第86話 沼
ライカからの苦情を受け取った先代の神託の巫女、イレーネは、それを箇条書きにまとめてルシウス配下の職員に手渡した。
幸い今回はライカが一定の理解を示して対策案を提示しているような状況なので、致命的なすれ違いが発生したわけではないが、それにしても現場の暴走が過ぎる。と忘れず釘を刺しておく。
ちなみに、ライカが本件で対処方法を提供したのは、人口の減少を増加に転じさせるというレンの目的に適うからである。
そうでなければ、ばっさりと切って捨てていた可能性が高い。
卒業生が囲い込まれる可能性は少し考えれば予想できることであるが、生徒である間ならともかく、卒業後の身の振り方に関しては学園は口を挟めない。そこに干渉できるのは国だけなので、これは国の失策と言えるのだ。
ただし今回の件を分析すると、単に役人の暴走というだけではなく、暴走させた力の存在が見えてくる。
前例を踏襲する役人が多いが、彼らは好きでそうしているわけではない。
より効率的になるようにやり方を変え、もしも失敗した場合、なぜ前例に学ばなかったのかと糾弾されてしまうため、仕方なく前例に従っているのだ。
そこでバグが発生した。
本来であれば、王立オラクル職業育成学園に対する過度の干渉を禁じた布告が優先されるべきところ、その布告を無視して、学園に生徒を送り込めていない領からクレームが入ったのだ。
領主からのクレームは、比較的速やかに対処するべき案件であり、それを無視した前例はない。
そして、過去のやり方に則するなら、望む回答を出せない場合でも、努力をしたが問題があって出来なかった、という理由を提示する必要があった。
加えて、王立オラクル職業育成学園の名前も悪かった。
王立の施設であるなら、自分たちと同じ側の存在であるという考えが前提にあり、
「それなら学園に陳情があった事を伝えれば、出来るなら対応するだろうし、出来ないなら断ってくれるから、それを理由にできる」
と、役人達が判断してしまい、結果、ライカへの陳情と相成ったわけである。
今回は結果オーライだったが、レンは、過去の神託の記録をひっくり返しても存在しない、自由にしろ、神殿はそれを補助せよという、まるで、神の代理人を任されたかのような神託を受けたエルフである。
そんなレンに対する不敬は、場合によっては神の言葉への不敬ともなりかねない、と、神殿で生まれ育ったイレーネは考えるのだった。
そんな折り、人的被害がないレベルの小さな地震が数回発生し、神の怒りによるものではないかという問いが神殿に寄せられることとなり、神殿の発言力がやや強化される結果となった。
さて、学園入学時に生徒達は学費代わりの労働を行う旨を約束しているが、その消化状況には個人差がある。
錬金術師であれば「一定量のポーション作成の納品」か「一定期間指定された作業に従事する」という選択肢があるが、前者を選んだ場合、個人の能力で生産量が左右されるためである。
結果、毎日、数人が卒業をして、ある程度減ったところで次の生徒の入学となる。入学時期を随時にすると、管理側の手間が増え、全体の進捗が低下するのが目に見えていたため、レンがそのように指示したのだ。
エルフ、ドワーフ、獣人たちはまだ一期生が学費の支払中であるが、彼らが使ったポーション類を全力で製造していたヒト種の生徒たちは、ポツポツと卒業をしていく。
人数が減れば、森の中の素材採集もやや危険度が増すのだが、今期はルドルフォとステファノが優秀すぎて、そうした危機感を学ぶ機会がやや少ない。
それは生徒の育成上よろしくないとの教師陣の判断から、彼らが森に出るのは隔日となり、生徒達は森の中での採集に護衛が必要とされる理由を身をもって学ぶのだった。
とはいえ、いざとなったら結界棒があるし、それで身を守りつつ狼煙を上げれば、村から応援が駆けつけるような体制にはなっているため、言うほど危険でもない。
それはさておきそういうわけで、本日ルドルフォとステファノ、弟子のジャンとフィオは、皆から少し距離を置いて素材を求めて森の中を歩いていた。
「ルドルフォ様。この先に砂利道がありました。素材を探すのなら、人通りのない方に行くべきではないでしょうか?」
「ん? でも、あの村から奥には村も街も農地もないって話だけど?」
「あ、私、知ってます」
と、フィオが嬉しそうに手を挙げた。
「はい、フィオ君。説明をしてみて?」
「は、はい。昔、村の奥に錫の鉱山があったそうです。でも採れなくなって廃坑になったと聞きました」
「ほう……いや、サンテールの街のそばの鉱山で、現在廃坑というと、迷宮化したあれのことでしょうか。ふむ……ステファノ君」
「行くんですか? 素材採集はどうするんですか? ただでさえ採集が隔日になって、ノルマ達成が遠いのですが」
「それは行くに決まってます。かつて迷宮となった廃坑とか、遠目に眺めるだけでも、何か気付きが得られるかも知れないですからね。それに隔日になったことで、ノルマも減ってるんだし、ノンビリ対応すれば良いんですよ」
「仕方ありませんね……それでは、私とジャンが先行します。少し間を開けて付いてきてください。ジャン君にはこれだ」
ステファノは、ジャンに短めの槍を持たせ、付いてくるように指示を出す。
「ジャンに求めているのは敵の発見と排除ではなく、私が指示したら、ルドルフォ様のところまで走って敵がいたと伝える役目です。もしもその途中で敵と遭遇したら槍の穂先を相手の首に向けつつ、大声で牽制した後、魔法で対処。できますね?」
「あ、うん。大丈夫、魔法で魔物を狩った事もあるし」
「まあ、ルドルフォ様のそばには魔物はいないでしょうから戻る分には安全でしょうけど、心構えだけはしておきなさい」
ステファノは砂利道に近付くと、そこから少し離れた位置を、村と反対方向に向かって進み出す。
目の前に歩きやすそうな道があるのに、わざわざ歩きにくい森の中を進む。
ジャンにはそれが不思議でならなかった。
「あの、なんで道をあるかないんですか?」
「この茂みから。道はよく見えるね? 道路部分の大木は伐採されているから陽当たりもいい。逆に、道から光に照らされた森を見ると、表面が明るすぎて奥までは見えないものです」
「なるほど、分かりました」
「……ところでジャン君、水の匂いを強く感じませんか?」
「……ちょっと分かりません。雨なら分かるんですけど……こっちに川とかあるんですか?」
森の中には雑多な匂いがあり、水の匂いだけを正確に嗅ぎ分けることは難しい。
それに加えて足元の地面には湿気があるし、木の葉や岩などの表面に水が溜まることもある。
だが、森の中を歩き慣れたステファノは、それを水の匂いだと感じた。
ステファノが感じた匂いを言葉にするなら、広い水面を渡ってきた風の匂いを感じた、というのが正しい。
「こちらまで足を伸ばす予定はなかったので、事前調査は行っていないのですよ。大きな川があるとは聞いていませんが、小川か泉でもあるのかもしれません。今まで以上に慎重に進むように」
「はい。水場のそばは、獣や魔物の種類も変化するんでしたね」
槍をしっかりと握り、ジャンは緊張したようにつばを飲み込む。
更に進むと、水の匂いはジャンにも分かるようになってきた。
森の匂いに慣れ、嗅ぎ分けられるようになったという面もなくはないが、それなら朝からずっと森にいたのだから、今になって急に慣れたとは考えにくい。
「水の匂いが強くなってる?」
思わずそう呟くジャンに、ステファノは無言で頷きを返す。
そして、不意に森に視線を送ると、姿勢を低くしてジャンにハンドサインを送る。
ジャンには、周囲に何の危険も感じられなかったが、ハンドサインに従って、槍を胸の前に斜めに持った状態でしゃがみこむ。
しばらくそうしていると、ステファノが肩の力を抜いた。
「もういいです。気配を隠している何かがいたのですが、少しばかり大きめのただの鼠でした」
「もう慣れましたけど……気配を感知できるのって便利ですよね」
「戦闘系初級職でも覚えられますけど、技能を育てるのがとても大変ですし、育てきっても目視でないと発見が困難な魔物もいます。ルドルフォ様は魔力感知を使って警戒をしているそうなので、魔術師であるジャン君が目指すべきはルドルフォ様でしょうね」
ステファノがそういうと、ジャンは分かりやすく視線を向けつつ魔力感知を周囲に使ってみる。
「障害物の向こうは分かりにくいですね」
「熟練度が足りないのでしょうね。本来、対象が持つ魔力を感じる力ですから、視線が通らない場所の魔力でも感知可能です。ジャン君は目で見た情報に気を取られてしまっているのでしょう……が、それは後でルドルフォ様に相談してもらうとして、今は先に進みます」
周囲に気を配りつつ、ステファノが歩き出す。
自分で魔物を発見するのを諦めたジャンは、ハンドサインを見逃さないよう、ステファノを注視しつつ、可能な場合は魔力感知で木々の向こう側を感じられないかと周囲にも気を配る。
そして、少し行ったところでステファノが足を止めた。
ハンドサインが出ていないことから、ジャンはステファノの斜め後ろからその先にある風景を確認する。
そこには森を切り開いたような場所に、大きな丸い水場があった。幾つかの切株も残っているのだから、実際、切り開いたのだろう。
そばには小さな山と呼ぶか、大きな丘と呼ぶか判断に困るサイズの盛り上がりがあり、その反対方向……ジャン達の位置からだと右手に湿地というか小川があって、そちらに向かって水が流れている。
「でっかい池? 水がかなり濁ってるから沼ですか?」
「……まあ、沼というのが近いでしょうね……ジャン君、もう少ししっかり観察してみなさい」
ステファノに言われ、何を見落としたのかとジャンは違和感がないか慎重に確認する。
「……ええと、二カ所おかしな部分があります」
「言ってみなさい」
「まず沼から流れ出ている湿地? 小川? ですけど、水量が少ないからか、水底に草とか普通に生えてます……それに水場に生える草じゃなく、野原なんかにある種類ですね」
「いい着眼点ですね。あれは麦に似た種で増える草で、種はとても軽くて、水に浮かびますから、川の中に生えているのは少々おかしいです。もうひとつは?」
「……っとですね。砂利道です。砂利道は沼に続いていて、まるで沼が目的地であるかのように、沼で途切れています」
地形の隙間を縫うように設けられた砂利道は、厳密には直線とは言いがたい。
が、鉱石を運ぶ都合上、概ねまっすぐに作られている。
その砂利道は。沼にまっすぐにぶつかり、そこで途絶えてしまっていた。
「その通りです。大きいのはそのふたつですね。他にも、見える限り小川の川底は本来陸棲の草が生えているだけではなく、地面もあまり削られていないとか、川とは逆に、沼部分に水草がほとんど生えていないことなどがありますが……ふむ……沼の向こう側に砂利道はありませんから、この沼が廃坑なのかもしれませんね」
「廃坑って、山肌とかにあるものなんじゃ?」
「そういう固定観念はよくありませんね。平地に露頭している鉱脈の場合は露天掘りという方法で掘るから地面に大きな丸い穴が出来るんです。露頭が分からない? ……鉱石や何かの頭が地面から出てる状態、かな? そういうこともあるそうで、その場合は、横じゃなく下に掘るんですね。ただ、深く掘ることになるから、鉱石や土砂を掘り出すには、それを運べるようにしなければならなくて、そうすると地面に大きなすり鉢状の穴を掘ることになるんです」
露頭の意味が分からずに首を傾げるジャンに、ステファノは周囲を警戒しつつ説明をする。
ゆっくり沼に近付いたステファノは、砂利道、周囲の地面の様子、流れ出ている川の付近の植生を確認して頷いた。
「何か分かったんですか?」
「沼の周囲には砂利が散らばっていますが、砂利道は明確にこの沼に向かっていて、他の方向に繋がる道はありません。この沼が砂利道の目的地です。砂利道の目的地が採掘現場だという想定が正しいなら、この沼は元坑道でしょう」
「なるほど」
「元々の構造は知りませんが、迷宮化したのであれば、横穴も掘っていたのでしょう。ですが、その沼が採掘現場だとすれば、横穴も完全に水没していますから、調査は難しいでしょうね」
言われたジャンは改めて沼を眺めてみる。
その形は不自然なほどに丸く、これだけ開けた場所なのに、周囲に砂利が多いためか草が少ない。砂利が途切れたあたりから草が生えているが木々はない。切株などが残っているので、木が生えていないのではなく、人の手によって拓かれたと分かる。
そして、これだけ水量豊富な水場なのに沼に草がないということから、ひとつの結論を導き出した。
「この沼って、割と最近できたんですかね?」
「ほう。なぜそう思ったのかね?」
「ええと、さっきステファノさんが言った、沼に草が生えていない。というのが一つ。流れ出た小川に生えている草は元気そうですから、水に問題はありません。なら、これだけ陽当たりと水が豊富で、沼に草が生えない理由はありません。あと、小川ですけど、水量の割に地面が削られていないません。水が流れるようになってそんなに時間が経っていないのかな、って……ってあり得ませんよね。沼が最近できたとか……バカなことを言ってごめんなさい」
「いや、違和感を綺麗に説明できますから、存外それは適切な考察かもしれませんね。ルドルフォ様にはその考察もお伝えしてみましょうか……と、来たみたいですね」
ステファノが視線をつい、と森の方に動かすと、そちらの森の茂みをかき分け、まずはフィオが現れ、後ろからルドルフォが現れた。
「ステファノ君、元迷宮だった廃坑はどこかね?」
「廃坑は未発見ですが、恐らく目の前の沼が元採掘現場だったのではないかと」
ステファノは、ジャンの考察だと前置きしてから、沼が採掘現場だったと考えた理由を説明した。
それを聞いたルドルフォは、なるほど、と頷き、嘆息した。
「過去に迷宮だった廃坑は是非見てみたかったのですが……確かにジャン君の考察には大きな矛盾はありませんね」
「小さな矛盾はあると仰いますか? 感じた違和感を綺麗に説明できる説だと思ったのですが」
「失礼。正しくは矛盾ではないですね。ジャン君の考察は見事です。ただ、あまりにもタイミングが悪いと感じただけですよ。沼の水の濁り具合を見れば、泥混じりであることは明白ですが、小川にはそれがほとんど堆積していないですからね。水が溢れて流れ出すようになったのは本当につい最近のことのようですね」
「あの」
フィオが首を傾げて手を挙げた。
「フィオ君、何かね?」
「こんな大きな沼が突然生まれるものなのでしょうか?」
「……それについては、あるともないとも言えませんね。そういう記録は寡聞にして知りません。ですが、よく見てみなさい。この沼からは小川が流れ出していますよね?」
言われてフィオは沼に目を向け、大きな円周に沿ってぐるりと視線を動かした。
「はい……あれ? 流れ出るだけ?」
「その通りです。オラクルの村には温泉も井戸もありますが、地面からの湧き水が水源となるのは珍しい事じゃありません」
「でも、短い期間でこれだけ大きな沼になるほどの水源なんてあるんですか?」
「大河の水も、元は水源から流れ出た水ですよ。まあ大きな川の場合、複数の水源から流れ出た水が集まって大河になるんですけどね……この沼の場合は、流れ込むルートがありませんから、水源はひとつだと思いますが、水源がひとつでも湧水量が多い泉なら、これくらいの池にはなるでしょう」
ルドルフォの言葉を聞いていたステファノは、沼の濁った泥水を見て、少し考えをまとめてから言葉を発した。
「ルドルフォ様の想定が正しい場合、この沼の水が混濁しているのは一時的な現象という可能性も?」
「ああうん、そうだね。湧いている部分次第だけど、周囲の土が溶け出しただけなら、落ち着けば綺麗な……飲めるほどに綺麗な水になる可能性もあるね。実は地下でどこかの川に繋がってるって事もあるから、確信はないけどね……でもまあ、正直、迷宮跡を見られなかったのは残念だけど、この件はレン君にも教えておこう。もしも第一発見者なら、発見・報告の功績をもってリオ君の説得をお願いできるかもしれないしね」
「時空魔法の研究を優先するんじゃなかったんですか?」
「そっちはもう始めてるよ。ただ、ポーションを使いまくらない限り、研究の進捗には限界があるから、空き時間でリオ君の方も進めておこうと思ってるんだ……神託の研究はうちの研究所で長らく続けられているテーマだからね。このチャンスをみすみす見逃しては、先輩諸氏に申し訳が立たない」
ルドルフォは、学校から預かっているポーチから小さな陶器の容器を取り出すと、そこに沼の水を汲んだ。
「とりあえず、元迷宮が沈んでるなら水に何かあるかもしれないし、確保しておこう。で、ジャン君とフィオ君は何をやってるのかな?」
「先生、ここの足元の砂利に、宝石みたいな半透明なのが混じってます!」
しゃがんで石を選別し、沼の水で濡らして色の変化を確認していたフィオが興奮気味にそう言い出す。
ジャンも静かだが、石を探すのに夢中になっているだけのようで、砂利を避ける手の動きが止らない。
これです! と差し出されたフィオの手には小さな桃色がかった半透明に見えなくもない石が載っている。
「……はぁ……フィオ君の実家なら、ルビーでもアメジストでもガーネットでも好きに買えるだろうに……ええと……石にはそれほど詳しくないんだけど、前に見たメノウがこんな模様だったような気がする。気になるなら持ち帰って、ドワーフの誰かに見て貰うと良いでしょう」
「そうします!」
「ああそうだ、拳大の石を見付けて割ってみると良いと、何かで読んだ記憶がありますから、幾つか持ち帰って村の中で割ってみなさい。ああ、綺麗に割れてて断面に気になるものがある石、でも良いですよ。ただし、割るのは帰ってからですからね」
そう言われて、ジャンとフィオはステファノが呆れて止めるまで、石を拾い漁るのであった。
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