第59話 ポン酢
街に戻ったレンは、同じく戻ってきたライカに森の中に作った道の状況を確認し、幾つかの指示を出した。
「
「何かな?」
「心話を使える状態にして頂きたいんですの」
ライカの言葉を聞き、レンは、ああ、と頷いた。
「あー、そう言えばフレンドリストが全滅しちゃってたんだっけ。ライカは自分のメッセージID……ええと、特別な名前ってのは分かるのかな」
「勿論ですわ。NGM00000957です」
「なるほど……と、どうだ?」
メッセージIDを登録してメッセージ送ると、ライカは虚空を見つめて固まった。
「……てすと……ほぼ600年ぶりの心話の内容が、その一言だけとは、さすが
「何が流石なのかは聞かないでおくけどさ、それにしても全員の心話のID――連絡先が消えてて驚いたよ。そうそう、転移の巻物も、登録してた街の名前が全部消えててさ、ライカは転移の巻物は使えたりするのか?」
「いえ。元々、転移の巻物を使えるのは英雄に限られてますわ。
「あー……なるほど」
レンの記憶の中では、現在の状況に陥る直前までエルシアにいたことになっているので忘れがちだが、ライカ達の主観時間ではレンが再び姿を現すまで、600年近い時間が経過しているのだ。
期限一年では、すべてクリアされているのはある意味当然のことなのかも知れない、とレンは溜息をついた。
「あれ? だとすると」
レンはポーチから転移の巻物を取り出して広げる。
岩山で試したときは、転移先リストが全て空欄になっていたが。
「お、聖域の村、ミーロの街、サンテールの街がリストに出てる。サンテールは現在位置だからかグレイ表示だけど、これなら使えそうだ……本来、村はリストに出ないはずなのに、聖域は特別扱いか……なるほど……ライカ、ちょっと試したいことがある。パーティ登録申請を送るから、受けてくれ」
「かしこまりました」
メッセージを使った事でフレンドリストに名前が載ったライカに、レンはフレンド登録申請を送った。
送ったぞ、と言う間もなく、受諾された旨のシステムメッセージが表示される。
(システムメッセージはゲームのままか……あれ?)
「ライカ、何してるんだ?」
まるでそこにメインパネルがあり、それを操作するように指先を伸ばして上下させるライカの姿に、レンは首を傾げた。
「いえ、突然、パーティメニューを開きますか、と書かれた半透明の板が出てきましたので」
「ええと、開く、とか、はい、とかを選択してくれ」
「あ、いえその、それはもう行なってまして、
「ああ、クロエも心話が使えたから、メッセージIDを登録したんだ。てことは、やろうと思ったらクロエもパーティメンバーにできるのかな?」
レンがそう言うと、そんなことをすれば大騒ぎになるのでやめてください、とライカは大きな溜息と共に言うのだった。
そんなこんなで数日が過ぎ……る間もなく、翌日にはレイラが戻ってきた。
そしてライカによるチェックが行われる。
「来たわね」
「はい、来ました」
「そちらは?」
「黄昏商会の番頭見習いのマリオです。
「物好きね」
「
「小間使い程度に使えるのかしら?」
「番頭見習いですから、それなりに」
そんな会話だけで通じ合う親子の横で、レンは見慣れぬ男性――黄昏商会番頭見習いのマリオに、何が出来るのかと尋ねていた。
「情報収集と、その分析を得意としています。黄昏商会では主に農作物の状況から、数ヶ月後の買い付け額の予想を行なっていました」
「……なるほど、それはつまらなかっただろうね」
毎年、各地の農地の情報を集め、そこから豊作、凶作を予想して、買い付けに必要な金額を算出する。
現状、人類が生き延びるために最重要とも言える情報分析をつまらないと評するレンに、マリオは頷いた。
「その通りです。元情報が主観で誤差が大きいため、その誤差を埋めるのが仕事の大半で、仕事量が多い割に、あまり面白みはありませんでした」
気温や降水量の定点観測もろくに行なわれていないのだ。現地の老人の経験と勘頼みで集めた情報――今年は去年よりも少し雨が少なくて、暖かいようだなど、を分析したところで、得られる結果の精度などはたかが知れている。
それでもマリオのまとめた情報は比較的精度が高いことから、25歳という若さで番頭見習いに抜擢されたのだが、それは、自分はもっとやれるのに、という不満を蓄積することに繋がっていた。
だからこそ、レンの言葉に頷いたのだが、そこでマリオは首を傾げた。
(それを理解できると言うことは、この方はどうやって予想をしているのかをご存知と言うことか?)
そしてその疑問は、すぐに解消された。
「まあ、その辺りは、向こう50年くらい、各地で気温と湿度、降水量、天候に風向きなんかの推移を毎日同じ方法で計測し続けて、その数字と実際の天候の変化、作物の収穫高なんかを記録しまくらないと精度を上げるのは難しいだろうね」
「ええ……はい、その通りです。50年……は、ヒト種には厳しいですが、客観的な情報を集められるなら、予測の難易度は格段に低下します」
現代日本では、詳細な情報をリアルタイムに拾えるレーダーなどもあるが、電子化される前は、日本各地に陽当たり、風通しなどの設置条件を定めた定点観測所があり、そこで毎日休みなく、決まった時刻に気温、湿度、気圧、風向き、風力などを記録していた。
現在の日本の天気予報は、そうした過去の蓄積があるから成り立っているのだ。
このあたりは小学校で習うレベルの、レンにとっては常識だった。校庭に百葉箱があり、授業で中を見たこともあるレンにしてみれば、それほど大したことを言っているという意識はない。
だが、マリオにとっては、それは未知の知識だった。
温度と降水量、日照時間が作物の生育に重要である、ということは理解していたが、マリオにはそれらを毎日記録するという発想はなかった。
もしもそれが可能であり、推移を見ることができれば。そして、そこに、過去の天候と出来高の変化の記録があれば、今までとは桁外れの精度で予測が出来るようになるに違いない、とマリオが考えてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
「でも、そういう知識が無駄になるのも勿体ないな……マリオ自身は、何かやってみたいこととかあるのか?」
「ライカ様の手足として、情報の収集と分析を、と考えていましたが」
「が?」
「レン様の仰られた、観測方法にも興味が湧いてきました」
レンの横でマリオの言葉を聞いていたライカは楽しげに笑った。
「
「まあ、出来た方が色々便利かな……人間の生活は太陽と天気に支配されているからね。だから、天気を知ることは、生活を守ることに直結するんだ」
素材採取ひとつとっても、採取後に水に触れさせてはならないものもある。
それに、運悪く大雨で増水した川に馬車ごと流された例も身近に知っているだけに、レンは慎重に言葉を選んだ。
「支配されているという考え方はありませんでした。勉強になります」
「
「マリオです、
いやちょっと待て、とレンが止める間もなく、ライカとレイラはレンの素晴らしさをマリオに聞かせ始める。
レンがいなくなってから生まれたレイラが、なぜかレンのやったことについてやたら詳しいのは何故だろうかと考えていたレンは、目の前の、レイラの母親の仕業か、と断定した。
何しろ、目の前でマリオにレンの素晴らしさを語り続けているのだから現行犯である。
「そして
「なるほど。ライカ様ほどの方が心酔されているのだから、素晴らしい人なのだろうと思っていましたが、さすが、黄昏商会を作り上げた伝説の会頭ですね」
「……あー、レイラ。盛り上がっているところ悪いが、王都での進捗を確認させてくれ」
レンにそう声を掛けられ、次の瞬間、レイラはものすごい勢いで頭を下げた。
「申し訳ありません!
「いや、まあ、それは……話していた内容以外は問題ないんだけどね……ああ、怒ってないから頭はあげて」
「いえ!
「あー……レイラ、謝罪と俺への報告、優先順位が高いのはどっち?」
「度重なる失態、申し訳ありません! では報告させて頂きます」
レイラは、
そして当面は、サンテールの街に流れ着いたエルフが学校を作るため、レイラがそれに協力する、という体裁で物事が進むように手配したと報告した。
「選定した者の内、管理者はそれ自身の実務能力は低くとも、様々な部署につなぎが取れる者達です。必要ならルシウス殿に即日面会が可能ですので、国内で何か問題があっても、対処は可能かと。また、実働部隊は実務能力の高さで選んでいます」
「まあ、問題はない方がいいけど、問題が発生する可能性を考慮しないのは愚者の行いだからね。よい判断だよ」
「ありがとうございます。それで、暁商会ですが、王都に事務所と倉庫を用意しました。立ち上げ要員として、黄昏商会から何人か引っ張りまして、何事もなく設立完了です。あ、会頭は
暁商会を設立し、学校設立のための予算を貰い、暁商会経由で色々買い付けを指示した上で、王都にある錬金術の素材の半数を買い占めてきた、とレイラは報告をした。
「ああ、立ち上げ時は素材が不足するから、それは助かるな。それにしても半分か。後で恨まれるかも知れないぞ?」
「いえ、買ってきた稀少な素材の大半は処理済みのものですから、頑張って処理すれば、在庫はすぐに回復します」
「ああ、その辺りはさすが、王宮で仕事をしていただけのことはあるな」
「恐縮です」
レンとレイラのやりとりを楽しげに見ていたライカは、ならば、と隠し球を出すことにした。
「
「ほう?」
「道を作る際に魔物に襲われて撃退しまして。魔石と、各種素材、後は、美味しいと評判のイエロースパイダーの前肢ですわ。夕食、楽しみにしていてくださいませ」
「蜘蛛の脚かぁ」
蜘蛛とカニ、似ているという者もいるが、分類上は赤の他人である。
生物を分類に当て嵌めると、蜘蛛とカニは、界・門・綱・目・科・属・種の門までは同じ節足動物門だが、門レベルで言えば、人間は脊索動物門で、同じ門には魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類が含まれ、何ならホヤも含まれていたりする。だからと言って、人間とホヤは似ているかと聞かれて頷く者は多くはないだろう。
だが、蜘蛛とカニは見た目だけはそれなりに似ている部分もある上、エビ目の中にはクモガニ科という分類があるためか、安直に似ている、という者は後を絶たない。
また、タランチュラを食べた者の多くがカニに似ている、と評していることも、似ているという者がいる理由の一つかも知れない。
だが、そんなことはレンには関係なかった。
(どう取り繕ったところで蜘蛛は蜘蛛じゃん……え、俺も食べるの? ……ライカの手料理じゃ、食べないとは言えないし、せめて被害を最小限に……)
と、無駄に思考を巡らせるレンであった。
夕食は、森の中の道の開通と、村の建物の建築に携わった者への慰労会、という名目で行なわれることになった。
慰労会と、今後、学生の護衛やら何やらで依頼をすることになるのだから、今後もよろしくと伝えるための場としてやっておくべきだ、というレンの言葉には嘘偽りはなく、ライカもそれならば、と頷いた。
もっとも、嘘偽りがないということが、必ずしも真実の全てであるとは限らないということは、商売人をやっていたライカ達には自明のことである。
「仕入れ値は50リリトですが、運送やらの諸経費と私の儲けを含めて150リリトで販売します」
正直を謳う商人でも、そんなところまでは言わないものだ。
商人に求められる正直さとは、商品の品質については嘘をつかない、偽物は扱わないということである。
なお、ライカには一切の悪意はない。
レンが好きだと言っていた
加えてエルフという種族は、人間種族の中でも特に虫をよく食べる種族であるため、蜘蛛が嫌いなエルフがいるとは思っていない、という事もあった。
エルフは森の中に住んでいるが、畑作のために森を切り開くことはあまりしない。
その食生活は、日本で言うと縄文時代に近い。
つまり、木の実と木の芽、草、キノコなどを加熱して食べるわけだが、これらに加えて森の中で手に入りやすいのが昆虫なのだ。
もちろん獣が増えればそれを狩って食べもするが、飼育しているわけでもないのだから、間引いてよいレベルまで獣が増えるには一年は掛かる。
それに対して、虫は食べても食べても減らない。多少は減るのかも知れないが、数日後には森の違う場所から次から次へとやってくる。
季節ごとに捕れる虫が変化したりするが、年間を通して虫がほとんど捕れなくなる季節は真冬くらいのものである。
いや、真冬であってもエルフの手に掛かれば、越冬している昆虫や幼虫、蛹を見付けることは難しくはない。
虫の多くは、料理をすれば食べられなくもない、という程度の味だが、カミキリ虫の幼虫や、手足が太いタランチュラ系の蜘蛛などは、エルフから見たらご馳走である。
そして蜘蛛の魔物の脚も、ご馳走の一つとして数えられており、食糧が不足するようになってからは、ヒトもそれを食べるようになってきていた。
だから。
ドン!
と茹でた蜘蛛の脚を載せた大皿がテープルに乗った途端、騎士達、冒険者達は歓声をあげた。
蜘蛛は素揚げがよいと冒険者が言えば、脚だけなら茹でたのも美味いと騎士が返す。
(みんな平気な顔して食ってるなぁ)
蜘蛛の魔物の脚は茹でても赤くならない。
カニやエビが赤くなるのは、餌の藻やプランクトンに含まれるアスタキサンチンという物質(リコピンやベータカロチンの仲間)がタンパク質と結合していたのが、加熱によって分解され、本来の赤い色に変色するからだが、残念ながら地上で生活する蜘蛛の獲物の中にはアスタキサンチンは含まれていない。
だから、黄色い蜘蛛の魔物は、茹でられても黄色いままだ。
だが、調理の前段階で蜘蛛の脚の表面に生えている細かい毛は焼かれてなくなっているし、色が黄色いことから、レンの知っている蜘蛛っぽさはあまりない。
冒険者達は、殻ごと食べている。
カニと違い、蜘蛛の表皮に甲殻がないため、それができてしまうのだ。
(匂いは、まあ、カニだと思えばそれっぽくないこともないか?)
レンは、恐る恐る手を伸ばし、できるだけ小さい脚を取り皿に載せる。
茹でたてでまだ熱いが、弾力のある蜘蛛の脚の熱は、妙に生々しく感じられる。
引き締まった筋肉よりも更に固いが、指で押すと弾力がある。
レンはナイフとフォークで脚の表皮に切れ目を入れ、一口サイズに切り取る。
(あ、中身は白くてちょっとカニっぽい?)
皮の部分を丁寧に剥がし、レンは覚悟を決めてその肉を口に運ぶ。
「あ、カニよりもエビっぽいか?」
と、レンがナイフとフォークを使うのを見ていた騎士達が騒ぎ出す。
「あーあ、レン殿。蜘蛛の脚は皮ごといかないと」
「そうですよ、皮の部分がエビっぽい風味があって美味いんですから」
「なるほど……いや、これはこれで、雑味がなくていいけど……うん。これはポン酢が合うかな」
レンはポーチから醤油と酢の瓶を取り出し、ついでにレモン《シトロン》を取り出す。
そして、小皿にレモンを絞り、醤油と酢を適量混ぜる。料理人の技能が働き、適量は正に適量となる。
そこに、白い蜘蛛の脚の肉を浸し、うっすらとオレンジ色に染めてから口に運ぶ。
「ん。これは美味しい……美味しいけど蜘蛛の脚……いや、カニだ、これは陸棲のカニなんだ」
「レン殿、自分もそれ試したいです」
「ああ、ならもう少し作るか」
レンはその場でポン酢を小瓶にふたつ分作ると、希望者に渡す。
それを見ていたライカは、
「素材の味で勝負と思ったのですが、失敗しましたわ」
と、ほぞを噛むのであった。
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