第89話 安住の地ですか?

「安住の地ですか? ……オラクルの村にご自宅を建てられるという意味では……ないのですのよね?」

「うん。まあ、ノンビリ過ごせて、ほどほどに変化があって、文化的に暮らせる場所。風光明媚ならなお良いね」


 床に落とした書類を拾い集めたライカは、校長室の椅子に腰掛け、机に両肘をついて両手の指先でこめかみを押さえる。


「……レンご主人様が唐突に事を起こすことは理解しているつもりでしたが、なぜ突然、このタイミングでなのか、お尋きしても宜しいでしょうか?」

「卒業生が次代の教師になる仕組みは機能しているし、魔法屋のレシピも分類して、可能なものは写本を作って複数箇所に保管し始めてる。加えて、もう少し後だと思っていた他種族の受入れも済んだからね」


 まあ竜人は除く、あれは別格だから。と呟くレンに、ライカは抱えていた頭を起こし、首を傾げた。


「それは端緒ですわよね? 人口減少はまだ解決しておりませんが?」

「そこまではしないし出来ないよ。俺に出来るのは、人口を増やせる下地を作ることだけだからね、魔物被害であまり人が減らないように戦闘職も育てたし、それを育て、強化するための生産職も育てた。現状を鑑みると、死亡者数が減少すればそれだけで人口は減少から増加に転じるよ」


 元々、少子高齢化の日本とは状況が違うのだ。

 子供は誕生しているし、高齢化も発生していない。

 ただ、子供が老人になるまで生き延びられないだけだ。

 対策を講じ、安定した食料供給と魔物被害の軽減がなった以上、これ以上は一個人レンがやるべき範囲を越える。とレンは考えていた。


 レンが行ったことで、黄色の魔石を手に入れるために無理な戦いを行う必要はなくなったし、中級の戦闘職なら油断しなければ黄色の魔物に後れを取ることもなくなった。

 そして、多少の人口増加にも耐えられるように食料生産能力が向上する道筋も作った。あとは国の仕事である。

 もちろん、省エネ魔道具の開発など、レンが行った方が効率がよいことは数多い。

 しかしそれをやるにしても、今の立場ではなく、一個人としてノンビリ行いたい。というのがレンの思いだった。


「……レンご主人様、そのお話、具体的な部分まで誰かにされていますか?」

「少し前にルシウスさんに触りだけしたかな? 具体的でも何でもなく、いつか学園から手を引くって要点だけね」

「分かりました。それでは、本件についてはできるだけ口外はなさらぬようにお願いしますわ」

「いいけどなんでだ?」


 そんなことを公表すれば大混乱が生じます。とライカは呟いた。


「そうか? 職業の育て方は伝えたし、それを災害なんかがあっても失伝しないように伝承していく方法も確立したんだからさ、後は自分でできるだろ?」

「そこは否定しませんわ。ただ、レンご主人様は、現時点では唯一の神の使徒なんです」

「リュンヌの使徒ってことだよな? なら、ヒト種にはあんまり受けは良くないんじゃないか?」


 ライカは深い深い溜息を漏らし、力なく首を横に振った。


「確かに多くの人間に取ってもっとも崇める神はソレイル様ですわ。ですが、だからと言って他の神々を軽んじるものでもありませんわ。特にリュンヌ様は、愛と知恵と死を司る冥界の管理者ですもの。生きている間も、死した後も見守っていただくのですから、ソレイル様に次ぐ信仰を集めてらっしゃいますわ。そしてレンご主人様は、リュンヌ様が英雄の時代から呼び寄せ、ソレイル様が神託の巫女を迎えに出した神の使徒ですもの。事情を知っている者なら、どの人間よりも尊重されるべき存在と考えていても不思議はありませんわ。そして、その神の使徒が、もう十分に導いたから隠遁するなどと言ったら何が起こるか」

「何が起こるんだ?」

「さまざまな憶測と流言が世界を席巻しますわ。神の使徒に見放されたと自暴自棄になる者も出るでしょうね。その過程で、レンご主人様が神の使徒であるという情報も拡散するでしょう」


 ライカの言葉に、レンは溜息をもらす。


「そもそも俺は使徒でも何でもないただのエルフで、リュンヌに喚ばれて好きにしてろって言われただけの立場だけどな」

「まず、神様に喚ばれる時点で『ただのエルフ』ではありませんわ。実際、レンご主人様の行いによって、滅びに向かいかけていた世界が、多少上向きましたし」

「行いと影響について、過小評価する気はないけどさ、でもそれって利己的な理由でやってるから、あんまり自慢はしたくないかな」

「……レンご主人様は、早い内にクロエさんと王族に接触できて幸運でしたわね。その言いようでは、神殿の権力亡者に好きなように使い倒されかねないですわ」

「そんなことになったら逃げるけどね。しかし悪人もいるんだな」


 職業の恩恵を失うかもしれないから、悪人はいないのでは、とレンが問うとライカは微笑んだ。


「誰かを明確に害するわけでないなら、抜け道はありますもの。例えば、銀貨5枚で買ったものを別の街に運んだり、綺麗な入れ物に入れてリボンを掛けたりして、銀貨6枚で売るならそれは商売ですわ。でも買い占め、売り渋って相場を破壊して高値で売り抜けるならそれは真っ当な商売とは言えなくなりますわ」

「微妙なラインならやらかしても大丈夫ってことなのか?」

「いえ、どこからがダメなのか曖昧な部分はありますが、ギリギリを狙って悪さをして、罰を受ける人間もいないわけではありませんわ」

「その判断ってえらく大変そうなんだけど」

「神様が判断されますから……それで、レンご主人様は将来のお住まいとして、どういう場所をお望みなのでしょうか?」


 ライカは話を戻す。

 レンは肩をすくめ、天井を見上げながら自分の要望を指折り数える。


「ひとつ目。まず静かで平和。ふたつ目。ほしい品物を手に入れられる程度に流通が安定していること。三つ目、海産物も食べたいし海の方とかも良いかもしれないな。色々な素材を集めやすい場所であるとなお良いね」

「静かで平和は、レンご主人様の要求次第ですわ。流通の安定は、レンご主人様が住むなら問題ありませんわ。暁商会か黄昏商会のいずれかの支店を作りますもの……でも海、ですか? 海岸方面は色々な地形が広がっていて素材は豊富ですが、季節ごとに嵐が発生したりしますから、あまり静かではないかも知れませんわよ?」


 季節ごとの嵐と聞き、レンは台風を思い浮かべた。

 内陸部と違い、海沿いであればそういうこともあるか、と考え、ゲーム内では近場の小島まで出向くクエストがあったな、と思い出す。


「嵐ってどの程度なんだ?」

「普段は風と大雨程度ですが、十数年に一度、普通の木造家屋なら吹き飛ぶようなのも来ますわね」


 だから海岸線に近い村の外周の塀はやや低めで頑丈で、それとは別に住居ごとに石垣で家を守り、多くは平屋造りというのが多いのだ、とライカから聞き、レンは沖縄の古民家を連想した。

 沖縄の古民家は木造だが、レンが詳しく話を聞くと、こちらの建物はやや変則的な石造りで、風はよく通すが、嵐で飛んできた大木がぶつかっても、ある程度までは耐えられるとの説明をライカは丁寧に行った。


「ちょっと面白いね。それは移住するしないに関わらず見に行ってみたいな」

「では、地方の視察という名目で学園の仕事に致しましょう。クロエさんはお誘いしますか?」

「え? なんで?」

「いえ、連れて行く行かないに関わらず、声くらい掛けておかないと、帰ってきてから文句を言われそうな気がしませんか?」


 レンは、クロエを置いていって、帰ってきたときのことを想像してみた。

 恨みがましい目付きでレンのことを睨む姿が思い浮かんで、慌てて頭を振ってそのイメージを振り払う。


「そうだな。なんかクロエさんは物陰からじっと睨んできそうな気がするよ」

「ええ、その上、ことあるごとに『レンは私のことを置いて行った』とか言われますわね」


 妙に上手なクロエの声真似を披露するライカに、レンは肩を落として溜息をついた。


「まあ、地方の状況の視察のために海まで行くというのは伝えてみよう。でも、クロエさんが来るのなら、ライカに飛んで貰うのはダメだよなぁ」

レンご主人様とクロエさんと護衛、あと馬の二、三頭程度なら連れて飛べますわよ?」

「重量の問題じゃなくてさ、転移の巻物みたいな動作が決まった魔道具と違って、ライカの飛行は、ライカがその気になったら、護衛だけ、クロエさんだけを空から落っことせるだろ?」

「……出来ますわね……なるほど。そういう疑いを完全否定できない以上、護衛としては私にクロエさんの命を預けることはできないわけですわね?」

「うん。まあ疑うという訳じゃないけど、俺が護衛の立場でも許可しないと思う」


 疑いではなく、その可能性の有無ということですか、とライカは納得したように頷く。

 そして、先ほどばら撒いてしまった書類をページ順に並べ直して机の隅に片付け、卓上カレンダーに似た形の日程表を確認する。


「新入生の受け入れとその対応は定期的な作業になりつつありますから、卒業生とサンテールの街から来ている事務員で問題なく回せます。戦闘能力、素材採取能力に長けたルドルフォさん一行がいる間なら、私たちが学園から離れても支障はないかと……ただ、誰を責任者に任命するのかは慎重に考えておく必要がありますが」

「実質的な責任者はルシウスさんに頼もう。ここに来て貰うのは無理だろうから、名前だけ借りる感じで。で、実働は色々頼んじゃって申し訳ないけどアレッタさんあたりかな。誰がやるにしても、外部からの依頼に対しては責任者が不在なので返事は戻ってきてから返事をすると回答してもらって、緊急を要する案件はルシウスさんが暫定の責任者だからそちらに、って話せば、まあ大抵の相手は捌けるだろ?」

「実働というのは窓口ですわよね? でしたら貴族の爵位を持っている人にお願いするべきだと思いますわ。アレッタさんは貴族の娘ではありますが、爵位をお持ちではない筈ですから、貴族からの命令を断りにくいでしょうし」

「そうなんだ……ライカも色々な依頼を断りまくってると思うんだけど、大丈夫なのか?」

「私はエルフですので、そもそも国の民ではありませんわ。王族や貴族を尊重はしますが、それに縛られる義務はありませんので」


 なるほど。と頷いたレンは、ならばと別の案を出す。


「レイラはどうだろうか? レイラもエルフだし、ついでに一代限りの伯爵かなんかだったよな?」

「ええ。それでは、レンご主人様からレイラに説明をしてくださいませ。きっと、クロエさん同様、恨みがましい目で見てくると思いますので、私からは伝えられませんわ」


 レイラなら、レンからの命令なら喜んで従いそうだが、レンとライカ、クロエ達が視察の旅に出たあとの留守番であると知れば、きっと酷く落ち込むだろうと容易に想像できてしまうだけに、レンは、ライカの言葉に頷けなかった。

 ポーチから小さな水筒を取り出し、最近、生徒達が作っている各種ベリーの果汁を炭酸泉の水で薄めたものを一口飲み、レンは、それならば、と人選を考える。


「この辺にいる最上級の貴族って言うと、コンラードさんだけど、さすがに領主に頼むのは気が引けるよな」

「多分。ふたつ返事で引き受けてくださるかと思いますわよ?」

「そうなのか?」


 レンはライカの顔をマジマジと見つめた。


「あれ? でも、ライカってそもそもコンラードさんとそんなに接触あったっけ?」

「私は校長という立場ですから、色々とお話する機会がありますわ。コンラード様……というよりもサンテール領主一家は、レンご主人様に並々ならぬ感謝の念を抱いておられますので、レンご主人様が頼むと言えば、恩返しできると喜んで引き受けてくださると思いますわ。レンご主人様があまりにも何も請求しないので、皆さん、恩が返せないとお困りですのよ?」

「適価のお金と、代替の品は貰ってるから、取引は終わってる認識なんだけど」

「ええ、お弟子さんシルヴィから、レンご主人様にそう言われたコンラード様が、何も返せずに困っていたという話を聞きましたわ」

「それなら近い内に、新しい村に、学園が使える土地を少しだけ貰えないか、お願いしてみるか。オラクル周辺は魔物も減ってきたからね。あちこちに、生徒が遠征で使える小屋を配置しておきたいんだよね」




「海。聞いたことはある。塩水を湛えた大きな湖」


 レンが海の方に視察に行く計画中だと、クロエに説明しに行くと、応接セットに腰掛けたクロエは、斜め後ろに立つフランチェスカに視線を向けた。


「海の方にも神殿はある?」

「それは勿論です。なければ職業を得られませんので、小さなものだとしても絶対にありますし、街道の終点にある大きな港街には、どちらもとても広い神殿があると聞き及んでおります」

「広い?」

「海岸線近くは、高い建物を作ってはならないそうで、それならばと、広さで神の権威を表したということです……レン殿、海方面に行くとの事ですが。東西どちら方向でしょうか?」


 フランチェスカの質問を理解するのに数瞬を要したレンは、ポーチから結界杭の修復の際に使った地図を取り出し、クロエの前の応接テーブルに広げる。

 街道は東西に長く続く、未知の技術で作られた人類にとっての生命線である。

 街道がいつ、誰の手によって作られたのかという記録はない。

 ただ森の中に、赤っぽい5ミリ大の砂利が敷かれた道が通っており、その砂利の中に草木が生えることはない。

 街道を傷付ける目的で意図的に破壊したり、大量の砂利を取り除いたりすると神罰が下ることから、神が作ったとされるが、明確な神託などはない。

 なお、街道の途中途中にある、領主が管理する橋の修復目的などで街道に穴を掘ったりする分には神罰はない。


 その街道沿いに人間は棲息していた。

 街道は島を東西に横断し、東の端にも西の端にも大きな港街があり、そこから海岸線にそって幾つかの村や街が存在していた。

 一時は、放棄された村や街もあったが、それらは、結界杭の再生が可能となった後、かなり高い優先順位で復旧されている。

 そして、レンが指差したのは、東の海岸線にある漁村だった。


「こっちの方だな。できれば、この漁村まで行きたい」

「街じゃない?」

「ああ、うん。街にも立ち寄るけど、この漁村にも足を伸ばす……英雄の時代のままなら、この漁村でしか確保出来ない素材があるんだよ」


 それは、とある貝だった。

 漁村のそばには海に流れ込む大きな川があり、その河口の川の水が海水と混じり合う汽水域に小さな黒いシジミにも似た貝が棲息していた。

 その漁村ではありふれた貝ではあるが、貝毒があって使い道がない。他の地域では採取できないが、使い道がないから、それを不都合と感じる者もない。

 誰も欲しがることのないその貝の名を黒金二枚貝という。


 そして、ただ、レンだけがその価値を理解していた。

 その素材を扱うには、錬金術師上級が必要となるため、現時点で扱えるのはレンだけなのだ。


(まあ、アレを作ってしまっても本当に大丈夫なのか、って疑問はあるんだけど、作れるなら、それはそういう意味なんだろう)


 そんなことを考えつつ、地図のルートを指で追って確認するレンに、クロエは、この街は少し難しい家畜を飼育しているから立ち寄って問題がないか聞きたいとか、聖域に立ち寄ってマリーに会いたいなどというささやかな希望を述べ、それを叶える係に任命されるだろうフランチェスカは、こっそりと溜息を漏らすのだった。

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