第101話 海への道のり――古蹟

 ゲームのスタート地点はオルネラの街である。

 全てのプレイヤーはまず、公式の表現を借りるなら『碧の迷宮・始まりの街、オルネラ』に降り立つ。

 そして、そこでチュートリアルをクリアして、幾つかの職業を身につけ、技能を育てる。


 そうやって成長したプレイヤーは、やがて街道に出て東に向かうようになる。

 多くのクエストがそちらに向かうように誘導するのだ。

 もちろん自由度の高いゲームだけに、その気になれば西に向かうことも可能だが、技能が育っていない状態で頑張って西に向かっても、メリットはない。


 現在、オルネラの南にはエンシーナの街があるが、レンがゲームを始めた頃には、まだエンシーナの街は存在しなかった。


 そんなわけで。

 ゼーニャの街は、レンに取ってはそれなりに思い出深い街であった。




 翌朝、クロエは散歩を待ちきれない子犬のように、レンの手をぐいぐいと引っ張って街に出た。

 どうも目的地があるようで、時折メモを見ながら街の中心方向に向かってまっすぐに進んでいる。


「で、そろそろ目的地を教えて貰えないかな?」

「……秘密」


 楽しげにそう答えるクロエに、エミリア、ライカも楽しそうな表情を見せる。

 なお、本日はラウロ、ジェラルディーナがクロエの後ろにつき、住民に扮したレベッカとファビオが少し離れた位置から周辺警戒を行っている。


 街の中は残された人類の人口を考えるとそこそこ発展しており、賑わっていた。

 特に行商人が多く、それを狙った屋台の類いもポツポツあって、肉を焼く匂いなどが通りに漂っている。


 そんな中を、手書きのメモを見ながらクロエが先導していた。

 たまに迷ってはエミリアに聞いているので、実質エミリアの案内ではあるのだが、周囲の反応を見る限り。行き先を知らないのはレンだけのようだった。


「あった。あれ、商業ギルドの建物」

「うん、まあ昔からある普及型だね」


 それは、石積みの歴史ある佇まいの二階建ての建物だった。

 奥には倉庫と馬車を停めて荷物の積み下ろしを行えるようなスペースがあり、倉庫などもある。街によって多少の違いはあれども、『碧の迷宮』で商業ギルドと言えば大抵はこの作りだった。

 ストーンブロック製なので、600年前にレンが見た建物とあまり差異はない。

 歴史ある佇まいに見えるのは、そのように意図して作られたからである。


「……レンは感動が薄い」

「そうか? うん、まあ否定はしないけど、これがクロエさんが見たかった物?」


 レンにしてみれば、ゲーム内で散々眺めた建物でしかないし、似た造りの建物ならサンテールの街にもある。

 今更感動する要素がなかった。


「そのひとつ。英雄の時代に作られて、殆どそのまま今でも普通に使われてるらしい」

(古蹟、旧跡の類いか……日本で言えば神社仏閣のようなものかな?)


 そう気付いたレンは、改めて建物をマジマジと観察する。

 ストーンブロックベースなので、ひたすら頑丈で、ひび割れなども少ない。幾つかのひび割れを魔力感知で調べると、深さがどれも均等で、最初からそのように作られたものだと分かる。

 窓やドアは後付けだが、交換しやすいように枠が工夫されており、丁寧にメンテナンスされている。

 壁面は綺麗に掃除されており、ほどよく古びた雰囲気は昔から変らない。


 というわけで、レンの目から見るとあまり歴史を感じさせない建物だった。


「……まあ、今もちゃんと使われているという辺りはポイントが高いかな」

「そう。それとあと、ここは昔、英雄達が戦った後も残っているらしい……多分……こっち?」


 建物横の細い路地に入ったクロエは、壁に残る不思議な傷跡を見付けると、それをそっと撫でた。


「街の外で強力な火魔法が使われて、魔物に避けられた魔法がここに当たった。で、凹んで黒くなって、以来、そのまま」

「以来って、600年前だろ? 煤ならさすがに流れないか? それに、外からだと結構距離あるから、普通なら減衰して煤も付かないはずだけど」


 レンも近づいて、壁面の黒い部分をマジマジと観察する。

 黒い部分は、斜め横から火魔法が着弾したように、横長に広がっていた。

 よく見れば、黒い部分はやや凹んでいて、その下に黒い筋が幾本かあるのが分かる。

 そして黒い部分は煤が付いたようなものではなく、表面がやや透明感のある黒い物質で覆われていた。

 黒い筋も表面の汚れではなく、触れるとツルツルで、壁面に完全に融合している。それはまるで、流れ落ちる滴が固まったように見えた。


「……これ、高熱で石が解けてガラス状になってるのか。ストーンブロックって、生半可な魔法じゃ傷も付かないのに」


 その性質から、反射炉の材料に使われたりもするストーンブロックである。

 魔法に強いし熱にも強い。

 金属が融解する温度程度では溶けたりしない。

 それを知っているだけに、レンの驚きは大きかった。


「『火の賢者』がやったと伝えられている」

「『火の賢者』?」

レンご主人様、レンご主人様、『火の賢者』は後生の吟遊詩人が付けた名前で、ご本人はシュバルツビーニャと名乗っておられました。レンご主人様たちが「黒さん」と呼んでらっしゃった方ですわ。黄昏商会のお得意様です」

「ああ、ギースリーさんところの黒さんか……あの人、そんな凄い火魔法使いだったっけ? あそこだと、グリルドサーモンさんが火魔法トップだと思ったけど」

「お得意様? 『火の賢者』が?」


 クロエが首を傾げる。


「そうだね。昔、まだ王都がエルシアと呼ばれていた時期、黄昏商会は大量のポーションを安価に提供していたから沢山の英雄達が集まっていて、黒さんはお得意様のひとりだったんだよ」

「レンは戦わずに商売していたの?」

「最初の内はライカ達に店を任せて、戦いながら商売してたんだ。素材集めも必要だったしね。でも戦いが激化して、生産職では付いていくのが難しくなったから、生産で皆の手伝いをする事にしたんだ」


 それから程なくしてレンは今の時代にやってきたため、その後のことについては詳しくはない。


「黄昏商会が英雄の生産職の皆さんを雇って、大量のポーションを供給していたんですのよ。それがなければ、幾つかの戦いは戦線を維持できなかっただろう、とも言われておりますわ」

「なるほど……で、『火の賢者』ってどういう人?」


 クロエは目を輝かせてそう尋ねた。

 歴史上の人物と直接の面識があると聞けば、それも仕方ないか、とレンは笑いながら答えた。

 何しろ600年前の伝説上の人物である。日本であれば、例えば織田信長(1582年没なので、600年にはやや足りないが)がよく買い物に来ていた、などと話す者がいれば、色々と聞きたいと思う者も少なくはないだろう。


「俺が知ってる黒さんは、火魔法特化じゃなく、魔法全般をそれなりに使える冒険者なんだけどね。たしか黒さんからは色々とポーションの素材を買ってたはずだね。普段の黒さんは、大人しくて控えめな女性って感じの人なんだけど、怒ると凄く怖かったかな。たまにギースリーさんのギルドメンバーに噛みついてたっけ……ライカの知ってる黒さんはどんな感じだった?」

「ポーションの素材収集で火魔法を多く使うからと、サーモンさんに色々教わりながら火魔法を鍛えてたのを覚えてますわ。レンご主人様がいなくなった少し後くらいから、サーモンさんに並ぶほどの火魔法使いとして名が売れていましたわね。当時、ギースリーさんの所には、魔法特化型の英雄が何人もいましたので、後に吟遊詩人達が『火の賢者』シュバルツビーニャ。『炎の魔人』グリルドサーモン。『水を極めし者』アクア。『泥濘の支配者』ギースリー。『時の番人』T.ショー。『翼、統べし王』フォーゼルハーゼ。『猫聖女』カッツェドラッヘンなどと呼び慣わし、ギースリーギルドの7賢人と呼ばれるようになっておりますわ」

「……火と炎が被ってるんだが……まあ、攻撃力特化ならそうなるか」


 クロエがレンの袖を引く。


「レン、レン。カッツェ様も知ってるの?」

「ああ、ギースリーギルドとはたまに共闘もしたからね。カッツェドラッヘンさんなら顔見知りだけど? 様を付けるんだ?」

「当然。神殿の歴史上、聖女は聖女カッツェ様ただおひとり」

「ジェラルディーナさんも聖女って呼ばれてなかったっけ?」

「神託を受け、神の名の下に聖女と認定されたのはカッツェ様だけ」

(カッツェさんの聖女って、たしかレイド戦の褒賞で得た称号だったはずだけど、そういう風になってるのか)


 600年後の世界に名前が残るほどの歴史上の英雄であり、しかも神殿に馴染みの深い相手であれば、クロエの目の色が変るのも理解出来る。と思いつつも、パワフル、という言葉がよく似合う聖女本人を知るレンは苦笑を禁じ得ない。


 称号には幾つかの効果があるが、聖人の場合――この場合は聖女だが、分かりやすいところで、治癒系統の効果が常に1.2倍になる。

 だから、レイド戦で活躍したギースリーギルドが聖女または聖人の称号を得られると分かった際に、ギルドで最も回復系魔法の技能が高い猫獣人のカッツェドラッヘンがその称号を受け取ることとなっただけの話で、聖女たる何かがあったわけではないのだ。


「レン、カッツェ様が猫の獣人だったって本当?」

「ああ、本当だよ。獣人だから普通なら僧侶系や魔法職は不向きなのに、基本技能をとことん育てていてかなりの腕前だったよ。ちなみに聖女っていうのは称号のひとつで、戦いの褒賞みたいなものだったよ。大勢で戦って、特に功績があった個人やギルドに称号が与えられるような仕組みだと思ったけど」

「それは伝わってる。英雄が総掛かりで戦って、漸く勝てるような竜人との戦いの後、彼女を聖女とするという神託があった」

「レイド戦だね。黄金竜と契約している竜人が相手だと、総力戦じゃないと相手にならないんだよ」


 竜人にダメージを与えても、黄金竜が健在であるなら竜人は死なず、ほんの僅かな時間で回復されてしまうのだ。

 だからと言って、竜人ではなく黄金竜と戦うのも悪手とされていた。黄金竜は当時のプレイヤーの上位者であっても良い勝負に持ち込めるかどうかという敵だ。竜人と黄金竜であるなら、まだ竜人の方が与しやすい。

 が、黄金竜を放置すれば、竜人は死なないだけではなく、あっというまに竜の生命力で回復してしまうのだ。


 だが、倒せないわけではない。

 レンが知る限りでも3つの対策が発見されていた。


 ソウルリンクの断絶がひとつ目の答えだ。簡単ではないが、不可能ではない。沢山の英雄が死んでは復活しを繰り返しながらであれば、という但し書きが付くが、運営が公表していたヒントからも、これは有効な手段とされていた。

 竜にのみ効果を及ぼす毒薬、というのもひとつの方法ではあった。ただし、現時点での素材の入手は、レンから見てもとても難しい。レンと同格以上の者が数人のパーティを組んで行う必要がある、という代物であり、レンが知る限り、現在それに同行できそうなのはライカと、当の竜人のリオしかいない。

 竜人が一時撤退して回復しようとしたら、飽和攻撃で足止めをする、という力業もあったりするが、失敗すると人間側の回復アイテムがあっという間に尽きてしまうため、これは最後の手段とされていた。


 どの方法を取るにしてもプレイヤー達が協力しなければ実現は難しく、だから多くのネームドの竜人はレイド戦になる仕様だった。


「しかし、称号に神託まであったのか……どんな神託かは伝わっているのか?」

「記録は神殿に戻れば……たしか、カッツェドラッヘンを聖女と認める。何者も、聖女の自由を奪うなかれ……みたいな内容だった」

レンご主人様、7賢人のお話は有名すぎて、色々なバリエーションの詩やお伽噺があるんですの。ですから正確な内容は、記録を確認しないと分からないのですわ」

「まあ、お伽噺みたいに伝わっているのなら、それも仕方ないか」


 現代日本であれば絵本や子供向けの伝記などが存在するが、古来、子供に聞かせるお伽噺というものは、口伝で伝わるもので、その過程で様々な変化が加わっていくものなのだ。

 子供の頃に聞いたお伽噺を自分の子供に聞かせる際に、親から聞いた一字一句を正確に伝えられるはずがない。

 当然、言葉は適当になるし、筋すらも怪しくなってくる。

 その辻褄合わせをしたものが、次世代に伝わるのだ。

 そしてその積み重ねが600年である。600年の世代を超えた伝言ゲームと考えれば、正しい情報が神殿の記録にしかないというのも当然か、とレンは嘆息した。


 そもそもが600年前である。

 英雄と呼ばれてはいても、一介の冒険者の名前や、その冒険者が行ったことが伝わっていることの方が奇跡に近い。

 たしかに日本でも、4~500年前の人物として、織田信長、豊臣秀吉など、多くの英雄と呼べそうな人物達の名前が伝わっているが、彼らは最初から、もしくは最終的には、武士階級という、皆が文字を知っており、名前を記録に残せる場所にいた。

 だが、例えば豊臣秀吉の両親については、生母である大政所おおまんどころは知られているが、その本名についての正確な記録は残っていない。『仲』という名前であると言われているが、そういう説もある、程度の確からしさなのだ。

 父親も木下弥右衛門という名前が出てくることもあるが、これも明確な記録があるわけではない。

 秀吉は自分の経歴の捏造を積極的に行っていた節があり、秀吉がお抱えの学者大村由己に書かせた伝記『天正記』では書かれた時期によってその経歴が様々に変化するため、秀吉を普通と考えることは出来ないが、普通の平民に近い身分であれば、その名前が後生にまで残ることは滅多にないのだ。

 西洋であれば平民出身のジャンヌ・ダルクという例があるが、彼女は最終的には貴族であったし、異端審問で火刑に処されたことで、悲劇のヒロインとして政治利用され、名前が残ることとなったのだ。


 歴史に名前が残るにはそれだけの理由と環境が必要で、それらが揃っていても、時間の経過と共に情報の精度は劣化していく。

 少なくとも地球ではそうなるものだが、この世界には長命種のエルフがいた。

 そしてライカが英雄の足跡を蒐集したことで、知っている者がいなくなる前に様々な情報が記録されたのだ。


「しかし、そうすると、Tさんの魔法の記録もあるのかな?」


 T・ショーは時空魔法を極めたアバターで、中でも自爆魔法と呼ばれる『黒き虚ろ』という強力な攻撃魔法を操る人物である。

『黒き虚ろ』には致命的とも言える欠陥があった。発動は術者から半径10メートル以内で、効果範囲は最小まで絞っても半径15メートルなのだ。

 そのため、術者が確実に大きなダメージを受けるのだが、魔法のエフェクトの格好良さから、T・ショーはそれを愛用していた。


「ええ。沢山残ってますわ。ご本人が『黒き虚ろ』を殊の外気に入られていて、『黒き虚ろ』と書いて『ブラックホール』と読むのだ、などという言葉が残ってましたわね」


 英雄の時代の記録を蒐集していたライカは、そんな記録を披露した。

 それを聞き、クロエと、ついでにエミリアの目が輝く。


「カッツェ様のお言葉とか、あまり知られていない行動とか、何かない?」

「たくさんありますわよ。例えば黄昏商会で好んで買われていたのが、馬の毛のブラシですわね」

「ああ、革鎧のメンテの時に必要になるからね。俺も同じの買い込んであるよ」


 これだけど、とレンが差し出したのは、何の変哲もない白木に馬の毛を植え込んだ小ぶりのブラシだった。特徴らしき部分もなく、強いて言えば、柄の先に革紐が結ばれていて、その革紐がやや赤いことだろうか。

 クロエが貸して、と手を伸ばしてきたのをレンは制し、周囲を見回した。


「人が増えてきたな。そろそろ移動しよう。『お嬢様』」


 黒くガラス状に変化した壁面は、それなりに有名らしく、行商のついでに立ち寄ったと思われる者たちが数人、路地の入り口から覗き込んでいる。が、それ以上近寄ってくる者はいない。


(護衛を引き連れた令嬢がいるところに踏み込んでくる行商人なんているわけないか。覗き込むのも、相手によっては危ないと思うけど)


 そう思いはしても、レンが指摘する筋合いのことでもない。

 ただ、行商人の視線から『お嬢様』を隠すように動き、クロエはその隙にローブのフードを被る。


「さてお嬢様。次はどちらに参られますか? ご希望がなければ、そこのライカに案内させますが」


 殊更、大きな声でレンはそう尋ね、行商人達にもう移動するのだと教える。


「次は冒険者ギルドの裏庭を見たい」

「……裏庭?」


 いいんですか、それ、とレンはエミリアに視線で問うと、エミリアは頷いた。

 ちゃんとエミリアには話が通っているのか、とレンは周囲を静かに威嚇するラウロに声を掛けた。


「移動します。冒険者ギルドだそうです」

「おお、私も機会があれば見たかったのだ」

「……何か名所になってるんですか?」

「なんだ知らぬのか?」

「言っちゃダメ!」

「しかし、護衛に情報を伏せるのは感心しない……」


 と、反論しかけたラウロだったが、クロエに睨まれ、


「いや、好きにすると良い。これだけの戦力があって、不意を突かれることもなかろう」


 とトーンダウンするのだった。

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