第43話 氷
レンの言葉を聞き、タチアナは不思議そうな表情で首を傾げる。
「……でも、どうして土魔法を使える者を?」
必要なのはイエローリザードの足止めができる者ではないのか、というタチアナの疑問にレンは頷いた。
「あー、うん。錬金術師中級を目指すだけならその通りなんだけど、鍛冶師も育てる必要もあるからね。その際、あると育成が楽になるのがストーンブロックなんだ」
「鍛冶師、ですか?」
鍛冶師が中級になったら何が出来るのかなど、気にしたこともないタチアナは怪訝な顔をする。
そこでクロエがずいと一歩前に出た。
「結界棒も結界杭も
「……なるほど。神託の巫女様はお詳しいんですね」
タチアナが感心したようにそう言うとクロエは胸を張った。
「レンに聞いた」
「……な、なるほど。つまり、ミスリルがなければ結界棒を作れない。そうなれば、安全を確保しての狩りは困難になるわけですね……待って下さい。ミスリルを使える鍛冶師なんて出てきたら大変な騒ぎになりますよ」
「大変な騒ぎ?」
「ええ、現在、
それを聞き、レンはミーロの街で聞いた話を思い出し、首を傾げた。
「なあ、埋め立てって、どこを埋め立ててるんだ?」
結界杭の外は魔物が徘徊しており、とても安全とは言いがたいこの世界では、湖を埋め立てたとしても結界杭がなければ、そこに出来上がるのは魔物が徘徊する平地でしかない。
だからと言って、結界杭の中は長い期間人が暮らしてきているのだから、ある程度は完成した環境であるはずで、埋め立てをするような場所はないはずだ。と思い至ったのだ。
「迷宮」
クロエがぽつりとそう答えた。
「迷宮を埋める? え? 何のために?」
「フランチェスカ、説明を」
「はい。迷宮は時折、この大地のあちこちに誕生します。迷宮を放置すると、魔物があふれ出てくることがありますので定期的に魔物を間引くか、迷宮の
「……迷宮を消すって、
レンの問いにフランチェスカはその視線をクロエに走らせる。
そして、クロエが頷くのを確認して言葉を続けた。
「危険な方法ではあるが放置するよりは良い、と数代前の巫女が神託を受けている」
「そうだろうね。中の魔力が凄いことになりそうだけど……て、そういうことならタチアナさん。大至急で、埋め立てに使った魔法金属の鉱石を掘り返したりしないように、コンラードさんに伝えて欲しい」
「わ、分かりました」
タチアナは魔力ポーションの瓶を木箱に戻すと、駆け足で練兵場を後にした。
「レン殿、なぜ掘り返してはならないと?」
「うん。迷宮は放置すれば魔物があふれるけど、それだけ迷宮の内部には魔素や魔力があふれているんだ。で、魔物は魔力を受けて強化されたり進化したりする。だから、封じられた迷宮内の魔物は、元々の魔物よりも強力になっている可能性が高い。幸い、埋め立てに色々な魔法金属の鉱石を使っていたから、封じられていたけど、魔法金属を抜き取れば、魔物を抑えきれなくなる可能性も出てくるんだ」
「魔法金属の鉱石は魔物を封じられると?」
「絶対的なものじゃないし、普通ならそこまでの効果は期待できないけど、ミスリルと他の魔法金属の鉱石が混ざった状態なら、割と期待できるかな」
アダマンタイトもオリハルコンも、魔力を通さない状態ではただの金属である。
だがそこに、魔力伝導効率の良いミスリルが混ざれば、ミスリル以外の金属の強度が上昇する可能性がある、とレンは予想していた。
「あ……フランチェスカ。マリーから連絡が来た。支えてて」
「? ……はい」
椅子がないため、フランチェスカがクロエの両肩をしっかりと押さえ、それを確認したクロエは目を閉じた。
心話は10秒ほどで終わった。
「……レン、マリーから返事があった。魔石に魔力を補充する方法について、聞き覚えがあったから調べて貰った」
「いや、そんな方法があったら、ここまで人間減ってないだろ?」
黄色の魔石が作り出せるのなら、まだ結界杭の維持は出来ていただろうし、そうであれば急激に人口が減少することもなかったはずだ。
レンがそう言うと、クロエは頷いた。
「黄色の魔石は無理……でも緑の魔石なら作れるって。そのための道具が宝物庫にあった」
「補充するための道具か?」
「そう。空になった石を置いて。魔術師達が魔力を注ぎ込むことで補充できる。でもそれだけの魔力を使うなら、緑の魔物なら狩れる。だから、使えないけど面白い道具だとして宝物庫に収蔵されたらしい」
収蔵する基準が面白いってのはどうなんだろうとレンが言うと、クロエは真面目な顔をして、
「神々は面白いことや楽しいことを、ことのほか喜ばれる」
と答えた。
クロエとレンがそんな話をしている横で、戻ってきたタチアナはひたすら氷の魔法を放っていた。
同時展開して、アイスブロックをふたつ同時に出せばイエローリザードの足止め程度はできるが、タチアナとしては、それは逃げたようで納得がいかなかったのだ。
そして、そんなタチアナが放った氷のそばに数人の騎士達が集まっていた。
「タチアナー! この氷貰っても良いか?」
「好きにしろ!」
タチアナの返事を聞き、騎士達が壁際に並んだ氷に群がる。
最初からそうするつもりだったのだろう、騎士達は用意していた麦わらで編んだ
「タチアナさん、なんでみんなは氷を砕いて小さくして持っていかないんだろう?」
「砕いた氷は溶けるのが早くなるからだと思いますけど」
「しかし氷か……まだそんなに暑くないけど、何に使うのかな?」
「氷でエールを冷やして飲むか、氷を砕いて食べるつもりだと思いますよ。真冬以外で氷は貴重品ですから」
その言葉を聞きつけ、クロエが目を輝かせる。
「レン。冷やしたエール飲んでみたい」
「あー、クロエさんはお酒は飲んでも?」
レンがフランチェスカに尋ねると、フランチェスカは首を横に振った。
「基本的に神託の巫女はお酒を嗜みません。神事の際に神託を得やすくなるという薬草酒を口にしますが、その際も酔うほどは飲みません。そして、そのお酒の効果を高めるため、神事以外では飲んではならないとされているのです」
「なら、冷えたエールはお預けだな……そうだな、アルコールが含まれない、別のものを用意するよ」
あからさまにしょぼくれたクロエを見て、レンは思わずそう言った。
「楽しみ」
「フランチェスカさんはお酒は飲みますか?」
「嗜む程度に……お酒は貴重品ですから、中々手に入りませんし」
「なんで……って、そりゃそうか」
酒は、基本的に穀物や果物、蜂蜜、砂糖などを発酵させて作る。
そのうち、穀物は、食用の穀物を作る畑で、酒用の穀物を作る必要があるし、それ以外も貴重な食料である。
おいしい酒を造ろうとすれば、その分、食用の穀物や果物の収穫量が減少する。
結界杭に覆われた安全な田畑が少なくなりつつある現状で、酒というのはそれまでよりも遙かに貴重な嗜好品となる。
そのことに思い至ったレンは、酒が貴重品であるというフランチェスカの言葉に納得した。
「それでレン殿は、お酒のかわりに何をつくるのでしょうか?」
「甘い炭酸水かな。時期的には松葉で作っても良いけど、あれはそんなに美味しい物じゃないから……ええと、タチアナさん、ちょっと教えて貰いたいことがあるんですが」
レンの知るお手軽な炭酸水の作成方法のひとつが、松の若葉を集め、その根元の茶色い部分を切り取り、軽く洗った緑の部分をガラスの瓶に詰め込み、そこに砂糖水を加えて日当たりの良い場所に二日ほど放置するというものだが、炭酸の量は微炭酸というのも憚られるほどに少なく、正直あまり美味しくない。ちなみにこの発酵は、お酒を造るのと同じプロセスなので、発酵を止めなければ松葉の風味のお酒になる。
ただ、美味しくないと分かっている物を作るのはレンとしても面白くなかった。
だから、
「はい、なんでしょう?」
「この辺りの森に、天然炭酸水が湧く場所とかないでしょうか?」
レンは別の素材に期待してみることにした。
レンの質問にタチアナは少し考えて、氷のお代わりに来たニコロを呼びつけた。
「ニコロ、レン殿を泡の泉にご案内して。あの辺りは緑の領域だから、護衛はあなただけで十分でしょ?」
「……まあレン殿なら俺より強いから、どっちが護衛だよって感じだけど……エドワード様の許可は?」
「神託の巫女様のための素材採取だと言えば、ダメとは言わないでしょうけど、さっきから倉庫のあたりウロチョロしてるから、私から伝えておくわ」
「……了解。それじゃレン殿、案内を……って、まさか神託の巫女様も付いてくるつもりですか?」
歩き出したニコロに続くレン。その後ろに更に続くクロエを見て、ニコロは目を剥いた。
「緑の領域なら、フランチェスカも十分に戦えるし、私にはレンから貰った服がある」
「……いや、さすがに神託の巫女様を森の中に連れてく訳には……ねえ?」
ニコロは
「黄色の領域ならこの命にかえてもお止めするが、緑の領域なら森の中を通って聖地まで歩くのと変わらない。それにレン殿がいるのだから問題はない」
「あー、一応言っておくと、昆虫系の魔物は発見できないことがあるからね?」
フランチェスカの謎の高評価に、レンは慌ててそう言った。
「虫の魔物程度なら、私とそちらの騎士殿がいれば、対応出来ると思います」
そんな話をしつつ、レン達は練兵場を後にする。
ちなみに、タチアナにその話を聞いたエドは、とりあえず視界内にいた騎士3人を連れてレン達の後を追うのだった。
『神託の巫女様のための素材採取だと言えば、ダメとは言わないでしょうけど』
というタチアナの言葉に間違いはなかったが、神託の巫女を連れて、少ない護衛で森に入るということは許容できなかったようである。
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