第108話 海への道のり――スローライフのオトモと契約
話をまとめたライカとレンは、借りた家でレベッカたちと合流した後、ラウロを伴って村長の家を訪ねた。
「はぁ、食料の援助ですか。大変ありがたい申し出ではありますが」
ライカからのカルタの村への――より正確にはそこで飼育されている犬猫たちへの食料援助の話を聞き、村長は困ったようにそう答えた。
「いつ打ち切られるか分からない善意の食料援助では不安、ですわよね?」
村長の返事を聞いたライカがそう言うと、村長は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。
「大変失礼とは存じますがその通りです。援助を前提として、頭数を増やしてしまった後で、その援助がなくなったらと考えると……」
「では、援助ではなく支払い……現物支給という形では如何でしょうか?」
「支払い? 何に対する対価ですか?」
「犬や猫たちによる慰問、ですわ」
「慰問ですか? この村では珍しいものではありませんが? どちらの家に慰問に行くのでしょう?」
村長は首を傾げる。
そこに齟齬があると見て取ったレンは、口を挟んだ。
「他の街や村への慰問ですよ」
「! 無茶を仰らないでください。結界の外に出るなど。しかも足手まといになる犬や猫を連れて?」
「安全は私の権限の及ぶ限り保証いたしますわ。まず、雇い主は私。ライカ・ラピスです。暁商会、黄昏商会の番頭……いえ、黄昏商会の方は元番頭ですけれど。加えて王立オラクル職業育成学園の校長ですのよ」
「お貴族様と一緒でしたから、まあ、立場ある方たちだろうとは思っていましたが……あの黄昏商会の……」
学園のことは知らなくても、長年、各地の村まで行商をしに来ていた黄昏商会の名前は村長には馴染みが深く、だから、ライカの話をもう少し聞いてみようという気にさせた。
「しかし、元番頭さんということでは権限は少ないのでは?」
「こちらのレン様が黄昏商会の会頭ですの。そして私はレン様の義理の娘ですのよ?」
この世界の商店は親族経営が当たり前で、だからライカのその言葉は、権限はすべてその手の中にある、というに等しかった。
「……なるほど。会頭の娘さん……」
「黄昏商会は創業600年の歴史ある店ですが、王立オラクル職業育成学園は王立ですわ。ですから、権限としては学園の校長の方が大きいですわね。あなたの望む立場で契約しますわよ。それに私は長命のエルフです。契約は百年単位でも問題ありません」
「……それで、具体的に慰問というのは?」
「やり方は契約によって変りますけれど、年に2回、ここから王都までの間の街や村を回って頂きたいのですわ。もちろん、結界の外は危険です。ですが、黄昏商会の行商人と共に移動であれば、護衛もいますし、今は結界棒も使えますから、比較的安全に移動が可能ですわ。もうひとつは王立オラクル職業育成学園の生徒が護衛する方法ですわね……正直、今の時点では、学園の生徒よりも強い冒険者は少ないですし、彼らにも結界棒を渡しますわ」
「結界棒? それはどういうものでしょうか?」
結界の外で活動する者なら名前くらいは聞いたことがあるだろう結界棒だが、村から出ずに生きてきた村長には初めて聞く名前だった。
「以前から、たまに迷宮で発見されることがあった品で、個人で携行可能な結界杭とほぼ同じ効果が得られる棒ですわ」
「そんな品が……ですが迷宮の品ではかなりお高いのでは?」
「この村の結界杭も修復されていますわよね? 詳細は秘密ですが、その方法を齎した者が結界棒の作成方法も齎しましたの。素材に珍しい品が含まれますのでお安くはありませんが、作れる品である以上、値段はかなり低くなっていますわ……それで、それを護衛が何セットか所持しますので、比較的安全な旅をお約束できますわ」
「……それで、犬や猫を連れて王都までの街や村を回るのでしたね? 」
ライカは頷く。
「ええ、その目的は3つありますわ。まず、犬や猫という動物の存在を広く知らしめること。長命なエルフであれば犬猫が人間のパートナーであることは覚えていますが、多くのヒトはそれを忘れて久しいです。その状態を正すのがひとつめの目的ですわ。結界杭の修理が行われ、これからは食料生産が活発になりますから、数年以内には各地でも犬や猫を飼育可能になるでしょう。ですが、犬や猫の存在を知らねば、飼育しようという発想に至りません。だから、まず知ってもらうことが大事だと思うのです」
「確かに、結界の維持のためにイエロー系の魔物を狩る必要がなくなれば、それなりに余力は生まれますが……数年でそこまで回復するものですか?」
「結界杭の修理方法を齎した者は、他にも様々な品の作り方、人間の育て方を伝えました。今は国が主体となって放棄した村を回復させていますし、肥料のポーションも普及させ始めています。廃村となっていた村や畑を管理する人手が足りないという問題もありましたが、新たに製造可能となった中級の体力回復ポーションも流通し始めていますのよ。怪我で引退せざるを得なかったヒトが復帰すればその問題は解消されますわ」
「回復ポーションの話は聞いておりますが……なるほど、全てがうまく繋がっているのですね……それで、残りの目的をお聞きしても?」
「ふたつ目は人間全体の心の健康ですわ。この村の村長さんなら、犬や猫に触れることで心が落ち着いたりすることはご存じですわよね? 私たちは実際にそういう効果があるものと考えていますの。だからまず触れる機会を設けて、その存在を広く周知し、必要なら飼えるように環境を変えていきたいのですわ」
アニマルセラピーは、別に犬や猫に限ったものではない。
馬や牛、豚、兎であっても同様の効果はある。何なら、性格が良ければ鶏でも構わないので、犬猫を飼うことが困難な現在であってもその気になれば癒やされることは可能である。
だが、基本、何も芸のない家畜に餌を食べさせる余裕はない。だからこそ、犬猫は人間の世界では過去の生き物となってしまったのだ。
馬や牛は労働力なので違うが、それ以外は食用である。
可愛い、心が通じ合った、癒やされた、という相手を食べるために絞めるのは、それはそれで精神的にキツいものがある。
そして、この世界において、馬は牛はそのサイズから全ての家にいるものではない。
だが、犬や猫であればその問題はなくなる。
小さな家の庭先でも飼えるし、何なら村の中で放し飼いにして、愛でたい者だけが愛でるのでもよい。
愛玩動物であるため、労働力である馬や牛とはその辺りの扱いが決定的に異なるのだ。
「そういう目的であれば兎を食べずに飼うだけでもよいように思いますが」
「ええ。それでも構いませんわ。でも折角、ここに犬と猫がいるのです。世界中に広げても良いのではないでしょうか?」
「……三つ目の目的は?」
「とても私的な事ですわ……私たちもいずれ、犬や猫を飼いたいと思っていますの。ですが、今は難しいので。それが可能な世界になるようにしたいのです」
これは主にレンの希望だった。
科学が発達していない世界でのスローライフと言ったら、まず規模はともかく農耕などの一次産業に従事する、というのがレンの考えだった。
その上で、錬金術師その他のクラフト系の技能で生活を楽にしていき、必要なら新しい職業を学んで行く。
だが、それだけでは潤いがない。
性欲がヒト種並であればまた別の、欲望にまみれた生活もあるだろうが、常時賢者状態のエルフではそちらの方向には意識が向かない。
だからただ純粋に愛でるために、愛玩動物を飼いたいと考えていたのだ。
カルタの村に来るまで、レンは犬や猫の姿がないことに気付いていなかった。
そして現状を知った以上、それを改善するのは、レンのスローライフに必要なこととなったのだ。
(やっぱりスローライフなら、ペットと一緒がいいよな)
レンの中のスローライフのイメージは、自然豊かな環境で家庭菜園と釣りと狩りをして、自分が食べる分の多くを自給し、たまに何か作っては街で売ってお金を得る。というもので、そのイメージの中のレンの足元には、犬種は明らかではないが、中型から大型の犬がいた。
狩った獲物を分け合い、遠出をするときは並んで歩く。
犬がヒトよりも更に短命なのは勿論レンも理解しているが、だから、一匹の犬ではなく、ある犬の血統を眺めて過ごすのも悪くないと考えていた。
同じではなくても、仲良くなった犬の子孫であれば、甘え方や癖が似ることもあるだろう。と。
「目的は理解しました。それで、年に2回、ここから王都までの間の街や村を回ることの対価として犬猫たちの食料を援助して頂けると?」
「ええ。契約期間はそうですわね。向こう50年。例外項目は設けますが、基本的に契約破棄はそちらからのみ申し出ることができる。という形で如何でしょうか。援助の内容は主に魔物の肉や内臓などで人間の食用には適さず、廃棄するようなもの。量は、今育成に使っているのと同じ分量を上限として、あなた方が必要な量を提示してください。飼育頭数などによって変動もあるでしょうから、」
「……今使っている分量というと、かなりありますが?」
「数字を出してくだされば対応しますわ。王立オラクル職業育成学園ではかなりの量の魔物を日常的に狩っていて、可食部分は自分たちで食べ、残りは他の街や村に送っていますのよ。食べられない部分は肥料に加工したりもしていましたが、肥料ポーションによって、旧来の肥料の使用量が低下していますの」
「助かりますが……ものが生ものですから、運搬頻度は数日おきでしょうし、その護衛だけでも大変な金額になるのでは?」
『碧の迷宮』の世界は高温多湿であり、肉などは何の処置もしなければ数日で確実に腐る。
廃棄する部位が多く出るとしても、腐る前に届けるにはかなりの費用が必要になるだろう、という村長に、ライカは問題ない、と微笑んで見せた。
「生鮮食料の輸送に、
「作られる、ですか? あれは迷宮からしか産出しないから、高値がついていた筈ですが」
「様々な変化が始まっていますのよ? その結果として、近いうちに食料の問題は解決すると考えていますの。そうなれば、昔のように犬や猫が飼えるようになりますわ」
「なるほど……お話は理解出来たと思います……食料の援助はとてもありがたいお話です。が、私には、今のお話を受ける権限はありません。ブレロ子爵の許可を頂かなければ……」
知っているか、とレンが視線をライカに向けると、ライカは小さく頷いた。
「次の街の領主様ですわ。ブレロ子爵は堅実な方針で領を治めています。カルタの村という、昔から続く特異なケースもありますが、それも、他が堅実だから犬や猫を生き延びさせる余裕があるのです」
レンがなるほど、と頷くと、後ろに控えていたラウロが前に出た。
護衛としての立場でずっと控えていたラウロだが、
「許認可、ということなら、私が力になれると思うが……失礼。ここでは護衛のラウロとだけ言っていたが、ラウロ・バルバート。公爵だ」
と口にした。
それを聞いて、村長の顔色が青ざめる。
相手が身分を隠していたとしても、それはそれ。公爵ともなれば王家の関係者であり、不敬があれば罰せられることもある。
身分制とはそういう理不尽なものなのだ。
「こ、公爵様でしたか。これは大変な失礼を」
「良い。今は護衛としてここにいる。身分を明かしたのは、ただ先ほどの賢い生き物のために一肌脱ごうと思っただけで他意はない。ブレロ子爵の領政に口は挟めぬが、もしも村長殿がこのふたりの話に乗り気であるのなら、私がこのふたりのエルフの身分を保証する。という一筆を書いて与えよう」
「は……感謝致します……しかし、公爵様が護衛となると、あの護衛対象の少女はいったい?」
「王家からの指示である。詮索は無用だ」
「承知しました……それで、こちらのお二方の身分とは? 手紙に書かれる内容を聞かれたとき、何も知らないと答えるわけにもまいりませんので、教えて頂けますと幸いです」
「なに、そちらのライカという女性は自身で述べたとおり。黄昏商会の元番頭で、結界杭の修復などでも活動している暁商会の番頭。かつ、それらの活動の拠点となっている王立オラクル職業育成学園の長だ。レンの方は黄昏商会を立ち上げた会頭。暁商会も同じくだ。加えて、王立オラクル職業育成学園で教鞭を執ることもある。王立オラクル職業育成学園では、効率よく各種職業のレベルを上げる方法が編み出されており、学生達が日夜訓練で魔物を狩ってくるため、先ほどの話にあったように、肉は腐らせるほどに余っている。狩った獲物から肉を取らず、次の魔物を呼ぶための撒餌として使うこともあるほどだ」
旅に出る前に訓練を受けていたラウロは、学園の様子をそのように語った。
常に同じではないが、確かにラウロが述べたようなことは行っているため、レンもライカも口は挟まない。
「なるほど、実際に肉があまっていると仰るのですね。それはこの先も続くのでしょうか?」
「うむ、それは分からんな。職業レベルをあげたいと望む者は多い。しかし、学園で学んだ知識を用いて弟子を育てることは推奨されているため、今後も同じペースで学生を受入れ続けることができるのかは分からんし、そうなったとしても、同じペースで魔物を狩れるのか。狩り尽くさないかという心配もある。だから分からん」
「……今は唯一の学園でも、これから私塾が増えれば、学園の生徒は減るでしょうね」
「そうなったときに同じ分量の肉をどうやって入手するのかは私には分からぬが、それを考えるのは彼らの仕事だ。ただ、本人達がやると言っていて、彼らの今までの実績から、口だけということはおそらくない。また、その身分は私が保証する。後は万が一を考慮したしっかりとした契約を結べばよかろう……私に出来るのは彼らの身分の保証だけだ。おそらく尋ねれば王宮からもそうした返事が齎されるだろう。彼らにはそれだけの実績がある」
村長は少し考えてから、ライカに向き直った。
「契約については私の立場では、この場でお約束は出来ません。ただ、ブレロ子爵に相談するための……契約書の叩き台のようなものを頂けないでしょうか。そして、子爵から許可が出たら、こちらから伺おうかと思いますが、普段はどちらにいらっしゃいますか?」
「サンテールの街で、領主の屋敷で連絡を取りたいと伝えてください」
間に貴族を通した方が安心するだろう、とレンは敢えてそう答えた。
が、ライカから袖を引かれる。
「お待ちください、
「そうか、旅に時間が掛かるのを忘れていたよ」
「それでは、今から文面を起こしますので、村長さん、確認してください。それとラウロさん、ありがとうございます。そのついでと言っては申し訳ありませんが、ファビオさんをお借りできますか? 契約書の文面の意見を求めたいのです」
「うむ。承知した」
そして、一時間ほどで叩き台は完成した。
契約は、村と学園の間のものとし、必要なら村を子爵に変更しても良いようになっている。
提供を確約する肉の上限は現在の消費量までとして、その用途は犬と猫の飼育のためと限定される。輸送、護衛、肉そのものは、定期的に行われる慰問の対価となる。
肉の輸送と保管に必要となる品はライカが提供し、村、または子爵は、契約書に記された目的にのみそれを使うことができる。
契約は50年で、自動更新される。契約破棄は村からのみとするが、例外として、村や子爵が問題を起こし、継続が不適当であるとの国の判断があった場合は、学園側からの打切りを可能とする。
提供する肉については学園側が選定するが、第三者から見て、飼料として不適当である品を送ることはせず、そうした事例があった場合、村は学園に賠償を求められる。
ライカに不測の事態があった場合、レンが契約を継続する。レンにその権限がない場合、バルバート公爵家が契約を引き継ぐものとする。
と、概ねそのような感じで契約書のサンプルが作られ、必要であれば修正の要望は受け付けることとなった。
レン達が村長との話を終え、仮の宿として借り受けた民家に戻ると、クロエは遊びに来たシベリアンハスキーの首に抱きついて、首筋に頬ずりをしたままうとうとしていた。
「うん。まあ、できるだけ早く、こういうのがこの村の外でも見られるようになるといいな」
「……勘弁してください」
どうにも犬や猫が苦手なエミリアは、レンの呟きを拾って、そう返すのだった。
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