第65話 神殿

 コンラードにはリオの事情を説明し、レンが保護すると話したところ、その一点については反対はされなかった。

 しかし、リオをどこに住まわせるのかという点で、レンと意見が割れた。


「黄金竜のことを考えたら、リオが事件に巻き込まれるのは絶対に避けるべきだと思うんです」

「それは認める。だが、なればこそ、街中で普通に生活させるのは危険だと思うのだ。人間がいれば、つまらぬ争いごとが生じることもあろう?」

「だからと言って、リオを軟禁でもすれば、それこそ黄金竜がやってきますよ」


 実際にエーレンがやってくるかは分からないが、エーレンに話を聞いた他の竜人が襲ってくる可能性もある。

 レンとしては、それは無視できないリスクだった。


「リオを引き金に、ヒトと竜人の戦いが起きたりしたら、それこそ取り返しが付きません」

「レン殿は心配性なところがありますな。人間同士の戦は職業を失う覚悟がなければ起きないということは説明したでしょうに」

「いや、それでも誤解を招く可能性のあることはしない方が……」


 そして、その話し合いの結果、そこそこに環境が整っていて、人が少ない安全な場所ということから、リオはレンが開発中の温泉のある村に居を構えることとなった。


 リオはとても強いが、それでも肉体の強度はそれほど高いわけではない。戦闘系技能が育っているため、そうそう傷を負うこともないだろうが、竜化していないときの体になら刃物は普通に刺さるのだ。


 だから、サンテールの街から数名の騎士見習いが護衛として、加えて身の回りの世話をするための数人のメイド達がリオにつくこととなった。

 リオが女性であるため、護衛達の大半も女性で、結果、村の男女比率は大きく傾くこととなった。

 ちなみに、今後やってくる錬金術師たちを育てる準備のため、レンとライカは村に居を構え、当面、教師役を務めるアレッタとシルヴィは寮の部屋に入っている。そしてアレッタの護衛として騎士たちがローテーションで護衛にやってきている。こちらも可能な限り女性が派遣されてくる。

 錬金術師や魔術師は体格に恵まれなくても成立する職業であるため、女性の錬金術師は多い。

 それを考えると、女性の目で村や寮をチェックできるというのは悪い話ではない。ないのだが。


「なんか、ハーレムものラノベっぽくなってきたな」


 そんなことを思うレンなのであった。


 ちなみに、現状、レンには性欲はない。

 自分の体のことなので、器質的な問題がないことは確認済みだが、常時賢者モードが継続しているようなもので、ハーレム状態だろうがラッキースケベ状態だろうが、レンが欲望に突き動かされることはない。

 そういう衝動がないのは生き物としてどうなのか、とも思うレンだったが、そもそも四六時中発情しているヒトの方が異常なのだ、と考えることにした。

 そんなわけで、ハーレムに見えようがどうしようが、レンにはあまり関係のない話であったりする。


 だが、ヒトから見たらそんなことは分からないため、アレッタのおつきのメイドの数人は、万が一レンがそういう衝動に駆られたときの生贄として送り込まれていたりする。

 仮にも貴族の子女と、見た目は年若い男性を一緒に生活させる上で、この程度の予防策で済んでいるのは、洞窟生活での実績と、ライカやレイラがいるのだから、その手の相手には不自由していないだろう、という下世話な読みもあったりするが、その辺りはさすがのレンにも見抜けていなかった。


「とりあえず、リオの住処はライカに整えさせたし、レイラと商会の若手……ええとマリオだったか。レイラとマリオには暁商会を整えさせて、ライカはその監視役、と。騎士達の装備も整ってるし、タチアナさんの魔法も十分育ってる。イエローリザードのいる場所までの移動も、道を整えて貰ったし……ああ、道はチェックしておかないとだな。明日にでも確認しよう……あとは……」


 ベッドに横になってやるべきことを整理していたレンは、柔らかなベッドの感触に、そのまま意識を手放して眠りに落ちていくのだった。




 翌朝。

 各自にすべきことを伝えたレンは、ライカに作って貰った道の確認に向かった。

 森の中の道は、レンが思っていたよりも整っており、見通しが悪くなるような枝や灌木も丁寧に処理されている。これならば数人の目があれば、徒歩での移動中に思わぬ奇襲を受ける心配はないだろう、とレンは評価した。

 錬金術師達を連れて行く際は、事前に魔物忌避剤も散布するし、十分に安全を確保できそうだと判断したレンは、少し森の中に踏み込んで薬草などの素材を採取し、暗くなる前には村まで戻ってきていた。


レンご主人様、お帰りなさいませ」

「ああ、ポーションはどんな具合かな?」

「アレッタ様とシルヴィ様が各種作成されていますわ。レイラも下処理を手伝っております……サンテールの街からこれが届いておりました」


 ライカはレンに封蝋で丸められた羊皮紙を差し出した。


「サンテール? この封蝋の印章はどこかな。サンテール家じゃなさそうだけど」

「神殿ですわ。なんでも、神託の巫女様からの指示で届けに来たとか」

「……まあ、見てみれば分かるか」


 小さなナイフを取り出したレンは、封蝋を剥がして羊皮紙を広げた。

 それは、いわゆる手紙ではなかった。

 要件も何も書かれておらず、ただ、神殿の見取り図があった。


「あー、そう言えば、クロエがこの村に神殿の建物を作れって言ってたっけ……ライカ、場所はどの辺が良いと思う?」

「そうですね……一般論ですが、村の中心に近くて広い場所。人が集まりやすい場所、と考えると……ああ、レイラとレンご主人様が更地にしたと言う場所は? 今は建築資材置き場になっていますけど」

「あー……レイラが人形使いで踊って壊したところか」


 旧集会所は、村人が集まりやすいように、村の中心に近い場所にあった。

 アクセスがしやすい位置にある空き地ということで、現在は各種建築資材がそこに山積みにされている。


「あれだけ使いやすい資材置き場は中々ないんだけど、資材をどこに置くか」

レンご主人様、普通なら資材置き場は塀の外ですわ」

「んー、でも、資材作成も錬金術師の訓練過程に入れたいから、安全な場所に欲しいんだよね」

「……お墓を潰してしまうわけにも参りませんし……そうしますと、こちらの畑を潰すとかでしょうか」

「あー、畑も残しておきたいんだ。薬草育てたいし、生徒に作ってもらった肥料ポーションの実験もしたいからね」


 現在の配置は、場当たり的に仕上がってきたものだが、それなりに機能的な配置になっているのだ。

 弄れる場所は、そう多くない。


「後は……温泉? その周辺を敷地にしてしまうとかでしょうか」

「温泉は残しておきたいんだけど」

「ええ。ですから、温泉の周りの土地を使うのです。温泉の周辺には建物が少ないですから」


 それなりの量のお湯が湧き出すため、温泉の周辺には木造家屋はあまり作られていなかった。

 元々温泉付近に存在したのは、定期的に作り直すことが前提となっている入浴のための施設程度である。

 ちなみに日本の古い温泉宿は大抵が木造だったりするが、木がお湯や湿気で傷まないはずもない。木で作られた風呂は腐りにくい材木を使ってはいるが、木切れを低温のお湯に浸けておけば水を吸って柔らかく変質し、いずれは腐るのが自然の摂理である。

 たとえば多くの日本人に好まれる檜の風呂などは、使ったら即座にお湯を抜いて掃除をして適度に乾燥させることが長持ちさせるための秘訣であったりする(ただし、乾燥させすぎると今度は変形したり割れたりするので、適度な湿度管理も大切)。つまり、木材は常時湯気に当てられている環境での使用には適していないのだ。


「湿気が凄いと思うんだけど」

「ええ。ですが、神殿は石積みですわ。湿気で腐ったりはしません」

「いや、腐らなくても湿気が入り込んだら厄介だろ? 中で結露とかしたら大変だぞ?」

「そこは、レンご主人様の腕の見せ所ですわ。湿った空気の流れから窓の配置を決め、石積みの壁は全て隙間を埋めてしまうとか」

「まあ、元々神殿は石積みにして隙間は埋めて表面はレンガで覆うつもりだけどさ。でも、湿気の流れとか、季節や天気で変わるだろうし……ああ、そうか、そうすればいいのか」


 レンは、ポーチから紙とペンを取り出すと、その場で温泉の建物の設計図の下絵を描き始めた。

 そして、数分でそれは完了した。

 ほぼサイコロ状のそれは二階建てで、一階には温泉から出たお湯を貯めて温度調整をするボイラー的な部屋、脱衣場、風呂、簡易な厨房、二階には簡易な休憩所が配置されていた。

 開口部は膝よりも下に換気口がいくつかと、天井に大きな煙突らしきものがある程度。

 明かり取りの窓はあるが、見たところ、嵌め殺しの窓のようで、開閉は考慮されていないように見える。


レンご主人様? この温泉の建物はどういうものなのでしょうか? 四角いことは分かるのですが」

「ああ。温泉を屋内に封じ込めるんだ。で、湿気は煙突で上空に排気。そうすれば、湿気を気にすることもなくなるだろ?」


 それは、昔ゲームの中で作った温泉施設をベースに、密閉度を高めた施設だった。


「お湯の湯気がそう簡単に煙突から出て行くものでしょうか?」

「湯気は暖かい空気だからね。暖かい空気は冷たい空気よりも密度が低いから軽いんだ。だから煙突があれば、そこから浮かび上がろうとする。で、その分、冷たい空気が外から流れてきて、暖かい空気と冷たい空気の循環ができるんだ」


 いわゆる煙突効果である。

 火を使わないため、その効果はかなり限定的になるだろうが、外気がお湯の熱を吸収すれば、それなりに空気が循環するだろう、というのがレンの読みだった。

 冷たい空気に触れて結露したりもするだろうが、それを集めて冷却に使用すれば、結露を促し外に出る水蒸気が僅かでも減る。結露した水は最初から排水を考慮しておけば、さほど問題にはならない。


「なるほど。神殿を防水にするのではなく、温泉から湿気が漏れないように、ですか。でも、これだと露天風呂がなくなってしまいますわ。レンご主人様、あれ、お好きだったのでは?」

「そこはほら、少し離れた位置に露天風呂の施設を作って、そちらにお湯をパイプで送るんだよ。パイプは地面に埋設してさ。それなら湿気は神殿まで届かないだろ?」

「神殿の建物から十分に距離があれば、そうですわね。ところでなぜ洗い場が三つに分かれているのでしょうか?」


 男女を分けるのは理解できるが、更にもうひとつ、同じ程度の広さの風呂が設計図には描かれており、ライカは首を傾げた。


「男湯、女湯、あと混浴だね」

「混浴……必要でしょうか? 女性は入らないと思うのですが」

「昔、作ったのをベースにしたから、ついそのままね」


 寒村開拓を行なったときに作った温泉をベースにしたらこうなった、とレンは苦笑した。


「壁はあまり減らせないんだよ。各風呂を隔てる壁には柱としての役割もあるからね。まあ、女性が入らないなら単なる男湯その2になっちゃうか、まあ掃除してるときに使う予備にしてもいいし」


 石積みの建物なので、日本で発達してきた木造軸組構法でいう、いわゆる耐力壁とは意味合いが違うが、壁を取り払ってしまうと、荷重の分散がうまくできなくなる。


「でしたら、湯浴み着の着用必須として……あとは混浴の所にだけ、何か特別なお湯なり仕掛けなりを用意した方がよいかも知れませんわね」

「うん。精油を流し込んだお風呂とか、花を浮かべたお風呂とかどう?」

「素敵ですけれど、管理費用がかなり掛かってしまいそうですね。入浴料金によっては赤字になるかも知れませんわ」

「基本は村の住民は無料でって考えてるんだよね。精油は錬金術の訓練で作るけど完成品は村の収入源になるから、風呂には使えないかぁ」

「ハーブなどは如何でしょうか?」

「あー……うん、いいね。それなら森にもあるし、なんなら専用の畑を作ってもいいか」


 だが、ミント。お前だけはダメだ。

 過去、ゲーム内の薬草畑でミントとの戦いに敗れた経験のあるレンは、そう呟いた。

 ミントはとんでもなく生命力が強く、種でも根からでも繁殖しまくる多年草である。

 畑に生えようものなら、土の入れ替えから行なわなければ駆除は難しい。土の中に僅かな根が残っていたら、そこから増殖するのだ。

 それだけならばまだ許せるのだが、野生化したミントは、数世代で爽やかな芳香や防虫などの効果を失ってしまう。

 そしてゲーム内でその生命力は、魔物の一種ではないかと疑うほどに強く、最終的にレンは、薬草畑の土を薬草ごと煮込んだことがある。

 畑にたっぷりと水を撒き、その上で長時間熱を加えることで、地中50センチまでを煮沸することでミントは駆除できたが、畑は土作りから行なわねばならなくなり、レンとしてはあれは自分の負けだと判断していた。


「ミントはダメですか……それなら、ラベンダーとかは如何でしょうか」

「あー、あれは育てるの簡単だし、風通しのよいところに逆さにぶら下げて置くだけでドライフラワーになるか、あとはそれを砕いて袋に詰めれば入浴剤になるな」

「では、種や苗を手配いたします。取りあえず、畑一枚分あればよろしいでしょうか?」

「そうだね。あ、増えてきたら、村のあちこちに畑を作って、それを売りにするのもいいね」


 精油やポプリは、それなりに売れるだろうから村の特産品になるし、綺麗に整えた花畑には集客能力があるというのは日本の北海道を知っていれば分かることだ。

 すぐには無理でも、学校が機能を失った後の村の収入源のひとつとしては、よい布石であるように思えるレンであった。


「さて。それじゃ、ライカ。神殿の方は街から職人を連れてきて作らせてくれ。場所は、現在の温泉の西側の空き地。俺は温泉を閉じ込める大きな箱を作るから、神殿が終わったら、職人には建物の内装を頼んでくれ。ああ、折角だからシルヴィに露天風呂を任せるか。土魔法の鍛錬にはちょうどいい」

「かしこまりました」

「だけど自分でやるなら適当で良いけど、シルヴィに任せるんじゃ、きっちり設計して渡してやらないとダメか……ライカ、設計ができるやつっていないかな?」

「……職人の中に数名。ですが、お湯を温泉から露天風呂まで引くとなると、かなりの技量が必要になりますわね」


 管を地面に埋設し、そこにお湯を流すとなると、後からのやり直しは難しいのではないか、とライカは懸念を口にした。

 それを聞き、レンは腕組みをして少し考えてから頷いた。


「大丈夫。温泉が湧いている所にお湯を貯めて温度を調整するタンクを作る。そこから流せば、結構な高低差が生じるから、水平が取れてなくても流れなくなることはないよ」

「あと、その管を掃除する方法が気になるのですが」

「あー、掃除か……必要……だよな。忘れてたよ」


 先端にブラシを付けたワイヤーという手もあるが、硫黄などがこびりつけば、撫でた程度では落ちはしない。

 常に一定量のお湯が流れることで、汚れが付着しにくいとは言っても、勢いよく流れる清流の川底にも苔は生えるものだ。

 どうしたものかと考え込んだレンは、メンテナンスのやり方を変えればよいのだと思い至った。

 つまり。


「掃除をするのは土魔法使いと水魔法使い。定期的に土魔法でパイプの内部を少し削って、水魔法使いが大量の水で削られた欠片を流す。パイプに異常がないかの点検も兼ねられるし、必要なら、内径が変化しないように周囲の土を使って補強する……というのは可能だと思うか?」

「……私は普通の魔法はほとんど初心者なのであくまでも参考意見となりますが。レンご主人様なら可能だと思います。つまり、レンご主人様が育てた魔術師たちが、それなりに練達すれば、似たことは可能になるのではないでしょうか……あと、管の中に管の欠片が溜まらないような工夫があれば問題はないようにも思いますわ」


 ふむ。と頷いたレンは、必要な事柄をメモに記し、それをライカに手渡した。


「それじゃライカ、ここに書いた感じで職人に設計を頼んでくれ」

「承りました」

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