第57話 襲来
王都に戻ったレイラは、幾つかの事務手続きを終えると、ディオの墓前にレンが戻ってきたことを報告した。
お墓と言っても、ひとりひとりに墓石を建てるような面積の余裕はないため、まとめて埋葬され、共同の墓誌に名前が刻まれているだけである。
墓を作る余裕があるなら、そこに麦を植えるというのが、現在の王国の在り方を現していた。
「
もしも自分が望まぬリタイアをした立場であれば、おそらくそれこそが何よりの手向けとなるだろう、と、レイラはレンが自分からディオの近況を尋ねてきたことや、ディオからの伝言を聞いてどのように反応したのかをゆっくりと語り出す。
「……お墓の場所を確認されてましたから、この件が片付いたら、きっと来ると思います」
レイラはそう言うと、墓誌に書かれた『黄昏商会錬金術師、ディオ』の名を撫で、墓前から立ち去るのだった。
レイラは王宮で長年培ってきたコネをすべて動員し、レンが望むだろう事柄に対応できる人員をかき集めた。
レンの話は子供の頃からライカに散々聞かされていた。
お伽噺の中で、クマと相撲を取って投げ飛ばしたと言うのとは訳が違う。幾つかは作り話も混じっていたが、ライカが話して聞かせたことは、大半は当時の英雄なら本当に実行可能な事柄だった。
全部は無理だとしても、弓を使った事ならライカに再現可能なものもあり、レイラは、母の教えには一定の真実が含まれているのだと理解して育った。
そして、母が敬愛する
黄昏商会を大きくするに当たって、レンがどのような人材を重用していたのか。どういうやり方が好みだったのか。そのあたりの知識もしっかりと伝授されていた。
戦いに於いては個としての能力に優れている者を重用したレンだが、それ以外では当人の能力よりも折衝能力や顔の広さを優先する傾向があった。
『初級の体力回復ポーションが銀貨60枚で売れるのはなぜかを考えよ』
ライカによれば、レンはそんな言葉を残しているという。
初級ポーションの素材を集める人員に支払う費用、錬金術師が生活し、以降もポーション販売を継続するための費用、それらから、銀貨60枚が採算割れしない金額である、と答えたレイラはライカに殴られた。
「私の娘が、
そう言って、可愛らしく首を傾げる母を見て、なるほど、この母を使いこなしていたのだから、そんな単純な意味ではないのだろう、と反省するレイラに、ライカは答えを教えてくれた。
「
だから、商会の看板を裏切るような商売をしてはならない。看板に恥じぬ品質のポーションを売らねばならない。
もし商売以外の道を進む場合でも、他者に信用される人間にならねばならない。
その教えの集大成が顔の広さであった。『顔が広い』を言い換えれば、あちこちにコネがある、となる。
日本では、親の七光り同様、コネ採用や縁故主義など、悪い意味で使われることも多いが、世襲制が当たり前のこの世界では、コネは立派な財産なのだ。
そこには様々な関係――縁故関係や師弟関係、金銭関係もあるだろうが、その根底には信用・信頼が存在する。
あの家の子供ならこの仕事を任せても問題ないだろう、きちんと支払いをしてくれるだろう、何かあってもきちんと責任を取ってくれるだろうという信用。
他者との関係性を大切にして、そうした信頼を勝ち取ってきたという実績がコネの正体である。
だから、レイラが選んだのは、実務能力がそれなりであっても、各官庁に顔が利き、必要ならばダヴィードは無理でもルシウスには即日面会が叶うようなメンバーだった。
加えて、こちらはまだ雇用契約には至ってはいないが、数少ない心話の使い手に渡りを付けられる目途も立った。
そして、その数日後、王都の市場から、錬金術の素材の半分が消えた。
誰かが買い集めている、という情報が流れるよりも早く。つまりは需要と供給のバランスが崩れて価格が高騰する前に、一気に買い占めは行なわれた。
その翌日、1台の馬車が王都を後にした。
一見すると頑丈で重そうな2頭立ての馬車は、2頭立てとは思えないほどの速度で街道を走っていた。しかも、馬はかなり余力を残した様子で、鞭を入れればまだ加速も可能だろう。
速度が速い分、ギシギシと軋んではいるが、弾力性のある樹脂で作ったタイヤと、鎖やロープで座席部分をフレームから吊り下げた懸架式にしていることで、客席部分への振動は驚くほど少ない。
そんな客席にふたりの人間がいた。
ひとりはレイラ・ラピス、エルフ。王国の
もうひとりは、家名なしのマリオ。種族はヒト、男性、25歳。黄昏商会の番頭見習いのひとりで、金銭よりも情報の扱いに長けている。その忠誠はかつて黄昏商会の番頭であったライカに向いており、今回のレンの登場により、ライカがサンテールの街にやってくると判断して、現地で諸々を管理するための人材として勝手にくっついてきている。
「音だけ聞いていると今にも壊れそうですね」
「昔、
かなりの高速を維持できるかわりに、積載量が大幅に削られた、客席があまり揺れない馬車の主な購買層は英雄たちだった。
行商人なら荷を載せるし、貴人なら護衛を付ける。そういう層には、あまり人気が出なかったのだ。
しかし、多少の荒れ地なら、樹脂のタイヤで魔物をぶっちぎって走破可能な馬車は、乗馬技能を持たない英雄が未踏地に向かう際の足としてそれなりに人気があった。
「レイラ様、半数の買い占めは成功しましたが、お話を聞く限り、レン様は、そういう行為はお嫌いなのではないかと思うのですが」
「本当に民が困るような買い占めは行なっていない。未処理の薬草は大半を残してきたし、買い占めたと言っても市場にある内の半数程度まで。ここまでならおそらく許容範囲だ」
馬車に据え付けられた、黄昏商会にとっては記念碑的なアイテムボックスには、買い集めた素材が入っていた。
本気で育成を行なう場合、調合するのもそれを飲み干すのも、死ぬ覚悟が必要になるような分量のポーションが必要になる。
それを調合するのもまた修行の一環となるが、素材を集めながらではあまりにも効率が悪い。
それに何よりも。
『暁商会は人類の曙を目指すって事で、レイラ、頑張れ』
レンはレイラにそう言ったのだ。なればこそ、全力を尽くさないという選択肢は、レイラにはなかった。いや、ないこともないのだが、その選択肢の先には、ライカの拳骨が待っている。
だからレイラは王都に考えられる最高の体制を整えたし、黄昏商会がまだ店舗を持たず、行商を行なっていた頃に使っていたアイテムボックスまで持ち出して、レンの元に素材を届けようとしているのだ。
「それに、そろそろ来るはずだから、必死にならないと」
「そうですね。きっとそろそろサンテールの街に到着されている頃かと」
レイラたちがそんな話をしている頃。
サンテールの街にひとりのエルフが降り立った。
比喩表現ではなく。
馬車や馬から、というわけでもなく。
サンテールの領主の館の玄関前に、ふわりとひとりのエルフが降り立ったのだ。
風でスカートの裾が捲れないように着込んでいた厚手のローブを脱ぎ、風で乱れた金色の髪を整え、アトマイザーで
数十秒で落ち着いた雰囲気の男性が迎えに出る。
「お待たせして申し訳ございません。わたくし、サンテール家執事のアウスティンと申します。ところで、門を通らずにいらしたようですが、次回からは門からお願いします」
「そうね。そうするわ。それで、
「まず、あなたのお名前を教えて下りませんか?」
「あら、これは失礼。我が名はライカ・ラピス。これでも黄昏商会の番頭ですの」
ライカはそう言って艶然と微笑む。
その表情が突然花が開いたかのように輝いた。
ライカの気配――正確にはその精霊魔法に気付いたレンが玄関に現れたのだ。
「
「……ライカは……前からそんなだったか? あと、番頭ではなく、元・番頭だと聞いたんだが、俺の記憶違いか?」
レンの記憶にあるライカは、イメージとしては人も通わぬ森の奥の滝のような、ただ、そこにあるだけで周囲の空気すら清洌にするようなエルフだった。
その経歴と名前と見た目以外はレンの設定によるものではなく、ゲームの乱数の神様の手によるものだったが、孤児であったライカとディオを保護して、教育と仕事を与えたレンに対して、常に感謝を忘れない、という性格がベースにあるライカは、素材採集では常にレンの盾として、剣として、戦い続けていた。
ちなみにディオには初期状態では戦う才能は欠片もなかったので、錬金術師として育て、決め台詞――俺は人間をやめるぞ、などを登録したが、戦闘特化のライカにはそうした遊びはほとんどない。
「ああ、私としたことが、すっかり失念しておりました。
「暁商会のことも聞いてるのか。耳が早いな。情報収集能力、そんなに高かったか?」
「
それは、プレイヤーにアイテムを売り込む時のレンの定番の売り文句だった。
柔らかい体を守るために防具を使い、牙と爪のかわりに剣を振るう。
寒ければ服を着て、暑ければ水を被る。
怪我をすれば、ポーションで癒やし、野生の獣に劣る五感で森の中で生き延びるために結界棒を使う。
そうやって、人間は世界にはびこっている。
それこそが人間の強さの根源である。
自分の弱さと向き合って、しっかり対策した者が勝者となるのだ。分かったらとにかくポーション買ってけ。と。
「……プレイヤー相手の売り込みの言葉まで覚えてるのか」
呆れたようにレンが呟くと、ライカは楽しげに微笑んだ。
「私とディオは、
「……なんでまた、ライカは俺にそこまで感謝をし続けるんだ? 結婚して娘もいるのだから、もっと普通の幸せを追求しても良いだろうに」
「
「そうだっけ?」
確かにライカとディオは孤児の出身という設定のNPCで、ことあるごとに拾って貰ったことへの感謝を口にしていた。
だが、そこまで致命的な状況から救った覚えのないレンは、腕組みをして首を傾げた。
そんなレンに、サンテール家執事のアウスティンが恐る恐る声を掛ける。
「あの、レン様。宜しければ、応接室か客室にご案内いたしましょうか?」
「あー、ええと、ライカ、この街に拠点はあるのか?」
「必要なら作りますが、
ふむ。と腕組みをしたままレンは天井を見上げた。
ライカの実力は、素材採集の際にレンの護衛が可能な程度には鍛えていた。
あれから500年以上が過ぎているのなら、恐らくライカは当時よりも強くなっているだろう。と考えたのだ。
「ライカ、あれからどの程度強くなった? ひとりでレッドの魔物の群れを殲滅は可能か?」
「お望みでしたら。ただし、わたしひとりでは、見苦しい戦いをお見せすることになると思いますが」
ライカの得意とするのは弓である。
レンの知るライカは、単体のレッドの魔物が相手なら、一撃とはいかなくても倒せるだけの実力があった。
しかし、遠距離から狙い撃つ弓では、乱戦になれば思うように戦えなくなる。
見苦しくても、それが可能と言うことは、それだけライカの腕があがっているのだろう、とレンは判断した。
「新しい職業や技能は、何か覚えた? レイラが人形使いを使えるのには驚いたけど」
「精霊魔法の風を使いこなせるようになりましたの。人形使い同様、英雄の時代の情報を集めている内に、面白い使い方を発見したんですのよ。加えて、接近戦の職業を幾つかですわ」
ライカはエルフである。
よって、生まれながらに精霊魔法は身に付けている。
しかし、覚えているのと使いこなせるのは別の話で、ライカはエルフとしては致命的なほど魔力が少なく、ゲーム時代のライカは魔法を使わずに戦うことを得意としていた。
「以前は魔法系列は全部苦手だって言ってたけど克服したのか……精霊闘術は、魔力とスタミナを使うから、普通の魔術よりもライカ向きだったろ? ……まあ、その辺の話は後で聞かせて貰おう。強くなっているのなら、これから俺の仕事を手伝って貰えるか?」
「勿論です。そこはむしろ、手伝え、と仰って下さいな」
「……なんか、昔のライカとちょっと性格が違ってるな……それじゃアウスティンさん、ライカを空いている客室に案内してもらっても?」
「畏まりました。それでは……ラピス夫人、こちらへどうぞ」
そして、15分ほど待ってからレンはライカの部屋を訪ねた。
旅、と言って良いのか分からないが、恐らくは遠くの地からここまでやってきたのだ。
身支度を調える時間程度は待とう、という配慮だったのだが、ライカはその時間を使い、通された客室のテーブルに何冊かの本を並べ、サンテール家から借りたメイドにお茶の用意をさせて待ち構えていた。
「ライカ。その、不在を守ってくれたこと、感謝する。不在となったのは俺の本意ではなかったが、君とディオを残して消えてしまったことについて謝罪する」
「
「そう言って貰えると助かる……それで、ライカは神託のことはどの程度聞いているんだ?」
レイラから連絡をしたのであれば、ある程度、現状を把握しているのだろう、というレンに、ライカは、
「レイラが知る全てですわ」
と答えた。
レイラからの連絡は各街の冒険者ギルドに伝わり、王都のギルドに詳細を記した手紙が預けられていたという。
「ん? つまり、ライカは王都から来たのか? なら、レイラも一緒じゃないのか?」
「レイラは別の仕事をしていましたので、邪魔にならないように声は掛けずに来たんですの。あの娘もいい大人なのですから、いつまでも
「……親子仲が悪いって訳じゃないんだよな?」
「当然ですわ。私、孤児の出ですから、家族のありがたみはよく存じておりますもの……それはそれとして、私は
ライカの問いに、レンは頷いた。
「ああ。世界を救う仕事を手伝って欲しい。端的に言えば、学校を作るので、当面、生徒が育つまでは生徒の護衛を。生徒が育って以降は、学校の管理を任せたい」
「学校……神殿が平民に読み書きを教えているあれのようなものですわよね。レイラの話だと、そこで英雄の時代の後に失われた、職業を育てる方法を教えるとか。その管理、ですの?」
「ああ、順調に学校が始まったら、当面は俺が全体責任者……会頭みたいな立場で、ライカは現場で番頭みたいな立場で俺の指揮に従って貰いたい」
「まあ! また
黄昏商会で番頭という名の、レンの思い付きを丸投げされては実現する、実務担当者だったライカは、とても嬉しそうにそう言うのだった。
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