第80話 日常的な挨拶
ルシウスが王都に戻り、暫くしてライカ達が戻ってきた。
これは、他種族の受け入れの調整が全て完了したという事を意味する。
それと時をほぼ同じくして。
『初めまして。クロエちゃんからあなたの連絡先を教えて貰いました。私はイレーネです。先代の神託の巫女と言った方が分かるかしら? この度、王家から連絡担当を拝命しました。何かあれば私に連絡を貰えれば、王宮には伝わります』
というメッセージがレンに届いた。
ライカがオラクルの村に戻るにあたり、ルシウスが心配したのは連絡にかかる時間が長くなることだった。
最近のオラクルの村は急激に変わりすぎた。社会全体のペースから考えると、あり得ない勢いである。
そして、そこに他種族がやってくる。
何が起きても不思議ではないため、せめて緊急時にオラクルの村から王都への連絡が可能なようにと、隠居をしていた先代の巫女を無理を言って引っ張り出したのだ。
事前にクロエから連絡先を伝えると聞いていたレンは、ああ、このヒトが連絡係なのか、とメッセージを確認し、二度見した。
「クロエ……ちゃん? いや、まあ、クロエさんからしたら先輩に当たるんだろうから、なくはないんだろうけど」
妙に気安い呼び方に違和感を覚えつつも、レンは、
『レンです。クロエさんにはお世話になっています。よろしくお願いします』
とメッセージを返すのだった。
そして3日後、学園の校庭にて。
「いや、この人数は話が違うんだが」
レンの前には大勢のエルフがいた。
全員、大きな荷を背負い、それでも足りぬと馬にも荷を乗せて牽いている。
その数30人。
他種族全部を合計して36人と予定していた学園の計画が根底から崩れかねない人数である。
「レイラ。受け入れ人数の話はどうなってるんだ? 聞いていた話とは大分違うが、何か変更があったのか?」
レンは、後ろに控えるレイラに声を掛けて引っ張り出す。
様々な報告はレンの所にも上がっているが、経緯全てを把握しているとなると、窓口だったレイラが適任だという判断である。
レイラは落ち着いた表情でレンの前に立った。
「……
「自分はヘリナだ。サーディ氏族の長の甥で、今回のエルフ全体のとりまとめをしている」
ひとりのエルフが荷を降ろして前に出てきた。
レイラは、ノートを片手にヘリナの前に進み出る。
「ヘリナ……なるほど、予定人員に名はあるな。ヘリナ・サーディ。こちらのノートには予定人員は12名と記されているが、この人数はどうしたことか? 説明を求める」
「ああ、全員同じ装備だから分かりにくいのだな。これは失礼した。生徒数12名に変更はない。残りは護衛だ。しばし、周囲の森で野営をして安全を確認したら里に帰らせる。必要なら周囲の魔物を間引く程度ならさせるので、遠慮なく言って貰いたい」
「学生である間は護衛は不要だ。それに周囲の森と言ったか? サンテール家の許可はあるのか? 周囲の森はサンテール家のもので、借り受けるには契約が必要。これを守れないなら全員即時退学ということになっている。そして、そうした契約は私を通すことになっているが、私はそれを聞いていないぞ?」
「塀の中はヒトのもの。森はエルフと獣人のものである」
「……エルフの里を獣人が好きにしたら何とする?」
レイラの問いに、ヘリナはふん、と鼻で笑った。
「管理され、手が入った森とそれ以外とは別だ。街に住む間にそんなことも忘れたか?」
「ならば塀の外に出て森を見てみるがいい。そして、管理されていない場所まで離れて野営をするか、管理された範囲内に居留地を作って退学の沙汰を待つか、選べ」
オラクルの村の周囲の森は、学生達の実習の場である。
そのため、かなり広範囲に下生えは刈り取られ、木々の枝打ちもされている。場合によっては
エルフや獣人であれば、そこが手付かずの森でないことは一目で分かる。
レイラの見る限り、半径1キロほどは、薬草の採取の際に不意に魔物に襲われるような被害がでないように、しっかりと整備されており、その範囲は日々ゆっくりと拡大している。
エルフにとって、森の中の1キロならば遠いとは言えないが、そこに護衛を置いて、緊急時にオラクルの村に駆けつけると考えれば遠すぎる。
そんなやり取りをするレイラ達の後ろで、レンはライカに声を掛けた。
「ライカ、ライカ」
「なんでしょうか、
「なんで、即座に退学って言わないんだ? そのための取り決めだろ?」
「……エルフとして、
なるほど、それは確かに面倒くさい。とレンは様子を見ることにした。
「サーディ氏族ではヒトが整えた森に手を出すのか? 生徒達にとって、魔物も大事な教材である。それを奪うのか?」
「そのようなことはせぬ。だが、そこまで言うなら問いたい。護衛をどうしろと言うつもりなのか」
「こちらから提示できる選択肢は三つ。一つはサンテールの街で待機させること。あの周辺の森なら、魔物を間引けば喜ばれる。次は、手狭になるが宿舎の部屋を同胞で分け合うこと。三つ目は退学を選び、里に帰ることだ。仲間と相談して好きな道を選ぶがいい」
と、そこまでレイラが告げたところで、ライカがレンに囁いた。
「これで終わりですわ。ヘリナは無理を言い、全てではないにせよ、レイラは要望を飲みます。エルフにはこういうやり取りの面倒くささがあるのです」
「あれでレイラが要望を飲んだって? 俺からしたら勝手にしろ言われたに等しいんだけど」
「見ていてくださいまし」
とライカが言うので、レンはレイラ達のやり取りに耳を傾ける。ちょうど仲間と相談をしていたヘリナが戻って来たところだった。
「……仲間と話し合ったが、2つめの道を選ぼう。同胞と分かち合うのはエルフには当然のこと。何ら苦痛ではない」
「では、こちらに予定外の者の記帳を。それと、今回は許すが、次回以降も同じ事をするなら、即時退学とする旨を長に伝えるように」
どういうことだ、とレンがライカに視線を向けると、ライカはやや疲れたように溜息を漏らした。
「森に住むエルフは仲間と財産を分け合うことを厭いません。少なくとも対外的にはそういうことになっています。ですので、レイラの提示した二つ目の選択肢は、エルフにとっては苦痛でも何でもなく、ヘリナはレイラに一方的に要望を通させた、という事になるわけですわ。ただ、毎回このやり取りに付き合えないのでレイラは釘を刺した、というところですね……お互い、最初からこの落とし所を狙っていたはずです。里から出ないエルフは、同族とは数百年一緒に過ごしますから気心の知れぬ相手というものに対しては常にこのように振舞い、相手の譲歩を得て安心をするのです。結果、
「なるほど、本当に面倒くさいな……種族特性ってことなら、仕方ないんだろうけど」
他者と馴合うをよしとせず、森を守る孤高の種族というイメージをエルフに抱いていたが、その実態はこんなものだったのかと嘆息しつつもレンは、だからヒトの国で、エルフとの外交をエルフであるレイラが行っていたのか、と納得するのだった。
「
「うん。怒りたいけど種族特性なら常識の違いがあっても仕方ないからね。面倒くさいけど、その違いは尊重するよ。本当に面倒くさいから関わりたくないけどね」
生まれ育った環境が違えば、そうした違いがあるのは当たり前だ、と、レンは笑うのだった。
エルフ達を宿舎に案内し、生徒達とヒトの職人の顔合わせをしつつ、持ってきて貰った素材についての説明を聞く。
買い取った各種素材をアイテムボックス(複合)にしまい、同性能の頑丈な木箱風のアイテムボックス(複合)二つをエルフたちに渡したレンは、次からはこれに入れてきて欲しいと依頼する。
迷宮産であれば、どれほどの値が付いてもおかしくはない高性能なアイテムボックス(複合)を何気なく渡すレンに、エルフ達はやや呆れつつも、これが神が喚んだエルフの力なのかと納得をした。
そして生徒となる12名を部屋に案内し、そこに幾人かずつ、護衛が間借りする。
ヒト向けの宿舎には8部屋が用意され、内2部屋が個室。6部屋が6人部屋として設計されている。つまり、ヒト向けの仕様であれば40人を収容できる広さがあり、エルフ向けの部屋のサイズも基本はヒト向け宿舎準拠なので空き部屋を開放すればその程度は問題なく入る。ただし空き部屋に寝具などの用意はない。
全員の部屋の割り当てを決めた後、レイラはヘリナに向かって宣言した。
「現状、人類にとって最優先となるのは、食料生産能力が高いヒト種の存続です。従って、護衛に対する授業がないことは承知しておいて欲しい」
「育てて欲しいとは言わぬが、一緒に学ぶことも出来ぬのか」
「エルフの生徒が12名。ドワーフ、獣人も同数が予定されており、これを育成するにあたり、学園側は様々な資材を用意している。1.5倍もの増員があっては、とても対応出来ない……仮にエルフの増員だけなら何とかなるとして、それを許せばドワーフ、獣人も同じ扱いを望むのは必然。そうなったとき、皆が学べなくなる。エルフはその責を負えるのか?」
「む……」
ヘリナは言葉を失った。
先ほどまでの、エルフの
レイラの言っていることは至極真っ当で、だからこそ、ヘリナには自分が言ったことが実現されてしまったら、それは大きな問題に繋がるのだと理解出来てしまえば、それ以上を言葉にすることは、まだ長でもないヘリナにはできない。
そんなヘリナの後ろで、幼い見た目の少女が溜息を漏らすと、前に出てヘリナの横に立った。
「レイラ殿。横から失礼します。ヘリナの妹のニアにございます。此度、錬金術中級を学びに参りました」
「ああ、今期エルフの女性代表だな。それで?」
「私たちが学んだ事を、護衛の者たちに教えることは許可頂けますか?」
「学んだ事を持ち帰って広めることは推奨しているが、就学中の教導は推奨しない。それは効率が悪いからだ……
「ああ、納得させなければ、勝手に教えて時間を無駄にしそうだからね」
レンがそう答えると、レイラは一人部屋を教室代わりにして、学園ではどのような学習を行うのかの説明を始めた。
「訓練で重要なのは反復訓練だ。だが、魔力や体力が尽きるほどの訓練をすれば、何かあったときに対応出来ない。だから、常に余力を残して訓練を行う。それが今までのやり方だ。これに種族の別はない。そうだな?」
「はい。力を残しておかなければ戦えません。魔術師や戦士が最初に覚えるのが、どの程度までの訓練なら、もう一戦可能な体力が残せるのかという見極めです」
「そうだ。しかし、ここでの訓練は余力は残さない。という辺りまでは既に聞いているな?」
「はい。それだけしっかりと学園が守られているから、学生達は余力を残さずに鍛錬ができるのだと理解しています」
「それは誤りだ。確かに村は安全だが、理由は別にある。錬金術中級を学びに来たのであれば、魔力回復ポーションを連続して飲んでも効果がないと言うことは理解しているな? しかし、例えばこの箱には魔力回復ポーションが十種類以上あり、これらは連続して飲んでも全て効果が得られるのだ。我々はこれを使って君たちを育てる。魔力が尽きるまで訓練をさせ、尽きたらポーションを与えるということだ。スタミナや体力でも同じような方法を取れる」
レイラはポーチからレシピ違いのポーション詰め合わせの特訓セットを取り出し、一箱を生徒達の前に置いた。
生徒達は、皆、きょとんとしている。
レイラの言葉は理解できているが、その意味するところまで思考が追いついていないのだ。
「何を言っているのか分からん、という顔をしているな? 安心しろ。初めて聞いたときは、みんな同じ顔をする。とにかくだ。倒れるまで訓練を繰り返し、倒れたらポーションで回復するという特訓を行うのが本校の基本的な訓練方法だ。そうすることで、技能を育て、職業レベルを上げるための条件を整える。そして職業レベルが上がったら、しばらくは更に技能を育てる。錬金術師なら、その過程で作成したポーションを学園に納品するのが学費となる……お前達の使うポーションはお前達の先輩が作成して納品したものと、我々が急遽追加した品だ。それがあるからお前達は何度倒れても訓練ができる……しかし、護衛に与えるポーションはない。つまり、今のお前達が教えられるのは知識だけだ。そんなことで職業レベルが上がるとでも思うのか?」
レイラはそう言って、ポーションの箱を幾つも積み上げ、これが、生徒一人あたりが使う平均的なポーションの分量だ、と告げた。
そして、エルフ達の顔を見回し、理解しているようだと判断すると、静かに続けた。
「……まあ、しかし。そうは言っても知識の断絶の悪影響は大きい。十分に条件を満たしている者なら、教えを受ければ或いは職業レベルがあげられるかも知れぬ。だが、今のお前達は、他者ではなくまず自分を育てることを優先しろ。そうすれば、錬金術師であればこのようなポーションを作り出せるようになるし、それ以外の者も素材採取に協力ができるようになる。その意味が分かるか?」
「……そうやって作成したポーションを使い、皆が限界を気にせずに訓練が出来るようになり……更に大勢の技能の習熟が進みます」
「そうだ。そのやり方の方が、結果的に育てられる総数が増える。十分な訓練をさせる方法もないままに教えても、それはお互いの時間の無駄だ。理解出来たか?」
「はい……しかし、そうしますと、護衛はいても仕方がないのでしょうか」
ニアの問いに、レイラは首を傾げた。
「最初から不要と言っておいたはずだが? まあ、生徒達の客人として数日の滞在は許可する。後はそちらで決めるように」
レイラはそう言って取り出していた各種ポーションをアイテムボックスにしまう。
その前にヘリナが進み出た。
「どうかしたのか?」
「いや……その、先ほどは済まなかった。エルフ流の挨拶に付き合ってくれたこと、感謝する。それと、無理を言ったことに謝罪を」
「謝罪は不要だ。あの挨拶はエルフの伝統だ。だが、それを知らぬヒト種が受け入れを行なう事もある。今後は控えてくれると助かる」
「もちろんだ。里にもそのように伝えおくことを約束しよう」
などというゴタゴタの後。
エルフの宿舎には、ヒト種向けの家具が運び込まれ、半日程度で運用可能な状態に整えられるのであった。
それを眺めつつ、
「なあ、レイラ」
「なんでしょう。
「獣人とかドワーフも同じようなやり取りになったりはしないんだよな?」
「まあ……あの種族はもっとストレートですから」
などという会話があったなどとは、どこにも記録されてはいない。
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