第91話 情報の流し方

 各所への通達と根回しを終えると、レン達の旅の準備はほぼ終わりである。

 特にクロエに関しては、一部屋分の荷物が入るアイテムボックスに必要そうになりそうな物すべてを詰め込んでいる護衛がついているのだから、何かが不足する事態というのは考えにくい。

 それはレンもライカも同じで、改めての日用品の追加はあまり必要ない。

 それでも、地域による差はあるものなので、エミリア、フランチェスカは、道中の様子や一部、気候が異なるエリアでの過ごし方などについて、レンが消えた後、世界中を旅して回っていたというライカに教えを請うていた。


 今回は、自然なままの状態を視察する、という建前があるので、事前に先触れを出したりはしない。

 こういう方法を取った場合、訪問先の街や村での歓待がないのは当然として、小さな村だと宿すら取れるかも怪しい。

 それでもこの方法を選んだのは、クロエのたっての希望によるものである。


『神託の巫女』が来るとなれば、神殿は相応の準備に奔走するし、そうなれば食材を買い集める段階で、噂は街や村に広がる。

 そしてクロエは、神託の巫女になって以降、そういう世界しか知らなかった。

 だが、過日、レンがクロエを王都に連れて行ったとき、クロエは、誰も自分を知らない場所を自由に歩き回ることの楽しさに気付いてしまったのだ。

 以来、また、街をお忍びで歩きたいと考えていたクロエではあるが、オラクルの村、サンテールの街ではクロエとその護衛を知らぬ者はなく、クロエの望みが叶えられる機会はなかった。

 お忍びで歩くには、クロエの滞在が知られていない街に行く必要がある。

 が、普通に行くとなれば神殿が先触れを出してしまうため。そこに護衛を連れた見慣れぬ少女がやってくれば、皆はそれを神託の巫女と判断してしまう。

 そうしたことを、先代の巫女、イレーネに心話で相談したところ、護衛が増えても良いなら、今回の旅に限れば先触れをさせない方法があると教えてくれたのだ。

 護衛を引き連れた時点で高位貴族のご令嬢と判断されるだろうが、噂よりも早く進むことが出来たなら、誰もクロエの正体が神託の巫女であると考えることはないだろう、という予想に、クロエはレンにそうして欲しいと頼み込んだのだ。


 実際の所、レンが想定する移動速度はかなり速く、噂に追いつかれる懸念はほとんどない。

 馬車の性能もあるが、海に到着するまでの、それぞれの街や村での滞在は二泊三日を予定しているためである。要は到着したら丸一日、馬を休ませつつ街や村の様子を見て更に一泊して、翌早朝に出発するという計画である。


 以前、聖域の村からサンテールの街に来るときのことを思えば、今回は長旅となるため、レンの感覚では結構なスローペースだ。


 しかし例外はあるにせよ、それは一般常識ではかなりのハイペースなのだ。

 馬の疲労などが理由ではない。無理をさせなければ、連日馬を歩かせることは可能だ。人間だって毎日歩くし、過剰でないなら連日の肉体労働にも耐える。


 通常、移動には目的があるものなので、その目的を達する時間を考えると、滞在日数が丸3日に足りないというのはかなり短い部類である。というだけの話だ。


 もちろん荷運びなら、比較的連日の移動は当たり前なので、レン達よりもずっと早く先に進める。

 しかし、彼らの日程は、

 夜、荷物の積み込み。早朝、出発。昼頃、次の街に到着。というものなので、街に流れる噂に触れたり、別の街で耳にした噂を広めたりする機会はほとんどないのだ。

 万が一、彼らに手紙を託して噂を伝達する者がいれば、レンたちよりも先に噂が広まってしまうが、情報の重要性を認識している者が少ない世界で手紙を届けてもらうのにそこそこ大金が掛かるとなれば、それを行うのはよほどの物好きか、情報の重要性を理解している者だけである。ならば、その線から噂が――それも、妙な貴族のお嬢様旅をしているなどという、毒にも薬にもならないような噂が――不用意に広範囲に広まったりはしない。


 街や村に情報を齎すのは行商人や、行商人彼らに雇われた護衛である。

 しかし、彼らの速度はレン達よりもずっと遅い。

 当然である。彼らの目的は商売なのだから。

 到着すれば、販売、仕入れのために最低でも数日は滞在する。

 従って、彼らがレン達を追い抜く心配は少ない。


 ちなみに、噂が先行した場合に備え、ライカも協力を惜しまないと言った。


 クロエ達と旅の計画を詰めた後、レンは学園の教員の寮の応接室でライカに尋ねた。


「協力を惜しまないって言ってたけど、具体的にはどうするつもりなんだ?」

「穏当なやり方と、そうでない方法の二つがありますが、今回は穏当な方法を使いますわ」


 レンに問われ、ライカは満面の笑みを浮かべつつそう答えた。


「穏当、ね。万が一の場合、クロエさんが悪く言われるような方法はダメだからな?」

「もちろんですわ。ただ単に、黄昏商会と暁商会の馬車を各2隊ずつ先行させ、先に『世間知らずだけど平民にお優しい貴族のご令嬢が王都の方から海に向かって旅をしている』と、噂を流すだけです」


 個々の街にどれだけ滞在しているのか、という情報を話さずに単に旅行者がいるとだけ伝えれば、疑問に思われるような穴も少ない。

 だから、


『たまに世間知らずが祟って騒動を起こすが、平民相手でもちゃんとお礼と謝罪ができる娘さんで、護衛もそれを当たり前と考えているようだ。ただ、年格好が似ていて丁寧過ぎるからか、神託の巫女様と混同されて困っておられたとの話だ』


 そういう噂を流せば、万が一、神託の巫女が来るという噂が流れても、それを聞いた者は、貴族のご令嬢が困っていたというのはコレか、と判断する。

 しかも受け手からすれば、黄昏商会と暁商会の2経路から得た情報となるため重みも違う。事実がどうあれ、数は正義なのだ。

 加えてライカの流す情報には事実も含まれており、全体を否定することはできない。更に言えば、お嬢様の外見はクロエに似ているという情報まであり、万が一、クロエを見知った者がいたとしても、それを否定できる材料までが組み込まれている。


「……ライカはそういう手口をどこで覚えたんだ?」


 レンがそう尋ねると、ライカは心底不思議そうな表情で、小さく首を傾げた。


「昔、レンご主人様がなさっていた事の真似事ですわよ?」




 いずれにせよ、先触れなし。

 本当の身分は明かさず。旅の神殿関係者として宿は神殿に求めたり宿屋に宿泊するが、無理ならどこかの庭先を借りて馬車を停め、馬車をクロエの部屋にして、他の者は天幕を使う。

 とレンはクロエに説明していた。

 実際にはライカとエミリア達が協議し、街であればライカが派遣した先行チームの一部が常に宿に泊まっているようにして、最悪時は先行チームには申し訳ないが入れ替わってもらうなどの計画が裏で立てられていたが、クロエはそれを知らない。


 街に着いたら、相手から声が掛かる前に、王都からくるという護衛に、領主への挨拶をしてもらう。

 普通なら先触れがない訪問は失礼にあたるが、その失礼を行うのが公爵に命じられた部下である。

 これでは並の貴族では文句は言えないし、言いたくても


「王家に知己のあるエルフがヒトの生活を学びたいと言っており、なんと公爵様が護衛についているのだ。こちらの御当主様はエルフと付き合いはあるかね? ない? そうか。実はエルフは知らない相手には攻撃的な態度を取り、何か要求を通さないと相手を信用しない性質がある。何を言われるか予想も出来なく、危険なので顔は出さないように。ああ、もしも遭遇して要求を断って彼らの機嫌を損ねた場合、王がそれをどうご判断されるのかは正直分からぬ」


 等という挨拶を聞いた後、苦情を伝えるために訪問して、エルフと遭遇してしまった場合、それは訪問した側の失態となる。

 このようにして、滞在中の余計な訪問は可能な限り遮断してもらう。


 目的地は海辺の街と周辺の漁村。今でもまだ、黒金二枚貝が採取できるなら、その辺りでしばらく滞在してもいい。

 もう採れないのなら普通に海の幸を楽しみ、海辺でノンビリ過ごしてくるのもありだ。

 という、実にまったりとした計画が立てられた所に。


 ラウロ・バルバート公爵がやってきた。


 さて。

 今更な話ではあるが、この世界における貴族の爵位は地球のそれによく似ている。

 もちろん、その発生経緯が大きく異なっているため、権威などのあり方には異なる点も多い。

 が、しかし。

 最上位が王家。

 次が王家の血を引く公爵家でここまでは特別枠。

 以降が普通の貴族が婚姻を介さずに名乗れる爵位で、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵と続く。厳密に言えば、更に細かい分類があるが、大枠としてはそのようになるあたりは同じである。


 そして、普通の宿場街と周辺の村の管理は普通、子爵位以下であり、大きな街で伯爵。地方全体を管理するのが侯爵となる。

 日本に当て嵌めるなら、普通の宿場街までが町や村、大きな街が市、それらがまとまったものが都道府県と考えれば、それぞれの権限の違いが理解出来るのではないだろうか。

 いずれにせよ。

 ラウロは緊急時においては、侯爵に対してすら命令権を持つ公爵であるため、これに異を唱えられる貴族は少ない。

 貴族ですらそうなのだから、平民にはあらがう術もない。


 まずラウロは、常識的に考えればオラクルの村を管理する立場にあるだろうサンテールの街に宿を定め、コンラードに面会を求めた。

 宿を定めたと書いたが、実際には商家から投機目的で押さえられていた屋敷物件を買い取って、そこを部下と自分の宿としている。結界杭に守られた安全な土地であり、今、まさに世界の耳目を集めているオラクルの村の最寄りの街であれば、その金額はかなりとんでもないことになっているのだが、それでも買い取った。金額は相場にかなり色を付けたものが支払われている。

 同時にサンテール家に面会を要請する手紙を持った部下を向かわせ、その際、サンテール家の執事に適当な使用人を雇えるように紹介を頼み、紹介までの繋ぎとして数人の使用人の派遣も依頼し、すぐにサンテールの街のバルバート邸は稼働を始めた。

 出発までの短い間、バルバート邸宅にはラウロと部下6名が滞在し、ラウロが部下3名を率いて護衛任務の旅に出る間、残った3名でバルバート邸を守り、緊急時にはラウロを追っての早馬を出せるようにもしている。


 コンラードからの返事はその日の内に帰ってきた。

 ラウロの目の前で開封したそれを一読した副官のファビオは、無表情のまま数回読み直してからラウロに手渡す。


「ファビオのコメントがないのは珍しいな」

「いえ、少々理解に苦しみまして……私たちは……いえ、私は調査の優先順位を間違えていたのかも知れません」


 ラウロが怪我をして以来、ラウロたちは内務うちつかさで税に関する仕事を行っていたが、その中にはオラクルの村に関する直接的な情報は含まれていなかった。

 長く行われることのなかった開拓事業が行われており、それに関わっているサンテール家に対し、多少の税の減免が行われていることは知っていたが、元々開拓から数年間は税が免除される仕組みがあるため、ラウロとその部下達は、それは当然のことであると考え、オラクルの村そのものにはあまり興味を持たなかったのだ。

 僅かなりとも興味が出たのは、中級のポーションが出回った後だが、その時も、オラクルの村に凄腕の錬金術師がいる、程度の情報しかなかった。


 傷が治り、護衛の任を拝命した後で調べたのは、主たる護衛対象と目される神託の巫女に関してであり、オラクルの村は神託の巫女が神殿を整えてまで長期滞在している場所、程度の認識だった。

 貴族に対して、王立オラクル職業育成学園やレンの情報は秘匿されてはいなかったが、ラウロ達は不自然にも見える神託の巫女の行動に惑わされ、まったく見当違いの方向を調べて回っていたのだ。


 手紙を一読したラウロは、ファビオの言わんとするところを理解した。

 手紙には貴族らしい言い回しを使って、次のような内容が記されていた。


・面会は明日の午前中に。

・必要な情報はすべて伝える用意がある。

・オラクルの村は国から自治権が認められており、サンテール領や国の指示に従う必要はない。

・旅の間の指揮はエルフが行う。


 コンラードがラウロの要請を受けて面会を受けるのは、貴族としては当然の在り方である。

 その際、ラウロが求めた情報を提示するのも、領主の責任の範疇である。

 だが、その後の部分が、ラウロの理解を阻害していた。


(自治権? 開拓直後で税を免除されているという認識は誤りということか。それにエルフが指揮……まあこれは聞いてはいたが、改めて記しているということは、お飾りではないということか)


 緊急時の命令系統を明確にしておかないと、誰に指示を仰ぐべきなのかという無駄な思考が挟まり、問題への対応が数手遅れることになる。

 だから命令系統を明確にするということについて、ラウロは当然であると考えていた。

 しかし、それはあくまでも信頼できる相手が指揮を執る場合であり、今回のケースは、そこから外れていた。

 レンが指揮を執るという話自体は王家からの命令にもあったことだが、それは、有力貴族の子息に箔を付けるレベルで、実態としては自分たちが面倒を見るもの、と考えていたのだ。


「ファビオ、エルフが指揮を執るという事例を聞いたことはあるか?」

「ありますが、それは部下がエルフである場合です。エルフとヒトとでは、戦い方も動き方も違いますので、部隊をまとめるべきではありません」


 特に指揮官と部下の種族が異なるのは頂けない。とファビオは眉をしかめた。

 ヒトならなりたての兵士でもできるようなことが、他の種族にはできないということもあるのだ。もちろん、その逆も多い。どちらが優れているのかではなく、ただただ違うのだ。

 それぞれの個性がうまく噛み合えば、混成部隊が能力を発揮する可能性もあるが、噛み合わなければひどい事になる。


「種族ごとの違いがある以上、上と下の種族が異なれば、まあ碌な事にはならぬだろうな」

「ええ、ですが、これは、コンラードの意見ではなく、王家からの指示の伝言のようです。面会の際に、証拠になるものを見せて貰うべきでしょうが……」


 ファビオは、手紙の一部にその記述を見付けて指差した。

 その部分を確認したラウロは、真面目な顔で頷いた。


「で、あれば、指示に従わねばならぬだろう」


 掌返しではない。

 王家からの命令には粛々と従う。それがラウロなのだ。


 そして、そんな主の事を誰よりも理解しているファビオは静かに頷くのだった。

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