第71話 朝市

「それでは、朝市を見て、そこから周辺の市場に足を伸ばす。店舗を持つ辺りは避ける。その後、南区の公園に足を運び、そこから北方面に向かう、と?」


 馬車の中で俺の説明を聞いて、レイラは総括した。


「そうだね。この時間帯ならまず朝市だろうね。ここ数ヶ月で周辺の村や街にも余裕が出てきただろうから、品揃えが良くなってる可能性もあるんじゃないか? それに、市場なら店舗と違って、フードを被ってる客の顔はそこまで見ないしね」


 店内にいる客の顔を見て覚えようとするのは商人の癖のような物だ。

 市場でも、購入した相手の顔は覚えようとするだろうが、店舗では、店内にいるだけで記憶の対象とされてしまう。

 クロエの顔を見知っている者がどの程度いるかは不明だが、『神託の巫女クロエ様御用達』の看板を欲しない商人はいない。

 もしも知る者に発見されてしまえば、そしてそれが商人であれば、大騒ぎにならないにしても、一筆、一言を求める者も出てくるだろう。

 だからレンは、あまり目立たないようなスケジュールを考えていた。


「なるほど。そういう目的であれば呼び方を変えておく方が良いかもしれませんね」

「あー。クロエさんとかクロエ様はまずいか……同名と思ってもらえたりは……」

「護衛ふたりを引き連れた神託の巫女様と年格好が同じ女の子が、たまたまクロエ様と呼ばれていることに不自然さを覚えない人がいたら、見てみたいですけど」


 あまりにもっともなレイラの返事を聞いてレンは頷いた。


「……だよなぁ……そしたら、エミリアさんとフランチェスカさんは、マントで鎧を隠して、言葉遣いは冒険者っぽく。クロエさんのことは『お嬢様』か、いっそ砕けて『お嬢』とかにしましょうか」


 レンがそう提案すると、クロエは楽しそうな表情で、ふたりに向かって、


「お嬢と呼ぶように。重要人物の重要度を悟られないようにするのも護衛の一環」


 と指示を出し、言われたふたりの目からは少しばかり生気が失われた。


「お嬢が嫌なら、別に違うのでも……クロエさんは希望はないの?」

「お嬢で……じゃなかったら、嬢ちゃん?」

「せめてお嬢様では?」


 フランチェスカの縋るような問いに、クロエは嫌そうな表情をする。

 そして、


「折角だし、お嬢で」


 と、何が折角なのかは分からないが、クロエの意志は固いようで、フランチェスカは不承不承頷くのだった。


「じゃ、俺たちも以後、サンテールの街に戻るまではお嬢……いや、ライカとレイラの口調でそれは微妙か。ふたりは、お嬢様呼びで」

「承知しましたわ。ところで公園に向かう目的は博物館のまま変わらずでしょうか?」


 心話で事前に予定を伝えていたライカは、公園以降は当初の予定通りで良いのか、と尋ねた。


「ああ……以降は元々の計画通り。公園の博物館を眺めて、そこから北方向にブラブラだな」

「レン殿、王都に博物館があるという話は知らないのだが」


 エミリアは首を不思議そうに首を捻っており、フランチェスカもその意見には同意のようで、頷いていた。

 それを見て、レンは、ああ、と答えた。


「博物館ってのは英雄達がそう呼んでいただけだ。実際には公園の一角の展示に過ぎないんだけどね」

「展示ですか。それで、北方面に向かうというのは?」

「俺の散歩に付き合って貰おうかと思ってね……と、お嬢が待ちきれないみたいだ。お嬢はマントは良いからローブのフードを。ライカとレイラはこれ被って」


 レンはエルフチームに帽子を手渡すと、自分も同じものを被る。

 もさっとした帽子は、お世辞にもファッションセンスがある代物には見えないが、エルフの最大の外見的特徴である耳を見事に隠していた。


「私とかあ様も変装が必要ですか?」

「街中で他のエルフを見た事ないし、エルフってだけで後から正体がばれそうな気がするんだよね」


 レンは、万が一クロエの正体がばれても、その場で大騒動にはならないだろうと考えていた。

 以前、村で結界杭の補修をしたときも、村人は遠巻きにするだけで、クロエに話しかけるどころか、近付く者も少なかった。

 押しが強かったのはミーロの街にいたルドルフォとその部下のステファノ程度だが、それでもクロエには礼儀正しく接していた。

 だから商人から御用達の一筆をねだられる以上の面倒はそうそう起きないだろうと考えていたのだ。

 仮に神託の巫女が王都に現れた、という情報が流れた場合、神殿関係者は心臓が止まるほどに驚くだろうが、王宮側は、来るなら来るで事前に通達しておいてほしい程度の反応になるだろう。


 そして、ライカやレイラにしても、そもそもふたりとも王都に住んでいるのだから、バレたからと言ってどうということはない。


 つまり、クロエ単独、エルフ母娘単独で発見されても大した害はない。


 しかし、神託の巫女らしき者と、エルフの女性という、普通なら結びつかない単語が並んで王宮に届けば、それを関連付けられないルシウス達ではない。

 結果、調査が入り、今日のことが明らかにされる可能性が高い。

 レンがそう説明すると、ライカ達は素直に帽子を被って耳を隠した。


「よし、準備もできたようだし、それじゃまず朝市だけど、その前にもうひとつ」


 レンは小さな薄緑の金属で出来たペンダントを取り出し、クロエに手渡した。


「これ、状態異常耐性系が色々付与されたペンダントだから着けておいて。大丈夫だろうけど市場で買い食いするなら、一々毒味とか、やってられないだろうし」


 それを素直に身につけたクロエは、レンにどうだ、と見せつける。


「うん。まあ可愛いけど、それ、魔銅オリハルコンだから、服の下に隠しておこうな」

「レンは魔銅オリハルコンも扱えた?」

「あー、金属加工は出来るけど、エンチャントは失敗が多いかな。ちなみにそれは迷宮産。元々は付与エンチャントがなかったんだけど、勿体ないから当時の知合いに頼んで頑張って貰ったやつ。さて、行こうか」




 朝市。

 要は早朝から開催される市場である。

 人間が減った世界ではあるが、人間は食料なくしては生きられないし、食料生産を僅かでも効率よくするには道具も必要である。

 そして、王都は人間の中でも最大数を誇るヒト種が多く集まる場所だった。

 当然、朝市は他の街ではなかなか見られない程の混み具合である。


 朝市の店は、いわゆる露店である。

 露店にも色々あり、屋台のようなものがあるのはかなり上等な部類で、次点は箱を幾つか並べて、その上に板を渡して台にしたもの。次が単に箱を置いただけ。次がゴザの上の籠に商品を盛っている店で、一番下になると、ゴザすらなく、籠を抱えた子供が立っていたりする。


「クロ……じゃなくてお嬢、ほしい物があったら村の神殿の者への土産として、買い占めない程度……10人分程度までなら買ってもいいよ」

「わかった……でも知らない物が多い」


 神殿で寄進された多くの品に触れていたクロエから見ても、見知らぬものがたくさん市場には並んでいた。

 そうした店を、クロエとレイラは楽しそうに冷やかしながら見て回る。

 ライカもたまに足を止めたりしているので楽しんではいるようである。

 それに対し、エミリアとフランチェスカにとっては気が抜けない状態が続いていた。

 人混みにクロエが突っ込もうとすれば、その動きに追従しつつ、周囲の者との間に入ろうとする。が、護衛がふたりではカバーできない方向もできてしまう。

 結果、エミリアはこんな解決策を思いついた。


「ク……お嬢……、その、人が増えてきました。はぐれるといけませんので、お手を」

「ん? この程度ならいらない。平気」

「いえ、お手をその、レン殿に握って貰いましょう」

「……む?」

「仲の良いお友達はそうするものです」

「友達……分かった」


 レンに向かってクロエは右手を差し出す。

 そろそろ全員が、クロエのレンに対する気持ちは恋愛的なものではなく、もっと幼い、友達に対するそれだと理解しつつあったので、皆はクロエの様子を微笑ましく見ていた。

 レンもそれを理解しているので、何も言わずにクロエの右手を握る。


(まあ、守るべき方向を限定するというエミリアさんの狙いは正しいか)


 そして、クロエは繋いだレンの手を引いて、朝市の店を見て回る。

 幾つかの店を覗き、数点のお土産を購入したあとで、クロエは何やら美味しそうな甘い匂いを嗅ぎつけた。


「レン、あれ何?」


 クロエが指差しているのは完熟したリンゴポムのように赤い果物だった。

 形はペッシェに似ている。


「赤桃だ。クロ……お嬢が好きなペッシェは白いけど、こいつは中まで赤い。赤いほど甘いんだけど、収穫して半日ほどで傷んで茶色くなるから、寄進や供え物にはなかったんだろう……お姉さん、一個幾ら? じゃ、みっつ頂戴」


 地面に置いた木箱に腰掛けた恰幅の良いおばちゃんから赤桃を購入したレンは邪魔にならない位置に移動して、小さなナイフで赤桃を種ごと二つに切り、皮を剥いてクロエに手渡す。

 それを見て、フランチェスカが溜息を漏らす。


ペッシェを潰さず、種ごと断つとは、なんとも凄まじい業物ですね」

「あー、うん。見た目は地味な果物ナイフだけど、迷宮産だからね。リーチが短すぎて武器としては使えないけど、何かと重宝してるよ……あ、エミリアさんとフランチェスカさんは護衛だから一人ずつ順番に食べてくださいね」


 同様に半分に切った赤桃をふたりに渡し、同じように切った物をライカ達にも渡す。

 そして、レンも残ったものを口に運ぶ。


「……甘い……ふわふわ……でも酸っぱい……甘い、美味しい」


 クロエが幸せそうに半目になってあむあむと赤い桃を囓る。

 それを見て、エミリアも慌てて自分も赤桃を口にする。


「甘っ! 柔らか……ク……お嬢、これ、村で待ってる皆に買っていきましょう!」

「……でも、半日で傷む……持ち帰る頃には痛んでる……残念」


 と肩を落とすクロエに、レンが


「お嬢、ポーチに入れとけば大丈夫だから、赤桃は買っても大丈夫だよ」


 と教えると、クロエは嬉しそうに顔をあげる。


「なら、ひとりに2つ買っていく。レンは?」

「俺もミックスジュースとか作りたいし、幾らか買っていこうかな」

「ジュース? 食べないのは勿体ない」

「いや、傷む前にジュースにして加熱するのが赤桃本来の使い方だから」


 輸送に時間を掛ければ傷んでしまうため、赤桃が実の状態で出回ることは少ない。

 そんな赤桃の主な利用方法が、ジュースにしたりジャムにする、というものだった。


「加熱? 更に勿体ない」

「赤桃の場合、加熱ってのはそれ以上傷まないようにする方法なんだよ。酒なんかも、それ以上酒精が強くならないように火を入れるだろ? あの要領だな」

「レン殿は酒も造られるのですか?」


 フランチェスカが驚いたように目を見開く。

 ああ、そういえば、お酒が好きだって言ってたっけ、と思い出しながらレンは頷く。


「作れるけど、味は今ひとつだね。材料が手に入るようになったら、簡単なの教えようか?」

「簡単とは言っても、色々必要なのでは?」

「蜂蜜があるなら、それを入れる瓶と日当たりの良い部屋と水があれば、それなりに形にはなるかな」


 蜂蜜には天然の酵母が付いている。というよりも、自然界にある天然の糖分には、大抵酵母菌が付着している。

 そんな状態でありながら、蜂蜜が巣の中で発酵しないのは、蜂蜜の糖度が80%以上という要素が大きい。糖度が十分に高いと浸透圧が高くなるため、微生物の活動が抑えられるのだ。

 つまり、蜂蜜を発酵させるには、水を足して薄めてやればよいのだ。

 もちろん、ドライイーストを追加した方がより安全であるため、入手可能な場合はイースト菌などを添加すべきである。


 2~3倍に薄めた蜂蜜を、綺麗に洗った瓶に詰めて暖かい部屋に置き、毎日撹拌する。発酵過程ではガスが出るので、密閉容器に入れるのは控えるべきであろう。


「この辺の気候で、イースト菌なしだと5,6日かな?」

「蜂蜜……蜂蜜酒ミードですね? しかし、蜂蜜は中々手に入らないのでは?」


 この世界では、まだ近代養蜂は発明されていない。

 地球において旧式養蜂と呼ばれる『巣を見付けて採集する』という、それのどこが『養』蜂なのか、と突っ込みたくなるような方法が蜂蜜を得る方法だが、それ以外にも、蜂の魔物を倒した際に得られる蜜袋という素材から採集する方法もある。

 だが、蜂の魔物はイエロー以上にしか存在せず、群れを作って襲ってくるため、倒すのは中々に困難なのだ。


「あー……なら、俺の作った発酵中の蜂蜜酒ミードを少し分けましょう。で、それを果汁に砂糖を加え入れた瓶に混ぜて、暖かい場所に置いて、たまに混ぜてやれば、まあそれっぽいものにはなります……あ、その時、発酵中のを少し取っておくと、次の酒造りに使えます」

「果汁……さっき話していた、赤桃のジュースなどでも?」

「十分に甘いんですけど、砂糖を入れた方が良いと思いますよ。お酒の材料は甘いものですから」


 等と話していると、レンの手がぐいっと引かれる。


「レン、もう赤桃買ったから。次はあの店が気になる」

「ああ、あの店って……虫かぁ?」

「ポム虫、アレッタに買ってく。あと、神殿にもお供えする。レンが好きな蜘蛛もあるね?」


 そうか、俺は蜘蛛が好きだったのか。と死んだ魚のような目をしたレンは、クロエに引き摺られるように連れて行かれるのだった。

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