第60話 街道封鎖
翌朝。
(……しまった。やらかしたか)
レンは、朝から頭を抱えていた。
マリオに伝えた天気予報の仕組みは、それ単体であれば大した技術ではないが、統計学につながる情報である。
エルフの寿命は1000年。まかり間違ってハイエルフにでも進化しようものなら5000年以上を生きるとされている。
とりあえずレンは、1000年の安寧のために職業を育てる方法を人間に広め、絶滅を避けようとしているわけだが、だからと言って、その1000年で人間が科学文明を構築するのを望んでいるわけでもない。
日本で1000年前と言えば平安時代である。
その1000年の間にあったことを考えれば、その渦中にあってスローライフも何もあったものではない。
だからこそ、学校という仕組みで職業を育てる方法を教えるだけ教えたら、後は徒弟制度でもなんでもやって貰おうと考えていた。
細かな手仕事レベルであれば見せても大きな問題にはならないだろうが、『客観的な数値で情報を集め、それを蓄積して分析する』という手法は、科学的な物の考え方の基礎である。
それを聞いた者が愚鈍であればよかったのだが、マリオは聞いた内容を正しく理解しているようだった。
40年後くらいにマリオが統計学を提唱してもおかしくはない、と気付いたレンは、だから頭を抱えていたのだ。
(まあ、なるようにしかならないか……いっそ統計について教えて、これは危険だから広めてはならないと釘をさしておくか?)
そんなことを考えていたレンだったが、その日の午後、アレッタとシルヴィが帰ってきて、それどころではなくなるのだった。
ここ暫く、消費ばかりだったからと、レンが工作室でポーション類を作成しているとアレッタとシルヴィが尋ねてきた。
ちなみにエドは状況をコンラードに報告するために臨席していない。
「街道に黄色の魔物が居座ってる?」
アレッタたちがやるべきことを終え、後は戻るだけとなった所で、その先の街に向かった錬金術師達が慌てて戻ってきたのだという。
そして、街道に黄色の魔物が居座ってしまっていて、そこから先に進めずに困っているのだと言った。
「居座っているのがよりにもよってイエロードラゴンなのです」
黄色の魔物と一口に言っても様々な種類が存在する。
ホーンラビット、スパイダー、マンティス、リザード、ベア、コカトリスなどであるが、それらとは一線を画す存在がドラゴンである。
ドラゴンは多くの場合、ボスキャラとして設定され、その強さは同じ色の魔物から隔絶している。
大半のドラゴンは空を飛び、ブレスを吐き、鱗は鋼の剣を通さない。
この世界の元となったゲーム――『碧の迷宮』には、キャラクターレベルという概念がない。
普通のゲームなら、戦って経験値を得ればキャラクターレベルがあがり、それに伴い防御力、攻撃力、素早さなどのパラメータが上昇し、体力や魔力も増えていく。だから、どんな強敵でも時間さえ掛ければ倒せるようになる。
しかし、繰り返すがこの世界にはキャラクターレベルという概念はない。
鍛えれば多少は強くなるが、鍛え続けたところで地球人の常識の範疇でしか成長できない。
他のゲームなら強敵が出てきたら雑魚敵を倒しまくってレベルアップをして再戦するが、このゲームではそれができない。
できるのは、武器や防具の強化と、神の恩恵たる職業を育て、技能を身に付け、熟練することだけである。だが、現状は、その両方の道が閉ざされている。
職業の育て方が分からないから、熟練度は上げられても、新しい技能は中々身に付かない。そうなると取れる手段は限られ、強さも頭打ちになる。
戦士だけではなく、武器防具を作る鍛冶師、回復を担う僧侶・神官系も、回復薬を作る錬金術師も同様であるため、アイテム強化などで工夫するにも限界がある。
普通なら、ドラゴンはボスキャラ的な位置付けで、街道にフラフラ出てくるような相手ではない。
だから英雄がいなくなった後も人間は生き延びることができていたのだ。そのドラゴンがよりにもよって、
「何だって街道に?」
「わたくしが聞いた限り、原因は不明だそうです。過去にそういうことがあったという話もなかったそうですわ」
アレッタの返事を聞いたレンは、地図を広げて場所を確認した。
聖域の村の更に向こうのエンシーナの街から東に向かって15キロほどの場所に、イエロードラゴンが降り立って丸まっているのだ。
居座っているのは、厳密には街道ではなく街道脇の林だが、プレイヤーのアバターならともかく、NPCがドラゴンの目と鼻の先を通過することなど出来るはずもない。
「近くに村や鉱山はなし。餌を採っているような動きはないんだな?」
「ええ、街道そばの林で丸まっていた、と聞きましたわ。ただ、身動きしないわけではないので、本当に眠っているのかは分かりませんけれど」
「こういう場合、国は動かないのか?」
「エンシーナの街の領主は、国に報告すると仰っていましたが、報告したところでドラゴンが相手では中々難しいですわね」
そう肩を落とすアレッタを見て、ライカが笑った。
「そちらのお嬢さんが
「レン様、そちらのエルフの女性は? レイラさんのお姉さんでしょうか?」
工作室でレンのそばにいたため、新しい錬金術師だと勘違いをしていたシルヴィは、アレッタに代わってそう尋ねた。
「こいつはライカ。レイラの母親。昔、俺が王都で商売やってた頃に拾った孤児だから、俺の義理の娘だな。黄昏商会の元番頭で俺の護衛もやってた。俺がここで新しいことを始めると聞いて手伝いに来てくれたんだ」
「ライカさんと仰るのね? わたくしはアレッタ・サンテールですわ。そちらのシルヴィともども、レン様の弟子として結界杭を修復するお手伝いをしておりますの」
「ええ、わたしはライカ・ラピス。
何やら、ひとりブツブツ言い出したレンに、ライカが心配そうに声を掛ける。
「……そりゃライカは義理の娘で、ディオは義理の息子だけど、そのライカの娘のレイラはそうすると、義理の孫なのか? あれ? 俺、結婚もしていないのに、お祖父さんなの?」
「あー、なるほど。まあ、エルフなら、そういうこともあるんですかね?」
レンの言葉を聞いたシルヴィが苦笑いを浮かべると、ライカは肩をすくめた。
「エルフは晩婚も珍しくはないですわ。私とディオからすると、
それは片手間の暇潰しである、と言わんばかりのライカに、シルヴィが気色ばむ。
そんなシルヴィに落ち着きなさい、とアレッタは視線を送る。
「それで、ライカさんは、レン様の弟子のわたくしたちにどんなお話をしてくださるのでしょうか?」
「……思っていたよりも冷静に対応するのね。そこは認めて差し上げます……まあいいでしょう。出たのはイエロードラゴンでしたわね?」
「ええ、グリーンドラゴンなら倒せる騎士はいますが、イエロードラゴンとなると、倒せるのは世界に数人と聞きます。王家から呼び出したからと言って、すぐに出てこられる場所にいるのかも怪しいですわ」
「……錬金術師なら……いえ、
「……あ」
間抜けな声が漏れ出てしまい、アレッタはこほん、と咳払いをする。
「つまりレン様ならイエロードラゴンも倒せると?」
「ええ。ところで確認ですが、普通、ドラゴンがいる領域は遺跡や竜の谷など特別な場所で、多くの場合は結界があるのですけれど、そのイエロードラゴンのいる場所は、そういう特別な場所だったりするのですか?」
「ええと……分かりませんわ」
「英雄達は、ドラゴンや特別な場所から動かない魔物を『ぼすきゃら』や『ちゅうぼす』と呼んでいましたわ。そして、多くの場合、その手の敵は難敵となりました。何故だか、お分かりになりまして?」
「え? いえ、ごめんなさい、存じませんわ」
「では聞き方を変えましょう。イエローリザードと同じ方法で対処すれば、ドラゴンであっても時間を掛ければ倒すのは容易だと思いませんか?」
「……あ」
アレッタとシルヴィは顔を見合わせた。
「ほら、よく考えなさいと言ったでしょうに。まず『ぼすきゃら』のいる特別な場所では、地面に浸透した強力な魔物の魔力や瘴気によって、結界棒はその効果を半減します。だから、特別な場所なのか、と聞いたのです」
ライカの説明を聞き、アレッタとシルヴィは感心したように頷いた。
「加えてグリーンドラゴンにすら苦戦するような騎士を集めても、その攻撃はイエロードラゴンには通用しませんわ。攻撃が鱗の内側に届かなければ、どれだけ槍や矢を当てても意味はありませんの。だから、結界棒の内側に並べるのは、少なくともイエローの魔物を苦もなく倒せる者に限られますわ」
「なるほど……そうすると、結界棒を用意して、レン様に倒して貰えばよい。ライカさんはそう仰っているのですね?」
そのアレッタの言葉を聞き、ライカの握りしめた右手がピクリと動いた。
相手がレイラなら、間違いなくげんこつが飛んでいただろう。
「愚か者。
「考えなしでしたわ。済みません。でもそれならどうすれば? 結界棒は用意できますが、イエロードラゴンの鱗に傷を付けられる者は、そう多くはありませんわ」
「よく見て、よく考えなさい。あなたは知っているはずですわ。この街の騎士達に、
アレッタよりも先にシルヴィの目に理解の色が浮かんだ。
「アレッタお嬢様。お嬢様の護衛であるエド様と、アレッタお嬢様が戦ったら、どちらが勝ちますか?」
「そんなのわたくしが勝てるわけ……ああ、そういうことですのね。ライカさんは、レン様が認める腕の持ち主だと」
「そこまでうぬぼれるつもりはありませんわ。戦いに於いて
「なるほど、つまりライカさんがレン様の代役を務めると?」
うむ。と頷こうとしたライカの頭をレンのげんこつが襲う。
ライカのげんこつはレン直伝であったようだ。
「あー、なんか盛り上がってるところ悪いけど、アレッタさん。ライカの言ってることは真に受けないで。あと、俺もドラゴンを確認しに行くから」
「確認に、ですか?」
アレッタは不思議そうな表情で首を傾げる。
その横で、ライカは頭を押さえて涙目になっている。
「あー、倒せそうなら倒すけどね。
そう言い訳するレンだったが、勿論、確認に赴きたいと考える理由があった。
ドラゴンは多くの場合、ボスキャラとして設定され、その強さは同じ色の魔物から隔絶している。
だからそこらの街道を襲うのは、もっと普通の魔物の仕事だった。
そして、レンが知らない筈の記憶も、その認識は正しいと告げていた。
(だとしたら、可能性は三つだ。
街道沿いに竜がいても不自然ではない理由がある。
街道沿いに
ルールが変わった)
ひとつ目なら、これからもっとたくさんのドラゴンが飛来してくる可能性もある。もしそうなれば、レンとライカだけでどうにかなるような話ではない。
ふたつ目は、可能性としては一番高そうだが、レンのクリアしたシナリオの中には、街道をドラゴンから奪還するようなシナリオはないため確証はもてない。
そして三つ目。ゲームで定められていたルールが変化したという可能性で、もしもこれだとしたら、緑、黄色、赤の区分けも意味を持たなくなるだろうし、職業という恩恵が失われるかも知れない。およそ考え得る中で最悪のケースだが、レンはこの可能性は低いだろうと見ていた。もしもそうなるのなら、神様がレンを呼んだ意味がなくなってしまう、というのがその理由だった。
「
「いや、自分の目で見てよく考えるって言うのは大事だからね。ところで、ライカの空飛ぶ精霊闘術、あれって、他の人間も運べるのか?」
「私は試したことはありませんが、伝承ではパーティ全員を連れて馬車のかわりに使っていた英雄もいたとか……もしかして、
「ああ。俺をエンシーナの街まで連れて行って欲しいんだけど、できるか?」
「やります! やらせて頂きます!」
嬉しそうにそう言うライカを見て、アレッタはこの件を父に報告しなければ、と思うのだった。
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