第94話 心話の使い道

 ラウロ達が学園で学ぶ間、レンとクロエはライカに現状の報告を受けていた。

 何の、と言えば、様々な、である。


「……黄昏商会の粗利はやや下がり気味ですわ。その分、暁商会の粗利がその下落分を補うように推移しています」

「ん? もしかして、顧客を奪い合ってるのか?」

「取扱商品が被る部分もありますから、ある程度は仕方ないかと……ですが、黄昏商会の売上高はあまり変化しておりません。奪い合いなら売上高も下がるかと」

「売上高は変化していない? ああ、落ちたのは粗利だったか」


 粗利とは、要は粗い計算に基づくざっくりとした利益っぽいもの。である。

 『売上高(販売で財布に入ったお金の総額)』-『売上原価(仕入れや製造に直結する費用。材料費や作り手の給与も含まれる)』。それが粗利である。


 粗利から更に各種経費として、店舗費用、製造以外の人件費、税金、広告費など(他にも各種費用が経費に計上される)を支払う必要があるため、単純に粗利を利益と考えるのは間違いである。


 経費を支払うまでの短い間、売り手の財布に入っている金額、という程度の意味合いなのだが、粗利以上の経費が掛かるようになると即座に赤字に転落するため、経営層からすると粗利はかなり重視される項目である。

 ただそれを重視するあまり、製造側の人間に具体的な方法を提示せずに漠然かつ曖昧に『粗利をあげろ』と命じる無責任な管理者などもいるため、管理者が製造職に対して使いはじめたら注意が必要な単語でもある。


 なお、人件費は原価に含まれないと主張する者もたまにいるが、製造職の人件費は原価であり、原価に含まれない人件費(経費)は、営業職、事務職、管理職などの給与である。


 それはさておき。

 粗利が下がる理由は大きく二点。


・商品単価があまりあげられないのに、原価が上昇した場合。

・原価に変化がないのに、商品単価を値下げした場合。


 である。


「商品単価の値下がりと、原価の高騰……今回はどっちだ?」

「原価が高い新製品を安く流通させているから、ですわね」


 王立オラクル職業育成学園を卒業した腕の良い冒険者が増え、ポーション類の材料の値段はゆっくりと低下している。

 原価が低下している以上、単価の下げすぎが原因なのだろう。というのがレンの読みだったが、ライカの回答はレンの想像を裏切った。


「初級ポーションの供給が増えて単価が低下するのは想定範囲内だけど、原価が高い新製品? なんだ? ……新製品ってことは中級のポーションか何かだろ? 中級職でも材料入手難易度が高いのっていうと……もしかして第四種毒消しポーションとかか? あれって使える対象がかなり限られてるはずだけど」


 第四種毒消しポーションは、子供の間で流行する病を食い止めるクエストでレシピを覚えたもので、その実体は体内の特定の毒素や瘴気を中和する効果を持つ体力回復ポーションだった。

 対象となる毒素がかなり限定的だから冒険者が使うことはない筈だけど、とレンは首を傾げる。


「はい、第四種毒消しポーションです。七歳熱に効果があると分かりましたので、各地に広がった卒業生達も作っている筈ですわ」

「七歳熱……ああ、うん。小さい子供が発症する熱病だったよな? 確かに第四種毒消しポーションは七歳熱の特効薬……というか、それ以外にはあんまり効果がないんだけどさ」


 効果対象はゲーム内のクエストと同じなのに、なんでそんなに売れるんだ、とレンは更に首を傾げる。


「……レンご主人様? もしかして、レンご主人様はあまりご病気にはお詳しくないのでしょうか?」

「ん。錬金術師としてポーションに関連する最低限の知識はあるけど、病気そのものについてはそんなに知らないかな」


 レンの言葉を聞き、ライカは、レンの隣で大人しく話を聞いていたクロエと顔を見合わせた。

 そして、クロエはレンに向かって小さく首を傾げて問いかけた。


「レンはバカ?」

「……なんで俺はいきなりディスられてるんだ?」


 クロエは視線を後ろに控えるフランチェスカに向け、説明をするように促した。


「レン殿。七歳熱については、どの程度ご存じですか?」

「いや、何となく、それくらいの年齢までに掛かる病気かなと。後、英雄の時代に子供の間で大流行した時期があった程度かな。確か、普通の体力回復ポーションはあんまり効かなかったはずだけど」


 日本でも、子供のうちにかかる病気は色々とある。

 風疹、おたふく風邪などが有名だが、レンは七歳熱をそれら同様の、子供の頃に掛かったら生涯発症しなくなるような病気だと想像していた。


「概ね、その認識で間違いではありません。ですが付け加えるとすれば、七歳熱は体力がない子供の場合、死病になるということです。多くは子供の内に感染しますが、七歳未満で掛かると大変危険なのでそのように呼ばれているのです。地域によっては召し上げ熱などとも呼ばれ、これは神々がその子供を気に入って、御許に召されるのだという意味です」

「ああ、そういう病気なんだ」

「……レンはまだ分かってない」


 ぽつりと呟くクロエに、フランチェスカは補足をした。


「人間種の子供の、3割ほどは七歳熱で命を落とします」

「……3割? え? 罹患したら3割は助からないのか?」

「いえ、それは致死率ですね。先の数字は死亡率です」


 致死率は、感染した場合に死ぬ割合である。100人に1人しか感染しないが、感染したら絶対に死ぬ、という病気なら、致死率100%となる。

 それに対して死亡率は、人口全体に対して、どの程度が死ぬか、という数字である。先の、100人に1人しか感染しないが、感染したら絶対に死ぬという病であれば、死亡率は1%となる。

 つまり、フランチェスカは10人生まれた子供の内、3人は七歳熱で命を落とすのだと言っているのだ。


「……ひどいな」


 具体的な数字を知り、ようやくレンは、そのさを認識した。

 ちなみに、レンはそれを異常と捉えているが、医療技術や衛生観念が未発達な社会では、乳幼児が死ぬのは珍しいことではない。

 日本でも、明治時代までの平均寿命が40歳前後とされるのは、乳幼児の死亡率が高かったことが大きいと言われている。もちろん、体力のない老人も死んだだろうが、江戸時代の乳幼児死亡率は4~5割とされているのだ。

 つまり、生まれた子供のうち、ほぼ半分が大人になれない時代が地球にもあったのだ。


「はい。それに七歳熱以外の病でも子供は死にます。生まれた子供の内、成人できるのは6割以下でしょうか」

「ええと? ということはあれか? その病死する子供を減らしたら、それだけで人口問題はかなり改善されるってことか?」


 死ななかった子供は大人になる。

 その大人が更に子供を産み、育てる。

 子供が死ななくなれば出生率も緩やかに低下するだろうが、完全な避妊方法のない世界では、人口は増加傾向を維持するだろう、とレンは計算した。

 日本でそれが現実のものとなったのが、明治から昭和にかけての人口爆発で長らく3000万人程度を維持していた日本の人口が、昭和になって急激な伸びを見せた。


「そうですね。第四種毒消しポーションだけであっても今よりも死ぬ子供は減るでしょう」

「だけであっても? 他に中級で、病気に効果のあるポーションはなかった筈だけど?」


 フランチェスカの言葉尻を捉えるように、レンはそう尋ねた。

 そのレンの前のカップにハーブティを注ぎながらライカが答える。


「七歳熱以外の病気であれば、普通の体力回復ポーションであっても一定の効果をもたらしますわ。子供が死にやすいのは、体力がないからですもの。それを回復する方法があれば、それだけで生き延びる可能性が高くなります。ただ、今までは、よほどの金持ちでもなければ、したくても出来なかったのです」


 体力回復ポーションは怪我を治す。

 例えば肺炎であればそれは肺の炎症であり、炎症である以上体力回復ポーションの治癒効果が発揮される。

 ただし体内に入った菌やウィルス、加えてそれらが出した毒素を消し去ることは出来ないため、あくまでも一時的にほんの少し元気になるだけだが、僅かな時間でも熱が下がれば、食事も摂れるし水も飲める。そうやって得た時間で耐性を得ることが出来る可能性もある。


 しかし、これまでポーションは、戦える者、食料生産が出来る者に優先して使われており、働くことのできない子供は後回しにされてきた。

 現代の価値観を持つレンからすれば、優先順位が逆であるようにも見えるが、そうやって命の選別をして来たからこそ、今でも人間は生き残っているのだ。


 ただ、出来れば病人にポーションを与えたいと考える者たちも一定数存在した。

 だからポーションの材料の供給が増え、初級ポーションが量産されるようになったことで、病人に初級体力回復ポーションを与えるという取り組みが現実の物となりつつあった。


「あれ? でも今更だけど、黄昏商会に中級の錬金術師がいたんだ? 卒業生を引き抜いたの?」

「私も卒業前の生徒に引き抜けないか打診くらいはしますわ……まあ役得? みたいなものですわね」

「……ほどほどにね。生徒の大半は各地の領主が、自領発展のために送り込んできてる部分もあるんだから」

「ええ、そこは慎重に確認していますわ」

「……で、これで議題は終わりかな?」

「いえ、もう一つありますわ。クロエさんに御足労願ったのは、むしろそちらが本題と申しますか」

「分かった。聞く」


 クロエが居住まいを正す。

 その前に、とライカは全員のカップを新しいものに交換する。


「……では……黄昏商会、暁商会で、平民を対象に、聞き取り調査を行いました。対象となったのは、黄昏商会、暁商会の顧客ですので、かなりいる、という前提でお聞きください」


 統計というのは正しく使えば大変便利だが、少し細工をすればあり得ないような結果を出すこともある。

 極端な例だが、男子トイレの中でアンケートを取れば、「トイレを利用するのはほぼ100%が男性である」という結果になる。サンプリングが偏っている統計結果は信頼できるものではないし、統計の取り方を決める者によって簡単に歪めることができるのだ。

 それを知ってか知らずか、実に正しい補足をしつつ、ライカは続けた。


「行ったのは、学園の影響に関する聞き取り調査です」

「学園の影響? ……ああ、すまん、説明を続けてくれ」

「まず、生業に対する学園の影響ですが、6割が非常に大きいと回答しています。大きい、やや大きいを含めると9割です。自由回答欄から、結界杭修復との関係性を理解している者もいるようですがそれは少数派で、一番多いのは、新製品の普及と卒業生の手による中級ポーションや、冒険者達による街道の安全の確保、などでしたわ」

「妥当だね。結界杭のことは俺が王太子の名前を借りて好き勝手させてもらったから、その功績は王太子に帰する。これは俺の狙い通りだ。そうなると学園の影響は中級の職業関連になってくる」


 レンの功績が正しく評価されないことを問題と捉えるライカは、この結果に不満があるようだが、レンは、それは考えが浅いと笑う。

 下手に名が売れてしまうと将来のスローライフにも悪影響が出るのだから結果オーライだ、と告げるレンに、ライカは、将来を見越しての判断であればと、不満を表面に出したことを詫びる。


「では次ですが、こちらがクロエさんにご足労頂いた件でして、神託の巫女様が王立オラクル職業育成学園のある村にいることについて問いました」

「えらく唐突な質問じゃないか?」

「そうでもないのです。むしろ元々、妙な噂があったから、この聞き取り調査を行いまして、他にも幾つもの似たような無意味な質問を行い、この質問を埋没させました」

「噂?」

「ええ、神託の巫女様が聖域の村を離れているが、そんなことで神託を授かるというお役目に支障はないのか、というものでした……調べた限り、この噂は、神殿の関係者から流れ始めているようですわ」

「神殿の関係者? そんな根も葉もない……あれ?」


 レンは、初めてクロエと出会った頃の事を思い出し、蒼白になった。


「……クロエさん、そういえば前に俺が、神様は、聖地内限定で力が使えるとか、そんな制限はないのかって聞いた時に、神託がそれだとか言ってなかったか?」

「言った」

「根も葉もあるじゃん……ええと、その状態でクロエさんが聖域の村を離れることについて、神様からは何かないのか? ああ、あっても神託が出来ないんじゃ何も言えないのか」

「……問題ない」

「え? なんで? 神託ってのは、この世界の人からしたら神様から提示される指針みたいな物なんだろ?」

「そういう神託もあるけど、そればかりじゃない……それに、聖域の村にはマリーを残してきている」

「なんだ。マリーさんが代わりに神託を受けられるのか?」

「それは無理。だけど、神託の巫女に近しい者は、神託の巫女と共に心話を授けられる。だから、マリーの心話を使って神託は届けられる」


 マリーは中継器にされるということなのだろう、とレンは納得した。

 そして、今でも心話を使える者がいる理由についても、神託の巫女を定める際に、神が与えていたのか、と理解した。

 クロエはゆっくりとカップを口に運ぶ。

 その所作を見て、レンも思い出したようにお茶を口にする。


「で、ライカ。その聞き取り調査の結果はどういうものだったんだ?」

「王立オラクル職業育成学園の先進的な取り組みの数々は、神託の巫女様を通じて、神様が与えて下さった物なのだろうという意見と、神託を受けられなくなるのは問題であるという意見に綺麗に分かれました……ですので、それについて問題がないかを問いたかったのですが……なるほど、心話にはそういう使い道もあったのですね」

「へぇ、俺が知識を伝えてるって部分はさすがに知られてないようだけど、神様が知識を伝えさせた、という点は合ってるんだな……ところでクロエさん、オラクルの村に滞在してても神託の巫女の業務に支障は出ていないってことでいいんだよね?」

「ない。そもそも神託の巫女が一所ひとところに縛られては、見聞を広めることもできない。それは神殿も知っているはず?」


 知ってるよね、とクロエがフランチェスカに視線を向けると、フランチェスカは頷いた。


「勿論存じておりますが……私見を述べても宜しいでしょうか?」

「いい。許す」

「……推測……過去の事例からの推測ではありますが、昔、神託の巫女様が聖域の村以外のどこかに腰を落ち着ける事を神のご意志に背く行為と考え、神殿の者がそれを妨害しようとしたということがあったと聞き及んでいます」


 フランチェスカは、護衛任務のために過去の神託の巫女に関する様々な情報を学んでおり、その中に、信仰心の高さから神託の巫女の行動を操ろうとした者がいたという記録があったと述べた。


「見聞を広めるためにクロエさんが聖域の村を離れることは許すけど、聖域の村以外に長く逗留するのは許さないってことか」

「まだ、オラクルの村はそうなっていませんが、かつて神託の巫女様が長期滞在された村の神殿には、悩みを抱えた沢山の人々が参拝されていたとありますので、聖域と、聖域を管理する王都神殿の影響力低下を危惧したのではなどという言説もありますが、特に天罰はなかったそうです……ただ、当時の神託の巫女様と、神殿の灰箱に、『神託の巫女は神託の巫女の望むがままあるべし』という神託があったとか……ですので、それを理解している者なら、そういう噂を流すことはない筈ですが」

「……ええとフランチェスカさん。その情報って、さっきの護衛のための勉強で学ぶ前から知ってた?」

「いえ……ああ、なるほど。その情報が神殿の中でもあまり知る者のない情報であれば、当時の者と同じ過ちを繰り返している可能性はありますね」


 レンが言わんとしている内容を理解したフランチェスカは、なるほど、と手を打った。


「そういう理由であれば、フランチェスカさんやエミリアさんが、その情報が書かれた資料なりを神殿の偉い人に送って、同じ事が繰り返されているようです。って連絡すれば片付くんじゃないかな?」

「……そう……ですね。信仰心からのやり過ぎであるなら、正しい神様のご意志を知れば……そうでない場合でも、それが神様のご意志に反する行為であると知ってなお、天罰を恐れずに続けるとも思えませんし」

「で、えらく迂遠な方法だったけど、ライカはそういう事態が発生しているってことを伝えたかったわけだね?」

「神殿はたまにとんでもない事をやらかしますので、やや警戒をしただけですわ……神の意志に従っているという大義名分が得られる場合、何をしても許されると心から信じている神官もおりますし、そういう者が、この村の神殿にいた場合、私たちの話が筒抜けになりますもの」

「さすがにこの村に、そんな狂信者はいないんじゃないか?」

「神の意志を叶えるためであればどのような労苦をも厭わない神官。と言い換えましょうか。そう言い換えればそれは悪い神官ではありませんもの。新しい村の新しい神殿にそういう熱心な人物がいてもおかしいとは思いませんわ……そういう点では、今回の視察はちょうどいいタイミングでしたわね。神託の巫女が王立オラクル職業育成学園の視察に同行して海にまで足を運ぶとなれば、動かずにいるなどとはとても言えませんし」


 ライカがそう言うと、クロエは、それは違う、と首を横に振った。


「本来、どこに行くまでもない。レンを見ていれば飽きないし見聞も広がる。ソレイル様がご満足されるのが一番大事」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る