第87話 蠢く泥濘

 ルドルフォの報告を受けたレンは、アレッタの護衛としてやってきているサンテールの騎士に、本当に沼が出来ているのかの調査を依頼した。

 結果はルドルフォ達の言うように、露天掘りの跡地が完全に水没していた。


「あの辺り、下は砂地で、水はあまり溜まらなかったと聞いているのですが」


 と、調査に赴いた騎士は呟いていたが、現実問題として水没して沼になってしまっているのだ。


「そういや、この前クロエさんと見に行った時にも、穴の底は泥になってたな……」


 それが予兆だったのかも知れない。考えるレンだったが、もう沼になってしまっているのだから、予兆も何もあったものではない。


 沼の外周に、水が流れ込んでいるルートはなく、ただ、沼からは一定量の水が流れ出ている。その流れゆく先についての詳細な調査は未実施だが、現状は、森の土に飲まれているようである、とのこと。

 しかし、結構な水量があるため、いずれは土が飽和して、小川が出来るのだろうが、現時点ではどこに流れていくのか予想はできない。


 サンテールの街との往復便で、現地調査を行った騎士を街に戻して報告をしてもらい、更なる調査が必要であると考えていることと、必要であるなら協力は惜しまない旨を伝える。


 オラクルの村の周辺の森は好きにして良いと言われているが、廃坑については明確にしていないため、レンとしては、あそこはサンテール領の持ち物だよね、と放り投げた形である。


 ほどなくして、サンテール領からエドを含む騎士6名と、昔坑道で働いていた技師2名がやってきて、旧サンテール・エタン採掘現場跡地の調査が敢行される運びとなった。


「名前、あったんですね」


 とライカは呟いたが、まあ、坑道跡地などそんな扱いである。


 調査と言っても、まさか水の中に潜って調べるわけにも行かない、というのがこの世界の人々の一般的な考え方である。

 できるのは、あくまでも水辺からの観測と周辺の試掘程度である。

 それらと並行し、レンはルドルフォが持ってきた小瓶の水を確認していた。


「まあ、泥水だけど、微妙に魔力が多めな気がするんだよな」


 この世界の大抵の物質には程度の差こそあれ、魔力は含まれている。

 泥水に魔力があっても不思議ではない。だからルドルフォは、それを異常と考えなかったのだ。

 なお、ルドルフォはルドルフォで、自分用に小瓶に水を汲んであるが、通り一遍の検査をしただけで手を離した。


「これはこれで何か出てきたら面白いですが、時空魔法の研究が優先ですからね」




 加えて、レンとルドルフォには手法の違いが存在した。


 騎士達の調査のあと、リオに依頼して、沼の水を先端が円錐状になった試験管に採集してきて貰ったレンは、理科室っぽい作業室に設置した自作の遠心分離機で泥を強制的に沈殿させ、試験管(遠心沈降管)の底に層をなした泥と、水のそれぞれを魔力感知で調べる。


「うん……やっぱりと言うべきか、何でだ、と言うべきか」


 底に沈殿して濃度が増したことで、魔力の偏りがはっきりと確認できたことで、レンは、自分の感覚が正しかったことを再確認した。

 だが、なぜそうなっているのか、という点はまったく理解の外であった。

 魔力が多く含まれていたのは、泥の中の一番下層の、黒っぽい部分だった。

 それ以外の部分にも魔力はあるが、それらの程度は、むしろ標準よりも少なめとさえ言える。


「もっと試料が必要だな……聖銀ミスリルは銀って言うくらいだから、錆びた聖銀ミスリルが流れ出てる可能性もなきにしもあらずだけど、そもそもあれって酸化するのか?」


 水と対象部分以外を別の容器に取り除き、魔力を多く含む層をペトリ皿シャーレに移し、採取してきて貰った全ての水を遠心分離機に掛ける。

 それを繰り返し、試料が親指の先ほどの大きさにまでなったところで。

 レンは自分の目を疑った。


「あれ? 集めた泥が……動いてないか?」


 泥の中でも最下層に分離された物質である。つまり、砂よりも比重が大きい。

 それが生物である可能性は限りなく低い。


 シャーレの中に入れた黒い試料は、幾つかの塊をひとまとめにしたものなので、それがゆっくりと形を崩していくのは別に不思議なことではない。

 だが、平に潰れ広がっていくのならともかく、ゆっくりと棒状に変形するとなれば、それは水分を含んだ、やや粘性のある物質の振る舞いとしては説明が難しい。


「……動くというか、ひとまとめになって、何かの形になろうとしている?」


 エントロピーの法則、どこ行った、と内心で毒づきつつ、レンはゲーム内にこうした事例がなかったか、記憶を漁ってみた。

 が、蠢く泥濘など、レンの記憶には引っ掛からなかった。

 改めてレンが、視覚と魔力感知で黒っぽい泥にしか見えないそれを確認する。


 泥は、ゆっくりと形を変えようとしているように見えた。そして、魔力は、その変形している部分に多く、泥が触れているシャーレの表面からは魔力が抜けかけていた。


「魔力が泥に向かって動いてる……? 周囲の魔力を吸収している? 泥の動きは……これは何かの形かな?」


 目の細かな泥を、それが乾燥しない程度の環境に置いた場合、自重で潰れて丸く広がるはずである。

 泥の中に塊があれば、形は歪むが、やはり自重で潰れる。

 しかし、レンが観察している泥は、直方体に近い形を作り出そうとしていた。

 しばらくそれを眺めていたレンは、取りあえず、即座に対処が必要な物ではないと判断した。


「気配察知とかに引っ掛からないんだから、危険なものである可能性は低い……けど、得体の知れないものであるのは確かだから、普通の方法ではアクセス出来ない場所に保管すべきだろうね」


 レンは、シャーレに蓋をすると、ゴミ箱として使用していた、時間経過が極めて遅く、大量に詰め込めるアイテムボックスの一つを空にして、そこにシャーレをしまい込んだ。

 ゲームの設定では、魂のあるものはしまえないアイテムボックスだが、シャーレは普通にしまうことができた。


 そして、レンは、『蠢く泥濘(仮)』についての情報を、現状もっとも物知りであると思われるライカに心話で伝え、何か知らないかと質問するのだった。




 レンが心話を送って15分ほどで、ライカが訪ねてきた。


レンご主人様、『蠢く泥濘(仮)』について、過去、何かで読んだ気がしますが、正確なところは記憶が曖昧ですの。ですが、概要としましては、それは聖銀ミスリルだと思われますわ」

「あ、やっぱりそうなんだ。黒いから、錆びた聖銀ミスリルかなって思ってたんだ」

「それはサビではなく、聖銀ミスリルの状態のひとつだとか。なぜ泥濘状態になるのかという部分は覚えていませんが、聖銀ミスリルには、再生能力がありますから、それが働いているのでは、と書いてあったように思います」

「いや、それだけ覚えてれば十分だろう。でも再生能力? ……ああ、刃こぼれとか傷が直るあれか? でもあれって魔力を……なるほど。破損状態になったから、周囲の魔力を吸引して状態を回復しようとしているとか?」


 だが、刃こぼれを直す場合、自動的に直るものではない。

 意図的に魔力を馴染ませてやる必要がある。

 レンが考え込んだのを見て、ライカは曖昧な情報で申し訳ありません。と頭を下げた。


「ですが、私も読んだだけの知識ですから、これ以上詳しいお話は分かりませんわ」

「いや、むしろそこまで覚えててくれて助かったよ……ライカ、優先度は低めで、その本を探しておいて貰えるか? 本が無理なら、その知識がある人でも良いんだけど」

「知識だけなら、ドワーフに口伝か、エルフに情報が残っているかもしれませんわね。後で聞いておきますわ」




 そんな話をした数日後、沼改め湖に新展開があった。


 まず、水が綺麗になったのだ。

 湧き出し口付近の泥が綺麗に流され、湖水に溶け込んでいた土砂が沈殿した結果、透明度が上昇した。

 そして。

 湖で魚が発見された。

 ヤマメの稚魚サイズではあるが、複数の魚が発見されたことで、たまたま水鳥に運ばれてきたという可能性は否定された。


「おそらく、地下水路を経由して、どこかで川に繋がっておるのじゃろう」


 とエドは予想したが、それを証明できる者はいなかった。

 川の水が流れ込んでいるにしては、水が綺麗すぎるという声もあり、湧水と川の水が混じっているのだろう、という予測が立てられている。


 安定した水量の、比較的綺麗な水源で、魚もいる。

 豊富な水と、オラクルの村の存在が、コンラード・サンテールに、そこを開拓するという決断をさせた。


 当初はサンテールの街だけで開拓を行い、開拓完了後にレンに協力を依頼するとしていたコンラードであったが、後から手伝うなら、設計を見せて欲しいとレンが言い出し、オブザーバーとしての参加が決定した。


レンご主人様は、お忙しいのは嫌いだと思っていましたわ」

「まあ嫌いだけどね。物作りが始まってから致命的な問題を見付けて対処するくらいなら、設計段階で直す方が簡単だからね」


 レンは設計の専門家ではないが、錬金術で作成可能なポーションについて、現時点では誰よりも詳しい。

 それらを前提とした開拓であるなら、レンが最初から口を挟める方がおかしなことにならずに済む、というのがレンの考えだった。


 そして、その要望に応えるため、開拓の護衛を率いるエドが設計図を持ってレンの元を訪れた。


「しかしレン殿、設計図と言っても、基本は現地合わせとなるので、あまり細かいものはないのですが?」


 エドは大雑把に引かれた図面をレンの前の作業台に広げつつ、そう言った。


「開拓エリアは2ブロックですね? 人が暮らす部分と、畑……こちらは?」

「畜産ですね。主に鶏、それと山羊を育てる予定になっとります」

「鶏は、肉と卵、どっち目的ですか?」

「まあ、卵ですな。産まなくなったら潰して肉にしますが、肉は森で手に入りますからな」


 ああ、とレンは頷いた。

 実際、オラクルの村でも、肉に関しては売るほど余っていて、サンテールの街で暁商会が販売していたりもする。

 狩りが出来る者がいるのであれば、味さえ拘らなければ食肉となる生き物は豊富だ。


「ああ、なるほど……でも、村を作るとなると、人手はどうやって確保するんですか?」

「うむ……それがな? サンテールの街は入学の制限が緩いじゃろ?」

「ええまあ、近場の街に卒業生がいると、何かあったときに、協力要請が出来ますからね……まあお願いレベルですけど……ってまさか?」

「おそらくそのまさかじゃな。新しい村はサンテール領で、オラクルの村の隣村じゃ。となれば、その住人も、入学制限が緩くなるのが道理」


 確かに道理ではあるが、それは、緊急時の協力要請に対応するのが前提となった条件である。

 そこは大丈夫なのか、とレンが尋ねると、エドは頷いた。


「村民となったら、原則として、開拓が完了するまでは退去は禁ずる。また、協力要請は賦役(農民に領主が課す労働)となる」

「協力要請なのに、労働の強制をしちゃって良いんですか?」

「優先して学生になれる代償……対価と言うべきか? まあそんな感じだからな。嫌なら入学を希望しなければ、その賦役は発生せんのだから、やるやらないは各自の自由じゃ。結果として強制されるように見えるが、物を買ったら対価を支払うことを強制とは言わぬじゃろ?」


 エドはそう言って、楽しげに笑うのだった。

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