第78話 食の好み
校舎を見て回ったふたりは、そのまま最初に作られた宿舎に向かう。
「ルドルフォさん達が入ったから、空き部屋が埋まっちゃってるんですよね。まあ外側だけですけど、こんな感じです」
「空き部屋があったことが驚きなのだが」
「新入生が来たときに説明で使うための部屋で、本来は生徒を入れる予定のない部屋なんです」
「なるほど、見本ということか……あの柱から柱が一室かね?」
ルシウスが建物を指差してそう尋ねるとレンは頷いた。
「個室ならそうです。室内にはベッドと書き物をするための机、あと、私物を保管する箱が置いてあります。部屋は他に、六人部屋があります。個室2部屋分の広さに6人詰め込みます」
個室2つの広さに6人と聞くとかなり狭そうに思えますが、職人達から意見を聞いた限り、問題はないそうです、と補足も忘れない。
「ああ、最初は一人部屋しかなかったと聞いているよ。そのままだったら、もっと沢山の宿舎が必要になっただろうね」
兵舎では、士官でもなければ4人部屋、6人部屋が普通なので、ルシウスとしても別に6人部屋は驚くほどのことではない。
むしろ、もっと詰めこんでできるだけ大人数が入れるようにして貰いたい、というのがルシウスの偽らざる本心だったりする。
「最初の生徒達が色々と問題点を指摘してくれたので、初期の設計からはかなり変わってますよ。さて、それではお待ちかねの新宿舎に向かいましょうか」
「あー、あそこに見えてるのがそうなのだよな?」
「ええ、若干壁が綺麗な宿舎が3棟ありますね。配置は悩みましたけど、風通しが良いところにあるのがエルフ、陽当たりがいいところが獣人、ドワーフは校舎に近い位置にしました」
こうした口を挟みやすい部分については、それなりに配慮はした、とレンは疲れたような顔を見せた。
だが、どれだけやっても正解がない部分なので、絶対に何か言われるだろう事も覚悟はしている、とも言って溜息をついた。
「この配置の理由は?」
「エルフは森から吹く風を感じられる場所が好きですし、獣人は日だまりが好きです。ドワーフはまあどこでも良さそうですが、体格から考えて校舎に近い方が移動が楽かな、と」
「まあ納得できる理由ではあるか……レイラ殿にも意見を聞くべきとは思うが」
「ええ、一応意見は聞いてみましたが、多分大丈夫だろうとは言っていました。ただ、ほぼ確実に苦言はあるだろうから、聞き流すべきだとも言われましたけどね」
「まあ、そういう連中が多いのは事実だな。そういう手法なのだろうよ。話が通じない相手と通じる相手がいれば、通じる相手への心証は良くなるだろうからね。国内政治では使いにくい手だが、外向きなら嫌われたら交代させれば済む……それはそれとしてだ、外観からはあまり未完成には見えないのだが」
ふたりはまずドワーフ用の棟に向かった。
どの棟も基本石造りで、サイズは概ね同じであるが、ドワーフ用の棟は、他の建物と比べるととにかく窓が小さいというのが見て取れる。
「まず質問があるのだ。なぜ窓が小さいのかね?」
「ドワーフの寄越した設計図は窓が小さいのが多かったからですね。あと、中に入ると大きな部屋が有って、周囲に小部屋が並んでいます。大部屋には大きな暖炉がありますけど、その辺もドワーフの設計図準拠ですね」
レンはそう言いながらルシウスをその建物の中に
屋内は、屋内と言うことを差し引いても薄暗かった。
「かなり暗いが……これも要望にあわせた結果かね?」
「要望には書いてませんでしたが、まあ、窓を小さくすれば暗くなります。一応、一部、塞いでますけど、窓にしても強度に影響がない部分がありますので、苦情が出たらそこを窓にします……ああ、あの、壁面の一部が緑に塗られてる部分ですね」
「あの模様にはそういう意味があるのか……それにしてもドワーフの平均身長から考えると、かなり天井が高くないかね」
ルシウスは天井に向かって手を伸ばしたが、その手は天井まで届かなかった。
「天井高はざっくり220ですね。ドワーフの平均身長から考えると空間の無駄ですけど、将来、ここをヒトが使うようになったら、ドワーフサイズでは困るでしょ?」
「ああ、そこまで考えているのか」
「ドワーフサイズにしようとしたら、職人さん達に勿体ないって反対されたんですよ……それと、ヒトの職人が内装とか変更するなら、ドワーフサイズだと狭くて大変だっていうのもありますね」
「そうか、そうなる可能性もあったな。ヒトにあわせた家具を入れるなら、ドワーフサイズでは困るか」
「ええ、テーブルや椅子なら足を切れば済みますけど、ベッドやチェストみたいに小さくしにくい家具もありますからね」
ふむ、と頷き、ルシウスは足元に目を落とした。
ツルツルに磨き上げられた木の板が一面に張られた床は、まるで鏡のようにルシウス達の姿をうっすらと写しだしていた。
「この床は、特殊な素材なのかね?」
「いえ……あー、いや、微妙です。材木はサンテール周辺の森で伐採して乾燥させてた物を買い付けましたが、表面には木材を堅くするポーションと、つや出しポーションを使っています」
「初耳だが、錬金術師の中級にはそんなポーションもあるのかね?」
「いえいえ、これはあれです。魔法屋にレシピがある類いので、元々そういう知識を持っていた英雄が開発したものです。あれ? このポーションはレイラ経由で王宮にも持ち込まれてると思いますよ?」
「帰ったら確認してみよう」
「まあ、他のと比べたら、手が生えてくるわけでもありませんから、インパクトには欠けますよね。一応、卒業生には俺から幾つかのレシピは覚えさせています」
内部を一通り視察したふたりは、ドワーフ用の宿舎を後にして、ゆっくりとエルフ用の棟の周囲を回る。
「窓が広い……というか普通サイズだな……地面は……随分と柔らかいようだが、ここは畑というわけではないのだよね?」
「ええと、花壇になる予定です」
「……そこに足を踏み入れてしまってもよいのかね?」
「問題ないです。今は散布したものを馴染ませてるところで、何も植えてませんから」
ほら、とレンが指差した部分に目を向けたルシウスは、首を傾げた。
「土しか見えぬが?」
「こっちと比べると、その辺は少し白っぽいですよね。消石灰を撒いてますね。もう少ししたら、肥料を投入します」
「そうか……この村の畑が凄いという報告を受けていたが、肥料が特殊なのかね?」
「そうですね。錬金術で作った肥料も使っていて、その効果はかなりのものです。エルフは不自然だと嫌うかもですので、ここには撒くつもりはありませんけど」
「それについては一任する……が、肥料の効果を具体的に数字で示せるかね? それは錬金術師なら誰でも作れる物なのかね?」
ルシウスの食いつきに、レンはやや引き気味に頷いた。
「確認済みの部分については数字で示せます。芽が出るまでの時間短縮はなし。芽が出た後の生育期間はほぼ半分になり、面積あたりの収穫量は1.3倍というのが、芋と麦での実験結果です。で、肥料を作れるのは中級の錬金術師ですけど、標準レシピじゃないので、別途習得する必要があります。で、こちらが」
レンはポーチから一冊の薄い本を取り出した。
「レシピです。魔法屋にもありますけど、学園で生徒に教えるのに何冊か学生向けのレシピ本を作ったんですよ」
「まあ、レン殿が教えているのなら、技能不足で技能が低下したりはせぬだろうが」
「絶対はありませんけど、まあ万が一の場合はポーション飲ませて責任もって育て直しです」
「それで済むのであれば、昔のやり方でレシピを獲得するよりはマシなのだろうな」
英雄の時代と今とでは条件が違うのだ、という事はそれとなく伝えていたが、レンはまだ具体的な部分までは話していなかった。
英雄の時代では、死は終わりではない。だから死ぬほどの目にあって実際に死んでも、失うのは時間とゲーム内通貨だけだった。
魔法屋は、その時間と通貨を失わずにレシピを得るための、言ってしまえば楽をするための方法でしかなく、だから、運営は魔王との戦いに向けて戦力の強化が必要なので魔法屋の場所を提供すると伝えつつも、その運用を躊躇わせる要素を設定したのだ。運営の狙い通りにいけば、皆が死に物狂いでレシピを手に入れ、苦労の末に魔王に勝利する、となるはずだった。
しかし、プレイヤーが未公開情報の熟練度をそこそこの精度で測る基準を見付けたことで話は変わった。あっという間にリスクは低減し、結果、魔法屋が大繁盛することとなった。
後は何回も死んでリトライする時間に加えてデスペナルティと、万が一技能が低下した場合に鍛え直す時間とのトレードオフであり、多くは後者を選択したというだけの話である。
だが、この辺りを細かく説明して突っ込まれると、英雄の死についての話に繋がりかねず、レンとしてはあまり詳しく話したくない領域の話題だった。
だから、ここでも曖昧に返した。
「まあ、見極めはペーパーテストと実技で判断できます。失敗の可能性はかなり低いと思いますよ」
「技能とは、そのように測れるものなのかね?」
「数値化は出来ませんけど、どの程度知識があって、実際にどの程度出来るのかで決まります。ただ、実技面は判定する人によってブレが出ますから、多少の余裕を見る必要があったりしますが、注意すべきなのはその程度です」
「ふむ……いずれにせよ、その肥料のポーションは、今後流通可能なのだな? 必要となる素材に稀少な物はどの程度あるのだろうか?」
「どれも素材としては珍しい物じゃないです。一番稀少な素材が緑の魔石ですかね」
「それを使えば同じ作物を続けて育てても問題はないのかね?」
「連作障害ですか? ええ、土地を整えるための物ですから、そういうのも整えられます……ああ、ただ、ポーションを撒いてから作付け可能になるまで、1週間ほど掛かりますけど」
思い出したかのように問題点を告げるレンだったが、ルシウスはその程度は問題にならない、と返した。
「年間、2回収穫している畑で、上手くすれば4回の収穫が出来るのだろ? その上、収量は1.3倍だったか? 単純計算で2.6倍の食料生産だ。学園の卒業生の力で戦力の底上げが出来て、食料も豊富になれば、人口の減少を確実に止められる」
「あれ? 食料は十分に生産できてたんですよね?」
「生存に必要な分は、という意味だよ。余裕はないし地域差もある。足りない地域には運ばなければならない」
その輸送が危険なのだ、とルシウスは呟く。
「なるほど、もっと余裕があるのかと勘違いしていました。安定するまで、もう少し何とかならないか考えてみます」
レンとしては、錬金術師が増えれば現在教えているポーションで食料生産能力が倍近くまで向上し、それに応じた所(1.5倍くらい)まで人口が増えるのに20年ほど。以降、人口増加は継続するが、その速度は、耕作可能面積の増加速度を上回れないはずで、
だが、その計算は、現状でそれなりに余力があるという前提に基づく物であったため、現状がギリギリであるなら、下手をすると人口増加が間に合わない可能性も出てきてしまう。
だからと言って、恒久的に食料生産能力が更に数倍になるような向上はまずい。
それをすれば、レンが生きている間に産業革命が発生してしまうかも知れない。そうなれば、いつかは神の恩恵の謎を解き明かし、職業や技能を人間の手で再現できるようになるかもしれず、もしも職業が神の奇跡でなくなれば、戦争が起きる可能性も出てくる
「そうすると、短期で効果が出る対策としては、迷宮を幾つか解放するあたりが妥当かな」
「迷宮を解放?」
「ええ、幾つかの迷宮は、魔法金属で埋め立てていると聞きます。そこを発掘すれば、
レンが提供した
勿論多少であれば製造できるし、実際に試験用に作成した結界杭の実験も行っているがそれでは足りない。
そもそもの問題として耕作に適した未開発の土地が街道沿いには少ないのだ。残っているのは耕作に不適当か、使えるとしても狭くて効率が悪い土地や、街道から離れた土地ばかり。そこを開拓して村にしても耕作面積は既存の村ほど広くは取れないか、往復に危険を伴う。
面積の不足を村の個数を増やすことで賄うには結界杭が必要になる。
だから、レンは、
しかし。
「それはとてもありがたいが、短期的というなら別の方法が必要になるな」
「結界杭を量産して村を増やすのでは生産量が足りませんか?」
「それによって増加する作付可能面積だけを見れば問題はないのだが、そこまで行くと、畑があっても人手が足りないのだよ」
農業は、畑を耕して種を撒いただけで終わりではない。
育てるのにも人手が必要になるが、その人手――ヒトが足りないのだ、とルシウスは答えた。
動力に魔石を使う農具なら必要な人数を少しは減らせるだろうが、さすがに使い手がいないのでは話にならない。
かと言って、すぐに思いつく方法では先の思いつきのように粗も穴もあるだろう、とレンは問題を先送りにすることにした。
「一朝一夕でどうにかなる問題じゃなさそうですね。対策は別途考えてみます」
「そうして貰えると助かるよ。いや、この肥料だけでも随分と助かるのだがね。これがあれば、食料輸送を減らすことができ、その労力を他に向けることができるし、魔物と遭遇する場所に出る回数も減らせるからね」
「それなら、まずは肥料の量産ですね。技能を育てる際の訓練で、当面は肥料も作るように指示は出しておきます。まあ焼け石に水でしょうけど……さて、次は中を覗きましょうか」
「ああ……ふむ……窓が広く、窓自体が風を通しやすく出来ているのか……」
特徴的な部分はその程度で、他は王都にもありそうな建物だった。
ぐるりと中を見て回ったルシウスは首を傾げる。
「大部屋はないのかね?」
「ええ、元の設計にもありませんから。ただ、もしも大部屋が欲しいと言われたら、中央の部屋は柱さえ残せば壁を壊しても問題ないので、ドワーフのとは形が違いますけど、2部屋繋げて大部屋に出来なくもないです」
「なるほど。まあ、元の設計にないなら問題はないか」
「次は獣人のですけど、基本エルフのと同じ構造ですね」
「おや? 何か違いがあるような話をしていなかったかね?」
「配置の違いです。風通しが良いところにあるのがエルフ、陽当たりがいいところが獣人、ドワーフは校舎に近い位置にしたという件ですよね。実際、ほら」
とレンは獣人の棟を指差す。エルフの棟は外壁に近い位置にあったが、獣人の棟は校庭寄りにあり、陽当たりはかなりよくできていた。
「窓の広さ、構造は似たようなものか……外側には花壇ではなく、芝を植えているのかね?」
「ええ。高い所と地面に近い所が好きという話を聞きましたので植えてみました」
「なるほど。ところで、屋内に風呂場がなかったようだが?」
「風呂は二種類あります。ひとつは、併設された小さい建物で、シャワー専用です。もう一つは、神殿の隣の温泉で、そちらには大きな
「ほう。どのようなものを?」
「料理人を3人ほど雇って、普通の家庭料理を作って貰っています。職業レベルは中級まで育てました。食材は学生達が集めた肉が多いです。大量に作りますから、味は若干落ちますけど、アレッタさんなんかは、自宅で食べるよりも美味しいと評価しています」
エルフに関してはレンが食べて問題はないと判断しており、獣人についてはリオが食べている。
ドワーフの好みは分からないが、ヒトやエルフと同じ食事でも問題はなかったという話をレイラから聞いていたレンはこれで問題はないだろうと考えていた。
「私は詳しくないのだが、種族ごとに、何かこう、これはこうやって食べない、とか、そういう違いはないのかね?」
「あると思いますが、そういう研究者がいないのですから、その場で調整するしかないでしょうね」
これはこういうものだ、という食べ方があると、それ以外に対して精神的な抵抗が生まれることがある。
例えば白米を牛乳と砂糖で甘く煮て、スパイスで香りを付ける。実際にそうやって食べる国もあるが、日本人の感覚だとそれは違うだろうと感じるし、慣れるまでは気持ち悪さを感じるかも知れない。
そうしたことが起こる可能性は否定できないが、そうした情報は王都にもなく、強いて言えばエルフは虫が好きだが味の好みはヒトとほぼ同じ。ただし氏族ごとに食習慣の違いがある、獣人は肉が好き、ドワーフは酒と塩を与えておけば満足する、程度の情報が精一杯という有様では、それ以上調べる方法がない。予め調べられないなら、不満があれば包み隠さず教えてくれれば、可能な限り対応すると伝えて、後は臨機応変に対応する以外に方法はない。というのがレンの考えだった。ちなみにエルフの情報だけがそこそこ詳しいのは、主にライカが結婚してラピス氏族の森で生活する中で学んだからだったりする。
「その場で調整か……そういうやり方は大抵失敗するのだが、今回に関しては、誰がやっても同じか。大変だろうがよろしく頼む」
「相手にも、二期生のために実験台になって貰うのだと言うことは伝えますよ」
「それくらい正直に話した方が、いっそ安全なのかもしれんな……何事もないことを祈るが、何かあったら、まずレン殿の安全を最優先としてくれよ」
「まあ、そこはそれなりに頑張ります」
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