第36話 神の権能
レン達が領主であるコンラードの解呪を行なっていたその同じ頃、クロエ達は領主の長男のイゴール、その叔父のフレデリーコ達と話をしていた。
サンテールの街への神託の巫女の訪問は歓迎すべき行事ではあるが、あまりにも急な話であり、また、同時に行方不明だった長女も帰還したのだから、その対応もあり混乱していた。
「本来であれば、サンテール伯爵である父がご挨拶をするべきところではありますが、病に伏せっておりますため、長男であるイゴール・サンテールが代理でご挨拶をさせて頂くこと、お許し下さい」
「許す。あと、堅苦しいのは不要。要点のみを話して」
「……そ、それでは不躾ながら、我が妹、アレッタとその従者をお連れ頂いたこと、深く感謝いたします。先触れの方は、いつどなたがいらっしゃるか、という情報のみで、肝心の目的については不明と仰っていましたが、神託の巫女様がサンテール領にお運び下さったのはアレッタを帰すためだけだったのでしょうか?」
「神託があった。世界を救う者のなすべきをなさしめよと。世界を救う者はレン。そしてアレッタがレンにサンテール伯爵の解呪を望んだ。だから、私はここに来た」
「父の解呪が可能なのですか? ならば、一刻も早く解呪をお願いしたいのですが」
そう言ってイゴールは丁寧に頭を下げる。クロエはそのイゴールの頭を眺め、ため息を吐いた。
「多分、そろそろ解呪してる。解呪するのはレンだから」
「ありがとうございます!」
「ところで神託の巫女様」
イゴールの横で話を聞いていたフレデリーコは恐る恐る切り出した。
「先程、聞き捨てならぬ言葉がありましたが、どういう意味なのでしょうか? ……その世界を救うとかいう」
「……エミリア。説明」
「はい。ソレイル様からの御神託です。リュンヌ様がこの世界を救うため、レンというエルフをこの世界に喚ばれたとのこと。神殿はその全てを持ってレン殿の要請に応えるように、というお言葉もあったそうです。そしてレン殿は聖地に降り立ち、アレッタ様たちを危機から救い、世界も救いながらこの街までやってきました。今、レン殿が行なっているのは、大きく二つの取り組みで、一つが結界杭を緑の魔石で動くようにするというもの。もう一つが、アレッタ様とシルヴィに対して錬金術を教えることで、今後、レン殿がいなくなっても結界杭の保守が可能となるようにするというもの。それ以上のレン殿の意図は、まだ神殿でも読み切れておりません」
話を聞き、イゴールは首を傾げた。それを見たフレデリーコは、クロエに向き直った。
「質問をお許し頂けますか?」
「許す」
「なぜエルフが喚ばれたのでしょうか? ……いえ、なぜ世界をお救いになると決めた神が、他の者の手にそれを委ねたのでしょうか?」
「……それぞれの神は全知でも全能ではない。すべての神が力をひとつにすれば全知にも全能にもなるが、今の神々はそれぞれの領分の中でのみ権能を振るうことができる」
それはこの世界の神話だった。
始まりに
長い時の中、ソレイルは孤独に飽きて、自らを切り裂いて闇を生み出した。それがリュンヌである。
ソレイルとリュンヌは、言葉を作り、言葉を操る他の小さい神を作り出した。
小さい神の居場所として世界を生み出し、大地と海と空、そして森が生まれた。
そこに小さい神たちが神よりも遙かに脆弱で、しかし言葉を持つ生き物を作りだし、それが人間の始まりとなる。
世界を覆う魔力が淀み、魔物が生まれ、人間との間に争いが生まれると、神は人間に職業と技能という祝福を与えた。
まだこの時、人間は不死であり、神の祝福を受け取るだけの存在だった。
神と人間の蜜月は、しかし、神の死によって終わりを告げる。
人間に祝福という形で権能を分け与えすぎた一部の神が、事故で個を維持できなくなり消滅する。それを悲しんだリュンヌは、神の魂を休ませる場所として冥界を作り、こうして世界に死という概念が生まれた。
与えられた祝福を育てた人間は、死して神にそれを返すという流れが生まれ、神は再び不死となり、人間には死すべき定めが与えられた。
大本の神こそ全知であり、全能であったが、生み出した神々に権能を与えるにつれ、得意分野が生まれ、同時に得意ではない分野も生まれたのだ。
「それにしてもエルフとは……」
「神々の行いに対し、異議を唱えるのは不敬」
「……失礼しました。忘れていただけると幸いです」
フレデリーコの問いと、以降のやりとりを聞き、イゴールは自分がそれを質問していたらもっと直接的に失礼な物言いになっていたかも知れないと内心冷や汗を掻いた。
『碧の迷宮』をクリアしていないからレンはそれを知らなかったが、ゲームシナリオの中で、エルフはとても微妙な立ち位置にあった。
端的に言って悪である。
女神リュンヌを魔王たらしめたのはエルフの暗躍によるものである。それは、英雄の時代の終わりに全ての民が知るところとなった。
しかし、罪はそれを行なった者にのみ課せられるべきであるという神託により、エルフに対して種族としての罪を問わない事が定められたことで、エルフという種族は魔王がリュンヌに戻った後も存続を許された。
だが、エルフが行なったことは語り継がれており、今でもエルフに対して悪感情を持つ者は僅かながら存在する。
だからこそ、なぜ世界を救う者としてエルフが喚ばれたのか、とイゴールは考え、その疑問を推し量ったフレデリーコは、若い次期領主候補が失言をする前に、それが失言であると知らしめるため、自らが失言をしてみせたのだ。
「忘れる。だから協力して欲しい」
クロエがそう言うと、イゴールは頷いた。
「も、もちろん、できる限りご助力いたします」
「ならばまず、王都に結界杭の件を可能な限り早く伝えて欲しい。それと、アレッタたちを中級の錬金術師に育てるための協力。そっちは多分レンがやってるけど、戦力も必要になる。あと近隣の領主に緑の魔石の確保の要請。それと、多分聖域からも連絡されているけど、ここから聖域の間にある街と村に、結界杭の中身を緑の魔石に置き換え、抜いた黄色の魔石は王都へ送って欲しいとも伝えてほしい」
「……手配します。ですが、王都への連絡は私たちよりも神殿経由の方が宜しいのでは?」
サンテール家は伯爵に過ぎず、国家の命令系統の中では低くはないが、高くもない。それならば、神殿経由で神託の巫女様が新しい神託を受けたと伝えた方が動きが速いとフレデリーコは指摘する。
エミリアはそれを聞き頷いた。
「勿論、神殿経由でも伝達します。あなた方には本来すべき報告を行なうことを期待しているのです」
「ああ、私たちの判断結果も含めた情報を送るのですね?」
納得したようにフレデリーコは頷いた。
従来の作法であれば、神殿からは神託の内容と、灰箱に誤情報だと記されなかった、という客観的な情報だけが流れる。
そこに、神殿側ではなく貴族側から見た情報が入れば、国が判断を下すための情報がひとつ増えることになり、動きが早まることもある。
「しかし、ミーロの街で頼んでは来なかったのですか?」
「その時点では、保守した結界杭が緑の魔石で動作するという確証がなかったのです。もちろん、神殿から緑の魔石に置き換えるように指示を出すにあたり、その結果を国に報告するようにと依頼をしている筈ですが」
「なるほど。では、もう少し具体的な情報を頂けませんと。その、エルフのレン殿に何が出来るのかも含めて」
「全てを明らかにはしない。でも必要な情報は伝える」
クロエの言葉に、フレデリーコは恭しく頭を下げた。
コンラードの部屋を辞したアレッタと、そのアレッタによって確保されたシルヴィは、様々な工作などを行なう部屋でポーションを作っていた。
粘土を捏ねて容器を作成し、コルクの蓋を用意し、レンから貰った封印紙を並べたところで、ひたすら錬金魔法の練習を行ない、魔法発動が5割以上の成功率になるまでリトライする。
魔力とスタミナが切れれば、レンから貰ったポーションでそれを回復し、何回も訓練を行ないながらアレッタは目眩のような物を感じていた。
「初級ポーションを作るためにこんなにポーションを使うだなんて、贅沢な話よね」
「そうですね……でも、何となくお師匠様が色々な職業を収め、技能を育てている秘密が分かったような気がします」
シルヴィの言葉に、アレッタは少し考え、手の中の空になったポーションの瓶を見て納得したように頷いた。
「ポーションでスタミナや魔力を回復して、技能の訓練を行なったということね?」
「ええ、実際、今、私たちがやってるわけですし」
「……投資に見合うだけの効果が期待できるか微妙だと思いますけれど……いえ、わたくしたちは錬金術師中級になる方法を忘れ、レン様たちはそれを覚えている、というのが答えですわね」
どの職業であっても、それらを失ってしまうのなら、多少割高になるにしても、伝承していくことには意味がある、とアレッタは納得することにした。
魔法発動が納得できるレベルに達したところで、アレッタ達は薬草の加工を開始した。
笹の葉に似た形の持続草、丸い大きな葉の回復草を作業台に並べ、まず持続草を失敗しながらも乾燥魔法で触れただけで砕ける程の状態にする。
回復草にはナイフで3センチおきに刻み目を付け、作業台の上の金属のバットに乗せておく。
次に乾燥させた持続草を
「……きちんと出来ているのかしら? シルヴィ、どうやったら90度になったか分かるのかしら?」
「基本セットに温度計がありますから、それで調べるのだと思います。ガラスの棒の中に水銀が入ってるヤツですね」
「これですわね? ええと……88度ですから、許容誤差、とかいう範囲には収まってますわね」
アレッタは鍋をコンロに掛けて粉にした薬草を鍋の中に入れ、そのまま温度計で湯をかき混ぜる。
「アレッタお嬢様、温度計でかき混ぜるのは良くないと書いてありましたよ?」
「……こっちのガラスの棒を使うのね。混ざってしまえば同じでしょうに」
等と言いつつもアレッタは温度計を撹拌棒に持ち替え、ゆっくりと鍋の中身をかき混ぜる。
「きっと次は難関ですわ」
アレッタは鍋をかき混ぜながら、錬金魔法の魔力付与でお湯に魔力を恐る恐る浸透させる。
鍋の中身は、ゆっくりと色を変え、黄緑色に染まる。
それを見て、アレッタは首を傾げ、錬金術大系を確認する。
「黄色になるはずですのに……何か間違えたのかしら?」
「お嬢様、粉にする時に粒が大きすぎると緑っぽくなるそうです。一応、黄色みがかっていたら成功ともありますから、失敗ではないと思いますが」
「とりあえず続けてみますわ」
アレッタは鍋を火から下ろし、温度調整の魔法でお湯の温度を25度に調整する。温度計で狙った温度になったことを確認し、アレッタは鍋の中に刻み目を付けた回復草をそっと沈め、ゆっくりかき混ぜる。
すると、回復草の葉の表面がボロボロと崩れ、やがて葉脈だけが残る。
ピンセットで葉脈を取り出し、鍋の中を確認したアレッタは頷いた。
「少し薄目ですけれど、緑色になりましたわ」
「……では、容器に移して蓋と封をするのですね」
「それで一段落ですね……鍋から瓶に詰めるの、ちょっとコツがいるかも知れません」
「……私は魔術師として魔法には慣れているはずなのに、シルヴィの方が手慣れてるのは納得いきませんわ」
「魔力の扱いに関してはお嬢様に敵(かな)いませんけれど、その他の、例えば鍋の扱い、刃物の扱いであれば私もそれなりに慣れていますから。ポーション作成って、どことなくお料理に通じる物があるんですよ」
漏斗を使って陶器の小瓶に鍋の中身を注ぎ、コルクで栓をして封印の紙を貼り、魔法陣に魔力を流す、という作業を淡々と行ないながらシルヴィが答える。
アレッタはそれを見て、覚束ない手付きでポーションを瓶に詰め始める。
「お料理……なるほど。そう言えばレン様、料理人でもありましたわね」
「あと、これって魔法こそ使いますけど、基本的に単純作業ですから、使用人向きなのかも知れません。ただひたすら、錬金術大系の記述の手順を再現するわけですから」
「正確さが求められますのね……変に工夫しようとしない方がいいのかしら?」
「それはそうですね。最初の内はとにかく書かれた通りに再現して、なぜそうするのかが分かってから応用をするべきかと」
なるほど、と頷いたアレッタは、シルヴィの手元と錬金術大系の本を見比べ、初級体力回復ポーションの作成を続けるのだった。
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