第63話 眷属

 ドラゴンが寝ているそばまでは何の問題もなく辿り着けた。

 森の中には魔物や獣の気配すらなく、鳥の鳴き声も聞こえなかった。


(魔物も動物も、このドラゴンを危険だと判断しているってことなんだろうけど)


 レンは、ドラゴンに気を配りながら結界棒を出して地面に刺し、魔力を流した。

 一瞬だけ魔石が緑に光る。これは正常に起動できたという意味である。


(異常なし。ボスエリアとは違うのか……あ、こっちも確認しとくか)


 レンはメインパネルを開き、突発クエストやドラゴンが関連しそうなクエストが始まっていないことを確認し……。


「みぃつけた」


 たところで、レンのメインパネルを横から覗き込んでいる竜人の娘と目があった。

 竜人――設定上、獣人の一種。皮膚の一部に鱗を持ち、側頭部に角を持つ、プレイヤーが選択することのできない、人間最強の種族。そして、女神リュンヌの眷属。

 魔物ではないため、結界棒は無意味である。

 レンの目の前で、竜人の娘の体中に鱗が生え、側頭部の角の後ろに長く鋭い角が生え、体が一回り大きくなる。

 気配も何もなかったことに驚きつつも、レンは後ろに数歩跳んで細剣レイピアを構える。

 娘の見た目は人間ならば10代半ば。だが、この種族はエルフ以上に年齢が読めない。

 髪の色はくすんだ金色で、目は空の群青。

 武器や防具は身につけていない……というか、服すら着ていない。

 先程までは胸や腹には鱗がなかったが、今ではほぼ全身が鱗で覆われており、長い爪をカチカチと鳴らしている。


レンご主人様!」


 ライカが矢を放とうとするのを手で制し、レンは細剣レイピアをゆっくりとおろした。


「何を見付けたって?」

『リュンヌ様が呼んだエルフ?』

「竜人にも神託の巫女がいるのか?」


 竜人の娘は不思議そうに首を傾げる。

 ゲーム内での竜人は、元々女神リュンヌを奉じる種族で、リュンヌが魔王となった後、その手足となって表舞台で戦っていた。

 そして、眷属としての竜人は、リュンヌの声を起きたまま聞くことができた。


『我が神に巫女はおらぬぞ? ただ我が神の言葉があっただけ。竜人なら誰でも聞くことはできる』

「それで、君はなぜ俺を探していた?」

『知らぬ。ただ、我が神が会えと仰せになっただけ』


 その返事を聞き、クロエも神が何を考え、望んでいるのかを知ろうとしていなかったことを思い出したレンは、その答え以上の返事は期待できないのだろうと考えた。


「俺はレン。見ての通りのエルフだ。君の名前を教えてくれないか?」

『我は竜人のリオ。あっちは相棒のエーレンだ』


 リオは眠っているドラゴンを指差してそう言った。


「そういや、竜人にはがあったか」


 相棒――ゲーム上の名称はソウルリンク。

 任意の相手と魂を繋ぐことで、繋いだ相手の力の一部を自分のものとできるというもので、相手は別に竜である必要はないし、自分が人間種であれば一応使用可能である。

 だが、竜人以外でソウルリンクを使う者は滅多にいない。

 ソウルリンクは強さも弱さも等しく分かち合うのだ。

 つまり、弱い側は強い側の力を得ることができるが、強い側は弱体化してしまうし、もしもリンク相手が死亡すれば、それに引き摺られてしまう。

 ゲームでは、それはデスペナルティの共有であったが、現実となったこの世界では、リンク相手が死ねば、それに引き摺られて死亡する恐れもあるだろう。

 ただし、そのデメリットを受けない例外があった。


 その数少ない例外が竜人とドラゴンの組み合わせだった。

 竜人は神の眷属という立ち位置からか、弱体化への耐性を保持していた。そして、その耐性は、ソウルリンクの相手にも効果が及ぶ。

 ドラゴン――くすんだ金色のドラゴンは、自身への肯定的な魔法の効果を倍増させる技能を生まれ持ち、それが弱体化への耐性を強化することで、竜人はソウルリンクによってドラゴンの力を得つつも、ドラゴンは弱体化はしないという効果が齎されるのだ。

 普通にソウルリンクしている相手ならどちらか片方を倒せば片が付くのに、竜人とドラゴンの組み合わせは片方が隠れてしまうと、倒しても倒しても復活してくるため、普通の方法では倒すのが困難な敵、と認識されていた。


『ほう。我らの秘術を知っているか。それで、お前は敵か? 味方か?』

「リュンヌに召喚されたというのは理解しているんだろ? なら、敵対するはずがない」

『ふむ……まあよい。しかし倒すなとも言われておらぬ』


 レンとリオの間には、先程レンが数歩跳び下がったことで10メートル近い距離があった。

 その距離がまるで存在しないかのように、リオはレンの真横に立っていた。


「移動系の技能? 縮地の類いか?」


 リオはレンの首に向けて長い爪が生えた右手を翳していた。

 あと、10センチ程爪を進めていればレンの首には穴が開いていただろう。


『縮地で合っておる。しかし我が突きに合わせるとは、寸止めは不要じゃったか?』

「手加減は大歓迎だ。もっと頼む」


 レンは、リオの爪を止めた細剣レイピアをゆっくりと下ろした。


『どうやって攻撃が来ると知った? 殺気は乗せなかった筈じゃが』

「縮地は目で見ていると一歩目に気付けないけど、気配がないわけじゃないからね。視覚以外で捉えただけだ。詳細は秘密にしておこう。さて、今ので試験は合格かな?」


 レンは、視線を金色のドラゴン――エーレンに向けてそう尋ねた。


『……ふむ。そこまで見抜くか』

「大昔、竜人と話をしたことがあるけど、もっと普通に話をしていたのを覚えてる。たまに今のリオみたいに、言葉遣いが年寄り染みて、声が妙に響くときは、大抵、ドラゴンに意識を預けていた。あと、普段の竜人の鱗と角はもっと少なかったはず」

『ほう……ここ数百年、竜人はともかく、我ら黄金竜は表には出ておらぬはずじゃ。お主が会ったのは誰なのじゃろうな……いや、いつなのじゃろうな、と聞くべきか?』

「魔王戦争の頃、俺はヒト側に付いていた。ドラゴンは名乗らなかったが、竜人はティガスと名乗っていたか」

『ほう。たしか、自称、魔王軍六天がひとり、天を守りし光の竜人、だったか』

「あー、そんな感じだったかな。なんか恥ずかしい台詞と共に色々な物を空から落として、ついでに色々な説明をしてくれるヤツでしたね」


 魔王リュンヌの守護役の竜人たちは、リュンヌを中心に東西南北と上下に配されていた。

 当時の攻略隊は、厄介な複数属性混合攻撃をほとんどもたない、物理攻撃が主体のティガスを与しやすいと判断し、天ルートから侵攻をしていた。

 なお、レンが覚えているのはティガスと、その次の竜人までで、その後は防御が追い付かなくなったので黄昏商会で高品質なポーションを作ることで攻略の協力をするようになっていった。

 ちなみに、ネームドの竜人はふたりしか知らないが、名無しの竜人であれば、かなりの数と戦ったことがあるレンだった。


『そうか。懐かしい名を聞いたものだ』

「それで、あんたらは、俺を探すためにこんな場所にいたのか?」

『リュンヌ様が、聖域からふたつ離れた街だと言っておったのでな』

「……えーと?」


 聖域からエンシーナまでの間に他の街はなかった。

 どういう事だろうかと首を傾げるレンに、


レンご主人様、途中に村がひとつありました」


 とライカが囁く。

 それを聞き、なるほどと、レンは頷いた。


「村と街の区別が付いてないみたいだな。石の大きな壁で囲まれてるのが街。あと方向が真逆だ。俺たちがいたのは、聖域の向こう側。サンテールの街ってところだ」

『ヒトのやることは分からぬな……』

(しかしこんな戦力があるなら、竜人に黄色の魔物から魔石を取らせて、それをヒトに配れば、俺はいらなかったんじゃないか?)


 竜人は強い。

 ソウルリンクを使っていなくても、サシの勝負なら上級の戦士系と対等に戦える。

 それなら、レンを呼ぶ前にできることがあったのではないか、と考えたレンは、結界杭の劣化がこれ以上進行した場合、十分な魔石があったとしても結界を発生できなくなるということに思い至った。

 結界杭は内部にミスリルの芯を持ち、使用するとゆっくりとミスリルを消耗する。

 現時点では減ってしまったとは言っても、まだミスリルが残っているから、高品質な魔石を使うことで結界を発生させることができているが、ミスリルがなくなれば、そこに残るのは中空の鉄の杭でしかない。


「まあ、それはいい。ところで、人間達がエーレンを怖がっていて、道を通れなくなっているんだが、通らせて貰っても問題はないか?」

『ふむ。それは構わぬ。それに、用向きは済ませた故、はここから立ち去る』

「ああ、ちなみにもしも君たちに連絡を取りたい場合、どうすればいい?」


 レンが全力で掛かっても、ドラゴンとソウルリンクをしている竜人が相手では、勝てる見込みはほぼゼロである。

 そう考えると、リオとエーレンのペアは、現時点では世界最強の一角であると言っても過言ではない。

 何かあったときに助けを求められるのであれば、その算段は付けておきたいレンだった。


『リオが貴様についてゆくから、何かあればリオに話せばよかろう……では、私は迷宮に戻る』


 リオが一瞬無表情になり、慌てたように竜の方を見る。それにつられてレンがエーレンを見ると、目を開いたエーレンがのそりと起き上がり、背の翼を大きく開いていた。


「エーレン! あたしを置いていくの?」


 エーレンは首肯し、やけに人間らしい仕草で手を振ると、羽ばたき、空に舞い上がった。

 そして、南方向に向かって飛び去っていく。


「付いていくって……あたし、聞いてないよ」


 がくり、と地面に両手と膝をつくリオ。

 エーレンが憑依していた影響が抜けたためか、角がポロリと落ち、鱗も脱皮をするように薄皮と共に浮き始めている。


「あー、リオさん? 俺たちと一緒に来るってどういうことか教えて貰いたいけど……聞いてないんだよね?」

「エーレンはあたしにそんな話はしてなかった。あたし、どうしたらいい?」

「……ライカ。とりあえず彼女が生活出来るように整えられる?」

「お任せ下さい。リオ様。私はライカ。レンご主人様の暁商会の番頭です。リオ様は何をすればよいのか分かっていないということで宜しいですわね?」

「うん」

「先程の竜。エーレンと心話や憑依によって意思疎通は可能でしょうか?」

「心話じゃないけどできる。ソウルリンクは距離の影響を受けないから。でも、さっきから話しかけても笑ってばかりで」

「ならば、一度ヒトの街に参りましょう。そこで落ち着いて、今後のことを相談しましょう。あなたがレンご主人様のお客様である以上、生活については私がすべて面倒を見させていただきます……あと、差し支えなければ」


 ライカは布の塊をリオに差し出した。


「マントだけでも羽織っていただけると助かりますわ。先程から、レンご主人様も目のやり場にお困りのようですし」

「っ!」

「ところで竜人は戦う際に服を脱ぐ習慣はなかったように思うんだけど」


 レンがそう言うと、リオは真っ赤になりながらも、体から浮き上がった皮をペリペリと剥がし、マントを受け取ってそれを羽織った。


「さっきの竜化って体の大きさも少し変わるから、服着ていると危ないんだ」

「ところでその脱皮した皮、鱗が混じってるように見えるけど?」


 爬虫類の場合、鱗は皮膚の一部で、脱皮したところで鱗が剥がれることはない。せいぜいが、鱗表面の古い角質層が剥がれる程度で、そこに鱗そのものは存在しない。

 人間が風呂で古い角質層を落としたからと行って、爪や髪が抜け落ちないのと同様、蛇が脱皮しても鱗が抜けることはない。

 しかし、リオが剥がしている古い皮には鱗が付いていて、リオの体の鱗は極僅かしか残っていない。


「あ、あんまり見ないで。竜化すると、角と鱗が生えてくるんだけど、終わったらこうやって剥がれるの。あと、体を大きくしていた反動で、脱皮が始まっちゃうの」

「角まで抜けるんだ?」

「竜化すると、新しい角が生えてくるだけ。元からある角はそのままだから……だからマジマジ見るな! 脱皮した皮を手に取るな!」

「いや、でも、皮じゃなく、この鱗と角は、多分売れるぞ?」

「……ヒトとかエルフは変態揃いなの?」

「ああ、いや、たしかにリオは可愛いけど、だからその皮を欲しがるってことじゃない。この鱗と角、竜のものだろ?」


 レンがそう言うと、リオは顔を真っ赤にしながらも頷いた。


「そりゃ、あたしも由緒正しい竜人だけど、ここまで立派な角や鱗はないし。エーレンが憑依して竜化してるときは色々と竜並みに変化するんだ」

「リオ様。レンご主人様に渡すのが恥ずかしければ私に下さい。竜種の鱗と角ならば、リオ様が街で生活するのに必要なだけのお金になりますわ」

「……そうか。人間の生活はお金が掛かるって聞いたことがあるけどさ……」

「恥ずかしい、ということでしたら、こちらで加工して、リオ様から出たものではないと偽装しまくります。そうですわね、とりあえず採取されたのは最近だけど、150年前の鱗と角だ、ということにしますわ。大丈夫。竜の鱗は古くなっても価値は変わりませんもの」


 品質については嘘は決してつかないが、品質とは別の部分であればいくらでも偽すると宣言するライカだった。

 因みに、もしも日本であれば産地偽装にあたるが、レンは黙っておくことにした。


 ぐいぐいと押していくライカに、リオは少し考えてから頷いた。


「その条件なら任せる。でも、あたしが脱皮したものだって言ったら、エーレンと一緒に燃やしに行くからね?」

「ええ、ご安心を。このライカ、約したことは決して違えませんわ」

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