩れているんだ。黄色の魔石の時なら、多分、誤差になるレベル」


 レンは最初の結界杭に戻って、周辺の魔力の流れを丁寧に調べ始めた。

 柵の外でレンが地面を調べていると、ラウロがやってきた。


「レン殿。村長と話をして、結界杭の確認と、必要なら修復の許可は貰ったが、どうだね?」

「結界杭そのものは正常に見えます。原因は調査中です。黄色の魔石を入れてた頃なら、多分、誤差として検出できなかっただろうレベルの異常だと思いますが」

「……どうか、解決して欲しい。村が減るのは国家にとっての大事であるが、なにより、そこに住む平民たちの暮らしが崩壊することを意味する」

「ええ。約束はできませんが、頑張ります…………アレ?」


 レンは跪き、地面に両手を当てた。


「ここだ……ここで魔力が弱まってる」


 レンの言葉に、クロエもレンの真似をするが、魔力の僅かな変化を感じ取れず首を傾げる。


「魔力が弱まる? レン、詳しく」

「とは言っても、原因は分からないんだよ。ただ、ここで地面の下の魔力の流れが急に弱くなってる。結界杭は、内部の聖銀ミスリルを魔力が通って、他の杭との間に魔力の道を作って、その上に結界を生じさせるってのは知ってるよね?」


 レンの問いに、クロエは頷いた。


「地下に魔力の経路ができることで、結界杭の魔石の魔法陣が完成され、結界が生じる。その際に、杭内部の聖銀ミスリルが少しずつ消耗する」

「ちゃんと復習したんだね。その流れた魔力がここで弱まっているから、結界にほころびができているんだけど……ラウロさん、ここに穴を掘っても?」

「修復のために必要であるなら、私が話を付ける。好きにするがいい」

「では……」


 レンは土魔法で目の前の土から石のように硬い壁を作り出す。

 壁が大きくなるにつれ、地面には穴ができ……。


「レン殿? さすがにコレは大きすぎるぞ」


 レンたちの目の前に、直径は1メートルほどだが、底が見えないほどの大穴が口を開けた。


「いや、俺が使った魔法は、深さ2メートルくらいまで穴ができる程度なんだけど……」


 魔力が流れるのは深さ1,2メートルほどなので、レンはその程度の穴を開けるつもりで魔法を使ったのだが、実際にできたのは深さ数十メートルはあろうかという大穴だった。

 ライトになるナイフの鞘を片手に覗き込もうとするクロエを、悲鳴を上げてエミリアが制止するほどに、その穴は危険そうで、落ちたらまず命はなさそうだった。

 それに、レンの魔法によって多少圧縮されているとは言え、足元部分は土でしかない。穴に近付いて崩落すれば、よくて大怪我というレベルである。


 と、ジェラルディーナが悲鳴を上げた。

 ブツブツと何か呟いていたライカが、ひょいと穴に飛び込んだのだ。


 慌てて穴に走り寄ろうとするジェラルディーナを、レンは落ち着いた表情で押しとどめる。


「大丈夫。あれは魔法だから。ライカは飛べるから……まったく、ライカも一言断ってから飛べば良いのに。人騒がせな」


 そして、ほんの十秒ほどでライカは戻ってきた。


レンご主人様。穴の大きさはそんなに広くありません。穴と言うよりも亀裂というのが正しいですわね。ただし、とても深いですわ、それと亀裂はあちらの方向に向かって伸びてましたわ」


 ライカは村の外の方向を指差した。


「何でまたそんな場所に村を……ああ、でも、岩まで穴を掘らなけりゃ、分からないか。もしも気付いたとしても、でっかい岩が埋まってる程度の認識だったのかもしれないし……岩っていうか、これ、岩盤レベルだけど」

「レン殿、このような大穴、対処は可能なのだろうか?」

「ええと、まず、結界杭対策としてなら魔力が通りやすいように、地下に聖銀ミスリル混じりの石の橋でも渡して置けば済む話です……穴そのものをなんとかするというのは、少し面倒ですね」


 出来ない、ではなく、面倒というレンの言葉に、ラウロは目を見開いた。


「埋められるのかね?」

「ええと。例えば亀裂はそのままに、亀裂の上部にストーンブロックを並べて蓋をするという方法があります。ただ、これは簡単ですが、いつかストーンブロック以外が崩れる危険があります。後は、他から大量の土砂を持ってきて埋める方法と、亀裂の内部をストーンブロックなどで埋め尽くす方法ですかね……前者は土砂を運び込むので、その分、どこかに大穴が出来てしまいます。後者はどれだけ時間が掛かるか分かりません」

「村の外に大穴が出来る程度なら問題はないだろうが、運ぶのも大変そうだな」

「いえ、土砂の山を作ることができれば、ひと山単位でアイテムボックスに収納できますから」


 そんなレンの返事にラウロはやや苦笑しつつも、レンならどうするのかと尋ねた。


「ふむ……レン殿としてはどの方法が適切と考えるかね?」

「……例えば、結界はさっき言った石の橋を作る方法で正常化して、土砂で埋めるのは村人に任せるというやり方ですかね」

「村人に直せるものなのかね?」

「見た感じ、どこかに繋がったりはしてなさそうですからね。毎日バケツいっぱいの土を流し込めば、いつかは埋まるでしょう」


 別の穴に繋がっているとか、地下水が流れているとかであれば別だが、そうでないなら入る土の量には限界がある。埋め終わるまで何年か掛るだろうが、掛る時間を許容できるなら、いつかは埋まる。

 レンの言葉に、ラウロは道理だな、と頷く。


「……今後、同じようなことがあったときに、レン殿がいるとは限らぬのだから、村人に直し方を教えておくという意味では、間違いではないのだろうな……分かった。村長にはその方向で話をしておこう」

「助かります」

「しかし、そうなると、今日はこの村に泊まりになるか」

「そうですね。橋を作る程度なら今日中に出来ますけど、結界が本当に安定するのかは一晩くらい時間をおいてから確認したいし……そうなると出発は明日になりますね」

「宿の手配も必要になるな。しかし、村に宿屋などあるだろうか?」


 ラウロの後ろに控えていたファビオが返事をする。


「この村に宿はありません。空き家を借りられないか、掛け合ってみましょう」

「うむ。早急に手配を」

「あ、毛布と食料ならかなり余裕があるので、必要ならライカに言って下さい」

「しかし、護衛が護衛対象から荷物を借り受けるのはどうなのだ?」

「護衛が寝不足の方が問題ですから。しっかり休むのも仕事だと思って下さい」


 そしてカミーラの村での宿泊が決まったあと、村長から宴に誘われた一行は、酒こそ飲まないが、賑やかに食事を楽しむのだった。

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