第46話 貴族のルール
クロエの錬金術の勉強を見たあと、レンはアレッタに呼ばれて応接室を訪ねていた。
呼ばれたのは、レンとクロエにエド、それとシルヴィだった。クロエの護衛としてエミリアもいるが、クロエの後ろに控えている。また、いつもはアレッタのそばに控えているシルヴィは、なぜかレンの斜め後ろの辺りに立っている。
「レン様は昨日、厨房にクロエ様をお連れしたと聞きました。一応、皆から状況を聞いてはいますが、レン様からも経緯を聞かせて下さいませんか?」
「炭酸水を採取しに行き、その場で簡単な飲み物を作ったら、アレッタさん達に飲ませたいとエドさんに言われまして。あと、レシピを教えて欲しいとフランチェスカさんにも頼まれて、だから厨房に行ったんだけど」
何か問題でも? とレンが尋ねると、アレッタは大きな溜息をついた。
「そう言えば、いつも割と常識的なので忘れがちでしたが、レン様はエルフで、ヒトの階級制度や常識には疎いんでしたわね……エドワードは……まあ、元から騎士達は厨房に出入りして、狩ってきた獲物を料理するという話は聞いていましたから、厨房に貴族が立ち入る影響を過小評価したのかもしれませんけれど……問題は単純ですわ。今回、厨房の使用人のアリアが、神託の巫女様が厨房に現れたことで神経をすり減らし、昨夜から熱を出して寝ているのですわ」
「……なんと。それは儂の失態じゃな。後でアリアには見舞いでも届けさせるとしよう」
「偉いヒトが急に来たから緊張して倒れたってことで良いのかな?」
レンの問いに、アレッタは微妙な表情をする。
「偉い人……まあ、簡単に言えばそうですわね。レン様とクロエ様がお好きな場所に行くのは構わないのですが、抜き打ち検査でもない限り、いきなりはいけません。人の命に関わるような事態ならまた別ですが、普通は必ず先触れを出すようにしてください。もしも相手が貴族なら、先触れなしで訪問されたら侮辱されたと取られかねませんわ。それに今回のように相手が平民でも、相応の準備をするための時間を与えるものです。仮にクロエ様の前で不手際があれば……まあクロエ様は気にされなさそうですが、平民からしたら神託の巫女様はそこらの貴族よりも遙かに尊い存在ですのよ? 処分されるかも、と恐れるのは普通のことですわ」
普段のクロエなら、護衛や神殿の者がその辺りの手配りをする。
実際、クロエがサンテールの街まで来るにあたり、先触れの者が途中の街や村にクロエがやってくることを伝えているし、その辺りは貴族、平民のいずれとも付き合いのある神殿では当然のことなのだ。
だが、今回はそれがなかった。理由は単純で、クロエがレンに張り付くことで、護衛達が予想もしていないような行動をクロエが取るようになったためである。
アレッタは当初、この件を無視しようと思っていた。
だが、今朝方クロエがレンの部屋に、シルヴィの手引きで忍びこんだという話を聞き、釘を刺しておく必要を感じたのだ。
特に今は、王都に使者を出し、その返事待ちの途中という微妙な時期である。
事は神託絡みである。即時対応という結論が出た場合、最速で四日後にはサンテール家よりも家格が上の貴族――場合によっては王族がやってくる可能性もあると考えると、そこで無用の軋轢が発生する可能性は排除しておくべきだと判断したのだ。
「ええと……ヒトの常識に反する行動については、今後、できるだけ気を付けると約束する……でも、やらかした時はごめん」
「ええ。注意して頂ければそれで十分ですわ。普段から注意していたのに習慣の違いから気付かずに、ということなら、相手の譲歩を得られやすいですから」
「あと、アリアさんに謝りたいけど……俺から謝るのはこの場合どうなのかな?」
「それはわたくしから伝えますわ。アリアはレン様をクロエ様と親しい立場の者と考えております。そんな上位者からの謝罪はアリアにとっては心休まるものではありませんわ。レン様達が、アリアの行動を褒めていた、程度に伝えておくことにしますので、アリアの件はお任せ下さい……それと、クロエ様もご配慮いただけると助かりますわ……その、何か問題があったとき、非難の矛先は神託の巫女であるクロエ様ではなく、レン様となる可能性がありますので」
アレッタの言葉を聞いたクロエは、エミリアに視線を向ける。
「本当?」
「……一緒にいらっしゃることが多いですから、そうなる可能性は高いですね……よく知らない人が見たら、レン殿がクロエ様を連れ回しているように見えなくもないですから。そしてその場合、クロエ様を守るためにと、善意からレン殿を糾弾、処断しようとする者もいるでしょう」
「……分かった。努力する」
「諫言、お聞き入れ下さり感謝しますわ」
アレッタがクロエに頭を下げると、クロエは小さく頷いた。
「さて。次はシルヴィですわ」
「はい、何でしょうか」
レンの斜め後ろに控えていたシルヴィに、アレッタは
「何が悪かったか理解していますわね?」
と、前置きなしに尋ねた。
それに対し、シルヴィは申し訳なさそうな顔をする。
「まず、第一に、クロエ様がお師匠様の部屋に入りたいと言ったとき、それを止めるべきでした」
「そうね……次は?」
「はい。急な事で動転して間違った対応をしただけではなく、以降もその方針を継続し、部屋に入ろうとしたクロエ様の護衛を止めようとしたことです」
そこまで聞き、ようやくレンは話の内容を理解した。
「あれって、クロエさんが錬金術の本を読みたくて、ついでに俺のそばにいたら不明点が聞けるからって侵入したんだよな? そんな大したことじゃ」
レンはクロエが自分に好意を向けているが、それは異性に対するそれではなく、親しい友人に対するものだと理解している。
しかもこの世界に来て以来、性欲がまったく仕事をしていない。
だから、それがそれほどの大事であるとは考えてはいなかったのだが、アレッタの判断は違った。
「それは事情を知っている者から見た話ですわ。そうですわね、貴族の屋敷に宿泊した客人の部屋に、その客人が就寝中に許可なく異性が忍び込んだ。それを手引きしたのは、屋敷の使用人である。と言う話を聞いたら、レン様はどうお思いになりますか?」
「あー、うん。事情を知らないでそれを聞いたら、結構危険だね……なるほど」
「もしも悪意があれば、伝える情報を少し弄るだけで、レン様を貶めることも可能ですわ。例えば、そう……他の者が入れないように使用人に頼み、護衛を引き離した神託の巫女様と長い時間、寝所でふたりきりになっていた。その間、レン様はなんとベッドの上にいたそうです。などでしょうか。主語を曖昧にして、少しだけ主観を付け加えただけで、嘘はついておりませんわ。更に悪質な噂にもできますけれど、つまりはそのような行動はレン殿の隙となるのです」
アレッタの言葉を吟味したレンは、確かに嘘は言っていないと苦笑した。
他の者が入れないように【クロエが】使用人に頼み、【自分で】護衛を引き離した神託の巫女様と【レンが起きるまでの】長い時間、寝所でふたりきりになっていた。その間、レン様はなんと【ひとりで】ベッドの上に【寝て】いたそうです。
という言葉の、ほんの一部を伝えていないだけだ。
「アレッタさん、そこまで悪質な伝え方なんて……いや、やる人は平気でやるか。貴族も大変だね」
レンがそう答えると、アレッタは首を横に振った。
「貴族は信用が大事ですので、貴族がそんな風に他の貴族を貶めることは滅多なことでは起きませんわ。そんなことをすれば、自分の信用も失いますもの。できるとしたら平民の間に噂を広める程度ですが、それでは単なる噂に過ぎませんし、貴族相手には痛痒を感じさせることもありませんわ。ですが……」
「ああ、なるほど。俺はエルフだから、貴族からしたら言った者勝ちになるのか」
貴族がエルフの悪い噂を流しても、普通ならエルフ本人の耳にそれが届く可能性は低い。つまり、反論の機会がないということである。
そして、仮にエルフの耳に届いたとしても、エルフに出来るのは、それを伝えてきたヒトに訂正情報を伝えることだけであり、広まった噂を否定することは出来ないし、その噂を耳にした他の貴族に届くように訂正する方法はほとんどない。
つまり、貴族が何を言っても、それは貴族自身の信用を損なわないのだ。普通ならば。
「でも、レンは世界の危機を救う存在。レンへの無礼があれば神殿が排除する」
「……クロエさん、俺のためというのはありがたいけど穏便にね? 排除の前に話し合いな?」
「レンがそう言うのならそうする」
「……でもそうか。アレッタさんが急にそんな話をしたのは、もうすぐ王都から返事が来るからか……その、色々教えてくれてありがとう」
「別にレン様のためだけではありませんわ。レン様に噛みついて貴族が減れば、現状、ギリギリで回っているヒトの世界が崩壊するかも知れませんもの……ではシルヴィへの罰はレン様が決めて下さいませ」
「俺が? ……なら、シルヴィは、レシピを教えるし素材も渡すから、初級魔力回復ポーションと初級スタミナポーションのレシピが違うバージョンを、それぞれ20本作成すること」
「はい、お師匠様」
「レン様、それでは罰になりませんわ」
素直に頷くシルヴィだったが、アレッタが異議を申し立てる。
「結構面倒な作業だけど?」
「師匠からレシピを伝授されるというのは、料理人なら
「あー、なるほど。新しいレシピ伝授となると、そういう側面もあるのか……でも、ほら、今後、色々な訓練に必須のポーションだから、俺以外も作れるようにしておきたいんだよね」
「ならば、わたくしにも伝授してくださいませ。その上で、シルヴィはポーション作成を行なうということで」
「でもお嬢様、私がポーションを作れば、それだけ私のポーション作成関連技能が上がってしまいます」
お嬢様も一緒に作った方がよろしいのでは? とシルヴィに問われ、アレッタは難しい顔をする。
「わたくしも出来るなら技能を育てたいですわ。でも早ければあと4、5日で王都から返事が来ますの。わたくしはそれに備える必要があるから、それほど時間を取れないのよ」
「なら、シルヴィがポーションを作り、アレッタさんは後日、それを使って訓練にしようか。この先、訓練用のポーションを作れる人材は必須だからね」
「レン、私も頑張る」
「クロエさんは……まあ、まずは錬金術師の勉強してみようか。ああそうだ。シルヴィは土魔法の練習もしよう。今後必要になるんだけど、使い手が少ないと聞いて困っていたんだ」
レンの言葉を聞きアレッタは大きな溜息をつく。
主の考えを察したシルヴィは、慌てて首を横に振る。
「お師匠様。普通ならお金を払って教えを請うところを教えて貰えるのでは、罰にならないです」
「あー、普通ならね。シルヴィには三日で土魔法を中級まで育て上げて貰うつもりだから、多分、タチアナって騎士の訓練よりもキツいと思うよ?」
「レン様、魔術師の職業レベルを中級にするには、とにかく魔法を使わなければなりませんわ。普通、三日では不可能だと思うのですが」
「アレッタさんも同じだけど、シルヴィの場合、錬金術師を中級に育てる訓練でポーション作りまくってるから、そこで、魔力感知とか、そっち系の技能はかなり育ってるんだ」
ポーションの作成にあたって錬金魔法を用いたことで、魔術師の基本技能の幾つかは育っているのだ、とレンは説明をする。
それでもアレッタは少し心配そうな顔をしている。
「アレッタさん、とりあえず、俺の計算では一日10時間頑張れば、なんとかなる筈だから」
「……ヒトはそれだけの時間、集中することはできませんわよ?」
「あー……でも、日の出から日の入りまで働くヒトもいるよね?」
「例えば農夫は日の出前から畑仕事をして、日が沈んでも屋内で手仕事をするなどと言われていますけれど、その間、ずっと働き続けるわけではありませんわよ? 騎士の行軍は長時間になることもありますけれど、それにしても、戦える程度の力は常に残してのことですわ」
この世界の労働者は1日に12時間以上を仕事で拘束されるのは珍しいことではない。
しかし、仕事の大半は肉体労働であり、肉体労働という疲れが目に見える作業を効率よく行なうため、作業時間に対して4分の1程度(昼食などの他、小一時間働いたら一服)は休憩を取るのは普通のことだった。タチアナが行なっている訓練について報告を受けていたアレッタは、あれは少々過酷すぎるのではないかと考えていたのだ。
「まあほら、それでこそ罰にもなるんじゃないかな」
「レン様、普段は優しすぎるほどなのに、訓練や修行となると厳しいですわね」
「そこで手を抜いたら、相手が育たないだけだからね」
結局、シルヴィは三日で土魔法でストーンブロックを作れるようになった。
シルヴィは連日、大量のポーションを使い、タチアナの隣で小石を量産し、ある程度の所からはブロックと呼んでも支障のないサイズの岩が出てくるようになり、練兵場に転がるそれを騎士達が片付けて回っていた。
「お師匠様……土魔法の使い手を育てる目的は何なのでしょうか?」
シルヴィは、自らが身に付けた新しい力に、首を傾げていた。
ストーンブロックは、作成するブロックのサイズを小さめにして、魔力を投射に振り分ければ、ヒトの頭ほどの岩を遠くに飛ばすことが可能で、その威力は普通の投石とは比べものにならない、が、同じ魔力を使うのであれば、火や風の魔法にはもっと効率の良い攻撃魔法が幾つもある。
有り体に言って、土魔法は、錬成以外はそれほど使いやすいようには思えなかったのだ。
「ストーンブロックは、鍛冶師を中級にあげるときに使えるんだよ」
「え? 私、次は鍛冶師を覚えるんですか?」
「やりたきゃ教えるけど、そうじゃなくて、鍛冶師を育てるときに魔力を含んだ岩でレンガを作り、それを材料にして炉を作る必要があるんだけど、そんな石材は滅多に転がってないからね。ストーンブロックを使うんだよ」
「錬成で作ったレンガじゃダメなんですか?」
「ああ、土魔法の錬成で作ったレンガは形こそ錬成で変化してるけど、素材となっているのは土や石だからね。それに対してストーンブロックは魔力で作り出されているから、まったく別物なんだ。だから例えば、他人がストーンブロックで出した石は錬成で変形させようとしてもちょっと面倒だったりするんだ。錬金魔法の錬成でなら簡単に変形させられるけどね」
はあ、とよく分からないなりに考えて頷くシルヴィにレンは苦笑した。
「とにかくシルヴィにはストーンブロックで沢山岩を出して貰いたいんだ」
「……頑張りますけど。そういう目的なら、最初からレンガのサイズで作った方が良くないですか?」
「あー、レンガサイズのブロックは魔力効率が悪いんだよ。大きいのひとつ出して、それを錬金魔法の錬成で切り分けた方が必要になる魔力は少なくなるはずだよ?」
「なるほど……研究、確立された手法なんですね」
そんなことを話しながら、クロエと共にシルヴィとタチアナの訓練の様子を見ていたレンは、屋敷の方が騒がしくなっていることに気付いた。
怒号や剣戟の音ではなく、単に大勢がバタバタ走り回っているような雰囲気である。
そして、その走り回るような物音が練兵場にも近付いてきた。
「フランチェスカさん。誰か走ってきてるから、念のため警戒して。タチアナさんは騎士として非戦闘員を守って。あ、俺は除いて良いから。クロエは念のため、これを被って」
レンはポーチから都市迷彩のローブを取り出すと、クロエに向かって放る。
防御力は大したことはないが、認識阻害の魔法により、これを身に付けた者が身動きせずにいると、遠目では発見されにくくなる。装備した者が気配を殺すことになれていれば、その効果は更に高くなる。
「わかった」
迷彩の模様を不思議そうに眺めたクロエは、それを白いローブの上から被ってフードで顔を隠す。
サイズ調整のエンチャントがないため、かなりダボダボではあるが、裾を踏むほどではない。だが、フランチェスカは細紐を取り出すと、念のためとローブのウエストのあたりを軽く縛って調整をする。
その直後、練兵場にエミリアが駆け込んできた。
「フランチェスカ! クロエ様はどこ?」
「何があった。落ち着け」
「王都から先触れがありました。早ければ明日には王都から使者がやってくるそうです。神殿に行き、クロエ様のご準備をしなければ」
「準備は不要」
クロエはフードを下ろして顔を見せた。
突然現れたように見えるクロエに、エミリアは目を見開く。
「神事で使う衣類は馬車に積んであるはず。屋敷で身を清められるし、後は食事だけ気を付ければ問題ないはず?」
クロエは首を傾げ、自信なさげにそう言った。
それを聞き、エミリアは少し落ち着きを取り戻し、小さな溜息をついた。
「エミリア。詳報を知りたい。明日、どなたが参られるのかは分かったのか?」
フランチェスカは、周囲を見回し、無言で右手の指を2本立てた。
「こんなに素早く、反応した上にそれとは……それだけ重く受け止められていると言うことか」
「タチアナさん、今のハンドサインの意味って分かりますか?」
「……予想は付きますけど、軽々に口にすべき情報ではありません。黙秘します」
「なるほど」
つまりは黙秘しなければならない情報なのだな、と理解するレンに、口外法度です、とタチアナは人差し指を唇の前に立てて見せるのだった。
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