第105話 海への道のり――家にいる獣とよく寝る獣

「レン殿、ご相談があるのですが」


 ラウロ邸での宴が終わった後、レンはファビオに別室に呼ばれた。

 応接間に通されたレンには高そうな酒が饗され、レンは一口飲んで、その口当たりの良さに驚かされた。


 先ほどは酒なしでしたからね、と。


 酒の由来についての話をしながら、ファビオがそう切り出す。


「なんでしょうか? まずは聞かせてください」

「途中の村や街での動きを見る限り、結界の様子を確認してはいるようですが、ゼーニャの街でも、ここキエザの街でも錬金術師のところに足を運んでいません。今後の護衛計画を考える上でも、どういう視察をされているのかお伺いしても?」

「あれ? それって誰かから聞かされていないんですか?」

「ええ、色々推測はしておりますが、護衛の依頼は対象についてのみでした。ヴァレリの村では視察の目的を村人に話していましたが、それ以降の様子から、それは本当の目的ではない、と考えております。お話がない以上、詮索はするべきではないと承知しておりますが、動きの予測が困難ですので、可能であれば教えて頂けないものかと……」


 肥料ポーションを配るため、神託の巫女の視察だ、などと村人に話したことを思い出し、レンはなるほど、と頷いた。


「怒らないで聞いて欲しいのですが。敢えて目的をぼかしていた部分はあります」

「やはりそうでしたか」

「そして、目的のひとつは、クロエさん……神託の巫女様の見聞を広げることです……要は観光ですね」

「かんこう……かんこう……?」


 首を捻るファビオにレンは補足した。


「楽しみのために風景明媚な場所や旧跡に行ったり、その土地の食事や風俗を楽しんだり、という意味です」

「観光ですか。昔はそういう風習があったと聞きますが……そういえばオラクルの村も昔は温泉の村として有名だったそうですな」

「温泉は治療の一環だったみたいですけどね」


 結界の外は魔物の領域である。

 身を守る術がない者が無防備に外に出れば死ぬ。

 当然ながら、観光旅行などは滅多なことでは行われない。

 旧オラクルの村――ゲズイッフィの村は、街道に接するサンテールの街からほど近いことと、近場にもう一カ所立ち寄れる場所があったから行商人が立ち寄ったりもしていたが、そういう条件でもなければ街道からやや離れた位置に観光地を作っても客は来ない。


 また、温泉に一定の治療効果があると言われていたことも、ゲズイッフィの村が英雄の時代の後も長く残っていた理由である。

 ポーションのような即効性は期待できないが、ただ滞在するだけで自由にお湯が使える村の仕組みは、難病に苦しむ湯治客を呼んだのだ。


「しかし、そうなると何をされるのかは、明確には定まっていないと?」

「目的は一応ありますね」


 ドワーフの酒と呼ばれるものの中でも、特に年月で磨き上げられた酒を飲むレンの口は軽かった。

 ものとしてはラム酒に近い製法で、砂糖を精製する際の副産物を素材にしている。


 もちろん、それが廃糖蜜であっても、糖分を含む以上貴重品ではあるが、穀物そのものを酒にするわけではないなら問題はない、とする向きも少なくない。


 フルーツ系の果汁を添加しているようで、香りもフルーティでやや甘みがある。

 そして何よりも、口に含んでも味がはっきりと分かる程度に丸い。それでいて口内や喉を焼くアルコールの刺激ははっきり感じられることから、レンはそれを長期熟成した酒だと考え、貴重な品の年代物であるなら、尚更大切に飲まねば、とじっくりと楽しんでいた。


「目的ですか? 伺っても差し支えないでしょうか?」

「まず、村や街の結界の状態確認ですね。魔力感知で確認できるから、普通の魔術師でも現状は分かるんですけど、結界杭が正常だった頃を知っている魔術師は少ないですからね。サンテールの街とかを見て貰って派遣するとかでも可能ですけど、劣化した後を見て育っていると小さな異常を見落としたりしそうですし……数年もすれば任せられるようになるとは思いますが」


 今の世にいるのは、ライカを含め、皆が異常な状態を見続けた者たちだ。

 結界の一部に異常の兆候があっても、『今までと比べたらあの程度は問題なし』と考えてしまいかねない。


「なるほど……まあ、劣化後が当たり前だった者だとそうなりますか……ああ、こちらのつまみも如何ですかな? 兎肉を燻製にしたものですぞ」


 燻されてから間もないのか、強い煙の匂いが漂う。

 レンがひとつを口に運ぶと、見た目に反してとても柔らかい。

 レンは燻製の香りと塩と脂の旨味を肴に、杯を重ねる。


「あ、どうも……ふむ。やはり癖が少ないですね……鳥肉とも違うけど……狩った後の処理が良いのかな? このあたりには兎、多いんですか?」

「ええ。どうも畑の作物を狙っているようで、向こうからやってきては狩られています。結界杭を通り抜けられるので、農民にとっては魔物よりも厄介な相手ですよ」

「魔物忌避剤の親戚で、特定の害獣に効果のある獣忌避剤ってのがあったけど……兎にも効果があったかどうか……調べて、使えそうならこちらの錬金術師にレシピを紹介しますよ」

「おお、助かります……ところで、先ほど『まず』と仰いましたが、他にも理由が?」

「ええ。まず、先ほどの結界の確認。それに滅多にない遠方への移動ですので、クロエさんの神託の巫女としてのお役目。あと、英雄の時代にあった、地域特有の素材の入手……まあ、これはライカが先に手を回してくれてましたけど。それと、俺はエルフですから、生き飽きるほどの時間があります。将来、そうなった時に備えて、各地を見ておきたいというのもあります。あとは……と、これは秘密にしておきましょう。知りたいならルシウスさんに『レンが持っている巻物』について聞いてみてください」


 やや手遅れの感もあるが、転移の巻物については知る人間が少ない方が良いだろうと、ぼかして答えるレンに、ファビオは承知しました。と頷いた。




 翌日、コレッティ、キアラの二つの村で結界の様子を確認したレン達は、カルタの村に向かっていた。

 時間はそろそろ正午である。


 カルタの村には特殊な家畜がいるのだ、と楽しげなクロエに対し、エミリアの顔色は優れない。


「ライカは知ってるんだよね?」

「ええ。お教えしたのは私ですから……ですが、着いてからのお楽しみ、内緒だそうですわ」

「そっか。楽しみしておくよ」


 騎馬で馬車と併走するラウロ達は、そんなレン達の様子を知るよしもないが、ラウロは馬車に近付いてフランチェスカに声を掛けた。


「空模様があまりよくない。我々は荒天での強行軍にも慣れているが、そちらの馬は大丈夫か?」

「良い馬ですが軍馬と比べると劣ります。次の村まで急ぎましょう」

「承知。レン殿達にも伝えておいてくれ」


 離れていくラウロに大きく頷きを返し、フランチェスカは御者台と客室の間の小窓をノックし、荒天気味なのでやや急ぐ旨を伝えた。




「今回の旅では初めての雨だな。ライカが旅してた頃、雨だったらどうしていた?」

「雨具はありますけど、雨の日はあまり動きませんわね。魔物の気配も分かりにくくなりますし、旅先で体調を崩してこじらせてそのまま、という話もよく聞きますし」

「なるほど……まあ、徒歩での移動なら……ってライカは飛べたよな?」

「雨の日の空の上なんて、遮る物が減るだけですわ」

「雲より高く飛んだりはできないのか?」

「雲の高さによっては出来なくもありませんが、雲の中を突っ切るならそこで濡れ鼠になりますわ。そして、雲の上まで出れば一気に冷やされますから」


 ライカがそう答えると、クロエは小さく首を傾げた。


「空の上は寒いの? お日様に近いのに?」

「理由は知りませんけど、空の上は地表よりも寒いですわね。上がるほどに冷えますわよ」


 物によって異なるが、雨雲の底雲底の高度は500メートルから2キロほどのものが多く、更に雲の上となると、雲の厚さの分だけ上昇しなければならなくなる。

 そして、地球の気温減率と同等であれば、対流圏においては100メートル上がるごとに気温は、0.6度低下する。

 500メートルで3度。というと少なく見えるが、実際にはそこから更に雲の厚さ分だけ上昇するのだ。雲の厚みは雲の種類によって異なるが、雨が降ると言うことは雲は厚い。

 雨雲の中は、雲の外よりも暖かいが、濡れないためにその上に抜けてしまえば関係ない。


 ライカの場合、本人は精霊魔法で守られているため、それほどでもないが、速度と高度が上がれば、風の影響による体温低下も対処が必要なほどに大きな物となる。


「……不思議。エミリアは知ってた?」

「理由は存じませんが、高い山の上だと温度が下がるということは聞いたことがあります」

「レンはなんでか分かる?」

「んー……まあ、あんまり詳しくはないかな」


 一応、学校で習う程度の知識ならあるが、せいぜいがその程度で、前提となる科学知識のない相手に説明をしようとしても無理がある、と判断したレンは、そう言葉を濁した。

 せめて錬金術師上級や、鍛冶師中級が相手なら、いくらでも説明のしようがあるのだが、そうした知識がないのでは、気圧や比熱、熱伝導率の話は難しい。


「……残念」




 空は真っ暗になりつつあったが、辛うじて、本格的な雨が降り始める前に村に辿り着くことができた。

 先触れとしてジェラルディーナが出ているが、到着時刻は30分と変らないはずである。


 天候悪化のための緊急避難、という名目で、一行はカルタの村に到着した。

 結界杭があり、低い柵を獣よけにする。

 というのが一般的な村の姿なのだが、カルタの村には3メートルほどの石塀が作られていた。


 村に入り、馬車を降りたレンは、その塀を見て、首を傾げた。


「村にあるレベルの塀じゃないよな?」

「レンにだけは言われたくないって言うと思う」


 オラクルの村も村でありながら立派な城壁を擁するが、その原因はレンにある。

 それを言われ、レンは確かに、と苦笑した。


「しかし、なんであんな塀があるんだ?」


 やや遠巻きに挨拶をする村人を眺めつつ、レンは足元に寄ってきて、フンフンと匂いを嗅いでくる柴犬を蹴飛ばさないように注意しながらそう尋ねた。


「レンの足元にいるのとかが逃げ出さないように?」

「足元?」


 やや焦げた狐色の、くるりと尻尾が巻かれた柴犬がそこにいた。


「ああ、犬か。そう言えば、こっちで見るのは初めて……いや、英雄の時代には確か何種類かいたっけ?」


 しゃがみ込んだレンは、柴犬の顎に手の甲を近付け、柴犬が鼻先を付けたところで掌を返して顎と後頭部を掴んでワシャワシャと乱暴に撫でる。

 レンのことを遊んでくれる相手だと認識した柴犬は、小さく唸りながらも尻尾を振ってレンの手から逃れようと首を振りつつ後ろに下がろうとする。

 それを地面に押さえつつひっくり返し、腹を見せた柴犬の胸から腹に掛けてを撫でてやると、柴犬は暴れるのをやめ、気持ちよさそうにレンの手を受入れるのだった。


「……レンご主人様、随分と手慣れてらっしゃいませんか?」

「ん。英雄の世界では実家で飼ってたからね。こいつはでも、柴犬にしては随分と大人しいよ」


 レンの知る柴犬は、とにかく人が好きで好きで仕方ないタイプと、知らない人が頭を撫でるのは許さないタイプの大きく二通りに分かれる。

 レンの実家の犬はとにかく人懐こいタイプだったが、今、レンの目の前で、腹を撫でられて尻尾を振っている柴犬はその系統のようだった。


「猫もいいけど、柴犬もいいよな……あれ? クロエさんはなんでそんな後ろに?」


 見れば、クロエとエミリアは4メートルくらい離れた位置にいた。


「私もそれを撫でたい。でもエミリアが肩から手を離してくれない」


 クロエはそう言って、肩からエミリアの手を引き剥がそうとする。


「いけません。犬なんてウルフ系の魔物の親戚です。触れたら噛まれます」

「レンを見て、触れたらどうなるかもう一回?」

「……レ、レン殿はきっと特殊な訓練を受けているのです。英雄ですから」

「どんな訓練だよ……それにしても、他の村じゃ見掛けなかったけど、犬は珍しいのかな?」


 レンはライカに視線を向けてそう尋ねた。

 ゲーム内では、クエストで手に入れた犬や猫を、拠点に配置したりもできたし、中には課金しないと手に入らない犬種もあった。

 柴犬やダックスフントなどの小型・中型犬がそれで、普通に手に入るのは大半がハスキー、レトリバーなどの大型の洋犬だった。


「そうですわね。英雄の時代と比べると珍しいですわ。食料供給がギリギリですから、優先度を考えると、食用や素材になる有用な家畜が優先されます。ですがこの村は、犬や猫の存続を目的としていますの」

「存続を目的とする人達が集まって作ったと言う意味?」

「ですわ。加えて、そういう主張を領主が認めていますの」

「なるほど。特殊な家畜ってのは犬猫のことだったのか」


 そんな話をしていると、村人達の向こうからやや焦げた感じのキジトラ猫が弧を描く軌道でやってきて、たまたま通りがかっただけです、という雰囲気で、腹を見せている柴犬のそばで丸くなる。

 これは撫でろという意味か、とレンが手を伸ばすと、猫はレンの伸ばした手の上に顎を乗せてくる。

 そのまま猫が体重を預けてきたので、レンは掌の上に猫の頭がしっかりと載るようにしつつ、喉と首のあたりを撫でる。

 レンを猫に取られた柴犬は、しかしいつものことなのか気にせずにレンと一緒になって猫の頭をペロペロと舐め始める。

 猫は、薄く目を開いて何をするのか、という目付きで柴犬を睨むが特に抵抗もせずに舐められている。


「なんだ、お前達は仲良しさんなのか?」

「エミリア離す! 私もあの小さい生き物を撫でる!」

「いけません。タイガー系の魔物の親戚です! 確かに街でたまに見掛ける縫いぐるみにそっくりで可愛く見えますが、牙と爪を隠し持っています」

「まあ、猫は引っ掻くし、噛まれると痛いけどね」


 レンは猫を抱き上げてクロエに近付く。

 柴犬は、尻尾を振りつつレンの、と言うよりもレンが抱き上げている猫の後を追い掛けてくる。


「ほら、クロエさん、ゆっくり、そっと、背中に触れてあげて。マリーさんを撫でてあげることがあるなら、そのくらいの力加減で」


 レンの指示に従い、クロエはゆっくりとその手を伸ばす。

 その手に視線を向けるキジトラの首から喉を刺激して、気を逸らさせるレン。

 そして、一度クロエの手が触れてしまえば、別段危険はないと理解して、猫は大人しくクロエが撫でるのを許した。


「ん……暖かくて柔らかい……聖域にも導入するべき」

「こっちの柴犬も、胴体にゆっくり手を伸ばして。動きはゆっくりと。あと、最初はあんまり目は見ない」

「……ゴワゴワ? 毛が硬い……あ、こら!」


 遊んでくれる人二号をみつけた柴犬は、自分からクロエに近付くと、クロエの手を舐め始める。

 驚いてめさせようとするエミリアだったが、何が気に入ったか、柴犬は舐めるのをめようとはしなかった。


「レン殿! この犬が『お嬢様』のをしているぞ! 危険はないのか?」

「馬だって世話してくれる人の髪を噛んだりするでしょうに。それと同じで親愛の表現です。犬が怒ったらもっと唸ったり、怒ってるぞって分かるように怒りますから」

「猫、猫は?」

「犬よりも気ままで、触りすぎると怒るけど、触らなさすぎても拗ねる……まあ、俺が知ってる猫は、ということだけどね。怒ると逃げるか引っ掻くし、本気で噛まれると洒落にならないくらい痛いから、相手が嫌がることはしない。しつこくしないのが大事だね」


 猫の爪は引っかけただけで人間の皮膚を切り裂けるほどに鋭い。

 だから、たまたまそれがぶつかってひっかき傷ができるというのは、猫に触れていれば普通にあることだ。

 レンの説明を聞き、クロエは左手を柴犬に舐めさせたまま、右手でそっと猫の腰の辺りをくすぐるように撫でるのだった。

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