第44話 泡の泉

「それで、泡の泉っていうのは、天然の炭酸水の泉ってことでいいのかな?」

「炭酸水と言うよりも、炭酸のお湯と言った方が正確かもですが、泡の出る温泉です。昔は温泉を売りにした村があったそうですが、観光地よりも畑の方が大事だからってことで、早い内に村は放棄されました」

「放棄された村なのに道案内はできるんだ?」

「騎士が塀の外で訓練するときに使うんです。結界杭はなくても、騎士達が木で補強した柵があって、水もお湯も使えますから……まあ、お湯って言ってもあそこの温泉はぬるま湯ですけど」


 レンたちはサンテールの街の西の門から外に出ると、エドを含む4人の騎士が四方を守り、その真ん中にレンとニコロが並び、その後ろに、クロエ、フランチェスカが縦一列に並ぶ陣形で、森の中のそこそこ切り拓かれた道を、西に向かって歩いていた。

 そしてレンは、これから向かう現地の様子について、できるだけ声を潜めてニコロに尋ねていた。

 と、不意にレンが立ち止まる。


「炭酸のぬるま湯か……まあ、熱湯じゃない方がありがたいが……あれ? エドさん、右の方に何かいます。大きめで、数は多分3。距離は20メートルくらいかな? 急に出てきたから、巣穴でもあるのかも」

「大きい生き物じゃと? 全員停止。ニコロ、偵察じゃ」

「了解です」


 エドに命じられ、ニコロが静かに森の中に消えていく。

 レンの気配察知には反応はあるものの、かなり鍛えられた隠形だった。


 息を殺して30秒ほども待っていると、ニコロが草木を揺らし、わざと小さな音を立てて戻ってきた。


「子連れのグリーンベアでした。親が一頭で子供が二頭」

「……ふむ。レン殿、安全に倒せますかの?」

「弓で攻撃してこっちに近寄ってくるようなら、結界棒で作った安全地帯の中から倒せるので安全だと思いますけど。血なまぐさいことになりますよ?」


 レンは言外に、クロエの前で巨大な魔物三頭が血まみれになっても良いのか、とエドに尋ねた。


「ふむ……フランチェスカ殿。クロエ様の前でグリーンベア三頭を倒してもよいじゃろうか? かなり血が流れるが」

「問題ありません。聖地は結界杭の外にありますので、聖地を訪ねるときは、私たちが近寄る魔物を倒しています。クロエ様は血を見て取り乱したりはしません」

「……なら、レン殿。お願いできるかの? ここで放置して、後で後背から襲われるのは避けたいのじゃ」

「分かりました。それじゃ結界棒を起動して下さい」


 レンは弓を取り出し、気配察知の反応からグリーンベアの居場所を探ると、立て続けに3本の矢を放った。


「あれ? ちょっと動きが予想外だな?」


 レンは再び弓を構え、続けざまに6本の矢を放ち、不思議そうに首を傾げた。


(ゲームだと魔物の集団がいたら、適当に3回攻撃するだけで集団全体が反撃しに来たけど、今回は射られた魔物しか反応しなかった……やっぱり魔物の動きはゲームとは異なってるな……反撃を誘発するための攻撃回数も機会があったら調べておこう)


 ゲーム内でプレイヤーのアバターに気付いていない魔物の集団に敵と認識されるには、魔物たちの視界外から任意の魔物に対し、『弱い攻撃』なら、3回の攻撃が必要とされていた。

 逆説的に、魔物から見えない位置から狙撃スナイプするのであれば、弱い攻撃2発までなら魔物の反撃を受けないという意味でもあり、初弾と次弾で集団のボスに状態異常攻撃を仕掛ける、というのは、強敵相手の場合のお約束だった。

 ゲームでは遠距離から2発当ててみて、敵が状態異常にならなかったら時間を空けてリトライすればいつかは状態異常が掛かるため、初心者が狩りをする際のお役立ち情報Tipsとして、ネットなどでも紹介されていた。


 レンがそんなことを考えていると


「レン殿! 来おったぞ!」


 エドが声を上げる。

 次いで、目の前の木々がへし折れ、大きなグリーンベア一頭と、少し小さいのが二頭、姿を現した。

 いきなり攻撃を仕掛けてくることはなかったが、後ろ足だけで立ち上がって威嚇をしている。


「……ええと。エドさん、食糧が不足気味ってことは、街でも肉はあった方がいいんですよね?」

「それはそうじゃが、無理をする必要はまったくないぞ?」

「俺も無理をする気はありませんよ。ただ、可食部分が多くなるように倒そうかと」

「これだけでかいなら、普通に倒しても十分なのじゃが……まあレン殿にお任せするわい」

「それじゃ……久し振りだから、ちゃんとやるか」


 レンはそう言って弓矢を片付けると、細剣レイピアを抜き、その刃に指を滑らせてほんの少しだけ血を流す。

 そして、左手人差し指の血で、レイピアの剣の腹を撫で、血の跡を付ける。


「ええと……汝、つばさべし風の王よ、我が古き名のもとに交わせし盟約により、その力をここに」


 レンの周りに魔力が渦を巻き、それが空気を動かし、それほど強くはないが風の流れが生まれる。

 つむじ風の中に立ったレンが、レイピアをグリーンベアたちに向かってかざす。


「風なる刃もて、の者たちに致命の一撃となさんことを、不可視の刃インビジブルブレイド!」


 レンがレイピアを振り抜くと、レンの周りに集まっていた魔力がグリーンベアたちに殺到し、次の瞬間、グリーンベアたちの頭が転がり、己の死を認識していない心臓の鼓動が、その血を高く吹き上げた。

 吹き上がる血飛沫は、まだ魔物の一部と認識されているようで、結界に阻害され、レン達に降りかかることはない。

 しばし、沈黙が辺りを覆った。


「……とりあえず倒しました。俺のポーチは時間経過がほとんどないので、これにしまっておきます。帰ったら解体お願いします」

「あ、ああ。レン殿、今のは一体どういう技なのじゃろうか? レイピアにあのような技があるとは知らなんだ」

「レイピアの剣技じゃないです。エルフだけが使える精霊闘術っていう技能で、俺の場合、血を触媒にして風と火の精霊を呼び出せるんです」


 開発陣営に、エルフといえば精霊魔法と弓というイメージがあったのか、『碧の迷宮』のエルフの多くは産まれながらに精霊の加護を得ており、血を触媒として精霊魔法を行使することができた。

 普通の魔法と異なる点は、触媒として血が必要であることに加え、魔力だけではなくスタミナも消費するということと、短縮詠唱ができないということである。

 レンが今使った不可視の刃の場合、風の魔法と比べると精度と威力は3割ほど高いが、敵の前でノンビリ詠唱できる状況でなければ使えず、スタミナを消費する分、魔法より消費コストが大きいというデメリットがあるため、普通の魔術とどちらが良いのかは賛否両論があった。


「若い頃、エルフの精霊魔法を見た事があるが、精霊闘術というのは初めて聞いたぞ? それにしてもグリーンベアとは言え、3頭の首を一撃で落とすとは、驚いたわい」

「精霊魔法を習熟すると精霊闘術を覚えられるようになります。でも、魔力だけじゃなくスタミナも消費しますし、呪文を短縮できないので使える局面は少ないですね」

「ふむ。レン殿なら、使える局面を自分で作り出せそうじゃがの」

「作れないとは言いませんけど、状況次第ですね。無理に精霊闘術を使おうとするより、元から最適解があるのならそっちを使いますし」


 さっきはグリーンベアを綺麗に倒すのに最も適した方法がたまたま不可視の刃だったから使ったまでだ、と答えるレンに、エドは目を細めた。


「つまり、先程の技はあれでまだ最強の技ではないということかの。まあ分かっておったが、レン殿の底は、まだまだ見えないようじゃな」




 レンがグリーンベアの死体をポーチにしまうと、一行は結界棒を抜き、再び陣形を整え、警戒しつつ先に進んだ。

 たまにレンが素材を見付けて採取したり、クロエが虫を見付けてフラフラ付いて行きかけたりと時間のかかることをしていた割に、小一時間ほどで森の中に開けた場所が見えてくる。


 丸太を切り出し、頑丈さだけを目指して作ったような柵と、その向こうには雑草に覆われた灰色がかった地面と蔦だらけになった建物が見て取れる。

 建物は形こそ残しているが、あちこちに穴が開き、ドアや鎧戸がなくなったものも多い。

 建物にぽかりと空いた黒い穴はひたすらに虚ろで、明るいうちはともかく、夜間はあまり近寄りたくない雰囲気を醸し出している。


「あれが村の跡地ですか。かなり荒れてますね」

「訓練の際に使うことがあるので、柵だけはたまに補修しとるが、建物までは手が回らんでの」

「レン、そばにいる」


 クロエはレンの革鎧の裾の部分をちょんと摘まむ。

 荒れ果てた村の様子に少し怯えているようで、鳥の鳴き声にもピクリピクリと反応している。


「気配察知だと小動物くらいしかいないけど、何かあったら動けないから離そうね」


 レンはそう言うと、クロエの指をそっと剥がし、膨れるクロエの手をフランチェスカに渡す。


「さて。ニコロさん。泡の泉ってのはどこですか?」

「ああ。こっちです」


 ニコロは村の中心に向けて歩を進める。

 村の中央から少し北に向かった山の麓に、かつて温泉だったと思われる建造物の残骸があった。

 所詮は村の温泉である。塀で囲い、脱衣所にだけ屋根があるというシンプルな構造だったのだろうが、温泉という水気の多い場所のせいか、塀を支える柱が腐り、塀は倒れて温泉に沈み、脱衣所の屋根は落ちている。


「温泉に塀とか沈んで、水が汚れてるな……これ、飲める炭酸水はあるのか?」

「源泉はこっちです……よっと」


 ニコロは温泉のそばに立てかけられた板を横にどかす。

 そこには、人の身長ほどの岩があり、岩の亀裂から少し泡が出る水が流れ出していた。


「これなら大丈夫かな?」


 レンは湧き出る水に触れてみる。

 温度はレンの体温よりも少し暖かい程度だった。

 ポーション用の小瓶を取り出したレンは、それに水を汲み、慎重に一口だけ口に含んでみた。


「……まあ、飲み過ぎなきゃ大丈夫かな?」

「レン、私も飲みたい」

「あー、美味しくないから一口だけな。これを材料に、今から美味いの作ってやるから」


 クロエはレンから受け取ったポーションの瓶に口を付け、こくりと一口だけ口に含む。

 舌を刺す刺激に、クロエは少し涙目になりながら、口に含んだ炭酸水を飲み込む。


「……美味しくない」

「そりゃ、まだ料理していないからな。ええと……クロエは好きな果物とかあるか?」

ペッシェ? あとリンゴポム

「なるほど、そのあたりなら、あまり考えなくても良いか」


 レンは周囲で警戒している騎士達の人数を確認する。そして、ポーチから赤い実を幾つか取り出し、おろし金で摺り下ろし始めた。

 見た目と香りは桃とリンゴである。


「ええと……騎士の中に氷魔法を使える人は?」

「……ここにおるのは、せいぜい水魔法で飲み水を出せる程度じゃ。氷魔法となるとタチアナだけじゃな」

「なるほど……そしたら……アイスブロック!」


 レンは温泉の片隅に大きな氷の塊を出現させ、ポーチからエストックという、鎖帷子を刺し貫くための武器を取り出した。

 その形状は、ひたすら細くて尖った鉄の棒に柄を付けたようなもので、チェインメイルの鎖に先端を刺し、そのまま貫き通すのが本来の用途である。


「エストックにしちゃ、随分短いですね?」


 本来のエストックは、刃渡りが90センチ前後のものが多いが、レンが取り出したものは。刃渡りが50センチに満たなかった。

 それを見て、ニコロが首を傾げる。

 それを見て、クロエも一緒に首を傾げていた。


「ああ、これはドワーフ用なんだ。で、ニコロさんには、それを使って氷を細かく砕いて貰いたいんだけど」

「小さくって、どの程度に?」


 レンは拳を見せる。


「取りあえずこれくらいの大きさで、最後は削って欲しいんだけど」

「削るったって、エストックじゃ無理があるんじゃ……」

「ああ、削るのはカンナがあるから、これでよろしく」


 レンは氷の加工をニコロに任せると、残りの果物を摺り下ろし、綺麗な布に包んで小さい壺に絞り出す。


「炭酸は微炭酸程度だったけど……クロエさんはさっきの炭酸、口の中大丈夫だったか?」

「ちょっと痛かった……作ってるのも痛い?」

「あー、氷でガスは抜けるけど、少し強めに混ぜることにするか」


 レンは壺の果汁を大きめの木のカップに注ぎ、そこにかき氷状になった氷を入れ、最後に温い炭酸水を注ぐ。

 軽く味見をして、問題なさそうだと判断すると、残りの果汁もコップに移し、少し炭酸がきつめになるように調整する。

 加えてレモンの絞り汁を小さいコップに用意し、クロエを呼んだ。


「クロエさん、完成したよ。ちょっと舐めてみて、問題なさそうならそのまま。炭酸で口の中が痛くなるようなら果汁を足して良くかき混ぜよう。で、甘すぎるようならこっちにレモンシトロンを搾ったのがあるから、小さじ一杯分くらい足してみて……で、フランチェスカさんにも同じ物を。エドさん、騎士の皆さんにも作ったので飲んで貰って下さい」

「ほう……氷菓子かの?」

「いえ、氷と炭酸を使った冷たい飲み物です」

「どれ……儂からいただくとしよう」


 エドは冷たい飲み物を一口飲み、小さく頷いた。


「冷たい飲み物という時点でとても貴重だが、これは更に甘味としても優秀じゃな……シトロンを入れても良いのかの?」

「入れすぎると酸っぱくなりすぎるので、一匙程度だけにしてくださいね」

「一匙……と、ほう、これはさっぱりしていて良いのう。街に帰ったらコンラード様やアレッタお嬢様にも飲ませて差し上げることは出来ないじゃろうか?」

「果物はまだ手持ちがありますし、氷は自分で出せますから、炭酸水だけ十分に確保しておけば作れますね。それでは皆さんも順番に……の前にクロエさんがおかわりか?」


 クロエは空のコップを掲げて興奮気味だった。


「レン、レン! これ美味しい。すごく冷たくて甘くて!」

「うん。それだけ喜んで貰えたなら作った甲斐があったよ」

「……レン殿。後ほどこのレシピを……あと、これ、材料にオレンジオランジュを使ったらもっと美味しいような気がするのですが」

「ああうん。多分それも美味しいし、フレーズも風味があってよいと思う。氷があれば、炭酸がなくてもそこそこ美味しいだろうし、街に戻ったらレシピを教えるから」


 だから落ち着け、とレンが言うが、気付けば護衛任務の騎士まで浮かれていた。

 食料の供給が限られているこの世界では、まず甘味と言うだけでハイテンションになるだけのポテンシャルを秘めていた。

 更にそれが冷たく冷やされて提供されたのだ。

 氷魔法を使える者がほとんどおらず、いても非常時に備えて魔力を節約せねばならない環境において、冷たい飲み物はそれだけでご馳走なのだ。


 レンはため息を吐くと、周囲の気配に気を配りつつ、小さめの樽に炭酸水を詰めるのだった。

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