第76話 エーレン=リオ

 村の塀の外には幅1メートルの狭い水堀がある。

 元々、レンが塀を作る際に出来た空堀だったが、温泉から流れ出した水が流れ込み、今では満々と水をたたえる水堀となっており、村人が放流した魚なども棲息している。

 学生達が作った幅2メートルほどの道が、その外側にあり、更にその外側の木々は、順次木工素材とするために切り開かれている。

 そして壁の高さは3メートルほど。厚さこそ10センチ程度しかないが、木材で補強され、上部には見張り台が設置され、手すり付きの細い通路も渡されている。

 それを見上げ、ルシウスは楽しげに笑った。


「報告にあったとおりの立派な塀だな。どういう外敵を想定しているのだ?」

「ええと……ですね。特に何かを想定していたわけじゃないんです」


 最初は野生の獣が入らないように石の柵を作ったのだ、とレンは正直に答えた。


「石の柵の何をどうすれば、こんな立派な城壁になるのだろうか?」

「柵だとネズミみたいな小型の獣が入り込むと言われたんで壁にしたんです。高いのは周囲が森だから、枝伝いに入ってこないようにですね……物見櫓とかは村人と学生が調子に乗った結果です」

「この堀は?」

「土魔法で塀を作る際に、魔力で石壁を生み出すこともできますけど、同じ大きさの壁を作るなら、そこにある土を使った方が魔力消費が少ないんです。で、塀の外側の土を素材にしました」

「ふむ……まあ、壁に比べて門扉がお粗末だったから、対人用の防壁ではないことは理解できるが、熟練の魔術師はこれから引く手あまたになりそうだな」


 結界杭の安全性が確認出来れば、次は失われた村や街を取り戻すことになる。

 街の壁は石積みだから、結界杭がなくなっても崩れたりはしないが、村の柵などは魔物や獣が入り込むようになればあっという間に壊されていく。

 結界杭があれば魔物は侵入できなくなるが、魔物以外の出入りを制限することはできない。

 村の中も外も荒れまくっている。

 そう考えると石壁を生み出せるというだけでも魔術師の価値は跳ね上がる。

 更には安全な水を生み出せ、魔物の排除の力にもなれるとなれば、その価値はうなぎ登りとなる。

 魔力という制約があるため、無制限とはいかないが、ポーションの供給があれば、様々な工期が短縮される。

 結果、そうした仕事が失われることにもなるが、それらの予算は村の管理費から出されるのだから、もっと違う部分にその予算を回せるようになれば、結果として誰も損をせずに済む。


 ルシウスがそう語ると、レンは苦笑いを浮かべた。


「しばらくの間は、そういう仕事はきちんと棲み分けるべきですね。結界杭と塀ができあがったら、あとの部分は村人にやらせるべきです」

「なぜだね? 工期の短縮は村人のためにもなると思うが?」

「工事に適した職業もありますから、そういう職業に就いた者が割を食わないようにする必要があります。それになにより、現場で培われたやり方もレシピと同じです。失われたら再現は困難ですよ? 英雄の世界でも、エルフの寿命に匹敵するような古い建物の移築や修理を定期的に行って、伝統的な工法や技術を次の世代に伝えられるようにしていました。古い建物や、それを作るための技術を無駄だと切り捨てることも出来ますけど、俺たちはそういうものには価値があると考えているんです」

「無駄を容認するのは内務うちつかさとしてはあまり好ましくはないのだが」

「なら、そうした古い建物や技術の価値を認める制度を設けるとかはどうですか? 国宝指定とかですね。宝物庫にあるものだけが宝ではありませんよ?」

「建築物の国宝指定か……旧王城は保護指定されているが、その範囲を国家財産以外にも広げると言うことか?」

「まあ、そんな感じです。ああ、建物じゃないですけど、聖域も一種の国宝ですよね?」


 レンのその言葉にルシウスは、ああ、と膝を打った。


「聖域のように、皆が尊び望んで保護をするような場所、という意味か。それならば理解できる」

「そんな感じですね。だからと言って、何でも残せば良いというわけでもありません。何が無駄なのか、誰にとって無駄なのか、1000年後のヒト種にとって何が良いことなのか。そういう視点で見ることも大切です」

「1000年とは……エルフにとっても一生に等しい時間ではないか」

「それだけ慎重に行う必要があるということです。まあじっくり考えてみてください……さて、裏門まで来ちゃいましたけど、もう半周しますか?」

「視察だからね、正門から入る必要がある。もう半周は並足で構わないぞ」

「分かりました」


 レンは馬車の馭者席への小窓を開き、冒険者にその旨を伝える。

 小さく鞭の音が響き、馬車の速度があがり、ルシウス達の体に加速度がグン、とかかる。

 その速度にルシウスは目を丸くする。


「来るときはここまで早くはなかったと思ったが?」

「クロエさんの馬車がいましたからね……あ、もしもエルフが森の中に住処を求めた場合、この右手の森を開放する予定です。獣人達はもう少し北側の小さい丘ですね。ドワーフは、廃坑がひとつあるのでそちらになりますが、道路は未整備なので、馬車でのご案内はできませんけど」

「うむ……まあ、村の外の土地を貸し出す場合、有料で期限を切った契約にすることになっているから、おそらくそこまでの要望は出ないだろう」


 そのまま、馬車は何事もなく正門に到着する。

 レンが試作した馬車はそこそこ有名であったことと、御者台の冒険者と門番が顔見知りであったこともあり、馬車はスムーズに門を潜る。


「しかし、ここまで壁に力を入れているのに、門扉は丸太を並べたものというのは、どうしてなのかね?」

「壁は土魔法で作れますけど。門扉は開閉を考えると、軽くしないとならないじゃないですか。石で作ると重くなりますので。あと、閂とかを使うことを考えると、石だと強度が保てないし加工も面倒ですからね。それに丸太だと、一本へし折られても、他のも折らないと大型の獣は侵入できるほどの開口部はできません。時間稼ぎには、この方が良いんですよ」

「ふむ……見た目は悪いが、理に叶った作りなのか……さて、それでは村の中を案内してもらおうか」

「ではここからは徒歩にしましょう」


 レンは馭者に声を掛けて馬車を停車させる。

 馭者の一人が馬車を学園まで移動させ、もう一人が護衛任務に就く。


「護衛の優先対象はルシウスさんね。俺のこのスーツは防具になってるし、俺はライカやレイラより強いから」

「ほう、レン殿のその服は随分と薄手だが、それで防具なのかね?」

「ええ、これ、今、学園の学生が研究して、卒業後も残って試作しているものです。裏地にウェブシルク、表面はイエロークレイジープラントとウェブシルクの混紡です。耐衝撃性能はまったくありませんけど、耐刃、耐刺突に優れています」

「……武具であれば耐衝撃性能は必要だと思うのだが?」


 防刃性能に優れていれば刃物で切りつけられても刃は皮膚に届かない。だが、刃先という狭い領域に鉄の塊で殴りつけられた衝撃が集中するのだ。

 刃で切れなかったとしても、皮膚や筋肉が耐えられずに断裂しかねない。

 ルシウスの適切な指摘に、レンは頷いた。


「その通りです。元々この布地は、衣類じゃなくて革製の防具を覆って補強するという使い方を想定していたんです。ただ、着心地がいいので、色々試してるところです」

「着心地が良い、というのは滑らかとかそういうことかね?」

「いえ、ええと、マントがあるので、袖を捲ってこれを巻き付けてみてください」


 レンは、王都でクロエ達に被せたマントを取り出してルシウスに手渡した。

 それに触れたルシウスは不思議そうな表情で、その裏地を撫でる。


「滑らかというのとは違うな……裏地はかなりでこぼこしている……表面にも細かな凹凸があるか?」

「この辺りにはないですけど、ワッフルという焼き菓子の表面がそんな感じのでこぼこなので、俺たちはこれをワッフル織りと呼んでます。皮膚に触れる面積がとても小さいのが特徴です」

「ああ、裏面に網のような模様があるな。で、皮膚に触れるのはその部分だけか……ふむ、サラサラとした手触りで、布地が肌にまとわりつく感じが少ないな」

「ええ、それがこの布地の一番のポイントです……失礼しますよ」


 レンはポーチから水の入った革袋を取り出し、それをルシウスの手を覆うマントに少量、ふり掛けた。


「水を掛けた布は普通は肌に絡みつきますが……どうでしょうか?」

「ふむ……絡みつきはするが、すぐに解けるな。これは付与魔法の類いだろうか?」

「素材が元々持っている付与の効果ですね。ウェブシルクは元々、非常に汚れにくい素材で、染色も難しいと言われている品です」

「たしかに裏地は白いが、表地は染色されているようだが?」

「表地は混紡素材になっているからです、裏地はウェブシルクですから、汗は吸いますが汚れにくい性質のため、汗を保持することはありません。で、表地の混紡素材ですけど、こちらは綿と同じくらいに染色が簡単で、吸水性も良いのです。裏地が汗を吸い、その汗は表地に吸われますから裏地は汗でべとつきません」


 レンの話を聞きながら、ルシウスはマントに包んだ手を動かして、どのような抵抗があるのかを確認しつつ頷いた。


「つまり、これは汗を掻いても皮膚表面に汗を残さないように機能するのだな……その上、肌に絡まらない。これで鎧下などを作れば動きやすいだろうし喜ばれるのではないか?」

「実はそっち方面でも開発を進めて貰ってます。技能習熟の延長でやってることですけど、騎士の鎧下として使えるようなら、開発者にも還元をお願いしますね」

「王立の学園で予算も持って行っているのに、成果でも金を取るのかね?」

「信賞必罰って大事ですよね」

「あー、うむ、まあそうだな」


 そんな話をしながらも、レンとルシウスは視察を続けながら学園に向かっていた。


「レン殿、この石畳は随分と綺麗に整備されているようだね?」

「ええ。土魔法でやってます。一枚岩とかじゃなく、普通の石畳にしてますから、割れたら交換も可能です」

「道にある柱はなんのためのものなのだろうか?」

「街灯ですね。ええと、灯りです。今は何種類か試験運用中です。ガス、オイル、魔石とかで試してます」

「灯りを村の通りに置くのかね? それは随分と金が掛かりそうな取り組みだな」

「安全であるという評価にはそれだけの価値があるんです」

「まるで為政者のような視点だな……まあ他種族を迎え入れるにあたり、治安が良いに越したことはないが……ああ、あそこに見える建物は……」


 と、このような調子で村の視察したレン達が学園に到着すると、校庭の方から勢いよく走ってくる女性の姿があった。

 護衛がルシウスの前に出るのにあわせてレンも護衛と並び、大きな声で女性の名前を呼んだ


「リオ! 何かあったのか?」

「エーレンがレンと話したいって言ってる!」


 その身体能力の高さを遺憾なく発揮したリオは、レンの目の前で砂埃をあげつつ停止しながらそう言った。


「エーレンが? 用件は聞いたか?」

「知らない。さっき、巫女と話をしてたら、そういう話になったんだ。理由は教えてくれなかった。今も内緒だって笑ってる」

「巫女ってクロエさんだよな? あー、今国の偉いヒトが来てるから、後でもいいかな?」

「レン殿、その娘が報告にあった竜人の娘かね? エーレンとは、その娘のパートナーの知恵ある竜だったか?」

「その通りです。むしろエーレンの方が本体じゃないかって思うこともありますけどね」

「紹介して貰えぬか?」

「……ヒトの礼儀を知りませんので、その旨ご承知おきくださいね……リオ、こちらはヒトの国の国内を取りまとめているルシウス・バーダ公爵。この国で3番目か4番目に偉いヒトかな」

「……強い?」

「んー、弱いけど頭がよくて、仲間が多いかな」

「そういう敵は面倒だってエーレンが言ってる……うん、ルシウス。あたしは月と冥府と知恵を司りし女神リュンヌ様の眷属たる竜人族レウスの娘。黄金竜エーレンと連理比翼の契りを結びしリオ」

「ああ、見事な名乗り痛み入る、私はバーダ公爵家当主にして、内務うちつかさ大臣、ルシウスだ。ヒトの世界で何か問題があれば、レン殿を通して私を頼ると良い」


 ふたりの名乗りを楽しげに聞いたレンは、リオに向かって


「あんな真面目な名乗りも出来たのか」


 などとからかう。


「エーレンが覚えろとうるさかったから……で、エーレンと変わっても大丈夫?」

「ええと……」


 エーレンはこの状態でもリオの見聞きした情報を見ることができるし、リオに声を伝えることができる。

 ということは、ルシウスの前で話をしても問題はないと判断しているのだろう、と思いつつも、レンはルシウスの顔色を窺った。


「レン殿、私は構わない……というか、知恵ある竜を降ろすなら、是非立ち会いたい。これも視察だ」

「レン、エーレンは構わないって言ってるぞ?」

「……リオ、竜化したり戻ったりするのを見られることになるけど、大丈夫なのか?」


 リオは竜化から戻る際に脱皮をする。その際、角やら鱗やら脱皮した皮などが出るが、リオはこれを見られることを嫌う。

 人前で竜化して戻ったりすればそうした諸々を見られてしまうぞ、と暗にレンが告げると、リオはエーレンと相談を始めた。


「あーエーレン? ……え、マントがあれば? 後、屋内で、出来れば扉を挟んで? 対話が終わったらドアを閉めればいい? とエーレンが言っている」

「話すときはドアを開けて、終わったらドアを閉める感じか?」

「ええと? そうだって。乙女の肌を見せないための配慮を期待します、とエーレンが言ってる」

「もちろん配慮するとも。レン殿、適当な場所の提供をお願いする」

「あー、はい……それではこちらにどうぞ、リオは結構体格が変わるけど、足のサイズとか首回りも変化するんだっけか?」

「首回りは変わらない。足は変わる」

「そっか、ならコレとコレ……あとこれも渡しとく」


 レンはポーチからマントを二枚とサンダル、革袋を取り出してリオに手渡す。


「うん? マントが二枚?」

「一枚を羽織って、もう一枚はスカートみたく腰に巻いたら良いんじゃないかなってね。邪魔なら使わなくてもいいけど」

「なるほど……レンは竜人のことを理解しているのだな、とエーレンが感心している」

「その調子で用件も伝言して貰えると助かるんだけどね」


 校舎の中の応接室にリオを通し、レンは応接室から椅子を二つ持ちだして廊下に設置する。


「ルシウスさん、こちらにどうぞ」

「ああ、ありがとう。しかし校舎は行き当たりばったりで作ったと聞いたが、そうは見えないな」

「内装は職人が作ってますから」

「……レン、エーレンがそろそろ変わると言っている」

「分かった。変わったらドアを開けてくれ」


 数秒の後、ドアがガチャリと開いた。


『ふむ……待たせたな……。ルシウス殿、我は黄金竜……今の世ではドラゴンドゥレと言った方が通りがよいのか? まあエーレンだ』


 リオの姿は色々と変化していた。

 レンは前にも何回かエーレン=リオ状態を見ているので驚きはなかったが、初めて見るルシウスはリオの変貌に驚きを隠せずにいた。


「顔つきが変わる程度かと思っていたよ……背丈が伸びて角も鱗も増えているのか? 鱗の影響か、体の厚みも増えているようにも見えるし、声も違うな」

『そうジロジロと見るものではない。ほれ、そんなに見たいなら、この爪と角でも見ておれ……さて。レンよ。ソレイルの巫女から獣人たちを学び舎に入れると聞いたぞ』

「エルフとドワーフ、それとヒト種もだけどね。獣人が入ることに問題が?」

『いや、ただ、太古の昔から獣人は竜人にケンカを売るのが好きでな。今はどうか知らぬが、獣人が竜人を見たら厄介な事になるやも知れぬ』

「なんでまた? それに竜人は分類としては獣人の一種じゃなかったっけ?」

『近いからこそ競ってしまうのだろうな。大昔、竜人と獣人が力比べをして、竜人が勝ってしまったからというのが竜人側の主張だ』


 エーレン=リオの言葉から、獣人側には別の主張があるのだろう、とレンは納得した。


「あー、ケンカを売られると危ないからリオを避難させるって理解で良いかな? そんなの、エーレンがわざわざ断らなくても良かったのに」

『いや、リュンヌ様から指示があったときに動きが遅くなるのは困る故、そちらで保護して欲しいのだ』

「保護と言っても、ソウルリンク状態のリオは俺でも苦戦するくらいに強いんだけど……もしかして、最近の獣人はそれを圧倒できるのか?」

『いや、素の獣人はソウルリンクなしのリオよりも弱い……だが、獣人はとにかくしつこいのだ。負けても負けても何回でも挑んでくる。それに数で押し切られればリオ一人では不覚を取る可能性もある』

「あー……保護って言っても、この村で出来るのはソレイルの神殿に避難するくらいだけど、それで良いのかな?」

『ああ、十分だ、助かる。この礼はいずれ必ずしよう』

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