第68話 競争率4倍

「カレル、馬車よ」


 オラクル村の王立オラクル職業育成学園開園から三週間が経過した頃。

 イエローリザードが棲息する沼沢地までの森の中の道に魔物忌避剤の散布を行っていたカレルとノーラは、ボンドーネの街の方から走ってくる馬車と、その馬車の上空を舞い飛ぶ黄色い何かの姿を発見した。


「あれは……魔物に追われてるな」


 周囲に他に気配がないかを探りつつ、街道に出て馬を守るための結界棒を抜き、馬に跨がりながらカレルが見たままを言葉にする。

 馬車の上空にひらりひらりと黄色い魔物が舞っている。

 馭者は全力で馬車を走らせているが、振り切るのは少し難しそうだ。


「魔物は……イエローバットかしら?」


 愛馬に騎乗しながら、ノーラが魔物の分析を行う。


 空を飛ぶ魔物は幾種類か存在するが、その大半はそれほど怖くない。

 速度も早く、鋭い爪と嘴を持つ彼らは、空を飛ぶという一点において確かに脅威だが、多くの場合、その体は空を飛ぶために軽く小さいためである。

 そのため襲われても、目と首を守りさえすれば、少し肉をついばまれる程度で命は助かる。まあ指くらいはなくなるかもしれないが、子ネズミ一匹分の肉を毟られる程度で生き延びられるのだ。

 もちろん、厄介な飛行種も存在する。

 中でも恐ろしいのはドラゴンなどの別格だが、それらは生息域からあまり出てこないので、そうそう遭遇戦になることはない。それらを除外し、遭遇戦になる可能性が高い飛行種の代表格は、というと蝙蝠バット系の魔物だった。

 まずとにかくでかい。翼を広げたときのサイズが3メートル程度。胴体はそこまで大きくはないが、他の遭遇戦になりがちな飛行種の魔物と比べればそこそこ大きい。基本的に植物の実などを好むが、魔物の例に漏れず肉も喰らう。

 反響定位ではなく、目で物を見て獲物を認識するので、大きな音でどうにかするのも難しい。

 飛行速度もそこそこ速く、囓り取る肉の量も多い。


 もしもイエローバットをレンが評するなら、

『柴の子犬に蝙蝠の翼を付けて巨大化させた魔物』と言ったかもしれない。

 ふわふわで愛らしい見た目だが、子犬に似た顔は即ち肉食獣のそれである。油断をすればがぶりとやられるし、その際に囓り取られるのは子ネズミ一匹分程度では済まない。


 だが、そんなイエローバットを見て、ふたりの冒険者は気負う様子もなく意見交換をする。


「やれるか? ノーラ」

「ええ。イエローバットなら私の出番よ。カレルは撃ち漏らしがないか確認お願い……多重短縮詠唱……氷よ、我が意に従いて、敵を穿て。氷槍アイシクルランス!」


 ノーラの前に数本の氷の槍が生み出されると、周囲の気温が一気に下がり、馬が煩わしそうに耳を畳んで小さくいななく。

 次の瞬間、パンッと言う乾いた音と共に氷の槍が射出され、イエローバットを貫いてその体を凍り付かせ、そのまま地面に落下する。


「……見える範囲は全部落ちたな。馬車に張り付いてないか確認が必要だが、まあそれらしい気配は感じられない」


 カレルは馬車の前を横切るようにして、馭者に、蝙蝠は倒したと告げて馬車を停車させた。


「黄色のオオコウモリを魔法だけで倒したんですかい?」

「ああ、実際、もう襲ってきてないだろ?……一応、馬車に張り付いてないか確認させてくれ……ノーラ?」

「ええ、今チェックしてるわ。側面、背面は問題なし、カレル、私は獲物を回収するから、天井と下の確認をお願い」

「おお……それじゃ、馭者のあんたは中の人たちに安全確認中だから、もう少し出ないように伝えてくれ」

(ま、昆虫系以外なら大体気配が分かるようになってるけど、安全確認を省く危険性は散々教わったしな)


 カレルは剣を片手にあぶみの上に立ち、馬車の天井の上に魔物の姿がないことを確認する。

 そしてそのまま馬から下り、馬車の下を覗き込む。


「よし。確認完了。馬車に魔物は張り付いてないぞ」


 カレルは馭者にそう声を掛け、そのまま馬を牽いて馬車の後ろに回ってノーラと合流する。


「素材はどうだ?」

「倒したのは4体、魔石は抜いて、首から血抜きだけはしたわ。後はイエローバットだから翼は取っとくとして、牙はいるんだっけ?」

「あー、たしかポーションの材料になるんだったっけか? イエローバットの素材はよく分からないから、取りあえず全部ポーチに入れて持ち帰ろうぜ」

「そうね、私たちはそれが可能になったんだっけ」


 ノーラはそう言いながらイエローバットを卒業記念に貰ったポーチに接触させ、4体すべてを収納した。

 と、そんな作業をしているふたりの背後に、馬車から降りてきたひとりの初老の男性が近付いてきた。


「あの、助かりました。本当にありがとうございます。私はボンドーネで生鮮食品を扱っているアルナルドと申します」

「ああ、無事で良かったな。俺はカレルであっちのがノーラ。元々はボンドーネの者だけど今はサンテールの先のオラクルって村で世話になってる。護衛は雇わなかったのかい?」

「いえ、雇ってはいたのですが、少し戦ったところで森に逃げ込んでしまいまして」

「まあ、イエローバット4体じゃ、並みの冒険者じゃキツいからな。一当てしただけでもマシな部類だろうさ」


 と、そう言ってカレルは苦笑した。

 ほんの一ヶ月前の自分たちは、まさのその並みの冒険者だったのだ。

 何を偉そうに言ってるんだ、と思わず自分に突っ込みそうになりながらもカレルは、


「戦った上で勝てないと判断したなら、それほど悪質とは言えないな。死んでも戦うのは騎士の仕事だ……ま、そんな事情は見捨てられたあんたらには関係ないか。で、あんたたちはどこに向かってるんだ?」

「はい、サンテールの街に」

「なら俺たちも途中まで同じ道だ。何なら街まで同道しようか? なに、金はいらない。街道の保全も仕事の内だ」


 カレルの言葉を聞き、アルナルドは改めてカレルとノーラの姿を見直し、不思議そうな表情を見せる。


「街道の保全というと騎士様で?」


 それを聞き、カレルは小さく噴き出した。


「いやいや、そうは見えねーだろ? 俺たちは冒険者だ。知らねぇかな、オラクル村って新しい村。そこの職業育成学園ってところで学んだから、こうやって肉体労働で恩返しをすることになってるんだ」


 まあ、自分たちは二回入学したから、ちょっと恩返しが長引いてるんだけどな、と呟くカレルに、アルナルドは、よく分からないままに、なるほどと頷いた。


  ◆◇◆◇◆


 と、このようなことがそれから一月ほどの間に各地で数回。

 瞬く間にオラクルの村の噂は各地に広がっていった。

 レンの予想では、もっとジワジワ静かに知名度が上がっていく筈だったのだが、気付けば王立オラクル職業育成学園の名は、寒村の子供ですら知っているという状態になりつつあった。

 その結果、オラクル村の某所にて。


「それじゃライカとシルヴィ、宿舎の方は設計図はあるみたいだし、部材はこっちで用意するから、後は任せていいかな?」

レンご主人様、お言葉を返すようで恐縮ですが、本当にこれを行う場合、私たちではこの作業に2ヶ月は掛かってしまいます……ですが、私はそもそもの前提からお話し合いが必要だと思います」

「まあ、実際、設計図が適当すぎるから、それくらいは掛かるよなぁ……そもそも競争率4倍ってどこの難関校だよ」


 などと言うやり取りが密かに行われていた。


「レン、手伝う?」


 テーブルに広げられた第二校舎と、新規宿舎の設計図を興味深げに覗き込みながらクロエが手を出そうとするが、どう手を出していいのか分からずにその手を引っ込める。


「……クロエさんや神殿が手伝ってくれても、半月でこれを全部作るのは厳しいかな……設計図通りに作るだけなら、簡単なんだけど」


 しかし、建設予定地の形状、敷地の傾斜、門のある方向すらも知らない者が書いた設計図である。

 このまま作っても使い物になるはずがない。

 例えば玄関が門に向くように向きを変えれば、窓の配置に部屋の配置、廊下なども見直す必要が生じる。

 それに、レンはヒト種以外の建造物にはさほど詳しくはない。再設計のために一から勉強するとなれば、どれだけ時間があっても足りない。


「ところでこの依頼って、どういう経緯で出てきたんだ?」

「依頼は正規のルート……内務うちつかさからですわ。でも、種族別の宿舎の話は、各種族から提示されたあくまでも提案として提示されてますわね。それを、レイラを欠いた外務そとつかさが御しきれず、結果、内務うちつかさまで波及したという流れかと……レイラが王都にいれば、ここまでの事にはならなかったでしょうけど……あら? そういう意味では王都を不在にしたレイラのせいかしら?」

「待て待て、レイラをオラクルの村に配置したのは俺だから……で、提案がこれだけ並んだ理由は?」

「はい、まずエルフが、本件にエルフが深く関係していると知り、ヒト種の宿舎では満足に休めず学習効率が下がるのではないか、と問題提起の形を取って言い出しました。エルフなら同意するだろう、と思ったのでしょうね……で、それを知ったドワーフ、獣人も同様のことを言い出しました……本来は、知るか、とでも返せば済む話ですが、職業の恩恵を得られるかどうかで、生き残った者たちの生存率も大きく変化しますわ。つまり、事後、本件は外交問題に発展しかねない事態であると外務そとつかさは考え、内務うちつかさもそれに同意したようです。だから、単純に切り捨てるわけにも行かず、私たちに泣きついてきた、と……まったく、この程度も処理できないだなんて、レイラが引き抜きすぎたのかもしれませんわね」


 ライカは溜息をつき、そばで書類を紐で綴じていたマリオに声を掛ける。


「マリオ。昨日王都に向かったレイラに早馬を。『依頼のあった種族別宿舎を作るには、最低でも3ヶ月が必要になる。完成まで増員の受け入れを行えなくなるので、ご了承下さい』とお伝えして。と」

「承知しました……なるほど、国内の圧力を生み出し、それを利用させるのですね」

「ええ。あの娘も今回の増築の連絡を受けて、それくらいは思いついてるでしょうけど、こちらからの指示となれば、安心して戦えるでしょうからね」


 設計図やらが届いた昨日のうちに、レイラは遠隔では話にならないと王都に向かっていた。

 だが、依頼書は内務うちつかさから暁商会に、正規のルートで送られてきているため、単純に無視というわけにもいかないし、レイラが戻るのを待っていたら、ただでさえ短い納期が更に短くなる。


「待った……ライカ、レイラが王都に着くのはいつになる?」

「馬を使ってますから、早くて3日後ですわね。ポーションを使えば、半日くらいは短縮できますわ」

「なら、3日後、黄昏商会まで俺を連れて飛んでくれ」

「承知しましたわ。それではマリオ、その旨も記しておきなさい。私が飛行魔法でレンご主人様をお連れするので遺漏なく準備をなさいと」

「畏まりました」


 と、不意にレンの袖が引かれた。


「レン、レン。私も行きたい」

「あー……今回は無理かな……」

「なぜ?」

「ライカの飛行魔法はそこそこの人数を運べるけど、積載量が増えると速度に影響が出るからね。今回は急ぎだからちょっと無理だ……次があったら一緒に行こう」

「……ん、約束」


 そんな話をしていると、今度は設計図を眺めていたアレッタとシルヴィが声をあげた。


「お師匠様、結局、増設するのは校舎と関連設備だけで、種族別の宿舎は作らないということですか?」

「全部の希望を受け入れるのは無理だから、半分だけ何とかする」

「半分? エルフとドワーフの宿舎だけ作るとかですの?」

「いや、ヒト向けの宿舎の設計で、外枠だけ作る。基礎から異なる建物じゃ手が出せないけど、石造りの枠組みを作るだけなら、それぞれに多少手を入れる程度は可能だし、後は部材を渡して好きにしてくれってことにするんだ。だから最初に来る連中は、各種族の大工や細工師を連れてこいってね」


 エルフにしてみたらツリーハウスを期待してきたら、そこにあるのは石の建物だからまったく別物なわけだが、彼らが望んでいるのは彼らの様式に則った建物じゃなく、学習効率を上げられる建物だ。

 なら、そこは各自の努力に期待だ。まあ、エルフと獣人向けには少し窓を広めにするとか、ドワーフ向けには窓を小さくするとかのマイナーチェンジはするけど。


「……レン様の考えは分かりますけど、それって、種族間の問題になりませんか?」

「いや、だって、ライカもレイラもエルフだけど、住処のことで文句言ってるのを聞いたことないし?」

レンご主人様、生まれたときからヒトの街に住んでいる私たちと森育ちのエルフを同列にするのはどんなものでしょうか」

「そうですわね。私もシルヴィも、レン様が作った建物がヒト向けの物だから問題なく過ごしていますけど、これが、ドワーフの洞窟に住めと言われれば息が詰まるかもしれませんわ」

「うん。でも前提として、滞在期間は概ね1~2週間程度。風呂と食事がまともに提供されるなら、その程度の期間、天幕生活でも耐えられるよね? 何も野宿しろって言うわけじゃない。ヒト準拠であれば壁と屋根と床がある場所を提供し、中身は好きに改造してくださいって渡すんだ」

「レンは、内装工事が終わってない建物を渡すと言ってる?」


 クロエがぽつりとそう呟き、アレッタはなるほど、と頷いた。


「そういうことですのね。物は言い様ですわ……でも、今回の解決策としては妥当かもしれませんわね……ですが、他の種族に大工を出すだけの余裕はないとも思いますわよ?」

「そこはこちらの責任範疇じゃないね。とは言え、何もなしはあんまりだから、内装工事ができるように、ヒトの職人とヒト向けの部材は用意しよう。で、その場で内装のみに限って注文を受けて必要な物を提供する方針ってことで」

「まあ、その辺りが落とし所でしょうね。さすがレンご主人様ですわ」

「それじゃ、アレッタさんとシルヴィは引き続きポーション作成を継続。クロエさんは初級で作れるものを満遍なく一通り。ライカは素材の発注と、職人の手配、あと今の話をレイラに伝えられるようにまとめておいて」

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