第104話 海への道のり――果物と兎
トリスターノとの会見の後、一行はクロエの希望で街の市場を巡ることとなった。
なお、レベッカは半日の休みを貰って実家に戻っている。
何かほしい物があるのかとレンが尋ねると、見て回るのが楽しいのだとクロエは答え、本日の護衛のフランチェスカもそうですね、と頷く。
「衣類はライカに頼んだ方が良い物が手に入るし、アクセサリーはあんまり興味ない。だから市場の雰囲気を楽しむ。あと買い食いもする」
「ブレスレットとか欲しがってなかったか?」
「あれは貰ってみたいだけで、ブレスレットそのものには興味ない。レンからもらった指輪もあるし」
変らぬ友愛の印として金剛石の指輪を渡したことを思い出したレンは、ああ、あれか、と苦笑を漏らす。
「そうすると今日は何を見るんだ?」
「キエザの街の周囲はイエロー系の魔物の生息域しかないから、文化的な物はあまり発達していない」
「文化的に発達していないと来たか。しかしそうすると、見る物なんてないんじゃないのか?」
衣類も工芸品も料理も、文化的な基盤がなければあまり発達しない。
この街では食料生産と戦う力が最優先となっており、多くの住民はそうした系統に進むことを選択する。
細工師も料理人もいるが、それは必要最低限に留まっており、そうした背景からキエザの街にはあまり文化的な活動は見られない。
「食べ物が豊富。料理は残念らしいけど、素材は豊富。とくに果物がよいとライカが教えてくれた」
なるほど、クロエの観光ガイドはライカだったのか、とレンはライカに視線を向ける。
「ええ、アレンギの村、キエザの街、コレッティの村と、周辺の全てがイエロー系の生息域ですので、キエザには冒険者が多く住みます。ラウロ様の訓練施設を兼ねた別邸があるのも、そうした背景が関係しているそうです。それはそれとして、この周辺の森ではミステリアスフルーツが採取可能です。あと、森の奥には珍しい獣が住むそうです」
「それを早く言え。採りに行くぞ……しかし、昔は森の奥に遠征しないと見付からなかったのに、ヒトが減って採取されにくくなった結果かな?」
ミステリアスフルーツ。別名リッチメロン。食用でもあるが、錬金術素材としても優秀で、その種は、幾つかの薬品の薬効を強化するという効果を持つ。
形状は細長いメロン。瓜やヘチマに似た形で、完熟すると実の表面がオレンジ色に染まる。
種はマスクメロンのように実の中央にまとまっており、種周辺に甘さが凝縮していることから、皮を分厚く剥いて種ごと食すのが通とされ、そのため、錬金術素材としてミステリアスフルーツの種が出回ることは少ない。
「お待ちください。先行させた者たちに買い付けをさせておりますので、商業ギルドに行けば手に入る筈です」
「あれが金で? 買えるのか?」
「ええ、この街の者にとっては貴重な甘味ですが、ギルドで依頼をして、時間とお金をかければそれなりに買うことはできます。先行させた者たちには、各地で幾つかの品の買い付けを内密に行うように命じていて、ミステリアスフルーツもそのひとつです。アイテムボックスを渡してありますから鮮度の問題もないはずですわ」
「分かった、商業ギルドに向かおう。クロエさんもいいね?」
「うん」
「なるほど。リッチメロンが買い占められていると聞いたが、お前達の仕業だったか」
後ろで話を聞いていたラウロはそう漏らした。
ラウロ自身は神託の巫女にそこまでの価値観を認めてはいなかったが、王家から命じられた以上は貴人として扱う必要がある。
だから、他ではあまり食す機会のないミステリアスフルーツを食卓に饗すようにと命じたのだが、素材があまり手に入らなかったと言われたのを思いだしたのだ。
「買い占め、まではやってませんわ? 私が指示したのは、商業ギルドに対して流通量の2割を売って貰うという契約ですもの」
「2割? うちの料理人は、流通量が半分以下になっているようだと言っておったが」
「でしたら商業ギルドの買い付けを知った誰かが、値が上がると思って買い占めたり売り渋ったりしているのかもしれませんわね……
「ならば、それを周知すれば、買った者は慌てて放出するのではないか?」
「それを行うにしても、商業ギルドの責任に於いてやって貰う必要がありますわ。私たちからは、買い付けは内密にと依頼しておりますもの」
ライカが内密に依頼するように命じたのは、依頼主の秘匿が目的だった。
ライカの指示は買い占めではないが、大量の買い付けは反発を受けたり、押し売りを呼び寄せることがある。
それを嫌っての指示であり、普通の商取引としては特に問題のない範囲であり、グレーゾーンにも掠らない。そのライカが周知に関われば、口止めをした意味がなくなる。
ライカのそんな説明を聞き、ラウロは
「それならば商業ギルドに問題を指摘しては貰えぬだろうか」
と口にした。
ライカは少し考えてから頷いた。
「ギルドから情報が漏れているのであれば、違約金なりを請求しますわ。ただ、商業ギルドが買い集めているのに誰かが気付いた、程度であれば、ギルドに責任は問えませんわ。その流れで宜しければ、現状を伝えましょう」
商売には買い手と売り手がいて、商品が移動する。
商業ギルドのような大きな組織がそれなりの量をあつめようとすれば、そうした動きがあることまでを秘匿するのは、ほぼ不可能であるとライカが答えると、ラウロは渋い顔をする。
「だが……いや、しかし、確かにそこまでは望めないか」
「公爵家の名前をお借りしても宜しければ圧力を掛けることは可能ですが?」
「……いや、今回は問題の指摘に留めて貰いたい。その上で、本件について私が興味を抱いているとだけ伝えて貰おうか」
「……それ、公爵家の名前で圧力を掛けたのと変りませんわよ?」
明示的な圧力ではなくても、街の領主の更に上の者が興味を持っている、などと言われれば、言われた側は何らかの配慮をしなければならない。
ライカのその指摘に、ラウロはその通りだ、と頷いた。
「構わん。明確な圧力ではないことが大事なのだよ」
「いっそ、圧力を掛けた方が、ギルドの人たちも安心すると思いますわよ?」
明確な圧力であれば、XXせよ、というゴールが明示される。
そうであれば、言われたことを言われたように行えば対処完了である。
対して、配慮を求めた場合はゴールが明示されない。
そうなると、配慮する側は相手の言いたいことを想像して対応しなければならなくなり、結果、不足がないようにあれもこれもとやることが増えてしまう。
だから、明確なゴールを提示してやるという意味で、圧力の方がマシだ、とライカは言ったのだ。
「いや、今回のようなケースは、相手に判断させた方が良い結果が得られるのだよ」
明確なゴールを提示するデメリットは、言われたことだけをやって終わったと相手が判断してしまう点である。
今回のように問題の根っこが判然としない場合、そのやり方では対処としては不十分となる可能性もある。
問題の渦中にある者が、十分な対処を行ったと判断できるまでは見て貰いたいのだ、というラウロに、ライカは
「理解した上で、という事であれば承知しましたわ」
と答えた
さて。
ライカとラウロがそんな話をしている後ろでは、クロエとレンの戦いとも言えない戦いが繰り広げられていた。
「食べる」
「いや、素材として確保するから」
と、そういう類いの戦いではあるが、双方真剣であった。
いつもなら「レンがそう望むのなら」と返すクロエが、今回は頑固だった。
「クロエ様? そんなにミステリアスフルーツが食べたいのですか?」
フランチェスカがそう尋ねると、クロエはそうじゃない、と首を横に振った。
「ちがう。聖域に持ち帰ってマリーやみんなにも食べさせる。私は自由に歩き回れるけど、マリーは聖域から出られないから、珍しい物はできるだけ見せてあげたい」
それを聞き、レンは、そういう事ならば、と譲歩することにした。
「……それにそういう用途なら、数は限られるよね? 幾つ必要? 30個くらいかな?」
レンがそう尋ねるとクロエは、指折り数えてから頷いた。
「お供えも考えると聖堂の村には8個。で、ここにいるみんなで3つ食べる」
「案外少ないな。ひとつを4人で分ける感じか? なら20個以上あったら11個を食用に回そうか。村へのお土産にもなるし」
などと話している内に一行は商業ギルドに到着する。
トリスターノとのあれこれがあった関係で、時間は既に昼を過ぎている。
この時間にギルドにいるのは時間のかかる手続きを行っている商人や、余所からかなり早めにきた商人が大半なので、建物の大きさに比して人が少ない。
商人は家に呼びつけるものと考えており、こうした場所に赴くことの少ないラウロは、物珍しそうに辺りを見回している。
ライカは受付で訪問の目的を告げ、先行したチームに持たせた割り符の片割れを提示した。
受付嬢は、確認しますと奥に下がる。
「内部の情報統制はしっかりしているようですわね」
「ん? ああ、少なくともあの受付嬢は、買い付けについて知らぬようだ、ということか」
ライカの呟きにラウロが反応した。
「ええ。これだけでギルドの問題の有無を判断出来るものでもありませんけれど」
少しすると、受付嬢が木箱を抱え、老紳士を連れて戻ってくる。
「お待たせしました。商業ギルド、キエザ支部、渉外担当のルカと申します。ライカ様ですね? こちら、確認出来ましたのでお返しします」
ルカは、ライカとその後ろに立つレンとクロエ、その他護衛に視線を走らせつつ、トレイに乗せた二枚の割り符をライカに手渡す。
「はい、訪問の目的は費用の支払いと荷物の受け取りですわ。これをもって、ミステリアスフルーツの買い付けは終了としてください。急なお話ですので、本日現在、買い付けの商談が進んでしまっている分については、商品は受け取りませんが、費用はこちらで支払いますわ。それと、今回の件について、うちが依頼した以上の数の買い占めが行われているようでして、ラウロ・バルバート公爵様がご興味を持たれているようですので、それだけお伝えしておきますわ」
「買い占め……確かに品薄になりつつありますが……単に、買い付けによって品薄感が出てしまった結果、慌てて買う者が増えたのだと考えているのですが……」
「貴族家の使用人が買いに出て、品薄であまり手に入らなかったと言っているそうですけど?」
品薄感が出て慌てて買い漁る程度なら、それは市場の当たり前の動きである。
当たり前の動きであれば、少なくとも貴族の関係者からの買い付けが影響を受けるようなことにはならない。
金払いがよく大量購入をしてくれる上、権力まで持っている顧客と、それ以外とを平等に扱うようなら、商人失格である。
ライカの言葉から、貴族の関係者が買えないならどこかに問題があるはずだと、ルカも気付いて顔色をなくす。
「それは……調査の上、適切な処置を行う旨、公爵様にお伝え頂くことは可能でしょうか?」
ルカはそう答えつつも視線はライカとクロエを等分に見ていた。
それに対し、ライカは少し困ったような笑みを浮かべる。
「ああ、誤解させてしまいましたわね。こちらのお嬢様はバルバート公爵家の方ではありませんの。ミステリアスフルーツを食べてみたいと言うことでしたので、お忍びでお連れしただけですわ」
「こ、これは大変な失礼を」
ルカは丁寧に頭を下げ、謝罪する。
「いえ、お気になさらず。公爵様にはあなたの言葉が届くようにしておきますわ。ところで、部下には誰の指示で買い付けを行ったのかは秘密にするような契約を結ぶように指示していますの。そのようになっていますかしら? 大丈夫? なら良かったですわ。もしもそれが違えられていた場合はそれなりの補償をしていただくことになるかも知れませんので、調査を行う際はその点も合わせてしっかりと確認なさってくださいましね?」
「お約束します……それで、お品物は今、お渡ししますか?」
「ええ。お嬢様がすぐにでも試したそうにしていますもの。費用はまずは内訳を確認し、問題なければ、今回の面倒な対応への謝礼として、その1.2倍の額をお支払いしますわ。本日分の商談などで金額に動きがあれば、その中で補填してくださいまし。その上で、補填ができないほどの額になるようなら、うちの商会までご連絡いただくということでよろしいかしら? ああ、余ったなら、今後の取引への期待を込めて、返却は不要としますわ」
「本日の商談分で、こちらに商品を頂けるのであれば、1.1倍の額で結構です。1.2倍ではどのように転んでも、貰いすぎですので」
「お任せしますわ……ところで、具体的な数字はどのようになっていますの?」
「はい。今朝時点の購入数と、それぞれの単価がこちらでございます」
書類にまとめられた数字に目を通し、ライカは首を傾げた。
「随分と価格にばらつきがありますのね。これは品質によるものかしら?」
「はい。オレンジ色に色づく際に、表面に格子状の模様が浮かぶのですが、その美しさによって値が変ります」
「味ではなく? それとも、味に影響するのかしら? ごめんなさいね。ミステリアスフルーツについては、そこまで詳しくありませんの」
「味への影響もあると言われていますが、皮を剥き、表面の模様を見ずに食べ比べて、違いが分かる人は少ないかと……錬金術の素材として必要とのお話は理解しているのですが、全流通量の2割を押さえるとなりますと、そうした品を入れないと、中々難しく……」
「ああ、別に苦情があるわけではありませんわ。ただ、値段の違いが何に由来するのかが気になっただけですわ……それで、品物は?」
「はい、こちらに」
ルカは、木箱をライカに渡す。
箱の中には魔法の旅行鞄が入っていたが、離れた位置からは箱の中までは見ることができない。
「なるほど。秘密保持の方法としては正しいですわね……失礼」
ライカは鞄に触れ、中身のリストと受け取った書類を見比べた。
品質までは分からないが、幾つかの箱に分けて収納されており、それぞれの内容量は書類にある通りであることを確認する。
「十分ですわ……あら、でも、これは何かしら? 各種素材?」
「試供品です。錬金術でのご利用と伺っておりましたので、この街で採取可能で、比較的他では手に入りにくい品を幾つか入れておきました。もしもご入り用の品がありましたら、お声がけください」
「まあ、助かりますわ。色々買い集めようかと思っていましたの。ありがとうございます。それでは、費用ですが、現金で宜しいかしら? 一応、手形も出せますけれど」
「あなたの商会の手形があるのでしたら、その方が嬉しいですが……しかし、その場合、情報が広まりますがよろしいのですか?」
「……私の依頼は先ほど終わりましたわ。だからあの件に関する守秘義務契約は解除します……とは言っても」
「ええ、取引の詳細を他に明かしたりはいたしません……ああ、でももしも貴族の方から問い合わせがあった場合は……」
「その場合は、聞かれたこと全部、お話ししてくださっても結構ですわ」
ファビオに木箱を預け、レン達は市場を散策する。
人目の少ない適当なところで木箱を片付け、身軽になると、クロエはライカにこちらで合っているのかと問いかける。
「先ほど聞き込みをした限りでは、今日は市場の南側だろうとのことです」
「なぁ、取りあえず目的地があるなら教えて貰えないか?」
「クロエさん。どうしますか?」
「……言っても構わない」
「それでは、
らしい? とレンは不思議そうな顔をする。
クロエがライカに聞いて入手した情報が元と思っていたレンは、どういうことだ。とライカに視線を向ける。
「いえ、昔は間違いなくあったんですけど、今もやっているのか分からないのです。聞き込んだ範囲では、やってそうなんですけど……ああ、多分あの店です」
ライカが指差す屋台には、兎の絵が描かれていた。
「兎?」
「そうですそうです」
「あれ? 角を描き忘れてる?」
「魔物のホーンラビットじゃないんです。普通の獣で兎です」
いたんだ。と呟くレン。ライカとクロエは食べてみよう、とそんなレンの手を引いた。
「昔、旅の途中で食べたんですけど、本当に美味しいんですのよ?」
「ライカから聞いて、食べてみたいと思っていた」
「クロ……お嬢様、状態異常耐性の装備があるとは言っても、ほどほどに……」
「私とレベッカも修行中、よく食べました。食べるのにコツがあるのでお教えしますね」
「こら、お前、護衛が護衛対象に密着するヤツがあるか!」
バタバタと賑やかな一行は、屋台で目立ちまくりつつも色々買い込み、ラウロの別邸に戻って、ミステリアスフルーツも調理してもらい、アルコールなしの宴が開催されることとなるのだった。
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