第93話 情報蒐集

 王立オラクル職業育成学園を出たラウロ達は神殿の位置を確認し、明日、改めて訪問すると告げてサンテールの街に戻った。

 言ってしまえば本人による先触れであり意味がないようにも見えるが、作法さえ間違っていなければ、この世界に於いては最上級の敬意の表し方となる。


 サンテールの街に戻ったラウロ達はファビオを除く部下達を集め、直近の予定の変更を告げた。

 義理の兄であるルシウスがぼやいているのを聞いているため、学園に入学するのが難しいことはラウロも理解している。

 内務うちつかさが制限をかけていると聞き及んでいたが、その機会が与えられるのであれば受けないという選択肢はない。


 連れてきた6名の部下から、護衛に連れて行く3名を学園で鍛えて貰うことができれば、簡単に戦力の増強がはかれるのだ。


 ラウロからの説明のあと、その場に残ったジェラルディーナにレベッカが話しかけた。


「ね、ね、ジェリー。あーしの弓の腕前あがるってホントー?」


 弓使いのレベッカは小柄な女性である。

 髪は弓を引くのに邪魔にならないようにベリーショートにしているが、そのせいもあって、見た目は完全に美少年である。

 そのレベッカに問われ、ジェラルディーナは頷いた。


「職業レベルは上がるって言われたけど、仮に上がらなくても、力を使い果たすまでの訓練を連続して一日中行えるのだから、技能の習熟に役立つことは間違いないでしょうね」

「ならしっかり準備して行かないとね。必要な物とかあるの?」

「着替えなんかだけあれば、という話ね。もしも必要なものがあれば、残る者に届けて貰えとファビオ様は仰っていたわ。でもレベッカ、学園では多少は大人しくしてね?」


 釘を刺されたレベッカは、二ヒヒ、と妙な笑い方をする。


「護衛として一緒に旅をすればバレちゃうんだから猫被ってても意味ないよ。それにしても便利道具のオラクルだよね? 英雄が持っていたような、矢を生み出せる弓とか手に入らないかな?」

「さすがに作れる物じゃないでしょ? それに職業レベルがあがって手に入るのは、知識を記した書物か、物作りで使う道具類というのが一般的で、初回を除けば武器が手に入るという話は聞かないけど?」


 中級になれる職業が皆無というわけではなく、冒険者、農民、戦闘職の一部であれば中級になる方法は伝わってる。

 その常識を口にするジェラルディーナに、レベッカはちっちっち、と指を振る。


「ジェリー、頭固いよ。それはそれ、だよね。戦いを生業にするあーし達は柔軟でなくっちゃ」

「頭固いかな?」

「常識は物差し。それに囚われることのないように、って師匠なら言うんじゃない?」


 ジェラルディーナもレベッカも、元々は同じ村の出身である。

 その村には、過去に軍人だったという猟師が住んでおり、その猟師がふたりの師匠だった。

 ジェラルディーナは騎士爵になり、レベッカは平民のままだったが、その距離感は村娘だった頃と変わりはない。


「まあ、そういうのがあるかどうかは別にして、学園の校長先生っていうのは、もの凄い人だったよ?」

「そうなん?」

「突然、後ろから、短槍の間合いの内側から声を掛けられた」


 ジェラルディーナの言葉を聞き、レベッカは数回、瞬きを繰り返した。


「……え? マジで? あなたが後ろを取られたの?」


 ジェラルディーナは速い。その速度を活かすには、何よりも正しい認識が必要となる。

 レベッカは狙った場所を正確に射貫く。その精度を活かすのも、正しい認識が前提となるし、遠距離武器を使う者は接近されると弱い。


 だから、ジェラルディーナもレベッカも、師匠に勧められるまま、本職とは別に冒険者の職業を得ており、それを限界とされる中級まで育てている。

 結果、得られる技能のひとつが気配察知である。

 レンの域まで育てれば、気配遮断を使わない相手であれば、半径50メートルくらいの生物の気配が感じられるようになるという代物だが、彼女たちはその技能に絞って半径20メートルくらいまでは敵味方の識別程度なら可能だ。

 魔物に囲まれたジェラルディーナが、味方を守り、魔物を屠り続けられたのは、偏にその技能によって、魔物と味方の動きを俯瞰できたからである。


「うん。気が付いたら声を掛けられて、驚いて槍を突きつけた」

「ビックリしてたでしょ?」

「まったく。それどころか、穂先を摘ままれて逸らされた」

「突き出した穂先を? 殺し掛けちゃったの?」

「まさか。相手の目の前で寸止めしたわよ。でもね、穂先を摘ままれるのも、逸らされるのも、見えていたけど、反応出来なかったわ」


 目の前に突きつけられた穂先を摘まんで逸らす。

 それだけなら誰にでもできそうな話だ。

 しかし、見えていても反応できない動きでそれを行なったとなると普通ではない。

 幸か不幸か、彼女たちはそういう実例を見知っていた。


「それって、もしかして、師匠のアレ?」

「無拍子ね、うん。感じは似ていたわ。後ろで見ていたラウロ様もファビオ様も、私が焦っているのを不思議そうにしていたし」


 彼女たちの師匠は、相手の虚をつく動き全般を指して無拍子と呼んでいた。

 どんな攻撃も、いつどこにどのような攻撃が来るのかが分かっているのなら、避ける、ガードする、カウンターを置く、など備える方法は多い。

 そのため、対人戦では相手の目線、つま先などに気を配って相手の次の手を予測しようとするし、相手に次の手を悟られないようにフェイントを行う。

 無拍子は言ってしまえば、フェイントの一種だ。

 ただ、フェイントが本質的には無駄な挙動になりがちなのに対し、無拍子は普通の動きの中にそれを組み込む。動きに無駄がないという意味ではない。それならいっそ予測は容易い。相手の予測しない動きをしつつ、それが意味を持つように動くから無拍子は読み難いのだ。

 だから、気付いたら何かをされていた、という状況になりやすい。

 そして、その動きの目的はあくまでも目の前の敵の幻惑なので、その敵以外からだと何も変ったことがあるようには見えないことが多い。


「校長先生だけが凄いのか、教師全員が凄いのかは気になるね。生徒として指導を受けられるなら、是非、ジェラルディーナには試合して欲しいわね」

「私なの? レベッカの方がそういうの好きじゃない」

「無拍子を使う相手なら近接でしょ? あーしは遠距離だもん。まあ、森の中で、村一つ分の面積を使っていいなら勝つ自信はあるけどね」

「校長先生はエルフだから、森の中は相手の庭だと思うけど?」

「あーしだって、元々猟師になるつもりで師匠に弟子入りしたんだから、森の中なら庭みたいなもんだし」


 だから負けない。と拳を握りしめるレベッカに、ジェラルディーナは暖かい視線を向けるのだった。




「戻りました」

「早かったな。首尾は?」


 その日の夕食後、ラウロの部屋にファビオが現れた。

 ファビオの装いは冒険者風の革鎧で、上にはフードの付いた埃っぽい灰色のローブを羽織っていた。

 今日は髭を剃っておらず、髪も顔も手の指も汚してあり、そこらの酒場で管を巻いていそうな、うだつの上がらぬ冒険者になりきっている。


「……それが、思った以上に」

「まあ、ここはお前の情報網のある街ではない。苦戦もやむなしだ」

「いえ、確かに秘匿された情報もあるようですが、思った以上に簡単に色々な情報が得られました。ここまで簡単だと、偽情報を疑いたくなりますが、基本的にコンラードの述べていたことと大きな差異はありません。加えて、今まで、必要ないと切り捨てていた情報との整合も取れています」

「ほう? ……それではまず着替えて食事をしてこい。話はその後だ。落ち着かないだろうが、食事をしながら要点をまとめてくれ」


 ラウロの言葉に、ファビオは頭を下げつつ退出した。


 いつもの姿――バルバート家とガスト家の紋章が入った革鎧に白いローブをまとったファビオが戻ってきたのは10分後だった。


「早いな。で?」

「まず、神殿の公式な見解――これはルシウス・バーダ様とダヴィード殿下公認ですが、レンというエルフは、神託の巫女様が神託を受けて見出した者とされています」

「されている、か?」

「ここについては、情報が錯綜していますが、英雄の時代からリュンヌ様が召喚した錬金術師であり、ソレイル様がそれを承認され、神託の巫女様が、それを迎えに行った、というあたりまではどうやら事実のようです。殿下の公認については、王都に戻らねば裏を取れませんが、サンテール家とこの街の神殿の共通認識となっていますので、恐らくは事実かと」

「殿下の公認か……陛下もお認めになっているのか?」

「否定する言葉はありません……陛下は最近、政務を殿下に引き継ぎつつあり、表に出るのを控えていらっしゃいますので、直接のお言葉自体が少ないのですが」

「結界杭の正常化、とか言ったか。アレで権力構造が大きく変ろうとしているのだ。各地の結界杭修復の指揮を行った王太子殿下に玉座を譲ろうというのは自然なことではある」

「そういえば、その結界杭の話もありました。結界杭を各地の錬金術師が修復しましたが、その知識と技術は、レンというエルフの錬金術師によってもたらされ、修復に必要となる聖銀ミスリルは神々が用意したものである、という風説も耳にしました」


 ラウロはふん、と鼻で笑った。


「その風説に無理があろう? 聖銀ミスリルを神が用意したというのなら、新しい結界杭を神が用意した方が早かろうに」


 この世界において、神々が人間に何かを与えるのは珍しいことではない。

 大抵の職業で、職業に就いた人間に対し、神々は書物なり道具なりを与えるため、それと同列に結界杭も与えられるだろう、とラウロが考えてしまうのは仕方のないことであった。


「……確かに」

「それで、視察の目的については?」

「そこは秘匿されていました。神託の巫女様については、近隣の神殿への表敬訪問という噂がありますが、公式なものではありません。ただ、短期間、オラクルの村の神殿を留守にするようだ、という噂が流れています」

「まあ、長旅に必要なものを用意すれば、出掛けるらしいという話にはなるだろうが……秘匿された情報を知っている者は、正体が判明するまでは敵と見なせるから楽だな。で?」


 ラウロに促され、ファビオは表情を曇らせる。


「それが、学園側については、出掛けるという噂は欠片も。強いて言えば、神託の巫女様がお出かけになるのであれば、卒業生が護衛に付くのではないか、等という噂が拾えた程度です」

「ほう。情報統制と言うやつか。そこまでとは見事だな」

「ええ、統制と言うよりも完全な秘匿です」


 長旅に必要なものを用意すれば、出掛けるらしいという話程度は広がるものである。

 クロエなどは、旅の準備で色々揃えることを娯楽として楽しんでいたため、その際に若干情報が漏れてしまっていたが、そもそも彼女たちもレン達も、改めて旅の支度をする必要はない。

 取捨選択して持てる大きさ、重さまで減らす。という必要がないし、食料も新鮮な食材を新鮮なまま、大量に保管して持ち歩ける。

 必要なのは、レンとライカが揃って不在となる間の残る者たちへの指示となるが、対外的な折衝を除けば、それらはほぼ必要がなくなりつつある。

 レンとライカの視察について知っているのは貴族とその使用人に、レンの個人的な知り合いに限られる。


「しかし、こちらは学園の卒業生に聞きましたが、学園が職業レベルをあげる方法を広く教え、その方法を用いて弟子を取って知識を広めることを推奨しているというのは事実であるようです。実際、王都から離れた街や村から来た生徒は、帰ったら弟子を取って技術を広めると言っていたそうですし」

「王都から離れた、か……つまり今回の視察は、そうした卒業生達の確認か?」

「噂は拾えませんでしたがそう考えるのが自然かと。わざわざ校長が足を運ぶのは、教え方に問題がないかを見るためかも知れません……神殿側に関しては近日、神託の巫女様が他の神殿の視察を行うという噂程度で、見事な情報統制が敷かれています」

「なるほど……しかし解せんな」


 ラウロは腕組みをして俯き加減に溜息をつく。


「学園がそれを秘する理由について、でしょうか?」

「そうだ。神殿なら、神託の巫女様の身の安全のため、という理由がある。しかし、学園がその情報を秘する理由はなんだ?」

「私もそこが気に掛かって校長の性格などについて色々聞いて回りましたが、あの校長は商人としてもやり手です。ですので、取り繕った姿ではなく、抜き打ちの視察を行うのが目的なのだろうと推測しています」

「視察の目的を達成するための情報秘匿か……商人であれば、旅支度で様々な品を仕入れても不審に思われることもないのだから、その気になれば秘匿は簡単にできるのだろうが……」

「ええ……『できる』と『やる』には大きな違いがあります。実際にそれをやろうと考え、実行に移し、破綻なく行うことが出来るのであれば、あの校長も、レンというエルフも、なかなかのやり手であるとみておくべきかと」

「レンも、なのか?」

「校長は、レンご主人様と言っていました。そして、レンはかつて黄昏商会を興したエルフで、ライカと言えばその番頭です。あの校長がレンの薫陶を受けて育てられたとすれば……」


 ファビオの言葉にラウロは頷いた。


「なるほど……傑物であるやも知れぬと。相手を見下して足を掬われるような愚はおかさぬように留意するとしよう。まあ我々を育成するというのだ。害意はないという前提でよかろうが」

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