第99話 海への道のり――縫いぐるみ

 街や村では2泊する予定になっている。

 視察という名目であればそれなりの時間が必要になるし、馬を休ませる意味もある。

 ポーションを馬に与えれば、或いは限界を超える長時間の走行もできるだろうが、それは最後の手段と考えているレンだった。


「馬車馬のように、なんて言うけど、薬でそれを続けるのは健全じゃないからね」


 というのがレンの意見である。

 それはさておき。

 聖域の村は最初の泊地であり、馬はまだ疲労していない、が、レンは2泊ペースを主張した。

 2泊3日である。3日目は日の出前から動き始めるが、二日目はのんびり過ごす。とのことである。


「なるほど。スローライフの実践ですわね。しっかりと観察させて頂きますのでご自由になさってくださいまし」


 とはライカの弁である。


 なおレンが組み直した魔道具は、神殿に再度収蔵された。

 そしてレンからの依頼で、マリーから王都在住の先代神託の巫女、イレーネ経由で「そういう品物が収蔵された。迷宮産の魔力の櫃、もしくは魔力爆弾というアイテムがあれば同じ物を作れるはずである」という情報が王宮に齎された。

 王宮が最速で人員を送るにしても数日が必要となるため、その頃、レン達は旅の空の下である。


 そのように取り計らって欲しいというレンに、ラウロは、借りている家の応接間でレンと対峙し、王宮を動かしておきながら、逃げるように旅立つのかと憤慨したが、レンは


「逃げるように、じゃなく、実際に逃げるんだけどね」


 と笑って答えた。

 このままここに残れば、視察の旅を道半ばどころか、一歩踏み出したところで諦めることになるし、説明が可能なレンが残るとなれば、ライカも残ることになりクロエの護衛戦力が低下する。

 それは王宮の望むところではない、とレンは断言した。

 元々、緑の魔石の充填の可能性についてはルシウスにも話をしてあるのだ。

 迷宮産の品を使うことで、その性能はレンの予想の超える物となっていた点は想定外だったが、それを除けばルシウスもこの流れは計算しているだろう、とレンは読んでいた。

 加えて作成に必要な情報はマリーに教えてあるのだから、レンが待っている理由もない。

 量産をするのならそれは国の仕事だし、黄色の魔石、赤の魔石の充填の研究を国が行う際に、レンに問い合わせがあれば口と手を出しに行くつもりもある。


 となれば、王都への説明を急ぐ必要はない。それよりも元々の予定を計画通りに遂行することを優先すべきである。

 計画らしい計画もない視察だが、それでも商会の者を先行させて『旅をしているのは神託の巫女様ではない』という情報を拡散しているのだから、あまりそこから遅れるべきではない。という考えもあった。


「まあ逃げると言っても、視察が終わったらルシウスさんに説明しに行くし、何ならその旨の許可も取るけど?」


 というレンに、ラウロはそれならば、と頷いた。

 と。


「可能であれば、魔道具の説明を行なう際は臨席させて頂きたいですな」


 とファビオが口を挟む。


「俺は構わないですけど、ルシウスさんの許可は得てくださいね。あと、知りたいことがあるなら、別にその場じゃなく、今ここででも教えますけど?」

「いや、緑の魔石の魔力の充填? が出来る品と言うことで、まあ珍しい物だとは思うのですが、なぜその程度の品で王宮が対応に動くのか、その理由を知りたいのですよ」

「所詮は緑の魔石ですから、前提を知らないとそう思うのも当然だと思います。この話はルシウスさんに相談した俺の思いつきが元になっています……ルシウスさんにはなぜそういう取り組みが必要なのかという情報は記録に残しておくようにお願いもしてありますので、公爵家の関係者であれば閲覧できると思いますし……うん、ご説明しますね」


 レンは、便利な魔道具が普及しきって今のやり方が廃れた世界で、魔石確保のためにグリーン系の魔物が乱獲され、魔石の入手が困難となったら何が起きるのかをファビオに説明した。


「あり得ぬ。そんなバカなことにはならない。とは言えませんな……今日の我々に例えるなら、薪を使いすぎて、新たな薪が手に入らず、火を禁じられるに等しいわけですな? その上、魔石は薪と違って、木を植えて増やすことも出来ぬと……魔石は全ての力の源になり得るが、それに頼り切るのが危険であるということは理解出来たと思います。で、対策として、空になった魔石に、魔法使いが魔力を注ぐ方法を研究する、ということですか」

「ええ、理解が早くて助かります。荒唐無稽な憶測に憶測を重ねた未来予想図ですから、あり得ないと言われることも覚悟はしていたんですけどね」


 普段ならそのように怒鳴りそうなラウロは、なぜか大人しくレンの話に耳を傾けていた。


「たしかにあり得ないと思う部分も残っています。レン殿の話では、グリーン系の魔物が絶滅寸前まで減る必要がありますが、魔物を絶滅させたいと思っても力及ばず、被害ばかりが広がる状況を見ておりますので……ただ、こう言っては失礼ですが、ルシウス様が必要と考えられているのであれば、と納得したようなものです」

「得体の知れないエルフの言葉をそのまま信じるよりは健全ですよ」

「ご理解頂けて恐縮です……しかし、となれば、レン殿が作った魔道具は、未来の国家の命綱にもなりかねぬわけですな?」


 ファビオの問いにレンは首を横に振った。


「そうならないために、ルシウスさんが色々やってます。まず魔道具が普及しすぎないようにする。加えて魔石を専売にする。主にこの二点ですね」

「……確かにそのような動きはありますが、そういう目的だったのですね……魔道具の普及が緩やかなら、魔物が取り尽くされるのは遠い未来になる。魔石が専売となれば流通量を抑制できる……なるほど。それらが功を奏すれば、急激な魔石不足は発生しにくくなりますな」

「ええ、そっちが上手くいけば、今回の魔道具の出番はありません。それに文明崩壊に流れるとしてもそれはヒト種にとっては遠い未来の……多分、数世代後の話ですから、あなた方には直接の影響はないでしょうね」


 しかし、エルフにとっては割と無視できないほどに近い未来の話でもある。

 地球で石油が多用されるようになったのは19世紀の半ばから末にかけてである。

 石油は紀元前からその存在が知られており、薬用その他の用途で使われてはいたが、大量消費が始まったのはその辺りなのだ。


 そして、採掘技術の発達がなければ、人類は20世紀の終わりには石油を掘れなくなっていたとされている。


 1970年時点での石油の可採年数は残り30年と言われていた。

 当時知られていた油田と、当時の技術からの計算結果である。

 しかしその後、当時では手が届かなかった大深度からの採掘が可能になったり、石油が染み込んだ岩石層からの採油技術が開発されたりして、石油の可採年数は年々伸びている。


 技術の進歩が間に合ったおかげで今の先進諸国の文明は維持されたのだ。

 だが、大量消費開始から僅か150年を待たずしてタイムリミットが提示されていたのもまた事実である。


 レンはそうした歴史から、魔石の問題は魔道具普及開始から200年前後で発生すると仮定していた。


 1000年の寿命を持つエルフであっても200年はそれなりに長い。

 ヒト種に置き換えれば、15年ほどの時間である。

 若者にとっては15年先は想像も付かないほどの未来かも知れないが、日々を過ごしていれば多くの者はそこに到達できる未来でもある。

 そして日本では若者と呼べる年齢ではなかったレンにしてみれば、それは割と真剣に向き合うべき範囲内にある未来だった。


「確かにレン殿の話す未来に私たちは生きてはいないでしょうな……だが、王家や貴族が残っているのであれば、世界を維持しなければなりません。ルシウス様のなさっていることは、まさにそのための仕事なのでしょう。なれば、国民として、我々も尽力するが筋というもの」


 全ては王家と貴族のためであり、守るべき対象に民は含まれないが、守らないという意味ではない。この世界において、それらは王家の所有物とされており、王家の財産は最優先で守られるべきもののひとつに含まれる。しかし、ファビオの言葉にはそれ以上の意味がある。そう気付いたレンはファビオの言葉に対して


「俺はエルフですからヒトの身分制には含まれませんし、国民かと言われると微妙ですが、ヒトの繁栄があってこそ、人間全体も繁栄できると考えています。だから、人間の繁栄のためであれば、可能な範囲で力を尽くしましょう」


 と返す。それを聞いたファビオは、楽しげな笑みを浮かべ、


「殊勝なお言葉ですな。ラウロ様には後ほど私から裏の意味まで含めて説明させて頂くとしましょう」


 と返すのだった。




 ファビオと別れ、自室に戻ったレンの元に、ライカが訪ねてきた。


レンご主人様、先ほど、可能な範囲での尽力という言質を与えてらっしゃいましたが」

「聞こえてたか」

「応接間の会話は、個室には届きますわ。エルフなら聞こうとしなくても聞こえます」

「そうか。なら言っておくけど、俺が言ったのは、人間の繁栄のためなら尽力する、だからな。勘違いはしないように」

「ヒトの繁栄あってこそ、と仰ってましたわよね?」

「そこは約束じゃなく、俺が思っていることだから。肝心の約束本文は、あくまでも人間の繁栄のためだからね。ヒト種のみが繁栄するようなことには協力はしないよ。契約書は文脈で読んじゃうと危険だから、きちんと頭の中で箇条書きにして、何を言っているのかが曖昧ならサインはしないってのは昔教えなかったっけ?」


 NPCであった頃のライカにそこまで教えたという記憶もないレンだったが、自分なら契約面の話を曖昧にすることを許容しないと思うのだけど、とライカに問うと、ライカははっとしたように顔を上げた。


「確かに契約の基本として教わっておりますわ。ですが、相手が自分より強い立場である場合は、口約束で誤解されるようなことを言うのは危険、とも仰ってませんでしたか?」


 ああ、自分なら言いそうだ、とレンは苦笑する。


「口約束ってのは一応契約に準ずるけど、言った言わないってことになりやすいから誤解のないようにするのが大切。というのは間違いじゃないね。特に相手の方が強い立場だと、言ってないことまで捏造されることもある。だけどね、相手が会話に色々仕込んでくるなら、敢えてそういう返し方をして、相手のやっていることを理解しているのだと伝えるのもアリなんだよ」

「仕込んで……ああ、国民として我々もってあたりですわね?」

「そう、貴族として、じゃなく、国民としてって言った上で、俺たちもその『我々』に入って欲しいって言葉選びだった」

「なるほど。だからああいう返事をされていたのですね……契約書がないなら常に分かりやすくせねば、という思い込みは汗顔の至りですわ」

「いや、商売をやる上でそれは間違いじゃないから。ただ、契約書を交わせない状況で、相手が誤解するような言い回しを敢えて使ってると判断できるなら、こっちも同じ手を使ってやり返すのはアリだ。証人となる第三者がいないなら、相手にだけ、その手口は知ってると伝われば良いんだから」

「勉強になりますわ……黄昏商会のレンご主人様語録に追記して貰わないとなりませんわね」


 ライカはそう言いながら、ポーチからクッキーの載った皿とお茶の道具を取り出す。

 ポットのお茶は、朝淹れたもので、カップも温めた状態のものが入っている。


「飲み頃ですわ……お疲れでしょうから、こちらを」

「ああ、ありがとう」


 部屋に柑橘類の精油で香り付けされた紅茶の香りが広がる。

 これはレンが作り方を教え、ライカ主導で開発された品である。


「ああ、アールグレイもどきか。うん、よく出来てるね」


 香りを楽しみ、ホット用に調整されたアールグレイそっくりの紅茶の入ったカップを口に運ぶ。

 ベルガモット、ではないが、それに似た香りの柑橘類っぽい果物から作成した精油で紅茶の茶葉に香りを付けた品である。

 現在は、サンテールの街の暁商会で様々なフレーバーティが開発されており、これはその一つだった。


「もどき、ですか……まだ完成には遠そうでしょうか?」

「ん? 味と香りはこれで問題ないよ。英雄が飲んでたアールグレイも製法は結構いい加減だったし……まあ、ホット用とコールド用は製法を分けるべきだけどね」

「……ですが、もどきと仰いましたわよね。ご不満な点がおありならば……」

「ああ、あれはね。名前の由来について考えたら、こっちじゃアールグレイじゃないよねって話なだけだから。サンドイッチはサンドイッチなんだから、アールグレイもアールグレイで良いんだけどね」


 アールグレイ。英語でEarl Greyと書くが、Earlは、爵位の伯爵を意味する。

 直訳すればグレイ伯爵だ。

 その語源には諸説あり定まってはいないが、19世紀のイギリス首相に由来するという説もある。

 この世界ではサンドイッチ同様、音だけが一人歩きしているが、厳密に言えば人名に類する名称であるため、レンはこの世界のそれをアールグレイもどきと呼んでいたのだ。


「だから、名前をアールグレイにするのはどうなんだろうって思うだけで、味と香りは十分に合格だから」

「伯爵……であればレイラが伯爵相当だった筈ですから、アールレイラとでも名付けましょうか」

「ああ、もしくはアールサンテールとかでもいいけどね。まあ各所から苦情がないように調整してくれれば好きにして良いから」


 などと言うレンだったが、暁商会のフレーバーティは、サンテール家を通して王家に献上され、愛飲されているため、下手な名前を付けると騒動となる可能性がある、などとは思いも寄らないのであった。




 そして出発の朝。

 馬車に乗り込もうとするクロエの前に最大の障害が立ちはだかった。


「ギリギリまでお姉様から離れませんわ」


 マリーはそう言って、クロエの腕に抱きつく。

 女の子同士と言うよりも、大きなワンコに懐かれているように見えるクロエに、レンは面白い見世物を観るような視線を送る。


「マリー、離れる。馬車に乗れない」

「そんな! お姉様は私と離れても平気ですの?」

「泣き真似は禁止。マリーとはいつでも話せる。それに、お土産は渡した」

「そんな。物などではお姉様の代わりになりませんわ」

「私の手作りでも?」

「……うっ!」


 クロエのお土産は半分ほどは学生から買い取った物で、残り半分は自分で作った品であった。

 手作りの品はどれもマリーのためにと、クロエが頑張って見た目を可愛い物に変えられるように訓練を積んで作り上げた物である。


 そうした苦労があったことをエミリア達から聞いていたマリーは俯き、謝った。


「いいえ。お姉様の手作りの可愛い品々があれば、お姉様のいない日々を耐えられますわ……ですが、できましたら……年に数回は戻ってきて頂けますか?」

「……約束はできない……けど、機会があったら必ず。それでいい?」

「ええ……はい!」


 クロエに撫でられ、マリーは嬉しそうに顔を上げた。




「クロエ様」


 馬車に乗ったクロエにライカが話しかける。


「何?」

「今度来られるときは、大きなクロエ様の縫いぐるみを作ってこられるとよいかも知れませんわね」

「縫いぐるみ?」

「お人形ですわ。レイラが小さい頃、王都に出る必要があったとき、寂しがらないようにと縫いぐるみを作ってあげましたら、随分長いことその縫いぐるみを抱きしめて過ごしていたと聞きましたわ。そういう、抱きしめていられる物があると、心も落ち着くそうですし」

「なるほど……でも自分の人形は作りにくい……レン、作れる?」


 そう聞かれたレンは、首を傾げる。


「作れなくはないけど、クロエさんが作ることに意味があるんじゃないか?」

「……でも難しい」

「なら、まずはマリーさんの縫いぐるみを作ると良いよ。で、慣れたら顔つきと髪型を少し変えてやればクロエさんになるし」

「でも結構違う」

「クロエ様。縫いぐるみは普通のお人形とは違いますのよ? ええと……ああ、あった。こんな感じですわ」


 ライカはポーチから、小さな猫の縫いぐるみを取り出した。


「……魔物?」

「猫ですわ。ただ、本物の猫とは大分違うでしょう? こうやって、見た目の特徴を際立たせて作るのが縫いぐるみですわ」

「大きな頭に耳と尻尾。うん。本で見た猫に似てるかもしれない」

「まあ、本物から敢えて崩した絵柄なんて、まだ普通じゃないだろうからね……それにしてもライカ。その猫の縫いぐるみは?」

「子供の頃にレイラが大叔母に教えて貰って作りましたの。ほどよい柔らかさがあって、抱きしめていると熟睡できますのよ?」


 親子で縫いぐるみを贈りあって、大切にしているんだな、とレンはライカの頭を撫で、撫でることはあっても撫でられた経験の少ないライカは赤面するのであった。

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