第61話 開門

 ライカの飛行魔法は、一定範囲内の人や物を、風圧で梱包して持ち上げるというもので、有り体に言って、とても乗り心地のよいものではなかった。

 自分自身であれば、髪や服が乱れる程度で済むが、第三者を乗せる場合は風の制御が甘くなるらしく、慣れるまでの間、レンは空中で言葉を発することはなかった。

 口を開くと風が入り込んできて、顔面が楽しいことになってしまうのだからそれもやむなしである。


 レンはライカとパーティを組んでいるからこの程度で済むが、これがパーティに加入していない者だと、更に風は荒っぽくなるとのことである。


(この風圧。制御された竜巻みたいなものか……敵を空中に巻き上げて落下ダメージを狙えるんじゃないか?)


 などとレンが考えてしまう程度に、使う場所とタイミングを間違えたらえらいことになりそうな魔法である。


 この飛行魔法は、英雄の時代に開発されたマクロを元にしていた。

 最初にそれを聞いたレンは、ライカがマクロエディタを使えたのかと驚いたのだが、話を聞いてみれば、精霊闘術(風)を使える術者のみが使用可能な制御用の魔道具だった。

 魔道具が行なっているのは、マクロのインストールとその制御。マクロのインストールは、レンの知らない技術だった。

 マクロ単体では人間を吹き飛ばすような強風が吹くだけで使い道は少ないが、魔道具が使用者のイメージを読み取り、風を制御することで、人間が空を飛ぶ、という無茶を押し通している。


(しかしこれ、うまく調整して、術者がパラシュートとかを装備したら、もっと安全に飛べるかもしれないな)


 強風で人体を吹き飛ばすという力業をベースにした飛行魔法は、風が一点に集中するため、面積が広いパラシュートなどを使うには不向きではあるが、パーティを連れて飛べるのなら、修正は大したことはないだろう、とレンは考えた。

 何よりも、パラシュートやハンググライダーを装着して飛べば、万が一、術の効果範囲外に飛び出してしまっても、自由落下以外の選択肢があるという安心感がある。


(ウェブシルクなら、防刃やらのせいで加工がやたら面倒だけど、合成繊維以上に頑丈だし、軽くて薄いから、あれでパラシュート作るか)


 可能ならパラグライダーがほしいけど、あっちは構造が複雑すぎるし、切ったり縫ったりが難しいウェブシルクでは、完成がいつになるか分かったものではない。

 パラシュートであれば、蜘蛛の糸をベースに紐を作って、バランスよく配置して、ハーネスは綿とウェブシルクの混成素材なら強くて柔らかいだろうし、ああ、金具は出来たら魔法金属を使いたいけど……金剛鋼(アダマンタイト)が理想かな。などとレンが考えている内に、あっという間にエンシーナの街の少し手前にライカは着陸するのだった。


「直接、ドラゴンの所まで飛べましたのに」


 レンご主人様との空の散歩があっさりと終わったライカはつまらなさそうにそう言った。


「いや、転移の巻物の転移可能先を増やしておきたくてね。そうだ、これが終わったら王都まで頼むよ」

「はい! 承知しましたわ」


 ちなみに、ライカの飛行魔法はとても速い。

 現状、この世界で本気のライカに勝てる地上生物はレンしかいない(予定)。


 竜巻にはその風速から規模を推定する藤田(F)スケールというものがある。

 風速17~32m/sだとF0、33~49m/sでF1と、風速が上がるに従いスケールが大きくなっていく。

 そのFスケールに当て嵌めるなら、ライカの飛行魔法は風速93~116m/sのF4に匹敵する。回転する渦と直進するライカとを単純には比較できないが、このF4の風速を単純に時速に当て嵌めると335km/h~417km/hである。

 風の繭に包まれ、繭ごとそんな強風で吹き飛ばされるというのが飛行魔法の正体なのだが、飛行魔法を全力で使うと、時速300kmほどで進むことになる。

 なお、風速そのままの速度にならないのは、空気抵抗他、様々な要因の結果である。


 何にしても、碧の迷宮の舞台である本島を横断する街道の長さは800kmほどなので、ライカが本気で飛び続ければ、数時間で横断ができてしまう。

 なお、現状のレンの移動速度はそれほどでもないが、レンが各地の街に訪れて転移ポイントを登録しまくれば、転移の巻物を使えるレンが地上最速となる。

 しかしながら、転移の巻物の素材集めはひたすら忍耐が試される類いのものである――具体的に言うと、レア素材が必要となる、ため、それを作ることができるレンであっても、あまり無駄に消費できるものではなかった。


『碧の迷宮』のレア素材と言えば、例えばワイバーン系の体内から出てくる深紅の宝玉や、ドラゴン系の硬質化した鱗、ふたつの魔石が瓢箪(ひょうたん)のように融合した双子魔石などがあるが、これらがなぜレアなのか、という公式からの発表が存在する。

 アイテム入手がランダムだった大昔のVRMMOならともかく、自分で解体する以上、解体の技量が一定以上になっても、そこにあるはずのアイテムが手に入らないのは納得がいかない、というユーザーの声に応えたものだが、


『最初から入っていない場合、解体しても手に入りません。例えば宝玉は人間で言う胆嚢結石みたいなものですし、硬鱗は人間で言うところのタコ。双子魔石は一種の奇形です。だから対象の魔物それ自体に当たり外れがあるのです』


 というもので、レアアイテムを入手するために解体技能を育てていた多くのプレイヤーを絶望させるものだった。


 硬鱗程度(タコがあるか)なら外見で分からなくもないが、紅玉(胆嚢結石)の有無などは見ただけでは分からない。馴れた冒険者であっても、せいぜいがあの体型なら或いは、という予想をする程度である。 

 もちろん、高い解体技能がなければ折角の素材を無駄にすることもあるわけで、そう考えると、解体技能を育てたのも無駄ではないのだが、ライカの蒐集した中に、


「結局は運かよ!」


 という英雄達の悲痛な叫びが記録されている。


 さて、そんな採取がひたすら面倒な転移の巻物の素材なのだが。


「そう言えば、レンご主人様が昔、巻物を作るために集めていた素材ですけど、買い集めたものをレイラがサンテールの街に持ってきているそうですわ」

「え? 買い集めるったって、そもそも市場に滅多に流れないだろ?」


 レンのその言葉に、ライカはくすりと笑みをこぼした。


「確かに市場に出るのは年に数例ですわ。ですが、500年の時間があったのですから、それなりの数を集められます。昔、レンご主人様が全力で作った黄昏商会の貴重品入れアイテムボックスに保管していましたから、多分、品質はそれほど落ちていないと思いますわ」

「ありがたい。しかし、よくそんな素材のことまで覚えてたな」

「ディオが覚えてましたの。レンご主人様が戻ってきたらきっとまた集めるだろうから、と」

「ディオには感謝だな……ライカ、王都に行ったら一緒に墓参りに行こう」

「はい、ディオも喜びますわ」




 エンシーナの街の壁はかなり狭い範囲を覆っているように見える。

 街の形が正方形だとすれば、面積的には街と言うよりも村に近いだろう。


 そして、レン達が到着したとき、まだ空は明るいというのに、エンシーナの街は、門を閉ざしていた。

 結界杭に守られた街の中なら安全だし、そもそもドラゴンが出たのは街の反対側なのだが、近場でドラゴンが出たという情報で色々混乱しているようだ。

 門の前には街に逃げ込み損ねた馬車が数台。

 ドラゴンの情報は聞いているようで、馬を離れた場所に繋いで囮にして、商人達は馬車を街の外壁にぴったりくっ付けてその中で息を潜めている。

 結界杭は塀の少し外側に張られるから、まあ、運が良ければ助かるかもしれない。


「おーい! 誰かいないか! こちらはダヴィード王子から仕事を依頼されたエルフのレンと、その仲間だ! 開門してくれ。しないなら押し通るぞ!」


 レンがそう声を上げると、門の上でバタバタと走り回る音がして、門の閂が外される音が聞こえた。


「随分あっさり開けるんだな」

「それは、王子の名を出したからですわね。ドラゴンを倒せる者が派遣されてきたのかも、と期待しているのかも知れませんわ。それにしてもレンご主人様、王子の名を出して宜しかったのですか?」

「まあ、これも世界を救う仕事の内だ。結界杭が全部直っても、人間が減りすぎて絶滅しちゃったら意味がないからね。それに、俺はドラゴンを倒しに来たとは言ってない」

「勘違いを誘発するような言葉は、嘘と同じと、昔レンご主人様は仰ってましたのに。なんということでしょう。レンご主人様が知らない間に嘘をつくようになってしまいました」


 泣き真似をするライカを放置して、レンは人類の種の存続に必要な個体数はどの程度だろうかと考えていた。

 現在はもっと違う数値(最小存続個体数)を算出したりもするが、分かりやすいのは「50-500則」である。

 これは計算ではなく経験則として、獣が近親交配の弊害を回避して100年生存するには50個体が必要で、環境の変化に対応するための多様性を維持するには500個体が必要である、というものである。

 もちろん、生殖システム、寿命など、様々な要因で変化するが、これが生物としての最低限のラインだろうとレンは考えていた。


 だが人間は、社会性を持った生き物で、社会と無関係に生きて行くことは難しい。

 生き残った個体数が十分に多くても、例えば王や王子という社会の維持に欠かせない人間が死んだ場合、少なく見積もっても混乱が生じ、最悪、各街の連携ができなくなって、絶滅へのカウントダウンは加速する。


(個体数だけで判断するのは無理か)


 ちなみにレンは現状を、絶滅を回避している状態だとは考えていない。

 ゆっくりと人口が減少し、絶滅に向かってカウントダウンが始まっていると見ている。

 だからこそ、1000年の安寧のために介入を選んだわけだが、考えるほどに人類は絶滅しやすい生き物で軽く絶望する。

 そして人間の強みは何だろうかと改めて考える。


(まず、この世界には神様がいて、その恩恵として職業が与えられているというのが大きいよな。でもなんで神様は人間に恩恵を授けているんだろう? あとでクロエに聞いてみるか……あとは地球の人類と同じかな?)


 人間は環境の変化にほぼ瞬時に適応する生物である。

 例えば世界が寒冷化したとき、普通の生物は何世代も掛けて、適者生存で毛皮を分厚くしていくが、人間は毛皮や植物繊維を用いて服を作る。

 最初から完成形のコートが出来上がるわけではないが、服を着るようになるのに世代交代を待つ必要はない。

 同様に、寒冷化で森に食料がなくなれば、普通の生き物は温暖な地を目指したりするが、人間の中には農耕を始めてしまう者が登場したりする。

 それは、道具を使う使わないという以前の話で、問題点を理解して、こうやったら解消するのではないか、と未来の姿を想像する能力と、それを実現する能力の合わせ技だ。

 寒いから巣に籠もるとか、キノコの胞子を植える程度なら他の動物も行なうが、環境変化を起因として、ライフスタイルすら変化させるような生き物は、レンの知る限りあまり例がない。


(だけど、その強みをどうやったら活かせるのかってことだよな)


 今回のドラゴンのような特殊ケースがあることを予想して計画を立てておくことは出来ない。

 だが、こうした細かなトラブルで、戦える人口が減少していくのは望ましくない。


「ライカ、ドラゴンだけど、もしも戦闘状態になったら、最初はライカ一人に任せてもいいか? でだ、できれば、5分くらいは倒さずに押さえて欲しいんだけど、できるか?」

「もちろんできますが、狙いをお聞きしても?」

「狙いはふたつだね。俺が周囲の状況やクエストリストを確認している間、ライカに護衛して欲しい。あと、ライカとドラゴンの力量の差を確認しておきたい。こちらは必須ではないから、危なさそうなら全力で倒しに掛かっても構わないよ」

レンご主人様の護衛ですか? 結界棒や反射界が使えるようなら、使って頂けると助かります」


 レンは頷くと、それらが使えるのかを確かめるのも目的のひとつだから、過信はしないように、と告げた。


「ああ、そうだ。結界棒と反射界については、暁商会が仲介したと言う扱いで、ダヴィード王子に付けておいてくれ」

「王子とどんな契約をしているのか、後で教えてくださいまし」


 ライカの言葉と共に、錘が落とされ、その力を利用して門が大きく開け放たれた。

 門の内側には門番と、警戒のために門の上に登っていただろう兵士達が整列していた。


「レンだ。先だってサンテールのアレッタとシルヴィが来たと思うが、俺はふたりの師匠にあたる」

「あのおふたりの……ポーション類を分けて頂けると助かるのですが」

「ああ、多少は融通できる。それより表の商人達を入れてやった方がいい。結界杭はドラゴン程度では抜けないから、街の中なら安全だ。だが籠城戦になれば食料がなによりも貴重となる……あの商人達はそれを持っているのではないか?」

「! た、確かに! 上司に具申して参ります……あ、その前に、あなたを領主の元にお連れしなければ」

「ああ、それは不要だ。俺はちょっと街の中を見てから勝手に屋敷に向かうから」


 レンはそう言って、ライカを引き連れて街の中心部を目指して歩き出すのだった。




「ライカはこの街に来たことは?」

「何回かありますわ。馬車や馬で進むときは、途中の街に宿を求めますもの。旅をしている間、何回か通過しましたわ」

「この街の特産や特徴は?」

「このあたりの特産は麦ですわ。昔は美味しいお酒を作ってましたけど、最近はお酒を作る余裕があるなら食べ物を作れという風潮になってしまいましたから、生産量は減っていると思いますけれど。特徴は、この街、ふたつの街が並んでますの。こちらが商業区で、奥の街が農業区。結界杭を街ふたつ分使ってまで商業区を維持しているのは、この街がこのあたりの交易の中心地だからと言われてますわ」

「交易の中心地って言ったって……街道一本しかないのにか?」

「そばに川があるんですの。南北に走る川で、北に行くとドワーフの村? 坑道? がありますわ……そうそう、もうひとつの街は管理者が別にいて、街の名をオルネラと言いますの」


 その名前を聞くなり、レンが硬直したかのように立ち止まった。


「……マジか」

「私が調べた限り、英雄達はある日唐突にオルネラの街にやってきたとか?」

始まりの町オルネラは、スタート地点だったからな……と言っても分からないか」

「双子の街になったのは、英雄の時代だそうです。あまりも多くの英雄が、様々な素材を持ち込んでくるので、それを扱うための街として、このエンシーナの街が作られたと記録されていましたわ。街を作ったのはユッタ・エンシーナ。その方が引き取った私のような孤児の子孫が、街を守って今に至るとか」

「ドワーフとの交易ってのはいつからだ?」

「英雄が消えた後かららしいですわね。英雄達の手で素材が持ち込まれなくなったので、生き残りのために商売の手を広げたのでしょう」


 多分、私と同じように、ご主人様が戻るまで、街を維持しようと努力したのでしょう、とライカは少し寂しそうに笑った。

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