第72話 散歩の目的地

 クロエ達が朝市を2周したあたりで、そろそろ店を閉める露店が増え始めた。

 王都で生産されているものもあるが、半数ほどは王都の外から持ち込まれており、そうした露店の店主は自分の村や街に帰って明日の商品を仕入れねばならないのだ。

 朝市でラストスパートとばかりに、売れ残った品を買い集めたクロエ達は、馬車で南の公園に向かう。


「それにしても、ライカに聞くまでは公園が残ってるとは思ってなかったよ」

「なぜ?」


 レンの呟きにクロエが首を傾げる。


「んー、結界杭の中の安全な土地って貴重だろ? 人手が足りない村とかならともかく、王都辺りの使ってない土地は畑になっててもおかしくはないかなって思ってたんだ」

「……なるほど? エミリア、なぜ?」


 つ、と視線をエミリアに向けて答えを求めるクロエにエミリアは考え込む。


「私は存じませんが、理由なら幾つか考えられます。まず先ほどの市場などがなくなると生活に支障が出ますよね? そうした生活に密着した催しに利用される場所と言う可能性がひとつ。次に、防災ですね。結界杭の中で火災が発生したら、逃げ場所は結界杭の外にしかありません。ですが外に出たら魔物に襲われてしまうかも知れませんので結界杭の中に一定の広場を避難場所として用意しているとか。あと、火災発生時に延焼を防ぐためという可能性もあります。他の可能性としては、残す価値があると判断されるだけの何かがあるとか、でしょうか」

「価値?」

「いえ、どんな価値かは分かりませんが、例えば聖地は手付かずで保存していますね。あそこが結界杭の中だったとしても、岩山を崩して畑を作るという話にはならなかったと思います」

「なるほど」

「ライカとレイラは理由は知らないのか?」


 レンにそう尋ねられ、レイラは首を横に振る。


「王都内の話となると内務うちつかさの担当ですので」

「そりゃそうか。ライカも同じ?」

「私も正確なところは存じませんわ。ただ……確か300年くらい前にあの公園に大きな金庫が作られた、という噂なら聞いたことがあります」

「金庫? 王都なら、王城に保管した方が安全だろうに」


 そんなレンの呟きを乗せ、馬車は公園へと向かうのだった。




 市が開かれる中央広場から、南西方向に進むと、200メートル四方ほどの小さな公園があった。

 周囲に生け垣があり、公園内は雑木林と池と広場に分かれている。

 雑木林は下草が刈り込まれ、ゴミはほとんど落ちていない。

 池は大きな一枚岩から出来ていて、数匹の亀が棲息していて、石の上でひなたぼっこをしていた。

 広場部分には芝生が敷かれ、隅にはレンガで囲まれた花壇があり、よく見るとそこには作物が植えられている

 そして、広場の隅には掃除道具などを保管するための、石造りの小屋があった。


 馬車を降りた一行は、手前の雑木林を抜けると、池に向かう。


「レン、博物館ってどれ?」

「ああ、まだあるかな……あの小屋の壁なんだけど」


 そう言いながらレンが小屋の横を覗き込むと。

 小屋の側面の壁には、黒っぽい石が埋まっていて、それが不思議な模様を描いていた。


「面白い模様?」

「あーうん、そういう認識になるのか……英雄達はこれを化石って呼んでたんだけどね」

「化石?」

「大昔の生き物の死体が地面の下で押し固められて、こんな風に石になったんだ」

「生き物?」

「ああ、例えばこれは、ここが頭で背骨があって、石の下に入って、こっちに繋がってる……分かるかな?」


 マジマジとそれを見たクロエは頷いた。


「魚」

「そう。で、こっちのは、これが頭でこれが胴体で、手と足があって尻尾がこれ」

「トカゲ? ……後ろ足が長い? でも前足は短い?」

「うん。トカゲやドラゴンにしては後ろ脚だけが長いよね。英雄達はこれをデイノニクスって呼んでたね」


 デイノニクスは、白亜紀前期の北アメリカに生息した竜盤目ドロマエオサウルス科の代表的な肉食恐竜の名前である。

 当時のプレイヤーにその手のことに詳しいものがいて、一時期はプレートが飾られていたこともあり、レンはその名前を覚えていたのだ。

 レンは地面にデイノニクスの骨格を描き、その周囲に線を引いて見せる。

 それを覗き込んだクロエは、壁に浮かんだ骨格と見比べる。

 レンが描いたのは、胴体部分が太っていて、その分足が短くなった、顔が大きくて尻尾が長い鳥だった。


「こんな感じの生き物だったって言われてる」

「鳥?」

「うん。まあまるっきり二足歩行の鳥だね。でも嘴はない。嘴っぽく見えるのはトカゲの頭だ」

「こっちは羊の角?」

「アンモナイトだね。えーとまあ見た目は巻き貝みたいなやつ。海の生き物だね」


 実際のアンモナイトは頭足類であり、タコやイカの仲間である。

 同じ頭足類にオウムガイがいるし、イカの甲は貝殻が変化したものとされているし、タコの仲間にも卵を育てるために貝殻を作る種類もあったりするが、タコやイカの仲間と言っても混乱するだけだろう、とレンは言葉を選んでそう教えた。


「貝? 巻き貝……美味しい?」

「いや、アンモナイトは石になるほど大昔に滅びたから食べたヒトはいないけど、その子孫のオウムガイってのは美味しいらしいね」

「オウムガイ。食べてみたい」

「海の生き物だし、オウムガイがいたのは英雄の世界だから、こっちにいるかどうかは分からないけど、もっと安全な世の中になったら海の方まで行ってみるのも面白いかもな」


 小屋の裏の石材にも小さな化石が入っており、レン達はそれを見たり、エミリアたちとレンが木剣で試合をしたり、ライカが弓で芸を披露したり、花壇の作物を眺めたりしつつ楽しく時間を過ごす。

 そして、気付くとそろそろ太陽が中天にかかる時間となっていた。


「さて、そろそろ食事にしようか……大丈夫か?」

「勿論ですわ。王都一番の店でバスケットを作って貰いました」


 レンがそう尋ねると、ライカが頷いてポーチから大きなバスケットを取り出す。


「それじゃ、芝生のあたりで食事にしよう」




 広場に敷物を広げ、そこで食事にする。

 広げた敷物はレンが用意した品で、布なのにほとんど湿気を通さない。加えてベース素材がウェブシルクなので、汚れないし破けたりもしない。

 汚れにくい性質から本来は染色がとても面倒な糸を、綺麗なハンティングピンクに染め上げ、ギンガム模様に織り、更に防水性能を付与した逸品である。

 が、それを見て理解できる者はいない。

 錬金術に親しんできたライカですら「綺麗な染め物だ」程度の感想なのだから、多少錬金術を学んだ程度のクロエではその本質に気付くことはできないし、錬金術を学んだ事のないものではなおさらである。


 そんな敷物の上に、バスケットが置かれ、中身が取り出され、並べられていく。

 小さな籠から皿に移したサンドイッチを見て、レイラが首を傾げた。


レンご主人様、なぜ、これはサンドイッチという名前なのでしょうか? 昔、かあ様が蒐集した英雄達の記録の中に、この名前の由来について英雄達が論争をしたというのがあったのですが」

「ん? ああ、この世界を設計した……まあ神様みたいな存在がそう名付けたんだ。もともとは英雄の世界の人間の名前だね」

「世界を創ったのはソレイル様。神様みたいな存在じゃなく、神様」


 これに関しては神託の巫女としては譲れないと、クロエが静かにそう主張する。


「ああ、うん。そうだね」


 思わず、そういう設定だったね、と口走りそうになりながらも、レンは口を閉ざすことに成功した。




 食事のあと、芝生の上でノンビリした一行は、馬車を先に向かわせて北に向かって歩き出す。


「あー、ここはまだ残ってたんだ……」


 丘を切り崩した住宅街に入ったレンは、狭くて曲がりくねった道を進んだ先で立ち止まっていた。

 狭い道路の突き当たり。丘を削った際に作られた小さな崖。崖とは言っても、崩れないように土魔法でがっちり固定されており、表面にはストーンブロックが格子状に張り巡らされている。

 そんな崖を見て、楽しげに笑うレンに、皆は首を傾げる。


レンご主人様、ここ、とは?」

「うん? ……ライカを連れてきたこともなかったっけ?」

「……記憶にはありませんが」

「ああ、そうか。NPCには秘密ってことになってたんだっけ……ここには昔、店があったんだよ」

「お店、ですか? レンご主人様が仕入れに出るときは、私かディオが付いていたかと思うのですが……何のお店でしょうか?」


 レンが崖を覆う格子状に張られたストーンブロックの一角に触れると、壁の一部が操作パネルに変化し、更にそこを操作すると壁に2m四方の穴があいた。


「なんですかそれは。安全なんですか?」


 エミリアがクロエの前に出て、フランチェスカは一歩下がって全体を俯瞰できる位置取りをする。

 日が差すことのない穴の奥には、8畳ほどの部屋があり、そこまでの通路はともかく、部屋のあたりは魔法の灯りで明るく照らし出されていた。

 レンはそこに足を踏み入れながら振り向いてエミリアに答えた。


「安全だよ。なんなら、王都で一番安全かな。何かと言えば……魔法屋かな?」


 中に動く物はなかった。


「うん。残ってるな……へぇ……600年で劣化なしか」


 部屋の壁一面には本棚が並んでおり、中央には執務机のようなものがひとつと、その正面に応接セットのようにローテーブルとソファがふたつ。本棚の前には本を広げてみるための書見台が幾つかあった。

 魔法の灯りは天井に仕込まれていて、天井全面が明るく光っている。

 レンは手近の本棚から分厚い本を一冊抜き取り、書見台に載せてそっと広げる。

 と、天井の灯りが変化し。書見台にほどよい灯りが当たるようになる。


「……本も劣化なし……うん、これはいい」

「レン、ここはどういう場所?」

「英雄の時代の末期に、英雄達の手で作られた施設で、レシピ共有保管庫アーカイブ。通称魔法屋……正直、残ってるとは思ってなかったんだけど」

レンご主人様、レシピとは何のレシピでしょうか?」

「あらゆるレシピ。当時の英雄達が知り得た全て」


『碧の迷宮』にはレベルはなく、アバターの職業レベルを成長させることで出来ることが増えていく。

 多くの場合、職業を得る際に本のような物が手に入り、そこに基本となるレシピが記載されている。

 錬金術師なら、錬金術大系がそれに相当する。


 しかし、そこに記載されていないレシピも存在する。

 ひとつは、隠しレシピ。予め運営によって用意されていが、入手にイベントクリアを要するものだ。

 もうひとつは、レン達が生徒達を成長させる際に使用しているポーションのような、錬金術師が既存レシピを、効果を失わずに別のポーションと認識されるまでに魔改造したようなレシピである。


 そして、そうしたレシピは、受け手に十分な技能と職業レベル素養があれば、レシピを知っている者が書いた本を読むことで、読み手がレシピを記憶することができるのだ。

 ただし、もしも素養が足りない者が読んだ場合、何らかのペナルティが発生する。

 レシピには様々な分類があり、ポーション系、料理系、特殊な技などもそれに相当する。

 が、英雄達がもっとも共有したかったものはそれではなかった。


「すべて……魔法屋? すべての魔法?」


 レイラが囁くように呟いた。


 魔法にも特殊なレシピがあった。

 魔術師という職業を得て基本技能を育てることで基本的な魔法を使えるようになるが、そこから更に、火魔法、水魔法といった魔法技能を育てなければ、各系統ごとの強力な魔法は使えない。

 しかし、火魔法の技能を向上させてもそれだけでは既存の魔法の威力が上がるだけで、新しい呪文を自動的に覚えたりはしない。

 着火イグニッション照明ライト、バレット、アロー、ランス、ブロックなどのように職業を得る際に入手する本に記載された呪文もあるが、そこにない強力な呪文も存在するのだ。


 そうした呪文は、最初の内は自力でクエストをクリアしなければ得ることは出来なかった。

 しかし、エルシア近郊から魔王の領域に届くようになったあたりから始まったレイド戦。レイド戦から様相が変化した。


 レイド戦で、プレイヤー達は大敗を喫したのだ。それも、何回も。

 キャラクターレベルのあるゲームであれば、少し弱い敵を倒しまくってレベルアップをすれば良いのだから、短時間でも底上げは可能だ。

 しかし、熟練度と職業レベルに依存するシステムでは、短期間での強さの底上げは難しいし、一定以上の短縮もできない。ポーションを必要とする育成方法では、ポーションの生産数の上限がある以上、それが成長速度の限界となってしまうのだ。

 ちなみに、レンが攻略組から抜けたのはこのあたりのことである。


 プレイヤー側の敗因を、運営は『そこそこ魔術師としての技能は高いのに、初期の魔法だけで戦う者が多い』ためであると分析した。

 その理由は、初期の魔法でも、魔法技能が育っていれば普通の敵相手ならそれなりに戦えていたことと、強力な魔法を得るためのクエストに面倒なものが多かったからであると推定した運営は、レイド戦の敵の適度な弱体化と平行して、アーカイブの設置と、レシピの授受というシステムの追加を行ったのだ。


 ちなみに、例えば火魔法技能が育っていない者が火魔法の最強レベルの呪文を覚えようとすると、無理が祟って、という理由で技能が低下したりする。何が起こるのかは確定ではないが、多くの場合、悪いことが発生した。


「この部屋には、英雄が知っていたレシピを片っ端から本にしまくって保管しているんだよ。普通の方法で英雄達が育つのを待っていたら押し負けるほど、当時の敵は強かったから……俺もその辺りで戦いから撤退して、黄昏商会に集中するようになったし」


 レンがそう言うと、ライカが、ああ、と手を打った。


「覚えていますわ。レンご主人様が、明日からは黄昏商会に集中する。錬金術でポーション作りまくって前線部隊と育成部隊に供給してやるんだ、と仰っていた時期ですわね」

「あー、そんなこと言ってたっけ? まあ、でもそんな感じで、俺は黄昏商会をメインにし始めたんだ」

「……レン、この本。私が読んだらどうなる?」


 クロエが指差すのは、錬金術師初級~各種初級技能回復キット~と書かれた本だった。


「あー、うん。技能レベルが足りてないのを読み込んでしまうと、技能レベルが低下したりって罠があるけど、その本はクロエさんなら覚えられる。それの要求技能は最低レベルだから。で、それでポーション作りまくって、それを使って技能をあげまくるんだ……クロエさんにはその中に書かれている魔力用のポーションの作り方は一通り教えたよね。だから、開いても大丈夫だよ。それに、それは俺が作ったヤツだから内容はよく知ってる」


 レンにそう言われ、クロエはエミリアに本を書見台に運んで貰って本を開く。

 クロエが本に夢中になる横で、レイラも気になる本を発見する。


レンご主人様、人形遣い初級~五輪書~というのがあるのですが、試しに開いてみても?」

「ダメ。五輪書って書いてあるのは中級になれる程度まで技能を育てている人向けだから。初級なりたて向けは、クロエさんが読んでる本みたいな、中身が分かるタイトルになってるから」

「……では、こちらの……人形遣い初級~回って回って回って落ちる~? というのは?」

「ああ、そういう訳の分からない名前のも初心者向けだから問題ない……エミリアさん、後ろの棚にある細剣レイピア初級~踏み込んで鋭く突くべし~ってのなら、エミリアさんとフランチェスカさんも覚えられますよ……さて、それにしてもどうしたものか」


 レンは部屋の中を見回して溜息をついた。

 部屋の中にあるのは、まさしくゲーム時代のプレイヤー達の遺産と呼ぶにふさわしい情報だった。

 職業レベルだけならば、レンが育て方を伝えることが出来る物も多い。

 しかし、例えば火魔法最強のひとつに数えられるラヴァストームなどを、この部屋の情報なしでNPCに覚えさせるのは難しすぎた。

 ゲームなら文字通り、死ぬ気で挑戦して、実際に数回死にながら覚えることもできるだろうが、この世界の人間達は死んだらそれきりになる可能性が高いのだ。

 そうなると、この部屋の本でレシピを覚えて貰う、というのが現実的な選択肢となるが。


(だけど、たしかプレイヤーじゃないとドアが開かないんだったよなぁ)


 常時レンがここにいるか、または、開けっぱなしにすれば済む話ではあるが、中にある本の希少性を考えると下手なことはできない。


「レイラ……今日、この後、ルシウスさんと話とかできないか?」


 誰かに任せよう。

 それがレンの結論だった。

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