第102話 海への道のり――剣と声
冒険者ギルドの裏庭である。
普通、裏庭に行くには建物の中を通るか、裏庭が玄関側と別の道に面しているのなら、そちらから入るのが常道である。
そして、冒険者ギルドの裏庭は道路に面してはいなかった。
そうなると、関係者以外お断りなエリアを抜けて入るしかない。
どうするのだろうとレンが見ていると。冒険者ギルドに入ったクロエは受付で、
「剣を見たい」
「触りますか?」
「取りあえず……8人?」
「ではひとり銀貨5枚ですから、8人で銀貨40枚。400リリト頂戴します。それでは、そちらのカウンター脇から奥へどうぞ。廊下の突き当たりです」
などと話をして、そのまま受け付け横の通路を入っていく。
この時になって漸くレンは、クロエが目的とするものが何なのかを
「剣? ああ、あれか」
それは、初心者向けクエストのひとつだった。
クエストは、昔から冒険者ギルドの裏庭にあると伝わる剣に触れ、神の加護を得るというものだった。
なお、ゲーム内では剣は一般公開されておらず、幾つかの面倒なおつかいクエストをクリアして職員の信用度をあげる必要があった。
(しかし、有料になったんだ……おつかいクエストは面倒だったから、助かるけど……技能はもう持ってるから貰えないだろうけど、特典は付与されるのかな?)
剣に触れると、神の加護が得られるという触れ込みで、未所持であるなら『隠身』の技能を得ることが出来る。
普通に冒険者をやっていれば、自然に身に付く技能なので、ここで覚えなければならないという代物ではないのだが、ここで重要なのは特典の方だった。
特典は、塩漬けになっていた面倒なクエストを短期間に一定数やり遂げたことに対するギルド職員からの感謝状で、それがないと後のクエストで詰みはしないが多少面倒なことになるという代物だった。今となっては貰ったからと言って、別の街でのクエストがあるわけでもないが、何となくそんなことを思い出しながら、レンはクロエの後ろに続いた。
通路を抜けると、職員の働く部屋の並ぶ廊下があり、突き当たりのドアを開けると裏庭だった。
裏庭は、周囲の建物に囲まれていたが、この時間帯は太陽の光が差し込んでいる。
ゲーム内では剣は雨ざらしになっていたが、現在は祠が建てられており、剣は見えない。そしてその祠のひさしの下、見張りとおぼしき杖を持った老婆がひとり、椅子に座っていた。
「お客さんかい? みんな、その線に沿ってお並び」
老婆は皆に横一列に立つように告げ、ファビオ、レベッカを含む8名が従うと。全員の顔をマジマジと見つめた。
そして、呆れたように溜息をつく。
「どれ……なんだい、みんな隠身は持ってるじゃないか……しかしこれはまた奇妙な面々だねぇ。今は絶えた中級の職業持ちがぞろぞろとまぁ……」
その言葉に、ラウロ、ジェラルディーナは老婆の視線からクロエを守るように一歩前に出る。
「公証官か? ご老人。ここで見た事は内密に願おう。我が名は」
「分かってるよ。バルバート公。私は何も見ていないし、あんたも単なるラウロさんだし、そっちのお嬢さんも単なる貴族のお嬢さんだ……まったく、あたしゃとっくに引退したただのババアだよ。知った事は全て元公証官の誇りに掛けて墓の下まで持っていくよ。大体あれだ。あんたらをどうこうしようってんなら、あたしゃ何も言わずにニコニコしていたさ……それで? どうするんだい?」
「どう、とは?」
ラウロは老婆の言葉の意味が分からずに聞き返した。
「あんたら全員、
「『お嬢様』、どうしますか?」
ラウロが老婆から視線を逸らさずにそう尋ねると、クロエは、
「触る。これは神様が置いた物。ならば触れたい。折角だからみんなも触ると良い」
「いいのかい? 物好きだねぇ。隠身技能持ちだと、神様のお声は聞こえないよ? ああ、でもお嬢ちゃんなら聞こえるかもしれないねぇ」
「それは神様次第」
「違いない」
そんな会話の後ろで、レンはライカに小声で尋ねた。
「ライカ、あれって何者なんだ? ラウロさんの名前も知っていたし、他のみんなの職業や技能まで分かるっぽいけど」
「恐らく公証官ですわ。商業ギルドに在籍し、契約が正当な手続きで行われたことを証明する権利を領主に認められています。その技能のひとつに、相手の素性を見通すというものがあります。素性と言っても分かるのは冒険者ギルドの鑑定板の情報と、恩恵以外の職業……例えば暁商会番頭などですわね。それが分かると聞いていますが……」
鑑定板を使うと、名前も種族も年齢も職業も技能の全てが
つまり、クロエが神託の巫女であることもバレているのだろう、と、レンは理解した。
「なんだい、目の前でこそこそと。聞きたいことがあるなら、直接あたしにお聞き」
「ああ、済みません。公証官? の方にお会いするのが初めてでして、何が起きているのかよく理解出来ないのですが」
「なるほどね。公証官は相手の素性を確認するのが主な仕事と言われていて、そっちの技能ばかりが有名になっちまってるけどね。実際には各種契約や書類なんかに、これは公証官の誰それが認めた文書である、とサインするのが仕事だね。だけど、歳で細かい文字がダメになってね。あたしゃ、それで引退したのさ。で、引退後の小遣い稼ぎで、ここにやってくる物好きが隠身を持っているかを調べて、持ってるならさっきみたいに、あんたは剣に触れても意味がないよ、と教えてやるのさ。あたしの今の仕事はそれで、来た連中の素性の報告までは請け負っちゃいないよ」
「なるほど……日本で言う公証人に近い仕事なのかな? ライカ、口外しないというのは信じていいかな?」
レンの質問に対し、ライカは少し考えてからポーチから小さな皮の袋を取り出した。
「公証官は業務上知り得た事実を不必要に言葉にすることを禁じられていますので恐らくは……ですが……
「やめとくれ。公証官の技能で知ったことを使って誰かを脅すなんてやったら、恩恵そのものが失われっちまう。老い先短いこのあたしの、過去何十年かの記憶全部が吹き飛んじまったらどうしてくれるんだい」
ライカの差し出した袋を睨み付けるようにして、老婆は吐き捨てるようにそう言った。
レンは慌てて一歩出て、丁寧に、深く頭を下げた。
「……うちの番頭が大変失礼しました。商売人の常で、なんでもお金で解決しようとする悪い癖が出てしまいました。あなたの誇りと名誉を傷付けてしまったこと、深く謝罪致します。加えて今のあなたの言葉で、私どもはあなたの言葉を信用するに足ると理解しました」
「おや、信用して貰えるのかい?」
「あなたが職業を悪用する人物ではない、という点についてのみは」
「……ならいいさ。十分だ。ほら、別に後はつかえてなんかいないが、とっとと剣に触れてお行き」
老婆が祠を杖で示すと、クロエはエミリアに頷く。
クロエの指示を受けたエミリアが祠の扉をゆっくりと開けると、そこには一抱えほどの岩に横向きに突き立った剣があった。
「……はい、確かに剣がございます……危険があるといけませんので、先に触れさせて頂きますね」
「許す」
「では……特に何もありません……ああ、でも、
「ん。ありがと」
エミリアが場所を空けると、クロエは剣に近付き、まずはしっかりと観察する。
柄から想像できる普通の長さの剣と仮定するなら、剣の5分の1ほどは岩の中になる。
やや黒みがかった金属でできており、クロエはそれを、自分が持っているメダルと同じ
「魔法の剣……
「大昔、偉い人たちがきて調べて行ったそうだけど、お嬢ちゃんと同じことしか分からなかったらしいねぇ。で、触らないのかい?」
「触る」
無造作に右手を伸ばしたクロエは、柄をぐいっと握る。
そのまま左手を伸ばして、剣の腹の部分にも指先を触れると、しばらく目を閉じてから手を離す。
「おや、神様のお声は聞こえなかったかい?」
「何かの声は聞こえた。『あなたは既に技能を保有しています』とだけ。神様かどうかは知らない」
「え? 私が触れたときは何も聞こえませんでしたが」
エミリアは再度手を伸ばして剣に触れ、首を傾げる。
「……『お嬢様』だけに聞こえると言うことは、やはり神様のお声?」
「私が知るお方のお声ではない……でも神様は多いから、他の神様かもしれない。それに神様の気配のようなものは感じた」
「……妙なことになってきたねぇ……お嬢ちゃん、いや、神託の巫女様、後でここであったことを神殿経由でうちのギルドマスターに教えて貰うことはできるかい? 一ヶ月後でも一年後でも構わないからさ」
「貴様! そのような要求を!」
ラウロが激高して剣の柄に手を掛ける。
ジェラルディーナもラウロの動きに呼応してその横で鞘が付いたままの短槍を低く構える。ファビオとレベッカは少し離れた場所で様子見である。
が、そこまでだった。
ふたりが動かないのを見て、老婆は楽しげに笑った。
「さすがに抜かないか。偉い偉い。冒険者ギルド内で貴族が剣を抜いたら大騒ぎさ」
「貴様! 愚弄するか!」
「いやまったく? お嬢ちゃん、護衛の教育がなってないよ。それに大体、あたしのは要求じゃなくて協力の要請、お願いさね。その剣について知り得た情報があるなら、それをそちらの都合の良い時期に知らせて欲しい、だ。これはあたしの仕事の一環だから、そうお願いしただけさ。あたしからは誰にも何も言わないと約束するし、教えても良いのが100年後ってんならそれでも構いやしないよ。それに何か問題があるのかい?」
「……おばあちゃん、肝が太いね?」
まず、老婆の言葉に理があると判断したジェラルディーナが槍を降ろした。
「ジェラルディーナ。俺の命令も待たずに何をやってる……まあ、判断の早さがお前の持ち味だ。今回は追認してやる」
ジェラルディーナに続いてラウロも剣から手を離す。
「公証官なんてやってると、証文よりも剣の方が強いと教えてやろうか、なんて連中とやり合うこともあるからね」
「おばあさん、あなたの要請を受理する。でも、今ここであなたに伝える。マスターにはあなたから10日後に伝えて」
「おやおや、神託の巫女様直筆の手紙を貰い損ねちまったよ。こりゃ残念……それで? 何を伝えれば良いのかね?」
「
クロエの言葉を手持ちの書類の裏に書き込み、老婆は頷いた。
「なるほどねぇ。普通、技能を持ってない者が触れると『あなたに『隠身』技能を授けます。これからも冒険者として精進なさい』という神様の声が聞こえるんだけど。こりゃきちんと記録しておかなきゃね。マスターに伝えたら謝礼が出るかも知れないけど、神殿に送っておけば良いかね?」
「うん……それじゃみんなも触る」
まず、老婆に向かって踏み出そうとしていたラウロと、ジェラルディーナが剣に触れる。
「ふむ。特に声は聞こえないな」
「私もです。あ、でもこの剣、なんか高そうですね」
次に、レンとライカ。
「……なるほど」
「……あらあら」
妙な反応のふたりに、クロエは何かあったのかと問いかける。
「……『あなたは既に技能を保有しています』と聞こえましたわ」
「……まあ、そんな感じだな」
(厳密には、声と一緒にメインパネルが開いてシステムメッセージが流れたけど。NPCはメインパネルがないから、そこが違いになったかな)
ライカの言葉を聞き、クロエは首を傾げた。
「……レンとライカも神託の巫女?」
「ライカはともかく、俺は違うな。男の場合、巫女じゃなく
「理由? 知りたい」
「私も興味がありますわ?」
言葉には出さないが、ラウロ達もエミリアも興味を隠しきれていない。
クロエ達が裏庭に出た時点で、離れていたファビオ、レベッカも裏庭に出ていて、皆が興味深そうにレンの言葉を待っていた。
「俺とライカとクロエさんの共通項が答えだよ……英雄は今みたいなのをシステムメッセージと呼んでいたけど、それはフレンドに送るメッセージと類似の仕組みで伝達された。つまりは心話の有無で声が聞こえるかどうかが決まるんだと思う……ただ、心話のない人が触れた時に声が聞こえる仕組みの方が分からないけど」
「心話? でも、それとは聞こえ方が違った。体は普通に動いていたし」
「うん。英雄達の心話と、ライカやクロエさんが使っている心話は、似ているけど違う部分も多いんだよ」
「興味深い」
クロエは小さく頷き、もう一度繰り返した。
「うん。興味深い」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます