第85話 秘密基地

「待ちなさい! 今の話を詳しく……神の声を起きたまま聞き、会話も出来る? 失礼を承知でお願いがある。君のことを魔力感知を使って見ることを許してもらえないか?」

「……ええと、誰?」


 突然声を掛けられ、一瞬反応が遅れるリオに、ルドルフォは魔術師とは思えない運足で一気に距離を詰めた。


「私はミロの街の魔術師。『カラブレーゼ魔法研究所』の所長。魔法の研究をしているルドルフォ・カラブレーゼという者です」

「あたしはリオ……ってさっき名乗ったね……で? 魔力感知で見たい、だっけ?」

「はい!」


 なるほど、と頷いたリオは、一気に3mほど飛び下がった。


「嫌っ! クロエが言ってたおかしな魔術師ってあんたのことでしょ。出会い頭に体を調べたいって言ったとか」

「……不幸な行き違いがあったことは認めましょう。しかし、私に恥じる部分はありません。神託の巫女様も、最終的に許可をくださいましたが、そこまで聞いてはいないのですか?」

「……あたしは騙されないから」

「大きな誤解があるようですね。私が望むのは、通常時の魔力の状態と、神との対話? それを行っている時の魔力の流れの違いを見ることです……ああ、でも今すぐとは言いません。暫くはこの村でお世話になる予定ですし、別の研究もしなければならない身ですので……ですので、ね? 警戒したままで結構ですから、帰ったらレン君に、私が悪さをしようとしているのかどうか、聞いてみてください」


 多くの生物は魔力を持ち、魔力感知はその魔力を見る技能である。

 それを使っても、別に服の下が透けて見えるわけではない。

 もちろん技能の習熟度があがれば、より詳細な情報を看て取ることもできるが、言ってしまえばサーモグラフィーのようなもので、精度が高くても、見えるものはたかが知れている。

 服の上からでも体の輪郭は分からないでもないが、衣類に熱が移ればそちらも映し出されるように、衣類に魔力が浸透していれば、そちらも見えてしまうのだ。


 クロエの時、その旨と、黙って見れば気付かれないのにわざわざ断った点をレンが指摘してくれたことで、魔力感知の許可が出たことを思い出しつつ、ルドルフォはそう言った。

 レンに聞けというルドルフォの言葉を聞いて少し落ち着いたリオは、頷いた。


「分かった……ところであたしからも質問。ここ、結構安全地帯ギリギリの場所だけど、理解してる?」


 リオの問いに、ステファノは頷いた。


「理解している。そろそろ戻ろうと用意していた所だ」

「そか。ならいっか。うん。あんまり奥に行かないようにね。この辺には虫の魔物も多いから、油断してると後ろに潜んでたりするからね?」

「グリーンの魔物程度、我らの敵ではないが?」

「……見た目、結構強そうなのに、その発言は頂けないなぁ。結界の外に絶対なんてないよ?」

「まあ、まさか竜人の生き残りと出会うことがあるとは思いもしなかったが……」

「生き残り? ヒト程じゃないけど、竜人は他の獣人よりも多いけど?」

「そうなのか? しかし、かなり前に竜人は、他の種族の前から姿を消したと記録にあったが」


 人間が行うものである以上、記録に完璧はない。しかし、細々とであるならともかく、大勢いるというリオに、ステファノは難しい表情をする。


「しかし、記録に残らずに大勢が消えるなど、普通に考えれば」

「竜人なら出来るよ? 黄金竜がいるんだからさ、荷物さえまとめてあれば、一晩で森の奥の更に奥までだって飛べるよ」

「飛ぶのか?」

「竜を何だと思ってるの?」


 呆れたようなリオの視線を受け、ステファノは記録に残された中に竜人が姿を消したという情報がなかったと首を傾げた。

 しかし、同時に、その後、竜人が歴史の表舞台に姿を現すこともなかった。ということも思い出していた。


「魔王戦争ってヒトは呼ぶんだっけ? あの後、人間社会で生きるのが難しくなったご先祖様達は、リュンヌ様に導かれて結界杭を持って夜逃げしたらしいよ? 黄金竜の翼ならそれが可能だし、あたしたちは他の種族と関わらずに生きていける」

「いや、しかし、迫害はなかった筈だ。それは禁じられていた」

「なら、なぜあなたは、あたしにそんな視線を向けているのかな? でも、それが悪いと言う気はないよ? あたしたちには力があって、ご先祖はリュンヌ様がどう変わっても変わらずに奉じ、その力を使って殉じただけ。結果、世界に大きな爪痕が残されているわけで、それを考えれば災厄の再現を恐れるのは自然なことだし」


 リオの言葉に、ステファノは溜息を漏らした。

 迫害があったことをステファノ自らが立証しているというリオの指摘と、それに続く、それは当然の恐怖であるという言葉で、自分の中にある感情に名前が付き、そういう事だったのかと嘆息したのだ。


「……恐怖……そうですか、私はあなたたちを恐れていたのですね」

「ん。それを決めるのはあたしじゃないけどさ、それで納得できるんならそうなんじゃない?」

「ふむ……竜人は道理を理解しないという話でしたが、そうでもないのか」

「道理は理解してるつもりだよ? だけど信じるものが違うなら、お互いの道理が違うからね。理性的に話せば落とし所は見付けられるかもだけど、お互いが満足できる話し合いは成立しないよ」


 それぞれが異なる神を信じ、異なる生き方を選択しているのだから、正しいと考える道も違うと言うリオに、ルドルフォは目を細めて感心したようになるほど、と呟くと、ステファノの肩を叩いた。


「ステファノ君、君より彼女の方が理性的に対処してますよ」

「そうでしょうか? 事実はひとつであるべきだと思うのですが」

「ふむ……一つの事実も視点を変えれば複数の見え方があり、その数だけの真実があるものだよ。まして、私たちの神と、彼女たちの神は、表裏一体。似ているけど色々な部分が逆位置の存在なんだから、見える景色はまったく別物になる」

「……でもそれは単に見え方が変わっただけでは?」

「その通り。猫が鼠を捕まえたという事実があったとして、猫は喜び、鼠は悲しむ。猫と鼠が話し合いをしても、お互いが満足できる結果は得られないとは思わないかい?」


 ルドルフォとステファノが話し出し始めたのを見て、リオは肩をすくめた。


「その辺は後でふたりでやってよ。ここは安全地帯の端なんだから、とっとと帰って」

「おっとそうだった。ええとリオ君。君と話したいときはどうすればいいのかな?」

「レンかクロエに伝言して。今、村に獣人たちが来てるだろ? 他の獣人は竜人にケンカふっかけるのが好きらしいから、あたしは今、村では身を隠してるんだ」

「おや。それは大変そうですね。何かできる事があれば、協力は惜しみませんよ?」

「対価に体を調べるとか言い出すんだろ?」

「いえいえ、ほんのちょっと魔力感知で見るだけですから……ああリオさん、村に向かいながら幾つか聞かせて欲しいのですが、男性の竜人もいるんですよね?」


 ジャン達の準備ができたのを確認しつつ、ルドルフォはそう尋ねた。


「いや、あたしは夕方まで村に近付かないから一緒には行かない……あ? 竜人の男ももちろん生き残ってるぞ? なんだ、あんたは男もいける口か」

「いえ、魔力を見るだけなら、男性にお願いした方が誤解がないかな、と思ったんですけど、男性相手でも不名誉な誤解が生じるのだとたった今理解しました」

「そういう意味だったんだ。まあいいか、こんな所まで出てくる物好きはあたしくらいしかいないよ。あたしたちが住むのは、森のずっと奥。空を飛ばないなら、あたしたちだって往き来できない場所だからね。面倒くさがりが多いから呼んだってなんだかんだ言って出て来ないよ」


 空を飛ばなければ往復が困難な距離を往き来しない理由が、面倒くさいであることに、ルドルフォは軽い目眩を覚えつつも、まあ竜がいるのならそういうこともあるのか、と納得することにした。


「そうですか。それは残念です。それでは、後ほど、誰かに伝言を頼みますから、レン君に相談しておいてくださいね」


 そう言い残して村に戻っていくルドルフォ達を見送り、周囲の動物たちが動き出すのを感じるまでそこに佇んだリオは、以前、森の奥で見付けた洞窟に移動して中に潜り込んだ。

 入り口は高さ1mに満たない程度で、灌木に覆われており外からだと見えにくい位置にあるが、中はそこそこ広く、奥に入ると結構大きな縦穴があって、地底湖になっている。

 その地底湖が地下で外部と繋がっており、洞窟の奥まで進むと、水中を通って外の光が入り込んでいて中々に幻想的な景色が現れる。

 そこまで進み、持ち込んだ大きな木箱を通路に設置して、扉代わりとしつつ、これもまた、外から持ち込んだ寝椅子に腰掛け、背もたれに体重を預けるリオ。

 この世界にはそういう言葉はないが、まあ言ってしまえばリオの秘密基地である。

 竜人としてのリオは、こうした洞窟のような場所を好むのだ。


(エーレン、さっきの話は聞いてた?)

(……うむ。さっきのはアレだな? ソレイルの神託の巫女が言っていた変態だったか?)

(そうだね。魔力感知で調べさせろって)

(それをきちんと頼むあたりは、正直であるのだろう)

(正直?)

(魔力感知は意識を向けるだけで見ることができてしまうし、魔力の操作も必要ない。見られたからと言って気付けるものではない)


 目で見るのなら視線が動くが、魔力感知は違う。

 意識を向けて周囲の魔力を感じ取るのだ。

 初心者であれば『目で見る』ことを発動のキーにしていることもあるが、仮にも魔法を研究しているのであれば、明確なキーを使わずに発動もできるだろう。

 気付かれずに見る方法は幾らでもある、とエーレンは続けた。


(ふうん……でも、男の視線って何となく分かるけど?)

(視線とは別物だ。むしろ相手が発した魔力を感知するものだから、魔力感知は聴覚に近いな。だいたいリオも魔力感知は使えるだろうに、なぜ厭うのかが理解しがたいな)

(なんて言うのかな。説明しがたいけど、なんかやだって感覚? 理詰めで説明は難しいけど)

(なるほど。まあそういうこともあろう。我も、大半の虫は好きだが、蝶や蛾は目に付くとつい焼き払ってしまう)


 黄金竜の、つい焼き払うというのがどの程度の物なのか、と、思わず考えかけたリオは頭を振ってその疑問を捨て去った。


(まあ、そんなわけでね。レンに話を聞く必要もないかな、と思ってるんだよね。あたしとしては)

(いや、一応相手はきちんと申し入れてきたのだ。たしかこういう場合、相応の対応をすべきだったはずだ)

(ヒトの礼儀は分かりにくいよね。嫌だって言っても、何だっけ? 筋を通すとか、顔を立てるとか? そういうのがあるんだよね? バカみたい)

(それがどれだけ馬鹿らしく見えても、礼儀には礼儀を返すものだろうから、諦めるのだな)


 コロンと狭い寝椅子の上で器用に寝返りを打ち、


「ホント、バカみたい」


 と呟いたリオは、魔物忌避剤の柑橘類の匂いに包まれながら目を閉じるのだった。




 同じ頃、学園の校長室で、ライカは王都から来た役人の話を聞いていた。


「中級の体力回復ポーションの増産? 本気で言ってますか?」


 ――聞いた上で、即座に撃墜してはいたが、一応聞いていた。


「しかしですね? 生徒も卒業生も増えたわけですし、生産能力は向上していますよね? でしたら多少はその、何とかなりませんか?」


 汗を拭きつつ、役人はライカの前で小さくなりながらそう要求を口に出す。

 途端に、ライカの表情が凍り付く。

 ただでさえヒト種よりも整った顔ちが多いエルフの、その中でもかなり美しい部類のライカが表情を消すと、凄みがあり、役人は更に体を縮めた。


「……あなたは王立オラクル職業育成学園がどうやって生徒を育てているのかすら知らないのですか?」


 ポーションを使って訓練期間を極限まで短くして、様々な道具を駆使して安全に職業レベルを上げている。というのは、学園に関わる役人なら知らぬはずのない事柄である。

 生徒が増えたことがまるで良いことのように言われているが、それを育てるため、残ってくれている卒業生たちは大変な思いをしているのだ。


「存じております……ただ、その、多くの領に、怪我を負って引退を余儀なくされた騎士や冒険者がいるのです。彼らが復帰できれば、街道の安全を確保しやすくなりますし……」

「それはそれ、ですわ。各領地の錬金術師を入学させれば、自領でポーションを作れるようになるでしょうに。なぜそうしないのですか?」

「出来ないのです。ご存じのように、他の種族を迎え入れることで、本来、順番待ちをしていた各領の錬金術師達が後回しにされています。もちろん、その責を負うべきは国であることは理解しておりますが……」


 手のうちようがないのは分かっているが、陳情を受け続けているため、対応したという事実を残しておく必要があるのだ、と宣う役人に、ライカは大きな溜息をついた。


「まったく……あなたは内務うちつかさでしたわね? 引き抜きすぎて外務そとつかさが回らないと言う話は聞いていましたが、内務うちつかさも同じ状況というのはどういうことなのかしら……まず、増産は不可能ですわ……ああ、まだ話は続きますから黙ってお聞きなさいな。良い手を授けて差し上げますから。まず、国から、王立学園の卒業生を抱える各領に対し、卒業生が作成した中級ポーションの1割を国に納めるように命じなさい。あくまでも要求先は領主にすることと、割合は1割が上限ですので、間違えないようになさいな」

「え……と? つまり、国はポーションを受け取れる。学園は増産は行わずに済むということ、ですね? 各領主の反発が大きくなりそうですが……」

「本来、卒業生が作ったポーションを他の領にも流通させていれば問題はなかったのですわ。自分たちの街の錬金術師を先に入学させられたのは単にサンテールの街に近かったからですわ。幸運に恵まれた領に、それを恵んだ国が分け与えよと言うのはおかしなことかしら? あ、ポーションを納めさせるのは、8割くらいの街でポーションが流通するようになるまでになさいな? そうじゃないと、まだ幸運に恵まれていない領のためという言い訳が成り立ちませんものね」

「なるほど……流通経路に乗せれば儲けになるが、自分たちで溜め込んでいたら徴収されるわけですか? いや、まあそれでも非難はされそうですが」

「でしょうね。でもそこから先はあなた方が考えなさいな」


 役人が退出すると、ライカは王都の連絡窓口となった先代の神託の巫女に、心話で事実のみを伝え、今後はこうしたことは王都で処理して欲しいと苦情をあげ、レンへの報告をまとめるのであった。

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