第96話 海への道のり――ヴァレリの村にて

 ライカがレベッカの腕前を見た翌日、ラウロから丁寧な礼状が届いた。

 ライカはそれを見て、まあ、色々と噂はあるが、少なくとも礼儀知らずではないのだろうとラウロ本人ではなく、バルバート家の評価を上方修正した。


 そして諸々の用意が調うと、一行は特に静かにオラクルの村を後にしようとする。が、それは叶わなかった。


「なんで、こんなに見送りの人数がいるんだ?」


 馬車で門に向かおうとすると、その道すがら、多くの人々が馬車に向かって手を振って行ってらっしゃいと声を掛けてくるのだ。

 そしてゆっくりと進んでいくと、門の辺りには、人が集まっている。


 クロエはともかく、レンとライカは出立については秘匿していたはずなのに、とレンが首を傾げると、ライカが申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません。私の不手際です。クロエさんが近隣の町や村の視察に向かうという偽情報を流したのですが、それに過剰反応されてしまったようです」

「偽情報?」

「はい。長期の旅であると知られれば、大勢が見送りに来てしまうでしょうから……と思ったのですが、日付情報は流さなかったのに、短期の予定でもこれだけ集まるとは予想外でしたわ」


 元々、クロエが旅支度をしているという情報は流れていた。

 そして、神殿に馬がいて、エミリア達が世話をしていると言う情報も流れていた。


 そして、ライカの流した情報から、目的地が近隣であるなら、準備が完了したら速やかに出立するのだろう、と読まれていた。

 だから皆は、クロエ達が動いたら即応できるように用意をしていたようだ。とライカは推測を述べた。


「まあ、別に目的地がバレてないのなら問題はないか……クロエさん、皆に手を振ってやるか?」

「ん……エミリア、ドアを開けて」


 馬車にはそこまで大きな窓はない。

 クロエはエミリアに指示を出し、両開きの扉を開けさせ、外に向かって手を振った。


「行ってくる」


 クロエの声に、歓声があがる。


「しかし、別にクロエさんは村にずっといたんだから、別にそんなに大騒ぎするほどの事じゃないだろうに」


 レンがそう呟くと、エミリアは皆ににこやかに手を振りつつ馬車の扉を閉じ、ライカに視線を送った。


「ライカ殿。レン殿はライカ殿の担当ということで、一言お願いします」


 ゆっくりと馬車が動き出すのを感じつつ、ライカは仕方がない、と溜息をついた。


「……仕方ありませんわね……レンご主人様。従来、塀の外に出るというのは危険な行為だというのはお分かりですか?」

「まあ、それはね。イエローの魔物が出てくる部分を進むなら、初級ではかなり厳しい状況に陥る可能性もあることは理解している……勝てない相手なら逃げの一手だろうけど、毎回逃げられるとは限らないだろうし」

「ですから、長旅に出る者がいたなら、皆、幸運を祈るのです……ただ、短い旅でこれだけ見送りが集まるというのは、本当に予想外でしたが」


 塀の外が危険と言っても、例えばイエローの魔物が出ないルートなら、今までの騎士達、冒険者達で十分に対応できる。

 だから、たとえばオラクルの村からサンテールの町までであれば大騒ぎはしない。現に、サンテール家の使用人が定期的に往復をしているが、その都度、見送りがあるわけでもない。

 ライカが流したクロエの視察の噂は、ルートこそ明らかにしていないが、短距離としているのだ。だからライカはここまで大騒ぎになるとはまったく予想していなかった。


「なるほど……言い方は悪いけど今生の別れになる可能性もあると皆は思っている訳か」


 そういえば、聖域の村からの途中でも、やたらと見送りがいたけど、あれはそういう意味があったのか、とレンは思い返す。


「もちろん、私たちがいますから、クロエさんに万が一のことは起きない筈ですわ。ですが、それでも、神託の巫女様のことはお見送りせねば、と皆が考えたのでしょうね……私が思うよりも、ヒト種の信仰は遙かに篤いようですわ」




 そうして旅はまずは聖域の村までを、来たときとは逆向きに移動することから始まった。ただし今更なのでサンテールの街には立ち寄らない。


 黄昏商会に保管されていた英雄の時代に作られたフレームで作られた馬車は速い。

 具体的には、普通の馬車がノンビリ走る速度はヒト種の早歩き時速5キロ程度であり、馬を長時間頑張らせてママチャリ時速15キロ程度。死ぬ気で走らせれば短時間なら原付時速30キロよりは多少マシ程度であるのに対して、ノンビリ走ってもママチャリ程度の速度が出る。


「レン、この馬車はなんでこんなに速いの?」

「理由はふたつだね。まず軽い。普通の馬車と比べて重さが半分もないんだ。木材ではその強度は出せないし、鉄で作れば重くなる。だから魔法金属を使って、軽さと強度を両立している」

「軽くて丈夫……うん。それなら速い……軽いと丈夫のふたつが理由?」

「いや、それは理由のひとつ。もうひとつは……まあ、これは停車したときに見て貰うのが早いんだけど、車輪の抵抗……うーん、まあ、とにかく車輪がよく回るんだ」

「車輪が回るのは当たり前?」

「……まあそうなんだけどね。普通の馬車の車輪を回すと、キイキイ鳴ったりするよね?」


 レンの馬車の車輪には、『玉軸受ボールベアリング』が使用されていた。

 地球では、1世紀頃の発掘品の中から木製の玉軸受が発見されているなど、その歴史はとても古いボールベアリングだが、bearingの意味は支えるもの、担うもの、であり、その構造上、小さな部品に大きな負荷が掛かるようになっている。

 そんなわけで、木製のベアリングを使えば通常ならあっという間にすり減ったり割れてしまったりする。稀に、常時水がかかり、水が潤滑剤兼冷却剤として機能するような部分で使われる程度である。


 そして、この世界では、まだ玉軸受はごく一部の研究者の頭の中にしか存在しなかった。


 普通の馬車の車輪の構造はと言えば基本は木製で、自転車のようにスポークのある木製の車輪に薄い鉄の板を捲いたものが一般的である。

 それを、堅い木の棒の両端に取り付け、馬車本体に取り付けられた板の穴にその木の棒を通す。

 軸を通す穴と、穴に接触する車軸の棒に鉄板が貼り付けられ、車軸そのものが摩擦で削れたり、馬車本体が削れることを防止しているが、特に注油するでもなく使う者もいるため、熱で車軸が傷むなど問題点は少なくない。

 が、車軸に鉄の板を捲くなどして長寿命化した、『すべり軸受』が、この世界に於ける最新技術なのだ。

 走行前にグリースを塗ってやれば多少は長持ちもするし、壊れた際の修理も、交換部品さえあれば素人にでも可能である。


 そういう作りだから、普通の馬車の車輪を回すと、注油が不十分ならキイキイ鳴るし、注油がされていても、重いものを積んだらギシギシと鳴る。

 そして、そんな車輪を手で回そうとすれば、そこそこ力が必要になる。つまりは、摩擦による抵抗がとても大きいのだ。


「車輪が鳴るのは油が足りない証拠と、マリーが言ってた」

「まあそうなんだけどね。油を差した車輪でも手で回すのは大変なんだよ。でもこの馬車は、クロエさんが指先で軽く触れる程度で車輪が回るんだ……まあもちろん、車体を浮かせた状態ならば、って但し書きは付くけどね」

「つまりこの馬車の秘密は、車体の軽さと、車輪の回転のしやすさ?」

「うん、そうだね」


 それらはロードバイクと、ママチャリの違いとほぼ同じであった。


 ロードバイクタイプの自転車の重量は10キロ以下の物が多く、金額によっては6キロ前後であることもある。対するママチャリの重量は、電動でないものであっても15~20キロ。

 そして、車軸ハブに使われるベアリングの精度も段違いで、ママチャリとロードバイクの前輪を浮かせて、同時に同じ力で回転させた場合、車輪が停止するまでの時間は大きく異なると言われている。

 もちろん、その他にも様々な違いがあるが、重量と進む際の抵抗の大きさの違いがママチャリとロードバイクの大きな性能差を生んでいるということを否定する自転車乗りは少ないだろう。


「分かった。どこかで試してみる……でも馬車が浮いてないと試せない?」

「そうだね。でも整備用の支えがあるから、それを取り付ければ簡単に浮かせられるよ」


 そんな話をしつつ進むと、馬車はヴァレリの村に到着した。


「クロエさん。この村では、正体は隠さないんだよね?」

「うん。この前来たときに顔は見られてるし、ヴァレリの村にはお世話になってるから」

「お世話?」

「聖堂にチーズを送ってくれていた……だから、お礼に私が作ったポーションを贈りたい」


 そう言うクロエに、レンは少し考えてから


「……クロエさん、それは止めといた方がいいかな。神託の巫女が手ずから作ったポーションなんて貰ったら、普通の村人は勿体なくて使えなくて、期限切れまで……下手したら期限が切れても村の宝にしかねないよ」


 と、言った。


「自分が作ったものだと伝えて贈りたいのなら、消費期限がなくて壊れにくいものにしよう。例えば、ポーション用の封印紙とか。それか、オラクルの村で作った物です、って言って、クロエさんが作ったと告げずに渡すとか」

「レン殿、自分なら、クロエ様から下賜されたのであれば、誰が作った物であっても手は付けられませんが?」

「……そこまで? あれ、でも聖域の村で作った作物の余剰を他の村に送っていたって話もあったような?」

「あれは、村対村の話です。クロエ様ご本人から渡された物とは価値が異なります」


 馬車が停車し、外から馭者をやっていたフランチェスカがドアをノックする。


「到着しましたが、どうかされましたか?」

「少し待つように!」


 エミリアがそう返し、レンに向き直る。


「レン殿。クロエ様が満足でき、村人が遠慮なく受け取って使えるような品にお心当たりはないか?」

「……安全なのは消え物……食べ物ですね。傷んでいくのが見て分かるなら食べるしかないでしょう。でも、それだとクロエさんは満足できないだろうし……ん? ああ、クロエさん、クロエさんが作った肥料はあるかな」

「作った物、全種類、ポーチにあるけど、数は多くない」

「三つもあれば十分だから。なら、降りたら俺が適当に肥料を使う流れに持って行くから、クロエさんとエミリアさん、ライカもそれに協力して貰えるかな?」




 馬車から降りると、ラウロが村人が近付かないように警戒をしていた。

 護衛としては実に正しいのだが、やや、威嚇しすぎのようにも見え、レンは苦笑を漏らす。


 フランチェスカが用意した踏み台を使ってまずエミリアが降車し、手を伸ばしてクロエが降りるのを手伝う。

 クロエが降りる際、村人達がどよめく。クロエに続いて馬車を降りつつ、レンは首を傾げた。


「今回は先触れもなかったのに、なんでこんなに集まってるんだ?」

「それは」


 とフランチェスカがレンの疑問に答えた。


「ラウロ様が1名を先行させ、安全確認をさせたのです。勿論、乗ってらっしゃる方については一切触れず、ですが」

「そうすると、私の欺瞞工作による影響もあるのかもしれませんわね」


 ライカの呟きに、そういえば暁商会と黄昏商会を使って、貴族の娘が旅をしているという話を流すというのがあったっけ、とレンは思い出すのだった。




「――常と変わらぬ日々に感謝を。神託の巫女様、こうしてまた神託の巫女様をお迎え出来るとは光栄の極みにございます……しかし今回は先触れがございませなんだが、馬車などに何か問題がございましたでしょうか?」


 何か問題でもなければ、こうして突然貴人が足を運んだりはしない、というのが、この世界に於ける常識なのだ。

 村長は緊張しつつも挨拶を行い、そう尋ねた。


「感謝と祈りを。先触れがなかったのは、これが視察の旅であるから。私が来たことは一ヶ月は他言無用」

「は、ははっ……それで、視察とは一体?」

「レン?」


 クロエはレンに視線を向ける。

 レンは一歩前に出て、クロエの隣に並ぶ。


 村人から、不敬では、などという声も上がるがそれら一切を黙殺しつつ、レンは村人達に向かって言った。


「神託の巫女様は、この村の乳製品を殊の外気に入っておられるため、村の畑と家畜の様子を視察する。問題などあれば言って貰いたい。ところで、この村には休耕地はないか?」

「畑全体の2割ほどは休耕地ですが?」

「ならば、手隙の者がいたら、神託の巫女様の視察の後、休耕地のひとつに集めて貰いたい」

「手隙……暇な者はおりませぬが、物見高い者でよろしければ」


 じろり、と睨む村長の視線を受け、村人達が震えるが、村長は気にせずに続けた。


「ここにいる連中でも構わないでしょうか?」

「構わない……それではクロエ様。まずは視察をお願いします」


 元々大して広くもない村である。視察自体はかなり短い時間で終わった。

 視察の途中、やや遠回りをして村の端まで足を伸ばして結界杭も確認する。


 それを見て、ラウロ達は、小さな村に立ち寄ったのはそれが理由だったのかと見当外れの推測をする。


「それで、休耕地はこちらなのですが……いったい何を?」

「神託の巫女様手ずから作られた、数百年前に失われた製法で作られた肥料を畑に撒かせて貰いたいのだが、許可いただけるか?」

「神託の巫女様が作られた? え? そんなものを頂戴してしまって宜しいので?」

「職業レベルを上げる方法が発見されたのは知っているか? 神託の巫女様は、皆の力となるため自らそれを学び、ポーションを作られた。ポーションの効果はオラクルの村で立証されている。視察する全ての村に配ることはできぬが、この村にはかねてより恩義を感じているとのこと……肥料を撒き、よく畑に漉き込み、15日の後、その土を村の他の畑に漉き込むことで、村全体に恩恵が与えられる。ということだが、さて、大切な畑に神託の巫女様とは言え、素人が作った肥料を撒く許可はいただけるだろうか?」

「わざわざ村のために……許可ですか? も、もちろんでございます。願ってもないことです」


 もちろん、個々のポーションの性能試験などはしていない。

 レンが言った「ポーションの効果はオラクルの村で立証されている」というのは、クロエが作ったものではなく、同じ製法で学園で作られたものについて言っているのだが、主語を明確に告げていないので嘘ではない。

 わざわざ村のために、と村長は恐縮しつつも折角の機会を逃さない。


「では……神託の巫女様。肥料ポーションの散布を行いますので、こちらに……」

「自分で撒く」


 手を伸ばすレンに首を横に振り、クロエはポーションの封を切って、中身を畑の端の畝に振りかけた。

 1本、2本と撒くたびに村人達が歓声を上げる。

 別に何かあるわけでもないのだが、クロエがポーションを撒く姿を見て、畑にご加護が、などと言っている。


 3本目を撒き終えたクロエは村長に向き直る。


「後は、今の肥料を畑全体に漉き込んで、雑草などを抜きつつ半月ほど様子を見て、土を他の畑にも撒くと良い」

「あ、ありがとうございます」


 平伏しそうな勢いで頭を下げる村長達に、何かをやりきったような満足げな笑みを浮かべるクロエであった。

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