第110話 海への道のり――神託と古い家

 地元への各種根回しはトップダウンで行われることになった。

 ラウロから子爵に、王宮で監修している小型の結界杭があるので、街の近場で試用してもらいたい、という『依頼』をして、子爵がそれを受諾。

 その対価として、ラウロは森の中に、現場である川までの道を通すことを約束し、翌日中の完成を予定していると告げる。


 それまで公爵からの頼み事ということで、やや舞い上がり、紅茶の香りを楽しんでいたテオドロ・ブレロ子爵の顔が青ざめる。


「あ、明日中ですか? 何名の動員をお求めでしょうか? この街にも魔法使いはおりますが、人数は限られますので……」

「この街の錬金術師……結界杭の補修が出来る者と、冒険者ギルドの代表者で、合計2名だな。基本的に作業はこちらの者が行う」

「そんなにも人員を連れてこられたのですか? 門番からは、10人に満たないと報告を受けておりましたが」

「うむ……結界杭の補修な? あれを指揮した、王家からの信頼厚いエルフがいるのだ。その者が、道を通して川沿いに避難小屋を作る程度なら、何事もなくて数時間。何かあっても半日程度で対処できると言っておる。私も彼らについて調べたが、記録が間違いではないかと何度も目を疑うような勢いで廃村を復活させ、学園を作り上げている」

「しかし、現場を見もせずにですか?」

「いや、ある程度は見た上での発言だな」

「バルバート公爵がこの街に見えてから、まだ半日も経過しておりませんが?」


 テオドロの言葉にラウロは深い溜息をついた。


「そうだ。半日だ。おかしいよな? 普通に考えてあり得ないと思うだろ?」

「え? ええ、まあはい、そう思いますが?」

「だが、国の調査結果も、内務うちつかさの記録も、王太子殿下のお言葉もすべてがそれが事実だと告げているのだ。信じるのが臣下の責務ではないか」

「はあ……それはそうでしょうけれど……そうしますと、その王家からの信頼厚いエルフ? そのエルフは、到着して半日も経たない内に森の中の視察を行い、明日は川までの道を通す、と?」


 多くの街は川に近い場所に作られている。

 場合によっては川の上に基礎を作って、川を天然の下水とすることもあるし、そこまでしなくても、川の水を下水として使うのは、この世界の街や村にとっては標準的な手法だった。


 ブレロの街の場合、街道と川の位置関係の影響で、川の本流から街までは500mほどの距離がある。支流であれば街の横を流れているが、そこまでなら道を通すまでもない。

 本流までは森林地帯で、それなりに人の手は入っているが、道を作れるほど拓けているわけではない。

 普通に道を通そうとするなら、木を伐り、根を掘り出し、地面を水平にする必要があるし、埋めた地面が落ち着くのを待つ必要もある。それに何より、道幅分だけ切り開けば良いというものでもない。

 安全な道を目指すなら、道の両脇には何もない、そこに魔物が潜めないような空間が必要となる。

 だから、テオドロの常識では、そうした道を作るのには、大変な時間と労力が必要になるはずで、いきなり今日来て、「明日完成する」などと言われても信じられないというのが正直なところだった。


 それに、工事を行う者が森に入れば、それなりに大きな物音が発生するため、魔物に狙われる。

 だから、もしもテオドロが森に道を作ろうとするなら、護衛として冒険者を雇い、私兵も使って全力で人足を守らなければならない。


 それらを鑑みて、テオドロは、


「明日の工事? それは可能な範囲で構いませんので」


 と返すのだった。




 翌日。

 クロエは街で散策を楽しみ、その間、レン達が工事を行うこととなった。

 クロエも参加したがったが、さすがにエミリア、フランチェスカがそれを許さない。


 散策に出たクロエは、生あくびをかみ殺しながら、街の、ひと気の少ないエリアに足を運んだ。


 裏通りは、別にスラムという訳ではないが、表通りと比べて、様々な面で人目を気にしない造りになっていた。

 一言で言えば乱雑である。

 デパートの売り場スペースと、バックヤードの違い、というのが近いだろうか。

 場合によってはコンクリート打ちっぱなしの箇所があるバックヤードと、化粧板などを綺麗に貼り付けた売り場スペース。

 丁寧に客の動線を意識して展示品を置いた売り場スペースと違い、バックヤードには様々なものが乱雑に置かれている。そんな違いである。


「クロ……お嬢様、なぜこのような場所に?」

「こういう場所を見ておくのも務め?」


 そう答えつつも、クロエは自分でも分かっていないようで、首を傾げていた。


「誰かにそのように言われましたか?」

「……内緒」


 クロエのその返事から、恐らくはレンに何か言われたのだろうと判断したフランチェスカとエミリアは、クロエと共に、裏通りの雑多な街並みを見て回るのだった。


「あ、あった」


 何かを見付けたクロエは、廃墟にも見える小さな平屋の一戸建てを見付けてそちらに近付いていく。

 その建物を見て、エミリアとフランチェスカ、それにラウロとジェラルディーナの警戒が一気に高まる。


 小さな平屋の一戸建て。というのは、それだけ異質だった。


 裏通りには、道に荷物を置いている。

 安全な土地は貴重だから、そのように物が溢れることはある程度仕方のないことである。

 それなのに、その廃墟にも見える一軒家は「平屋」で「一戸建て」で「小さい」のだ。

 考えるまでもなく、平屋よりも二階建てにした方が床面積は広く取れる。安全な土地を有効活用するなら、そういう選択肢が現れる。だからまず、平屋というのが異質。

 そして、一戸建てである。となれば、土地を占有できるだけの金なり権力なりがそこには働いている。

 しかし、建物は小さいのだ。金や権力があるなら、大きく土地を使うこともできるだろうが、そうしていないという部分がまた異質だった。

 更に、庭には家庭菜園まであり、見慣れない草が生えている。エミリア達護衛の目から見て、土地の使い方が目茶苦茶だった。

 その上、建物はよく見れば、ちぐはぐだった。

 木造部分は、木の脂がすっかり抜けて灰色になっているが、石で作った部分の一部はまるで新品だ。石の土台の上に灰色になった木造部分が乗っている部分もあるのだから、後から石造りの部分を作り替えたとかではなさそうで、それもまた、なぜそんな事になっているのかと、見る者を混乱させる。

 そんな建物が、廃墟のような佇まいで裏通りにひっそりとあり、クロエはそこが目的地だという。


「お嬢様、そもそも目的地があるのなら、最初から話してください」

「目的があるのどうかも怪しかった」

「……どういう意味ですか?」

「多分、神託?」


 クロエの返事を聞き、エミリアはクロエの顔を隠すようにクロエを抱きしめ、フランチェスカは周囲を警戒する。

 そして、エミリアはクロエの耳元で、


「本当ですか?」


 と囁く。


「いつもと違った。聖地から離れてマリーを経由したからかもしれないけど、いつもと違って記憶にはあまり残らなかった。はっきりしないから言わなかったけど、あれ、夢で見たのと同じ建物。だから、多分神託?」

「誰が聞いているか分かりません。その言葉は使われませぬように」

「分かった。苦しい、離して」

「それで、その夢はどのようなものだったのでしょうか?」

「曖昧。ただ、裏通りのこの家に入って、奥の本棚の横の石で出来たチェストに、本棚の本を3冊入れる、みたいな?」


 なるほど、それは異質だ。とエミリアは頷いた。

 これまでクロエが受ける神託は、神の前でその言葉を賜るという形式が多く、必要があれば、その際に様々な場所に連れて行ってもらうという形を取る。

 例えば、レンに関する神託は、リュンヌからの伝言をソレイルから聞くという形で行われたが、その過程でレン達が聖地の岩山に穴を開けて生活する様を見せられたりした。

 その場所を見せられる、という点では、それと、今回の神託はとてもよく似ているが、


「お言葉は賜らなかったのですか?」

「うん。こんなの初めて」

「……何がどうなっているのか説明を頼めるか?」


 エミリアがクロエを抱きしめ、フランチェスカが警戒に入ったのを見て、ラウロとジェラルディーナも抜剣こそしなかったがそれぞれ得物を鞘ごと構えて周囲の警戒をしていた。

 が、周辺には人影がないため、ラウロがフランチェスカに説明を求めた。


「敵はいません。周囲に目と耳がないか、警戒をしただけです。ここでの詳細な説明は憚られますので、しばしお待ちを」

「ふむ。ジェラルディーナ。警戒解除」

「は」


 エミリアとフランチェスカは顔を見合わせると、目の前の小さな家の門扉に手を掛ける。


「おい、勝手に入るのか?」

「おそらく、それが正しいのでしょうから……中で説明します」


 ラウロはジェラルディーナにこの家について調べるようにと命じ、クロエ達の後を追うのだった。




 小さな両開きの鉄の門は、フランチェスカが軽く触れただけで音もなく開いた。

 玄関の前でエミリアがノックをすると、まだ若い青年が出てきた。


「おや、お客さんか。珍しいな」

「エミリアと申します。こちらは私がお仕えするお嬢様です」

「これはご丁寧に……ええと、それで? どういった御用向きでしょうか? 商売のお話ですか?」

「……その、表では憚られるお話ですので」

「ああ、これは失礼、中にどうぞ……とは言ってもこんなに入れるかな」


 屋内は、日本風に言うと1LDKで、構造はほぼ正方形だった。

 外から見ても小さな家だったが、中に入るとその狭さが際立つ。


 リビングにある本棚と、石で出来たチェストを見て、クロエはエミリアの耳に


「間違いない」


 と囁いた。


「さて。それで、どういうお話を聞かせて貰えるのかな?」

「あ、はい。その前にあなたのお名前は?」

「ウーゴ。錬金術師のウーゴ」

「ああ、だから庭に薬草が」


 クロエがそう呟くと、ウーゴは嬉しそうに破顔した。


「お、分かるのかい?」

「私も錬金術師だから」

「……待て。本日、この街の錬金術師は森に出ている筈だが、ウーゴ殿はなぜここに?」

「ああ、師匠のことも知ってるんですね。トニオは僕の師匠ですよ」

「ウーゴは初級?」

「あー、うん。まだ初級。この前、師匠が中級になったことで、僕は弟子にして貰えたんだ……それで、そうするとここに来たのは師匠の関係? アレ? でも不在って知ってたよね?」

「……」


 クロエは押し黙った。

 そして、おもむろにポーチから中級の体力回復ポーションを取り出す。


「これ、私が作った」

「君は……いや、あなたは中級なんですね? それで、これでどうしろと?」

「身の証し?」

「あなたの? いや、ならないでしょ。でも護衛をこんなに引き連れて、その気になれば僕なんかとっくに制圧されてるだろうし、物取りの類いじゃなさそうだとは思ってますが……でも、あなた中級の錬金術師なら、ポーションを買いたいという話じゃありませんよね? そうすると、どういう御用向きでしょうか?」

「……エミリア?」


 やや憮然とした表情でクロエがエミリアを呼ぶ。


「承知しました……それでは、錬金術師であるウーゴ殿には、今から明かす秘密を守ると約束して頂きたい」

「ん? ああ、それはもちろん」

「私は神殿の騎士。そして、こちらのお嬢様のお名前はクロエ様……神託の巫女様です」

「は? あ、いや、でもだって錬金術師……え?」

「そして、クロエ様がこちらに来たのは、一種の神託によるものです」

「神託? こんな寂れた錬金術師の事務所に? え? 一種の神託って何?」

「いつもの神託とは異なっていて、神様のお言葉を賜ることはなかったそうですが、夢で見たままの景色が続いていることから、一種の神託であると想定しています」

「神託の巫女様が錬金術師だなんて聞いたこともないんだけど」

「あなたはクロエ様の生まれた日付を知っていますか? 好きな食べ物は? 公開していない情報は幾らでもありますよ」


 なるほど、と、やや落ち着きを取り戻したウーゴは理解を示した。


「……分かりました。神託の巫女様だとしてお話を伺いましょう。憚られる話と言っていたのはそれが理由ですか? それで、神託はここの事務所を指し示したと? 一体なぜ?」

「今回はお言葉を賜ることがなかったので分かりかねます。ですのでこちらに足を運びました」

「足を運んで、それで?」

「……本棚とチェストを見せて貰いたい」

「……そこにある本棚ですか? チェストはガラクタが入ってるので、あまり見せたくはありませんが……まあガラクタしか入ってませんから別に師匠の許可は必要ないでしょう」


 ウーゴの許可を得て、クロエは本棚の前に立つ。

 そして、夢の内容を思い出しながら、3冊の本を選ぶ。


「本はどれでもいい……と私は夢の中で言ってた……あ、今の言葉を聞いたのかも?」


 そしてクロエはチェストを開く。石で出来たチェストの蓋はほとんど重さを感じさせることなく、音もなく開いた。

 中身はウーゴの言葉の通り、ガラクタ――古びた工具を詰め込んだ箱など――が詰まっていた。

 その乱雑さは、エミリアが思わずクロエを守ろうと前に出るほどだった。


「で、ここに3冊を入れる」


 クロエは本をチェストに入れ、蓋を閉めた。

 まず、ウーゴ、クロエがに反応した。エミリア、フランチェスカも警戒を強める。


 チェストが置かれた床面から強い魔力が発生したのだ。

 魔力感知を鍛えている者であれば分かる程度の魔力が室内を横切り、奥の壁が崩れた。


「なにごと?!」


 ジェラルディーナが崩れた壁に向き直り、クロエとの間に入って短槍を盾のように掲げ、エミリアはクロエを抱きしめる。フランチェスカは剣に手を掛け、クロエの横に立つ。

 同時に、ラウロは一歩退き、反対側の壁などに視線を向ける。


「あー、なんてこった、師匠に怒られるよ、これ。どーするの、壁をこんなにしちゃってさ」


 ウーゴは何の警戒もなく崩れた壁に近付こうとする。


「新築できる賠償金を支払う。静かにしていろ」


 フランチェスカはそんなウーゴに近付き、腕を引いて床に転がすと、ポーチから長目の棒を取り出し、それで崩れた瓦礫を突く。

 瓦礫は漆喰で固めた石の山で、特に何かが潜んでいる様子はない。

 ただ、壁の穴の奥に、地下にまっすぐ繋がる穴があるのが見える。


「フランチェスカ、これ」


 クロエは自分のナイフを鞘ごと抜き、それをフランチェスカに渡す。


「……お借りします」


 フランチェスカはナイフの鞘に魔力を通し、照明魔法を起動して穴に近づく。

 懐中電灯で穴を照らすと、壁面に凹凸があるのが分かる。それはまるで、ハシゴのように等間隔に続いていた。

 見える範囲で判断するなら穴の深さは3mほどで、その先に通路のようなものが見える。

 通路には照明魔法が灯っているようで、懐中電灯を消すと、その明かりが穴に漏れているのが見えた。


「降りられるように壁面に凹凸があり、通路に降りられるようになっています」

「貴様は何か知らんのか?」


 床に転がったウーゴにラウロが尋ねると、ウーゴは知らないと首を横に振る。


「あ、でもそういえば、この家は英雄の時代に作られたもので、土台や基礎はギルドの建物と同じ材質だとか聞いたことがある……かな?」

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