第35話 解呪

「エドワード、レン様をお父様に紹介したら、わたくしとシルヴィは薬師の所に参ります」

「ならば儂も護衛として一緒に参りますぞ」

「サンテールの街の中で領主の娘を襲う命知らずもいないでしょう。護衛はシルヴィだけで十分ですわ。それでもエドワードが必要と判断するのなら叔父様に出して貰いますから、エドワードはレン様とクロエ様の護衛を。レン様のポーションが安全なものだとお父様に説明してほしいんですの。それと、レン様が保守すれば、結界杭の維持が緑の魔石で可能となることについても説明を……と、こちらはクロエ様がいるから大丈夫でしょうけれど」

「うむ……それは確かに急ぐべきじゃが、それならなぜアレッタお嬢様は薬師の所へ行くのを優先するのじゃ?」


 エドの問いに、アレッタはそれをそのままレンに振った。


「レン様、わたくしはなぜ畑で薬草を採取するのでしょうか?」

「そう言えば目的は言ってなかったか。この先、ふたりが錬金術師としての技量を上げやすくするためだね。今の状態のままポーションを作りまくって魔物の前で硫黄草を採取しても中級昇格のための条件は整うけど、初級の内に高品質な薬草の採取に成功しておくと後々技能を育てやすくなるんだ」


 それは、技能レベルを上げるための時間がほんの少しだけ短くなるという隠し要素だった。ひとつひとつの効果は無視できるほどに小さいが、この効果は累積する。ゲームと同じなら、今回の作業で1%程度の成長短縮効果があるはずだが、この手の隠し要素を地道にクリアすると、最終的には成長速度が10~15%近く変わってくる。1%程度なら誤差レベルだが、それが1割以上の差となれば割と無視できない。


「ふむ……まあ、錬金術については良いでしょう。しかしなぜ今なんじゃろうか?」

「領主様の解呪が終わったら、空き時間でアレッタさんとシルヴィを中級にするためにイエローリザードの所へ行くつもりです。そしてふたりが俺の知ってる方法で中級になれるのを確認できたら、今後、結界杭の保守ができる人間を増やせるわけです。そうなれば、結界杭の保守計画の前提条件が変わってきます。だから出来れば王家との会議の前に中級になれることを確認しておきたいんです。で、高品質な薬草の採取は初級の内に達成しないと意味がないので、あまり時間に余裕がないんです」

「それならば、王家との会議の中でふたりが中級に達するのかを調べる件についても議題とすれば良かろう。幸いレン殿のおかげで既に5つの村や街の結界杭の保守が行なわれておる。それらの中身を緑の魔石に置き換えれば、黄色の魔石をまだ保守を行なっていない場所に融通できる……幸か不幸か、生き残っている村や街は全部で50程度じゃから、既に1割の保守は終わっておると考えれば、急ぐ必要はなかろうて」

「その……例えばサンテールの街の結界杭の保守をしたら、緑の魔石に置き換えて、中身をまだ保守していない街に送るでしょうか? 心配だから残しておきたいという事にならないでしょうか?」


 何事にも失敗は付きものであり、それに備えるのも責任者の大事な仕事である。緑の魔石に入れ替えた結果、結界杭が十分な効力を発揮しなかった場合の被害を考えれば、万が一の事態には、即座に黄色の魔石と交換できるようにするのは当然だと考えていたレンは、不思議そうにそう尋ねた。

 レンの問いに、エドは目を細め、顎を撫でた。


「そうじゃの。これが、無名の錬金術師からの提案なら、黄色の魔石は残すじゃろう。いや、そもそも保守そのものをさせぬか……じゃが、レン殿は神託の巫女様のお墨付きを得ておるのじゃ。レン殿を無視することはできても、神託を無視するような愚か者はこの世におらぬよ。クロエ様が神託によりレン殿を信じると言えば、それがすべてじゃ」

「……なるほど、神託が信じる根拠になるということですか。分かりました、エドさんの判断を信じます。では、アレッタさんとシルヴィは領主様と会って俺の紹介をしたら、ポーション作成を優先して下さい。多少失敗しても、渡して置いたもので材料は足りるはずです。屋内にいて貰えれば必要になったら来て貰えるでしょうから」

「ああ、作れる物を全種類、ひとり30ずつでしたわね……分かりましたわ」

「40までは作っても良いですけど、それ以上は材料を残しておいて下さいね。この先で必要になりますから」


 そんな話をしていると、馬車の車輪から伝わる音が固いものに変化する。


「石畳じゃな。街に着いたようじゃ」




 サンテールの街に到着したと言っても、レン達は門で止められることもなく、そのまままっすぐに領主の屋敷に向かった。

 明かり取りの窓こそあれ、馬車にはガラス窓などは付いていない。

 レン達は、馬車に乗ったまま、街の景色を見ることもなく2階建ての石造りの屋敷の、馬車停めの前にやってきた。


「神託の巫女様。ようこそサンテール家へ。常と変わらぬ日々に感謝を。お嬢様、無事のご帰還を皆、お待ちしておりました」


 馬車のドアが外から開かれると、その向こうには使用人たちが並んで待ち構えていた。

 使用人だけではない、サンテール家の当主も、呪いによる不調を押して迎えに出ていた。

 伝染する呪いカーススプレッドの影響で顔に黒いアザが幾つか浮かんでおり、足下も覚束ない状態ではあるが、コンラードは震える足でクロエ達を出迎えた。


「感謝と祈りを。不調なら迎えは不要」

「コンラード伯爵。神託の巫女様は、体調が悪いのであれば休んでいるようにと仰せだ」


 フランチェスカがクロエの言葉を翻訳すると、コンラードは恭しく頭を下げた。


「……これは失礼しました。それでは、以降は息子、イゴールが引き継ぐことといたしましょう。アレッタとエドワードは私の部屋に」


 コンラードが合図をすると、後ろに控えていた青年が前に出てクロエたちを客間に案内する。




 クロエたちを見送ったあと、アレッタとエド、レンはコンラードを部屋に送り届け、そこで話をすることになった。

 なお、シルヴィはクロエの歓迎のためにと家令に連れて行かれ、残ったのはこの3人だけである。

 コンラードをベッドに座らせ、アレッタ達はその横に並ぶ。


「……さて、まずはアレッタ。よく無事に戻ってきてくれた。川に流されたと聞き、生存は絶望的と思っていた。エドワードも、よくぞアレッタを無事に守ってくれた」

「お父様、わたくし達は運良くここにいるレンという錬金術師に救われたのです。そしてレンは、お父様の呪いを解くことができます。クロエ様も保証して下さってますわ」

「……まずはこちらを。初級の解呪ポーションです。一時的にでも不調を回復させましょう」


 レンは初級解呪ポーションを取り出し、アレッタに手渡した。

 受け取ったそれを見て、アレッタは不思議そうに首を傾げる。


「中級ポーションを使うのではないの?」

「それは少し調べてからかな」


 アレッタとレンのやりとりを聞いたコンラードは、どういうことなのかとエドの方を見た。


「レンが言うには、初級解呪ポーションで中級の呪いが解呪されたり軽減されることはないそうです。そして、コンラード様の症状から、その原因は伝染する呪いカーススプレッドという呪いだろうと判断しております。伝染する呪いカーススプレッドは、品物に掛ける中級の呪いで、その呪いを受けた品に触れた者は、初級の呪いを受けることになるとのこと」

「……なるほど。して、その呪われた品を見分けることはできるのか?」

「調べる方法は幾つかあります。一番簡単なのは、初級解呪ポーションを使って解呪を行なった上で普段と同じ生活をして、再び呪いを受けた場合、その間の行動記録から対象を絞り込むというもの。もうひとつは、あなたの所持品をいったん全て私が触れてみるという方法ですね」

「ふむ……アレッタとエドワードが連れてきたのだ。レン殿のことは信用しよう。アレッタ、その薬をこちらへ」


 アレッタは初級解呪ポーションの封を切り、コルクの蓋を外すと、瓶をコンラードの口元に運んだ。

 コンラードがそれを飲むと、伝染する呪いカーススプレッドの症状である黒いアザがゆっくりと引いていく。

 コンラードは視界がクリアになり、手足に力が戻ってきたのを感じ、ベッドの上で腕を曲げ伸ばしする。


「ほう。効果が出るのが早いな。で? このあと普通の生活をすれば良いのか?」

「まあそうですが、ひとつ確認を。この呪いが出るようになった時期に手に入れたもので、あなたは日常的に触れるけれど、あなた以外は触れないようなものはありますか?」

「……ああ、つまりその時期に手に入れた何かが呪われていると言うことかい? 呪いが始まった時期は、2年半前、ちょうど出来たばかりの迷宮が消えた後だったな」


 迷宮という言葉に、レンの眉がピクリと動く。

 コンラードはそれを見逃さなかった。


「迷宮が関係するのかね?」

「……その可能性は高いですね。伝染する呪いカーススプレッドっていう呪いを人間が掛けた場合、効果は10分で消えます。でも迷宮から出た品に掛かっている付与魔法は永続ですから、未だにその症状が継続しているのなら、可能性としては迷宮産の品が怪しいです」

「……ならば、四つほど候補がある……いやふたつか」


 コンラードはベッドから起き上がると、付いてきなさいとレンを隣の部屋に連れて行った。

 応接セットと棚、大きな机がある部屋は、日差しから書類を守るためか少し薄暗かった。


「この部屋は、執務室?」

「そうだね。それでだ、こちらは迷宮から出た剣で、こちらが盾だ」


 コンラードは壁に飾られた品をレンに示した。


「手に取っても?」

「もちろん」


 レンはまず、壁に掛けられた剣を手に取る。

 両手持ちの剣で、長さは1.5メートル。諸刃もろは両刃りょうばの剣は、その見た目に反してとても軽かった。

 盾は丸盾ラウンドシールドで、レンが触れるとその表面が光り始める。


「剣には軽量化ウェイトセービングのエンチャントが掛かってますかね。重さで叩き斬る剣としてはどうかと思いますけど。盾の方は悪質ですね。自動で魔力を吸い出して光を放つ。こんなのを長時間手にしていたら普通ならあっさり魔力が尽きます」

「うむ。まさにその理由で使えないから飾りにしているのだよ」

「でも剣も盾も、壁に飾っているのなら、掃除する時に他の人が触れませんか?」

「ああ、その通り。本命はこちらだ」


 コンラードは引き出しの鍵を開けると、中からネックレスを入れるような長細いケースと、指輪のケースのようなものを取り出して机の上に置いた。


「長細い方はインクを使わないペンだ。指輪はこれを付けると気持ちが安らぐ効果があるようだ。これらも迷宮から産出したものだ」

「……確認しますね?」


 レンはまず、ペンに触れてみた。

 滑らかな手触りで、見た目は万年筆に近い。魔力を使うことで内部にインクが充填される仕組みで、その消費魔力は無視できるほどに小さい。

 ペンを机に戻したレンは、指輪に触れてみた。


「ああ、これかな?」


 魔力感知で、指輪から自分への魔力の不自然な干渉があることから、レンはそれが呪いではないかと考えた。

 しかし、まだ確証があるという程ではない。

 レンは身に付けている装備から、状態異常耐性の効果がある物を外し、それらをしまうと、代わりに初級の解呪ポーションを取り出す。

 そして、その状態で指輪に手を伸ばす。手っ取り早い確認方法として、自分が呪われるかどうか確かめようというのだ。


「……んー、魔術師の魔法抵抗を抜けるほどの効果はなさそうですね……何回か呪いっぽい魔力の動きはあるんですけど」

「どれ、呪われた実績のある、私が試そう。貸したまえ」


 コンラードが手を出してくるが、レンは首を横に振った。


「あなたはまだ、さっき飲んだポーションの影響下にありますから、一時間くらいは呪われたりしませんよ」

「なるほど、そういうものなのか」

「それなら儂が試そう」


 エドはそう言ってレンの手から指輪を取り上げる。

 しばらくは反応がなかったが、数分、指輪を掌で転がしていたエドは、突然目をこすり、うなり声を上げる。その手と顔には黒いアザが浮かんでいた。


「む……ぐう……これが呪われる感覚か。老眼にしてはちと目が霞みすぎじゃの」

「当りですね。エドさん、これ飲んで下さい」

「済まん。もらうぞ」


 レンから初級解呪ポーションを震える手で受け取ったエドは、それを一気に呷る。

 効果は覿面だった。


「エドさんのおかげで呪われている対象が分かりましたね」

「ああ。しかしこれはどうしたものか」


 コンラードは箱に戻された指輪を見て考え込む。


「解呪するのでは?」


 レンの問いに、コンラードは首を横に振った。


「触れねばこれ以上呪われないのなら、貴重な中級解呪ポーションを用いる必要はないと思うのだが」

「中級解呪ポーションは材料さえ貰えるのなら必要なだけ作れますよ?」

「ほう。つまりレン殿は錬金術師の中級以上ということか?」


 そう言えば言ってなかったな、と一瞬だけ言うべきかを躊躇したレンは、ここまで話したのだからと頷いた。


「ええと……まあ、はい。中級解呪ポーションを作るには魔術師なんかの技能も必要になりますから、中級の錬金術師なら誰でも作れるわけじゃありませんけど」

「……なるほど……ならば、この指輪の解呪を頼めるだろうか? 誰かが誤って触れたりすれば危険だ。勿論相応の礼はする」


 レンは首を横に振った。


「この先、クロエさんからのお話関連で色々とお金を使って貰うことになるので、この件での礼は不要です……それでは解呪しますね?」

「……神託の巫女様が絡むとあれば、その言に従おう……やってくれ」


 レンは中級解呪ポーションを取り出すと、それを指輪に振りかける。

 数瞬後、指輪から黒いもやのような物が浮かび出て、それが空気に溶けるように消えていった。それは生物以外を対象とした時の解呪時のエフェクトで、レンはそれを見て解呪が成功したと判断した。


「それにしても、クロエさんを出迎えるのに、初級解呪ポーションを使ってなかったのは何故ですか?」

「この街の錬金術師だが、先日素材を回収に森に出て、大怪我をして、ポーションが作れなくなっておったのだよ。弟子の錬金術師もいるが、まだ解呪ポーションは作れぬそうでな」

「大怪我……え? 体力回復ポーションで治せないような?」


 骨折程度までの怪我であれば、初級体力回復ポーションでも時間は掛かるがそれなりに治る。

 治療効果が及ばないのは手足の欠損や神経の損傷、視力の喪失などで、これらには最低でも中級が必要となる。


「うむ。傷は塞がっているが、左腕が動かない状態なのだ」

「なるほど。神経か……だとすると必要になるのは中級ですね……その錬金術師は信頼できる人なのですよね?」

「ああ、10年以上、伯爵家うちにポーションを卸してもらう程度には信頼しているし、民からの評判もまずまずだが?」

「……なるほど。錬金術師としての経歴が10年以上なら申し分なさそうですね……ならその人も回復させた上で、アレッタさんと一緒に中級の錬金術師に育てましょう」

「治してやれるのか? それに中級に育てる? できるのか?」


 コンラードは混乱したようにそう尋ねた。それに対し、レンは微妙な表情を見せる。


「確証はありませんが、多分出来ると思います。アレッタさんとシルヴィは俺の知ってる方法で錬金術師初級になれましたから、中級も同じ方法で行けると思います」


 それが本当に可能であると言い切れないため、断言は避けるレンだったが、その返事を聞いてコンラードは嬉しそうに笑った。


「シルヴィまでも? はは、なるほど、これはエドワード達から色々話を聞かねばならぬな」

「それでお父様。お父様は回復されたわけですが、クロエ様のお相手はお兄様のままで宜しいのですか?」

「うむ。私が呪われていた間、イゴールとラヴィーナには領政の多くを任せておったから、まあ彼奴あやつでも問題はあるまい。それよりもエドワード、いったい何があったのかを聞かせて貰えぬか?」


 応接セットに座り、コンラードはエドも含む全員に座るように促すとベルを鳴らした。

 すぐにやってきたメイドに茶の用意をさせ、コンラードは大雨の日の後のことを話し始めた。


「まず最初にやってきたのは、冒険者ギルドのギルド長と冒険者がふたりだった。護衛任務の途中、大雨で川が氾濫して街道にいた馬車が流されたと聞いた。その冒険者達も馬と共に流されたそうだが、荷を捨てて馬を身軽にして森を迂回して街に戻ってきたそうだ。残りは下流に流され、馬も失っていたが、数人単位で固まっていたため魔物に襲われても生き延びることが出来たそうだ。その状況を聞き、アレッタたちはもう死んだものと皆が思っておったが、イゴールは馬車が見つかるまで捜索隊を出すべきだと主張しておったな」

「お兄様はわたくしに甘いですからね。わたくしたちは、川を流され、途中、何かにぶつかった衝撃で気を失い、気がついたらレン様が大きな岩山の中に作った洞窟におりましたの。シルヴィの話では、流された馬車が洞窟の前の川原に流れ着き、それを見たレン様が危険を顧みず助けに来て下さったとか。でも、どことも分からぬ森の中、川を遡れば街道にぶつかるだろうとは思っても、流された時間は半日以上。エドワードやシルヴィならともかく、わたくしの足では森を抜けて戻る事もできず、どうした物かと悲嘆に暮れておりましたところ、レン様がひとりで街まで往復して助けを呼んでくると仰って下さいまして、森の洞窟で生き延びるための準備を始めましたの」

「ほう、中々に苦労したのだな。あとでイゴールにも話して聞かせてやると良い。あいつはそういう冒険譚が好きだからな」

「そうしますわ……でも本当に大変だったのはこの後ですの。レン殿は炸薬ポーションで洞窟を広げてわたくしたちの部屋や氷室を作って下さったりしたのですが、そのさなか、洞窟の壁が外につながり、そこに村のような物が見えたのです。それは四方に白い塔のある、石畳で覆われた小さな村と、そのそばにまた民家の少ない村。それを見た時は血の気が引く思いでしたわ」

「実際、アレッタお嬢様は真っ青になってましたな」


 そこまで聞いたコンラードも顔色が悪くなっていた。


「まて、それは聖域の? 聖域の大岩に穴を開けて住んでおったと? 聖域の大岩とはつまり聖地では?」

「まず、これらの事柄はソレイル様の思し召しです。クロエ様はレン様がそこで私たちを助け、聖地を穴だらけにすると知っていました。神託でわたくしたちのことを知ったクロエ様は、私たちを迎えに来て、罪に問わぬと仰って下さいました。そして、クロエ様は、レン様が世界を救うという御神託を受けたと仰いました」

「……世界を?」


 コンラードは、レンの顔をマジマジと見つめた。


(まあ、普通そうだよな。突然、身元も分からない人間連れてきて、世界を救う者だとか言われて、それを真に受けるとかあり得ない)

「なるほど、レン殿は救世主様でしたか」

「え? いや、信じるのですか?」

「この世に神託の巫女様が言うことを疑う者はありません」


 一般的日本人として、冠婚葬祭以外で宗教に関わってこなかった健司には理解しがたいことだったが、これがこの世界における普通の感覚だった。

 神託には三つの方法があり、ひとつは神託の巫女の夢で神が直接言葉を与えるというもの、もうひとつが、王都の神殿と聖堂にある水晶に封じられた灰が詰まった箱に神が文字を書き込むというもので、三つ目が神が直接顕現して言葉を放つというものである。ちなみに。英雄の時代以降、三つ目の方法が取られたことはない。なお、三つ目の方法で神が顕現した場所こそ、レンが穴だらけにした岩山だったりする。

 もしも神託の巫女が自分の見た夢を神託と勘違いして口にするとふたつ目の方法で訂正される。灰箱を封じた水晶は、魔法の影響を受けない材質で、人間が水晶を物理的に破壊せずに灰箱に文字を書くのは不可能とされていた。


「ならば、まず、アレッタさんとシルヴィには中級の錬金術師になるための準備をして貰います。目的は、俺の知ってるやり方で中級錬金術師になることができるのかの確認です。結界杭の保守は初級錬金術師でも可能ですけど、新規に作るには中級の錬金術師と時空魔法を使える初級の魔術師が必要になります。あと、中級の鍛冶師ですね」

「待て待て、時空魔法は失伝しておるし、鍛冶師も初級以外は存在しないぞ?」

「両方とも俺が使えますけど、俺ひとりしかいないのでは、俺に何かあったときに対処できなくなります。だから、それらを広めることも視野に入れています。そのため、俺の知る方法で錬金術師中級になれるのか、というのを早めに確認する必要があるのです」

「それらの対価は?」

「できうる限り長い平和、ですね。ミスリルの武器は強力ですし、今後、中級の錬金術師を継続して育てるためには、魔術師に氷の魔法を覚えて貰う必要があります。それらは人間を傷付けることにも使えますから、そうしないという約束を、例えば王家にして貰いたいです」

「ふむ。まあ、それは問題ないだろう。私は伯爵だから王家に代わって答える権限は持たぬが、それは通ると思うぞ」


 あっさりとそう答えるコンラードに、レンは胡乱な者を見るような目を向けた。


「信じられぬか? 我々は職業とその技能を神に授かって生きておる。職を得る際には『その力を正しきに使い、日々の鍛錬を重ねること』を神に誓願しておる。神の与え賜うた技能は、我々がこの誓願を破らぬ限り我々と共にあるが、請願を破れば即座に失われる。たとえば、魔術師が、その魔法で誰かを害さんとすれば、魔術師はすべてを失い、以降、どの神からも職業や技能を与えられることはなくなる。王家が誓うまでもなく、全ての人間は神に誓っているのだよ」


 職業や技能を失うということは、成長に費やした時間を失うに等しい。

 それは、学歴や資格がなくなる等という生やさしいものではなく、それが魔法であれば、魔法の使い方、その開発に関する歴史の知識や、それどころか関連する知識も全て失われるのだ。

 技能が使えなくなる、ではなく、技能があったことすら覚えていないし、その技能で何をしていたのかも忘れ去るのである。

 その判断は裁定の神が行なうため、嘘も言い訳も通じない。悪意なくそれをした場合は情状酌量ということもあるし、直接手を下さなくても主犯格が職業を失うということもある。

 そして、こうした事柄は皆が最初の職業を得る際に聞かされることであり、子供の頃からお伽噺として語られるため、それを知らぬ者など、ヒトの領域には存在しないはずだとコンラードは告げた。


「それを知らぬと言うことは、レン殿は、我らが知らぬ場所より参られたということの証なのでしょうな」

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