第100話 海への道のり――メンテナンス

 聖域の村を出ると次はエンシーナの街である。

 エンシーナの街は、ゲームのスタート地点、始まりの街オルネラから分かれて誕生した街で、先だって、リオと黄金竜のエーレンが街道沿いに降りたって騒ぎになった場所のそばでもある。


 エンシーナの街にはクロエを知る者が多く、リオがやってきたときにレンとライカも顔を知られているので、街には寄らずに馬車はそのまま東に向かう。


「結界の確認はしなくて良かったのですか?」


 と黄金竜騒ぎについてあまり詳しい経緯を知らないフランチェスカが尋ねるとライカは頷いた。


「この街は、先日視察済みですの。それに聖域の村に近すぎて、クロエさんのことを知っている人もそれなりにいらっしゃいますわよね?」

「なるほど。確かに東方面からの荷は、この街を経由するし、我々を見知った者もいますね……しかし既に視察済みとは驚きました」

「まあ色々な偶然が重なった結果ですわ」


 なるほど、と頷くフランチェスカ。

 その隣で、クロエはライカから借りた猫の縫いぐるみを観察していた。


 大きな目に大きな頭。リアルさよりもかわいらしさ、特に幼生のそれを重視したデザインで、構造はシンプル。色違いの布で目や口を表現し、感触はただただ柔らかい。

 そういう物は、英雄によって持ち込まれ、他にも例がなくはないが、この世界ではあまり一般的ではなかった。

 この世界の人形と言えば、薪から削り出したような棒をベースにした代物か、もしくはビスク・ドールに似たリアルな品である。

 ちなみに、前者が平民向けで、後者が貴族向けである。

 クロエとマリーが神殿で与えられていたのは、主に貴族向けの品で、だから、レイラが作ったという猫の縫いぐるみはクロエからすると、とても奇異な物に見えた。


「クロエさん、似たようなイメージで作るなら、こんな感じになると思うよ」


 レンはノートにペンで、マリーのイラストを描いた。


「……下手?」


 そこに描かれたのは4頭身ほどで、目が顔の4分の1以上はあろうかという少女のイラストだった。いわゆる萌え絵である。

 服装は、聖域の村でマリーやクロエが来ていたローブのような物で、クロエよりもややウェーブが掛かっている髪は分かりやすくクルクルに描かれている。

 この世界の人物画としてはありえない描き方だが、レンからしたらとても上手く描けている。が、クロエのお眼鏡には適わなかったらしい。


「下手……かな。まあ、これは全体的に幼い感じに描く技法なんだよ」

「幼い感じに……なるほど。じっくり見れば、特徴はよく出てる」

「うん。幼い感じにして、特徴はしっかり掴むのが大事だね。まあでも……こういう絵も……描けると便利……かな?」


 レンは、ノートにペンを走らせて、割とリアル寄りな絵を描く。

 題材はライカである。


「……レンご主人様、意外な特技がございましたのね? ペン画ですけど、これだけ短時間で描けるなら、似顔絵描きとして国に雇って貰えますわ」

「国にって……ああ、指名手配書とかか……まあそれはそれとして、割と普通に描けたな」


 日本では義務教育で習ったのを除けば、子供の頃に好きな漫画のキャラを模写した程度の絵心しかないレンだった。

 だからイラストも、あくまでも参考レベルの漫画っぽい絵になってしまうだろうと思っていたのだが、レンは自分の手が、思ったよりも正確に動くことに驚いていた。

 試しに余白にフリーハンドで直線と円を描いてみると、それらは定規かテンプレートでも使ったかのように、綺麗な形になった。


「レン、レン。私も描いて。さっきのマリーの絵っぽく」

「ああ、えーと、そうだね。作るのはクロエさん縫いぐるみなんだし、イラストもそうするべきか」


 僅かとは言え、振動のある馬車の中で、レンはクロエのイラストを描き上げる。

 服装は、レンが渡して以来、クロエのお気に入りとなっている白いローブ。

 長めの薄茶色の髪を首の後ろ辺りで緩くまとめ、表情は楽しげな時のクロエのそれを模して、手には何となく、フレイルを持たせてみる。


「……フレイル? 今は持ってないけど?」

「うん? ああ、最初に会ったときに持ってた……よな? あれ? マリーさんだけだっけ? あっちは岩の壁を叩き割ったから印象が強いんだけど」

「持ってた……うん、マリーとお揃いの持ってる」

「お揃いなら、縫いぐるみに持たせておくと喜ぶんじゃないかな?」

「……でも、レン。私もこの絵の描き方も知りたい」


 クロエに請われ、レンは少し困ったようにペンで頭を掻く。


「んー……フランチェスカさんとエミリアさんの許可を得たらね」


 どうも、この手の絵は、まだ一般的ではないようだ、と判断したレンは、許可を取ったら教えると約束する。




 アデリーナ、ヴィオラの村を通過する。

 それぞれの村では、馬に水を飲ませ、小一時間ほどの休息を取る。

 休憩中にレンが結界杭を見て回る。

 とは言っても、ここから先は、神託の巫女である事は秘したままであり、貴族のお嬢様と単なる護衛である。

 それが失われたら致命傷となる結界杭によそ者は近寄れないため、遠くから魔力感知で杭と結界そのものの様子を確認する以上のことはできない。


(結界の密度も問題はないし、各地に送った錬金術師達はちゃんと仕事をしてくれてるみたいだね)


 同時に、レンには、後日移住する先を見付けるというミッションもあった。

 得られる食材の多様性を考えれば海辺の街や村が理想ではあるが、アイテムボックスを使った行商人がいれば、新鮮な食材という問題は簡単にクリア出来る。

 風光明媚だったり、周辺地理がレンの好みに合っていたりするのなら、その時点で十分に候補足り得るのだ。


(でもまあ、ここは普通の村だよなぁ)


 というのが、結界杭の様子を見る際に村の中を散歩して回ったレンの感想である。

 滅亡の危機に瀕した人類は、まず最初に、生存に直結しない街や村の多くを放棄した。

 残っているのは、畑や酪農食べ物資源採取金属など鍛冶や細工師の拠点物作り宿場町流通に必要と判断された街と村で、風光明媚だけが売りの街や村は、真っ先に放棄されたのだ。

 オラクルの村の前身、ゲズイッフィ村などもそのひとつで、温泉が売りの村は、世界から英雄の痕跡が消えるのとほぼ同時に、往復の困難さもあって放棄された。


 ヴィオラの村で昼食を摂り、午後のまだ日の高い内にゼーニャの街に到着した一行は、街で一番まともそうな宿屋に部屋を求めた。

 クロエと護衛2人で1室、ラウロ達4名がその両隣の部屋を借り、レンとライカはクロエたちの正面の部屋である。

 ゼーニャの街には宿は二つしかない。

 高い宿と安い宿だが、彼らが泊まったのは比較的裕福な商人が泊まる、高い宿だった。

 なお、安い宿は食料輸送を行う人足のための宿で、雑魚寝部屋が幾つかと、個室が2部屋しかなかったりする。ちなみに、人足であれば使用料は無料となるため、宿と言うよりも領主が人足のために作らせた施設という側面が大きい。


 領主であるプリモ・ゼーニャには、街に入る前の段階でラウロがファビオを派遣し、何もせずに見守ることを要求している。

 神殿には、誰がいるのかを明かさずに、神託の巫女様の命令で各地を視察している。とフランチェスカが連絡した。


 そして、クロエは、「お嬢様」として街の散歩を堪能していた。

 夕方の市場を巡って買い物をして、フードを被って神殿におもむいて祈りを捧げ、普通の食堂でレン達と一緒に食事を摂る。

 ライカの仕込みが功を奏しており、多くの人々は、ああ、この娘が噂になっていた貴族のお嬢さんか、と自分自身で気付いた答えに満足し、それ以上は考えない。


 如何にもプロの護衛ですという姿の護衛たちと、一見すると防具に見えない防具を身につけたレンとライカを伴って街を歩き、夕食後に街外れの小さな泉を眺めたクロエは、明日は英雄の時代からあるという建物を見て回るのだと楽しそうに笑うのだった。




 クロエ達との散歩から戻ったレンは、馬たちを休ませる傍ら、馬車のチェックに余念がなかった。

 結界の外で、魔物から逃げようと言うときに、馬車が不調であれば命を落とすことになる。

 レンとライカと、その他の護衛がいる時点で、街道沿いで遭遇するであろう魔物程度なら返り討ちにできるわけだが、しっかりと整備を行うことで、馬車の不調の多くは防止できるのだ。


「レン殿、昨日も整備をされてませんでしたか?」


 と、エミリアなどはややあきれ顔である。


「まあね、命を預ける物だからね。特に、旅の始めの頃はしっかりと見ておかないとならないんだ」

「旅の始め?」


 エミリアの横で、クロエが、意味が分からないと首を傾げる。

 見た目だけは木製に見える車輪を手で回しながら、可動部分にオイルを差すと、鉱物オイルの独特の匂いが空気に混じる。

 余分なオイルを拭き取りつつ、何回かそれを繰り返しながら、レンは頷いた。


「部品の緩みとかはね、割と最初から緩んでいたってことが多いんだ。そういうのは、長い時間走ることで緩み方が酷くなったりするんだけど、長旅の始めの段階で何回か確認しておくと、案外見付けられる物なんだよ。もちろん、一定距離を走らせたら、またチェックするけどね」

「緩んでから直すのではダメなの?」

「んー、それで良い場合もあるけど、悪い場合、色々手遅れになるからね。緩んだネジに力が掛ると折れたりもするし……それに例えば、車輪の外側の中央の小さな蓋。クロエさんは、ここに蓋があることに気付いていたかい?」


 レンに聞かれ、クロエは首を横に振った。

 直径3センチほどの蓋は、あると言われれば確かにあると分かるが、気にしなければ意匠のひとつと見落としかねない。


「毎日じゃなくても、定期的にチェックしていると、細かい部品までしっかりと覚えられるんだ。こんな小さな蓋がなくなっても、それがあったことすら覚えていないなら、なくなったと気付くことは出来ないよね? だから、しっかりとチェックして、正常な状態を覚えて、異常があったら見逃さないようにするんだ」

「私も見てれば覚えられる?」

「多分ね。この馬車は特殊だから、最初はもっと普通の馬車で覚えることをお勧めするけど」


 車輪に小さな傷が出来ているのに気付いたレンは、洗浄で傷の周辺を綺麗にしてから周辺を錬金魔法の錬成で液状化させて、傷を埋める。

 見た目は木製だが、錬金魔法に反応してその表面が水銀のように変化し、ふよふよと揺れながら傷を埋め、傷が完全に消えたところで固形化すると、水銀っぽい見た目だったのが嘘のように、木目が現れる。


「魔法の錬成で修理?」

「普通の馬車は木で出来てるから、錬成じゃ直せないよ。こいつは魔法金属の塊だから、修理に必要になるのは錬金魔法の錬成なんだ。木製っぽい見た目は、魔法金属に与えられた外見の性質だね」

「外見の性質……ああ、聖銀ミスリルのナイフは色とか変えられるって聞いた」

「そうだね。普通は外見を変えるくらいなら他の性質を弄るけど、この馬車の部品を作ったのは、英雄の中でも五本の指に数えられる鍛冶師で、細かい部分にも手を抜かない人だったんだ」


 見て、触れて、叩いて、と、チェックを行ったレンは、最後に浮かせた状態の車輪に手を掛けてそっと回す。

 ほとんど無音で回転する車輪に引っかかりやブレがないこと、車輪自体に歪みがないことなどを確認してチェックは完了となった。


 しゃがみ込んでいたクロエが立ち上がりのを支えながらエミリアが首を傾げる。


「……この馬車の問題をあげるとすれば、レン殿以外に整備できる者がいないということかも知れませんね」

「それは確かに……傷埋め程度なら錬金術師なら誰でも出来るけど、部品の緩みなんかを締め付けるには、道具を揃えてやり方を覚えないとだし」


 必要となる道具は、スパナとドライバーがそれぞれ数種類ずつだが、この世界の標準的な工具は金槌と釘で、ネジは英雄達が持ち込んだ技術として存在はしているが、英雄が作ったもの以外は精度に問題があり、あまり普及しておらず、それらを扱うための工具もほとんど普及していないのだ。


「馬車を購入した者には工具を付ける、という方法もありますけど、レン殿のやったような修理は工具があっても出来ませんしね」

「学園で鍛冶師、錬金術師のどちらかを学んでいれば、理屈では修理は出来るけど……まあ、見た事のないものをいきなり持ち込まれても怖くて修理は出来ないかな」


 それは日本で言うなら、工具が一通り揃っていれば自動車のエンジン整備が――何ならジェット機の整備でも良いが、出来るというに等しい。


(基礎的な操作を知っているからと言って、即、複雑な作業ができる、とはならないよなぁ)


 とレンは溜息をついた。


「レン、私も同じ事、できるようになれる?」

「ん……錬成使って傷を埋める程度ならできる……というか、学園でもそれは実習でやってる筈だよね?」


 それは結界杭や結界棒の修復のための必須技能である。

 傷埋め程度であれば、学園で学んだ錬金術師であれば……何なら学んでいない錬金術師でも可能だ。


「あー、うん。なるほど、確かに出来る? と思う?」


 クロエは、自信なさげに視線をさまよわせ、レンは、旅の間にクロエに簡単な復習をさせようと心に決めるのであった。

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