第38話 将来設計

 その日、サンテールの街の錬金術師、シスモンドは、コンラードに召喚されて領主の屋敷を訪れていた。

 左手を三角巾で首から吊したシスモンドは、一体、なぜ喚ばれたのだろうかと首を傾げつつ、応接室でお茶を飲んでいた。


 今回はただひたすらに運が悪かった。

 シスモンドは動かない左手を撫で、そう嘆息した。

 ここしばらく、領主であるコンラードの呪いへの対抗として初級解呪ポーションを作り続けてきたが、材料の多くは冒険者や騎士が取ってきたものを使っていた。

 だから、もしも自分が丁寧に採取した薬草で作れば、品質が向上する余地があると考えてしまった。

 そして冒険者を雇って森に入ったシスモンドは、素材採取に気を取られ、木の陰にウサギの魔物が隠れていることに気付かずに近づき、脇の下付近をウサギの角に貫かれたのだ。

 ホーンラビットは即座に冒険者によって倒され、傷も手持ちの初級体力回復ポーションで塞がったが、左手は感覚を失い、動かなくなっていた。


(運が悪かった……刺さった場所も悪かった、脇の下なんて、厄介な部分に刺さらなければ……それにたかが緑のホーンラビット、気付いていれば私でも倒せる相手なのに)


 少し温くなったお茶を飲み、シスモンドは動かない感覚のない左手を撫で、再び大きな溜息をついた。


「待たせたな……ああ、座ったままで良い」


 応接室のドアを開けてコンラードが入ってくると、シスモンドの対面に腰掛ける。

 座ったままで、と言われたものの、シスモンドはソファから立ち上がって胸に手を当てて頭を下げる。


「……お召しにより参上しました。どのようなご用件でしょうか?」

「うむ……話したいことがふたつ……いや、三つあるんだ」


 コンラードはそう言ってテーブルの上に一本のガラスの瓶を置いた。

 シスモンドはその小瓶を見て、目を見開いた。


「まあ、まず、何も言わずにこれを飲め」

「……ガラスの小瓶に、その薬液の色……まさか」

「ああ、流れの錬金術師に作って貰った。うむ、だからこれは実験だ。効果が現れるかを確認したい。人体実験の被験者となってくれ」


 流れの錬金術師や人体実験というコンラードの言葉を、シスモンドはまったく信じていなかった。

 もしもこれを作れる中級の錬金術師が存在したなら、それは王家に請われて仕えるような、それほどの技能の持ち主であり、そんな存在が仕えるべき主も持たずに流れているなどあり得ないことなのだ。

 だからシスモンドは、コンラードが大金を積んで迷宮産の貴重なポーションを手に入れてくれたのだと考えた。


「……私が、これをいただいても宜しいのですか?」

「ああ。今すぐこの場で飲み干して貰いたい」

「っ! ……ありがとうございます」


 シスモンドは涙ぐみながら小瓶に右手を伸ばし、慎重に蓋を開け、震えながらそれを口に運ぶ。

 中級の体力回復ポーションは迷宮から時折産出するが、大抵の場合、とんでもない高値が付く。

 貴族が街の維持に必要な人材のために購入するということが多いが、魔物との戦いに赴く冒険者もそれに高値を付ける。

 そのため、各種中級のポーションの中でも、体力回復ポーションは常に高値が付くのだ。

 どの程度の値になるのかは時と場合によるが、平民の数年分の年収になることも珍しくはない。

 シスモンドは、錬金術師としてその希少性を正しく理解していた。だから、弟子のマルタが育った今、シスモンドがその稀少なポーションを使って貰えるとはまったく予想もしていなかった。


 ポーションを飲み干し、コトリ、と空の瓶をテーブルに置いたシスモンドは、神経が切れたと思われる脇の辺りにくすぐったさを感じた。

 三角巾を外そうとすると左手が三角巾に引っ張られる感触がある。

 そして、気付けば両手を使って三角巾を外し、丸めていた。


「コンラード様。治りました。か、感謝いたします。このご恩、生涯忘れません」


 そのまま頭を下げるシスモンドに、コンラードは困惑の表情で頷いた。


「あ、ああ……ということは、そのポーションは中級の体力回復ポーションで間違いはないのだな?」

「え? あ、はい。瓶も薬液の色も、効果も間違いなく……それにしても、これは大当たりでした。品質が悪いものだと、もっと回復に時間が掛かると聞いております」


 そんな良いものを自分の為に、と言いかけたシスモンドはそのまま固まった。

 コンラードが、テーブルの上にポーションの瓶を並べ始めたのだ。


「あの……コンラード様。見間違いでなければそれらは全て中級の?」

「ああ、これが今飲んで貰ったのと同じ体力回復ポーション、こちらは魔力回復ポーション、スタミナ回復ポーション、解呪ポーション、第三種毒消しポーション、第四種毒消しポーション、炸薬に定着ポーション、鎮静ポーションだ」

「……ええと? 全部買い求められたのですか?」


 これを全部揃えるのに必要な金額はどれほどだろうか、とシスモンドは考え、それはありえないと首を横に振った。仮に支払えだけの金があっても、そもそも市場に流れてくることが少ないのだ、各種取りそろえるのがどれだけ難しいことか、シスモンドは正しく理解していた。


「言ったろ? 流れの錬金術師に作って貰ったと。先程のポーションも含め、すべて目の前で作って貰ったんだ。シスモンド先生には、これらを確認して貰いたくてな。それが話したいことのひとつ目だ」

「……お待ちください。初級なら、一度に16本のポーションを作ります。目の前で作って貰ったと言うことはまさか」

「うむ。全部16本ずつある。ああ、体力回復は一本使って貰ったがな」

「……それは凄まじいとしか言いようがありませんね。ポーションの薬液の色は、錬金術大系に記載のあるものについてはそのとおりですが、効果は試してみないとなんとも」


 恐る恐るテーブルの上のポーションを、今度は両手で包むようにして、間違っても落とさないように持ち上げたシスモンドは、蓋や封印紙も確認する。

 本物であるとは言えないが、少なくともそれらは偽物であるようには見えない、というのがシスモンドの見立てだった。


「錬金術大系に記載のないポーションもあるのか?」

「……ええ、中級の解呪ポーションと鎮静ポーションは、錬金術大系に記載がありません。似たものに、結界杭のレシピがありますが、これらに共通するのは、錬金術師だけでは作れないという……待ってください。解呪ポーションは分かりますがなぜ鎮静ポーションがあるのですか? これは生命魔法が必要となると聞いたことがありますが」


 生命魔法は失われた魔法であるはずだ、とシスモンドは不思議そうな顔をする。

 これが、職業レベルであれば、例えば錬金術師の中級になる者は、ごく稀にだが存在する。

 しかし、なぜ中級になれたのかが分からないため、次世代に中級になる方法を伝えることはできない。だが、それでも中級になる者は稀に発生するのだ。

 それに対し、魔法技能は偶然では覚えられない。正しい方法で学ばねば、身に付かないのだが、生命魔法と時空魔法は、その習得方法が失われていた。


「うむ。説明しようと思っておったが、話が早い。その流れの……レン殿というエルフは、生命魔法も時空魔法も使えるそうだ。そして、錬金術師としては上級」

「……エルフ……英雄の時代の後、迫害の時期に森に隠れ住んだ氏族が伝承していたというところでしょうか」

「……ところでシスモンド先生。話は変わるが、今、この街には神託の巫女様がおいでになっている」

「本当に話が変わりましたね。それで?」


 シスモンドはどんな話になるのかと興味深げに聞き入る。


「うむ。神託でな、そのエルフの錬金術師が世界を救うらしい。あと、私もそのエルフに解呪してもらった」

「解呪出来たのですね。それは何よりです……しかし神託ですか」

「あの呪いは迷宮から出た指輪が原因だったよ。試しにエドワードが呪いに掛かって見せてくれた。それはさておきだ、先生に知恵をお借りしたい。緑の魔石で結界杭が動くようになるとなれば、世はどうなると思う?」

「……緑の? まず、多くの街や村の負担が軽減されますね。そうなれば、食料生産に多くの人手を回せるでしょうな。その上、放棄した街を生き返らせることもできるでしょう」


 現在、人間が減少している理由として、食料生産に必要なコストが高すぎることに原因の一部があった。

 現時点では黄色の魔石がなければ耕作地を維持できない。

 だから、人間達は黄色の魔石を得るために命がけで魔物と戦い、時には戦いで回復不可能な傷を負ったり、命を落とす者もいる。そうした被害こそが、食料生産に必要なコストの一部として計上されているのだ。

 そして、戦える者が減れば結界杭を維持できなくなり、耕作地も失うことに繋がる。


 だが、もしも緑の魔石で結界杭を維持できるのであれば、魔石を得るための危険度はかなり低減する。グリーンホーンラビットであれば、なりたての冒険者でも倒せなくはない。なんなら腕に覚えがあれば、戦う職業を持たない者でも倒せる。

 そうなれば、黄色の魔物相手では戦力に数えられなかった者が、魔石を得られるようになる。

 黄色の魔物と戦える戦力を、街道の安全を守ることに使えるようになれば魔物被害も減少する。

 そして、耕作地が増えれば、今の人口からでも人口増加に転じることは難しくはない。


 人口が増え、生存以外の方向に目を向ける余裕が生まれれば、そこからは一気に増えるようになるだろう。というのがシスモンドの読みだった。


「……なるほど。うん、参考になった」

「ところで、話したいことが三つあるという事でしたが」

「ああ、今の結界杭の話がふたつ目だな。今後、世界が大きく変化する。だから、シスモンド先生には色々と知恵を貸して貰いたいという話だ」

「私の知恵で宜しければ幾らでも。して、三つ目は?」

「ああ、次は凄いぞ……おっと、茶がすっかり冷めているな」


 コンラードはメイドを呼び、新しい茶を持ってこさせた。

 そして、一口茶を飲むと、部屋の中には他に誰もいないのに、周囲を窺うようにして声を潜めた。


「三つ目は、そのレン殿というエルフだが、彼は錬金術師を中級にする方法を知っていて、我々にそれを提供してくれるそうなのだ」

「……中級になる方法が確立されている、という意味で宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだ。そして、明日、アレッタとシルヴィはその為に森に入る」


 シスモンドはそれを聞き、呆気にとられたように口を開いた。


「もちろん、シスモンド先生と、先生の弟子を同行させようと思っておるが……問題ないか?」

「え、ええ。もちろん。しかし、一体何をするのでしょうか?」


 コンラードはレンから聞いていた、中級錬金術師になるための方法をシスモンドに伝える。


「作れるポーション30本ずつですか。まあそれはうちの弟子はクリアしています。錬金術大系も熟読させている……が、イエローリザードのそばで硫黄草の採取ですか?」

「……レン殿が中級の錬金術師であることは間違いない。彼が作ったポーションは見て貰ったとおりだ。そして彼については神託の巫女様が保証している」

「巫女様が認めているのなら、問題はないでしょうね……それにしても結界棒を使って職業レベルを上げるだなんて無茶なこと考えたものですな」


 結界棒は錬金術師中級で作れるようになる魔道具である。

 その素材に聖銀(ミスリル)を使うことから。鍛冶師も中級以上が必要となる。

 つまり、それらの職業の人間を揃えられなければ、迷宮から出物があるのを待つ以外に入手方法はない。

 その効果からそれを欲しがる者は多く、自ずと価格は高騰するし、そもそも市場に出回ることすら稀で、そうそう手に入る物ではないのだ。


「レン殿は結界棒を自分で作れるそうだよ。炉があれば聖銀(ミスリル)も用意できるらしい」

「何でもありですな」

「これは、口外しないで欲しいが、神託の巫女様は、彼を指して、英雄の時代の知識を持つ者と呼んだそうだ」




 そして、アレッタ達が森に向かう日がやってきた。

 前日の内に冒険者に依頼して街道には魔物忌避剤を散布している。森の中までは散布していないし、距離の割りに散布量が少なめなので、効果の程は明らかではないが、何もしないよりはマシであるとレンは考えていた。


「ここですか?」

「ああ、そうじゃ。ここからあちらに500メートルほど進めば沼沢地に出る。レン殿はエルフじゃから、森の中も問題なかろうが、アレッタお嬢様もいるのだ。あまり急がないようにして貰いたい」

「もちろんです」


 メンバーはエドが率いる10人の騎士。

 アレッタ、シルヴィ、シスモンド、マルタの錬金術師。

 それに加えて冒険者4名がいるが、今回冒険者は馬車で待機となる。


 馬車周辺にたっぷりと魔物忌避剤を散布し、冒険者と馬を一カ所にまとめ、その周りに結界棒を刺す。

 結界棒の効果範囲を考えると、馬車まで中に入れることは難しいので、魔物や獣に襲われやすい馬と人間を保護することにしたのだ。


「全員、所持品、武器と防具を確認!」


 エドの号令で騎士達が装備を改める。

 アレッタとシルヴィが作ったポーション類は全員に配布されている。それが手の届く場所にあるか。両手が届く位置にあることが大事なのだ。

 右手を怪我をすれば、左手でポーションを取り出して蓋を開けて飲まなければならない。仲間が助けてくれるかも知れないが、怪我を負う状況となれば、仲間も動けなくなっている可能性もある。

 そして、武器は使用可能な状態にあるか。防具はしっかりと固定されているかもしっかりと確認する。

 こうした基本的な確認を怠らない者は、生き延びる確率が高い。

 いつも使っている武器が、今日たまたま抜けないなんて事はありえない、と油断をしている者は、どれだけ強かろうがどこかで退場していくのだ。


 装備確認はアレッタ達も行なっていた。

 初級錬金術師たちは、基本的に防御力が高めの装備のみを身に付けている。こちらは体の動きや魔法に影響が出ない装備を選択しているため、慣熟訓練は行なっていない。


「それにしても、クロエ様も付いてくるかと思ってましたわ」

「来れば確実に足手まといになるからな。マリーにも何か言われたらしいし、そこまで無茶はしないだろ」


 レン達がそんな話をしていると、レン達の周りを騎士達が囲んで、防御陣形を取る。


「レン殿、それでは、沼沢地に向かいます。敵の接近を感知したら教えてくだされ」

「昆虫系の魔物が気配を殺してる場合、見付けられないかもだから、騎士達の目にも期待していますよ?」


 そんなレンとエドを見て、革のジャケットのようなものを着込んだシスモンドは弟子のマルタの耳元に囁く。


「マルタよ……なんか私たちは場違いじゃないかね?」

「お師匠様、今更です。それより、中級になったら何が出来るのかを考えましょう」

「……つまり現実逃避か」

「……将来設計です」

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